野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2010年08月

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「新聞で見る1969年」シリーズ。
今回は、ホームページの1968-69全国学園闘争「図書館」コーナーでも公開中の東大闘争獄中書簡集である。
ある方からの寄贈を受け、現在、第12号まで公開が進んでいるが、この書簡集に関する新聞記事があるので見てみよう。

【獄中書簡】1969.7.12毎日新聞(引用)
『(前略)<早くも12号を発行>
タイプ印刷で20ページたらずの小冊子。それも、東大前の鈴木書店や神田すずらん通りの内山書店など、ごく少数の書店にしか置いてないのに、いま学生たちの間で“隠れたベストセラー”になっている週刊誌がある。
その名は網走番外地―いや、都内各署に留置されている学生たちの“獄中書簡”を集めた「東大闘争・獄中書簡集」だ。

4月20日に創刊されたときは「せいぜい三号くらいしか続かないだろう」という声もあったのに、着実に号を重ねて、早くも十二号が出たところだが、その売れ行きは「うちに置いてある週刊誌の中では一番です」と、書店側でも感心するほど。
「うちだけで通算六千部は出ていますね。もちろん、いまも好調です。」(鈴木書店)
発行者は「獄中書簡発行委員会」で、委員長代行は加藤二郎君となっているが、もちろん仮名。
連絡先の東大追分寮(文京区向丘1の12の7)内、真崎猛哲君も“まっ先、ゲバ哲”のニックネームで、読者のアイドルになりはじめているが、これまた架空の人物である。
(中略)

<理屈ぬきでの愛読>
まったくゲリラ的で、人を食った刊行方法だが、毎週土曜日の新宿広場や各種の集会に持って行くと、1部50円で飛ぶような売れ行き。
この種の刊行物の中では、まず筆頭のベストセラーだ。
が、それのそのはず。「毎号欠かさずに読んでいる」という学生に聞いてみると、「あの東大闘争を勇敢にたたかって、パクられただけでもカッコイイのに、その獄中から手紙をよこすなんて。ますますカッコイイわ。」(共立女子大1年生)
「全共闘が配るビラなんかより、ずっと真実味があって、胸に響くものがある」(明大2年生)などと、理屈ぬきの愛読ぶり。
「ぼくも1回パクられたことがあるから、ここに書いてあることがよくわかる」(日大3年生)という声も少なくなかった。(中略)

<全くない罪の意識>
事実、書簡集に収録されている手紙を見ても、罪の意識はまったくなく、獄中で窃盗犯と一緒になった学生は犯人に同情して、こう書いている。
「奪われた富の何分の一かを奪い返そうとした彼は即時に手錠をかけられました。窃盗・・。
僕らの言葉でいえば“奪還未遂”でしょう。」(6.7合併号)
このメイ文はそのまま表紙に使われているが、手紙の一部を表紙に刷り込む方法は毎号同じ。
「ここにいる限り、パクられる心配はないとふと考え、ア然としたことがある。独房の中にも唾棄(だき)すべき日常性が忍び込んでいたのである。」(8号)とか「諸君が面会を終わって帰っていく時、我々がその背中にどれだけ熱い期待のまなざしを投げかけているかを、肌身で感じて欲しい。」(12号)
そして、表紙をめくると「目次」になっていて「中野より工藤民男・山形大」「東拘より渡辺黙男・東大」といった“仮名”が並んでいる。
「東拘より」というのは東京拘置所からという意味で、「中野」というのは中野刑務所のことだ。
なかには本名でゲバルト・ローザの異名をとる柏崎千枝子さん(東大大学院博士課程)や、山本君とともに全共闘で活躍した今井澄君(医学部六年)の名前もある。

<たたかいの武器に>
それぞれに闘争の第一線から身を引かされ、獄中でひとり時間をかけて考えたり、悩んだことを書いているので、読む者の胸に訴える文章が多い。
ある者は静かに自分のおい立ちを語り、ある者は獄中で読んだ本の感想を書いていて、現代版「きけわだつみのこえ」といった感じがしないでもない。
しかし印刷費を友だちから借金して、スタートさせたという編集委員のS君(文学部五年)は「わだつみのこえなど読んだことがないし、読みたいとも思わない」という“戦無派”だ。
それどころか「商業的な出版社から続々と刊行されている“闘争の記録”だって、ニガニガしくて読む気がしない」と、こういっていた。
「資本家の食い物にされている闘争の記録に反対して、自分たちの記録を作ろうと始めたものです。いろんな出版社から“うちで出せばもっと売れるぞ”と失礼なことをいっているが、ぼくらは決して売り渡しません。
問題は売れる売れないではなく、この書簡集をいかにして、闘いの武器にしていくかです」
書簡集は毎号、獄中の学生に差入れされ、彼らを勇気づけているし、獄中・獄外の連帯の本拠にもなりつつあるから、いまや立派な武器といえよう。』

この書簡集は編集委員のS君の思いとは別に、1970年2月に三一書房から出版されている。

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7月17日の新聞の朝刊にこんな記事が載った。
【元日本赤軍・重信房子被告 懲役20年確定へ】2010.7.17朝日新聞(引用)
『1974年の「ハーグ事件」などで殺人未遂、逮捕監禁などの罪に問われた元日本赤軍最高幹部・重信房子被告(64)の上告審で、最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)は、弁護側の上告を棄却する決定を出した。15日付。
検察側の無期懲役の求刑に対し、懲役20年とした1.2審判決が確定する。
弁護人によると、裁判が終わるまで拘留された期間が刑期から引かれるため、仮釈放などがなければ2022年ごろに出所できるという。(後略)』

前日(16日)テレビで見て重信さんの刑が確定したことを知ったのだが、刑が確定すると家族以外は面会もできなくなり、手紙のやりとりも制限される(こちらから出すことはできるが、返事は書けない)と聞き、重信さんに会いに行くことにした。
1日1回、面会は3人までという制限があるため、元明大局瑤裡忙瓩硲隼瓩醗貊錣北眠颪帽圓ことになった。
K氏とH氏は重信さんの面会や裁判の支援活動を続けているが、当時の立場や主張の違いを越えて、同じ明大生としていまだ獄中にある者を助けるというスタンスで活動を行なっている。
私もその会合に参加させていただいた関係で東京拘置所に行くことになった。
東京拘置所には1971年7月、同じ年の6月の沖縄闘争で逮捕された仲間の面会に行ったことがある。その時はまさか39年後に、また東京拘置所に面会に行くとは思いもしなかった。

東武線の「小菅」駅を降りると、右手に東京拘置所が見える。(写真:筆者撮影)
昔は高架ではなかったような気もするが、階段を降り改札を出ると駅前は路地になっていて何もない。普通の駅前の風景ではないのだ。
駅の東京拘置所案内図を見て歩いて行くと、拘置所周辺は工事中のようで、無機質な銀色の工事用の塀が夏の太陽をギラギラ反射して遠くまで続いている
私の少し先には、年老いた夫婦がリュックを背負って拘置所への道を歩いている。
私と同じように面会に行くのだろうか。

面会待合所の入口まで来るとコンクリート塀があり、当時の面影が残っている。
面会待合所の中は病院の待合室のようだ。高校野球をテレビでやっている。
まだ待ち合わせ時間には早いので、早速、中をウロウロ観察。
ヤクザ系のお兄さんや風俗関係のキレイなお姐さんもいるが、街中に居るようなごくフツウの人たちもいる。子供も多い。昔と違って左翼系は我々だけだろう。
壁に掲示されている注意書きには、日本語の他に英語、中国語、韓国語、アラビア語、スペイン語(?)。拘置所も国際化しているようだ。
差し入れ所にはコンビニなどではあまり見かけない「実話時代」8月号が積まれている。ここではベストセラーなのだろう。
自動販売機の飲料が外より安いことを発見。ペットボトル小120円が80円。1本買って飲みながらK氏とH氏を待つ。

K氏とH氏は定刻に現れ、面会票を出し電光掲示板に受付番号が出るのを待つ。
電光掲示板に受付番号が出ると面会前に荷物をロッカーに預け、空港にある検査所のような所でボディーチェックを受ける。体温(熱)を感知するカメラもある。新型インフルエンザ対策か?39年前はこんなことはなかった。
長い廊下を歩きエレベーターに乗って指定された階へ。

面会室のイスに座るとすぐに重信さんが現れた。病気療養中とのことであるが、見た目は元気そうである。
重信さんは自宅に客人を迎えるような気楽な雰囲気で、アクリルごしに我々とハイタッチで「握手」。
K氏が近況を報告し、重信さんがそれにコメントする。よく喋る。
日光に当れないので青白い顔をしているが、話の内容は非常にしっかりとしており、刑が確定したことに対して落胆している様子もない。精神的にタフな人なのだろう。
重信さんは、私のブログも一部見ており(もちろん郵送された紙の印刷物で)、「同志社大の例もあるので、明大全共闘関係資料を大学側の協力で資料集としてまとめたらどうか」という「壮大な提案」もいただいた。 
面会時間は規則では30分以内となっているが、実際は10分程度。いかにも短い。
女性刑務官の「時間です」の合図で面会は終わった。
重信さんは別れ際に「10年間支援ありがとう」と一礼し、再びアクリルごしにハイタッチ。笑顔でサムアップ(親指を立てる)して扉の向こうに消えた。

重信さんに、このブログやホームページの読者へのメッセージをお願いしたところ、重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」第100号(2010.7.18)に掲載されている「最高裁判決を受けて」を掲載してもらいたいとのことだった。
ホームページの「時代の証言者たち」の中でこの文書を公開しているので、重信さんからのメッセージとして、そちらも見て欲しい。

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