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前回に引き続き東洋大学の闘争の様子を紹介する。(写真は筆者撮影:白山神社から見た東洋大)

1969年6月、政府自民党は、全国に広がる学園闘争の収拾を図るための法律である「大学の運営に関する臨時措置法案」、いわゆる「大学立法」を国会に提出した。
これに対し、各大学では個別大学の課題と併せて、70年安保粉砕、大学立法粉砕のスローガンを掲げて、次々とバリケード・ストに突入した。
東洋大でもストが行なわれた。

【全学的に実力阻止の動き 大学立法粉砕闘争】東洋大学新聞1969.6.25(引用)
『法学部、社会学部、経済学部各自治会は現在政府支配階級が成立を急いでいる「大学の運営に関する臨時措置法案」と中教審答申の粉砕に向けて、23日、1週間の期限ストに突入し、法学部は2号館を封鎖した。
また、経済学部も23日、スト権を確立、25日からストに突入する。
これと共に文学部では、学科別にスト権を集約しており、中哲、史学、英米の各学科は25日にスト突入の予定でいる。
各学部自治会は中教審答申以降現在までの政府政策の意図を「昨年末、続発する学園闘争の本質的問題を一切みることなく、治安立法として登場しており、それは“暴力学生処分法案”(仮称)の出現にみられるように、支配階級自らの野望を貫徹させるため、闘争の圧殺をはかってきた」とし、実力阻止の闘いを展開することを確認している。
しかし、この間の運動は、昨年の4項目闘争の総括が曖昧であり、全学スト体制が確立しつつも全学的な指導部の未登場による運動の分散化など、現在、闘争の発展を阻害する要因を孕んでおり、この点をいかに止揚していくかが、スト期間中に問われているといえよう。(後略)』

大学立法は8月3日参議院で強行採決され成立し、8月17日から施行された。
「紛争校」と指定され自主収拾ができない場合は、国による大学の職権閉校、そして廃校となるため、法施行後、「紛争」中の大学当局は「自主的」に機動隊導入、ロックアウトという道を選択することになる。

【ロックアウト攻勢つづく 学内に機動隊導入】東洋大学新聞1969.9.10(引用)
『2部全学闘準備委員会と学生インターは、8月25日未明から大学治安立法の実質化粉砕、安保粉砕などのスローガンを中心に2号館をバリケード封鎖していたが、8月30日午後2時すぎ、学長の要請による機動隊の導入で、封鎖を解除され、徹底抗戦した5人と、街頭闘争を闘っていた学生4人が公務執行妨害などで不当逮捕された。
30日1時には学内整備を理由に、学内退去の要請が学長、理事長の連名で出され、当局の完全なロックアウト攻勢が敷かれたが、これに抗議する2部全学闘を中心とする学生30人と、社会学部を中心とする全共闘準備委員会の学生50人は、各々に集会を持った。
(中略)
2時すぎ、京北高校と、1号館から学内に乱入した機動隊は、学内にいた学生を強制退去させて、徹底抗戦部隊を孤立させる攻勢に出たが、機動隊導入に抗議する学生約500人が、1号館付近に集まり、機動隊の不当介入に、街頭デモや投石で応戦した。
これに対し、機動隊は催涙弾の直接狙撃などを続け、学生を分散させ、白山一帯を戒厳状態に陥れ、4時すぎから完全なロックアウト体制を敷いた。
現在、大学側は3メートルの鉄柵を作り、教授、職員以外は一切学内への立ち入り禁止というロックアウト攻勢を続けている。
本学周辺は私服警官と制服警官がパトロールを続け、一切の学生部隊を大学周辺から締め出す攻勢に出ている。
これに対し、全学闘準備委員会は明大で、全共闘準備委員会は東大、立大などで、今後の運動方針の検討と、組織の明確化を急いでいる。』

大学新聞によると、東洋大には全学闘準備委員会(2部文学部行動戦線、哲行委、史闘委主体)と、全共闘準備委員会(社スト実、文スト実、経営スト実、全寮闘)という2つの闘争組織があったようだ。
連載No61「学園ハガキ通信 その4」に寄せられたコメントによると、東洋大には第4インター、中核派、ML派、反帝学評などの党派がいたようだが、全学闘と全共闘の関係がよくわからない。

【北部全共闘総決起集会開く 本学全学闘(準)参加】東洋大学新聞1969.9.24(引用)
『本学全学闘(準)、教育大全学闘、立教大全共闘を中心とした各大学全共闘、全学闘は18日午後2時から立教大で約200人の学生を集めて北部地区全共闘結成へ向けた総決起集会を行なった。
集会は5日に日比谷公園において確認された全国全共闘連合の意義を再確認することから開始され、大学立法粉砕を全国的に闘ったなかから11月、佐藤訪米実力阻止へと70年代階級闘争の高揚をかち取ることを、各決議表明の内容としつつ、地区全共闘の意義が確認された。(中略)
また現在施行されている大学立法のもとに、大学を機動隊の戒厳令下にいて試験を行っている東京外大で、試験実力阻止闘争を行なうことが確認され、大会は終わった。』
(つづく)