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前回に引き続き、東洋大学の闘争の様子を紹介する。(写真は東洋大新聞から転載)

東洋大新聞によると、東洋大には全学闘と全共闘という2つの組織があったが、全学闘(第四インター系)結成の様子が新聞に掲載されている。
【全学闘結成す 反帝闘争の実力部隊】東洋大学新聞1969.9.24(引用)
『全学闘(準)は、22日10時から約100人の実力部隊を結集させ、正式に全学闘を結成した。
全学闘は、ロックアウトの本質を国家権力が個別大学資本を組込む一過程であるととらえ、ロックアウト粉砕を戦略方針としつつ、佐藤11月訪米阻止、70年安保粉砕の闘いを押し進める方針である。
これと同時に20日、脅辧↓儀个それぞれスト権を確立し、2号館封鎖闘争に突入した。また、擬劼皀好噺△虜導稜Г20日の総会で確立し、試験実力阻止、脅匯抉腓諒?砲魍稜Г靴討い襦
だが、全学闘は、これらの動きに対して昨年の4項目闘争の個別性を止揚していないと批判している。
なお、全学闘は、22日午後1時から全学バリケードに突入した。
全学闘(準)は、22日、10時から2号館前で、結成大会を開き、1.18-19東大闘争が切り開いた反帝実力闘争を担う部隊として全学的な統一戦線として全学闘の結成が必要であることを述べ、大衆的に登場することを確認した。
集会では8月以降のロックアウト攻勢と、東外大、教育大にみる機動隊常駐が、現在的な大学をとりまく状況であるとし、私学個別資本の背景には、明確に総資本がひかえ、本学における13日の中現闘、哲行委の鉄柵撤去の機動隊導入、外語大における試験中の機動隊導入は、それを明確にしていることを確認した。
更に、ロックアウトを粉砕していく戦いは、明確に国家権力と対峙する対権力闘争として発展させていかなければならないことが語られ、本学を中心とした北部地区(東外大、教育大、日大芸術、立教大、お茶大)全共闘連合の実体化が、対権力闘争の実力闘争の部隊として登場することが確認された。(後略)』

1969年9月30日、日大法経奪還の実力闘争が神田駿河台で展開されたが、東洋大でも、それに呼応した闘いが行なわれた。
【白山通りに街頭バリ 日大奪還と呼応して】東洋大学新聞1969.10.26(引用)
『全学闘は、9月30日午後1時2号館前で、9.30日大奪還闘争全学総決起集会を開き、日大奪還闘争をスケジュール的にカンパニア闘争として位置づけるのではなく、全学闘を全国全共闘・北部全共闘の一翼をになう部隊として登場させ、対権力に向けた実力闘争を展開していかなければならないことを確認した。(中略)
午後6時15分から角材、ヘルメットで武装した全学闘、早大文学部闘争委員会、東京外国語大全共闘の約250人が武装行動を開始し、白山通りに街頭バリケードを構築した。』

69年9月から10月にかけて、バリケード・スト中の大学に相次いで機動隊が導入された。
大学立法施行後の状況の中で、10.21国際反戦デー、そして11月の佐藤訪米阻止闘争を控え、警察と大学当局が一体となったロックアウト攻勢が続くことになる。

【機動隊を導入 ロックアウト続く】東洋大学新聞1969.10.26(引用)
『全学闘、全共闘、二部社自、経営は1.7号館を除く全校舎を封鎖していたが、3日未明、大学は授業再開と学内正常化を理由に機動隊を導入し封鎖を解除し、11月3日までロックアウトを行うことを発表した。
また、大学は白山校舎のロックアウトの理由を9月30日の全学闘の日大奪還闘争支援のカルチェラタン構築のさい、白山校舎を拠点として闘ったこと、10.21国際反戦デーの北部地区全共闘の拠点校になるのを回避するのと、機動隊導入での学内整備を行なう目的とした。
また、18日には大学当局からロックアウト明けの学内「平常維持」のため各学生に誓約書が配布された。これは日大、駒大、教育大に次ぐ自主規制、学内整備化の一環であり、これにより学長の大学法反対声明は有名無実となった。
なお、全学闘は7日、午後6時から立教大学で全学闘書記局主催による全学闘政治集会を行ない、11月佐藤訪米阻止闘争を行なうなかから、70年安保に向けて権力奪取の闘いを勝ち取っていき、北部全共闘の一翼として、革命的な闘争機関を創出し、70年安保・沖縄を闘いうる戦線として組織化を図っていくことを確認した。(中略)
さらに9.30白山カルチェラタン闘争で全国全共闘に正式加盟した全学闘は、東洋大唯一の闘争機関として、北部全共闘の確立をはかり、今後の闘争を担っていかなくてはならないと確認した。
この後、各闘争委員会からの組織総括がなされ、集会は終わった。』

東洋大では70年以降も闘争が続くが、今回のシリーズは1968-69年の時期に限った連載なので、その後の闘争は別の機会に紹介したい。
大学新聞縮刷版という貴重な資料を提供していただいた方に感謝するとともに、今後とも時の堆積の中に埋もれていってしまう資料に光をあてて、このブログで公表していきたいと考えている。
(終)