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1月から東大安田講堂攻防戦の籠城学生の様子や新聞記事などを紹介してきたが、攻め手である機動隊員へのインタビュー記事が朝日ジャーナルに掲載されているので紹介する。

【TPO‘69 機動隊員たち】朝日ジャーナル1969年2月9日号(引用)
『60年安保から東大へ。“鬼”とよばれる機動隊。2日間延べ13,500人を動員した安田講堂の攻防戦。各所にたむろする青ヘルメット。上級者と共にいる時は絶対口を開かず、仲間同士少人数で巡回、警備の時、ようやくナマリの多い、重い口調で。平隊員平均年齢26歳。小雨の合間。
―東大の感想はー
A わたしは外での衝突ばかりだったので構内にはいるのは今日はじめて。広いなあ。それと、破壊が予想以上ひどい。
B ひどいもんだった。(タキ火をかきたてながら)こんなにタキモノが出るほどだからなあ。これは別に掃除をしてやっているんじゃない。ただ警備しているのは寒いからねえ。
―衝突で一番怖かったのは?-
C やはり投石。どこから飛んでくるかわからんからなあ。火炎ビン、たいしたことない。角材もまあ怖いといえば怖いが(同僚の顔を見ながら)、まえ見えているので防ぐ手段はある。
D 学生たちの戦術がだんだん拡大してゆく傾向がある。(ちょっと上を見て)わたしのすぐそばでも隊員が3,4人やられた。投石だ。2人は重症らしい。
―学生たちをどう思うかー
A さあ(沈黙1、2秒)なんといったらいいかなあ(同僚を見る)
E 世間でみんな“学生さん学生さん”といっているから、まあわれわれも学生さんとは思っているけど・・・・。
F 学生は学生だろうが、われわれと衝突する時の行動なんかは、やっぱり学生らしくないといっていいな。
―家族の反響はー
B 私は関西の田舎の出身だが(目がやわらぐ)衝突があるたびに、気をつけろケガするなといってくる。こう事件がつづくと返事も書いてられないしねえ。
G(毅然として)私の所へは手紙なんて全然こない。家族も親戚も一応覚悟してるから(声を落として)まあ帰郷の時はよくいわれるが、テレビなんかでこっちの情勢がすぐわかるから心配するんだ。
―体力、気力の自信は?-
E 安田講堂封鎖解除開始以来、ずっと1日、2,3時間の睡眠。疲労はしてるんだが、やはり興奮してるのかなあ。
A (ブ然とした表情で)自分でもよくこれだけ体力つづくと驚いてしまう。
C 本部からの給食じゃ、やはりこれだけの重労働には不足だ。
D みんな小遣いでパンを買ったりしてるんだ。(口辺だけの笑いで)まあ、出動の時は多少小遣いも多くくれるからいいけれど・・・。
E いくら小遣いをくれても、やはり衝突はないほうがいいよ。
A 闘志っていうが(困惑した表情)簡単にはわかないものだ。こっちから手をだしちゃいけない、防御第一ってことでもあるしね。』

攻め手の機動隊員の素顔がチラッと見えるようではあるが、インタビューなので公式的な発言に留まっているような印象を受ける。
彼らも攻防戦では個人の“機動隊員”から組織としての“機動隊”という暴力装置に組み込まれ、防御第一という建前を捨て、ガス銃を武器に激しく攻めこんでいく。

【失明や口蓋破裂 ガス弾当り重傷者続出】朝日新聞1969年1月19日号(引用)
『18日の東大構内での反代々木系学生排除の際、機動隊のガス弾が顔にあたり、このため目をえぐられたり、くちびるが裂けた重症の学生5人が出た。
ガス銃撃は医学部中央館屋上でまず始まり、塔屋の学生に百発近いガス弾をあびせた。(中略)ガス弾は長さ約20センチ、直径約4センチ、プラスチックの弾体の先端に木部と長さ約1センチの鉄パイプがついている。重さが約150グラムあり、20メートル離れてベニヤ板を打ち抜くほどの威力。
警視庁は「仰角30度に、できれば50メートル離れてうつよう指導しており、直撃させたことはない」といっている。』

また、東大全共闘機関紙「進撃」では
【進撃1969年2月20日号】(引用)
『機動隊が使用したガス弾射撃は、明らかに15メートルから20メートルの至近距離から機動隊指揮者の「顔をねらえ」という命令に応じて水平射撃されている。』
『逮捕者は講堂や屋上で手錠のまま機動隊員に鉄パイプや棍棒で1人1人なぐられ、ガスを抜いたガス弾で至近距離から顔面をねらい打ちされるという蛮行を受けた。』

1月18日の新聞の夕刊には「ねらい撃ち 工学部列品館屋上にたてこもる学生に、法文1号館屋上からガス弾を打ち込む機動隊員」という説明文とともに、ガス弾水平撃ちの写真が掲載されている(写真は朝日新聞から転載)。
写真は事実を語っているが警察は認めない。建前と実際の現場における事実との間の大きな落差。攻撃者の論理である。