
No109で1969年11月13日号の「週刊読売」臨時増刊号について紹介したが、その中の各党派代表者へのインタビューを、党派ごとに抜粋して紹介するシリーズ。
第3回目は赤軍派。
インタビューに応じている上野勝輝氏(京都大学医学部)は、69年11月5日、大菩薩峠の軍事訓練で逮捕されているので、このインタビューはその直前のものと思われる。
前回のブログで、赤軍派の故田中義三氏が痛烈に批判しているU氏とは彼のことか?
【火を吹けシカゴー東京戦争】週刊読売 1969.11.13臨時増刊号(引用)
『共産主義者同盟(ブント)赤軍派 上野勝輝
<赤軍派とはどういう組織なのか>
マスコミは、われわれが社学同を割って出たとか、社学同統一派ないし関東派に対して社学同赤軍派と呼んでいるがこうした区別のしかたがまるでデタラメであることを、まず指摘しておきたい。
正しくは「共産主義者同盟(ブント)赤軍派」と呼ぶべきである。
社学同は事実上消滅しちゃっているのだ。
つまり、社学同とは、いわば産業別の組織であって、大学というブルジョア経営体に所属する一産業的レベルの人間を集めたものにすぎず、こんなショボい組織では、革命は導けない。(中略)
いまひとつ、赤軍派が全く新しい組織として生まれたものなかという誤解に対していえば、60年安保闘争の中心となったブント、これがその直後に分裂、いま中核にいっている北小路敏などもその1人だが、黒田寛一にイカれたグループが、どんどん革共同に流れていったなかで、関西ブントというのがずっと残って、60年以降の日本の新左翼運動を統一していったという歴史があり、いまの赤軍派がそういった部分によってになわれているということだ。(中略)
<帝国主義について、他のセクトの対応のしかた、また赤軍派の路線は>
(中略)現実の帝国主義の流れへの無自覚が、他党派共通の姿勢である。
過去の獲得物に、バリケードに、古い戦闘形態に固執する。
これに対して、われわれ赤軍派は、前段階武装蜂起と、世界革命戦争、そして、その勝利という路線を打ち立てた。
戦場を大学に限る必要はない。すべてを戦場として、あらゆる戦闘を闘い得る軍の建設だ。
これこそが、現代帝国主義に対し、これを打ち破り得る唯一の正しい闘いであり、いま、方針を見失い、分解している全世界のプロレタリア人民を、もう一度統合し、新しく高めていく、そういうものだと考えているが、これが、今秋、決定的なものとして問われているのだ。
<それが“大阪戦争から東京戦争へ”のアピールか>
そうだ。
世界的には、日米の武装蜂起=シカゴー東京戦争。
アメリカでは、左翼が提起する「ブリング・ザ・ウオー・ホーム」(祖国に戦争を)というスローガンね。
要するに、アメリカ人民が初めて反戦闘争から革命戦争を宣言するものであり、日本では、われわれが武装して立ち上がる。(中略)
<今秋の闘争ではどうか>
むろん、いろいろ考えてはいるが、いまここで、武器を一挙にエスカレートしようとしても、彼我の攻防関係=階級闘争の自然的な発展を越えるようなことは、実際にはできないわけだ。(中略)
日本では、ずっと武器イコール悪という俗物的人道主義によって教育されてきたが、それを、われわれはいま打ち破りつつあるといえる。
(中略)
<いま赤軍派の組織、動員力はどのくらいあるのか>
そういうのはあんまり・・・。意味ないというより、それはいまいわないってことだ。
ただ赤軍派が微々たる存在であっても、一党派でも世界党だ。何も日本の運動だけじゃねえと。
アメリカの運動にも、ヨーロッパの運動にもかかわり合って、全世界を指導する。そういう存在としてわれわれはある。
たとえば、ベトナムの民族解放戦線も、最初の軍隊建設は10人くらいから始まったと思う。ロシア革命のSL戦闘団でも14人の軍隊からスタートしているし、ブラック・パンサーの場合なんかは、たったのふたり。
その意味では、革命戦争の発火点として、現代過渡期世界の性格をはっきり見抜け、それを戦い抜けるという主体さえできていれば、それはもう、われわれ、組織がなんぼ小さかろうが、軍事がショボかろうが、あんまり気にしない。(中略)
<全国全共闘連合との統一戦線などは考えていないのか>
あれは、分解の対象である。とまり、わが赤軍は、全世界の分派闘争を普遍的につらぬく質を持っているのだから、ほかのあらゆる党派を根底から分解させ、われわれと同質の問題意識に接近させていくということだ。
現段階では、八派連合とまったく敵対するわけでもないが、向こうは分解される対象であり、こちらは彼らを再編する主体という関係である以上、彼らが保守的になれば、どうしても内ゲバ、敵対ということになる(後略)』
(つづく)