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前回の続きです。図書新聞の記事と、当時の新聞記事から慶大闘争を見ていきます。

【みゆき族から新左翼へ 今は自動車誌を編集】2009.6.20図書新聞(引用)
聞き手は小嵐九八郎氏(作家・歌人)
『(前略)
小嵐:全学ストライキでしたね。入口の警備員室を占拠したとか。

鈴木:日吉キャンパスのイチョウ並木通りはわりと長大なのもで、右側がグラウンドで左側に校舎が六つか七つあるんですが、日吉の場合は塾長のいる所がないんです。
軍事的にいって、ここを押さえればすべてを押さえたことになるという象徴的な施設がなかたんです。
そのために、正面の門の所にバリケードを張ったんです。
ところが、日吉駅を降りるとすぐ慶應があるんですが、駅から見て右側はずっとグラウンドです。一般の人も通る歩道になっていて、そのままずっと行くと日吉高校になります。
日吉高校はストライキには関係ないから、高校の生徒が通る通路は確保しながら、でも大学の構内には入れないようにしなければならない。
そのため、側面をずーっとバリケードを築いてふさがなければならない。
ですから非常に長大なバリケードが構築されたんです。(筆者注:写真は毎日グラフから転載)
そういうわけで、門の脇にある警備員室に僕ら文学部の一年生たちが詰めて、出入りのチェックと誰何をしていたんです。

小嵐:なるほで。ストライキ闘争は楽しかったですか。当時は政治党派がいろいろいたと思いますが。

鈴木:やはり、刺激があって楽しかったですね。セクトもさまざまにあって、日吉自治会の委員長はフロント(統一社会主義者同盟)で、フロントが指導的な党派でした。
そこに中核派のK氏がいて、反主流派だったんですが、すぐ後に主流派になっていくんです。社会主義青年同盟解放派や統一ブント(社会主義学生同盟)のマル戦派(マルクス主義戦線派)もいました。
その他に共産党がいました。毛沢東主義のML派、それと革マル派はいませんでした。
僕たち文学部は無党派でした。日吉は1年生しかいないんです。2年生になると三田に移るんです。1年生は政治的にあまりにひよわでした。自治会委員長はY氏がやっていたんですが、党派からのオルグがかかっていました。
僕はブントになるんですが、最初のころは中核派にシンパシーを感じていました。
全学連委員長の秋山勝行氏が日吉に演説に来たんです。
彼は労働者人民には革命権がある、武装権があるんだといったんです。当たり前のことではあるんですが、そうだと思いましてね、シンパシーを感じました。(後略)』

【慶大三田校舎も占拠 社学同】1968.9.10毎日新聞(引用)
『米軍の資金援助問題でもめていた慶応大学の三田校舎内の塾監局が、10日午前零時半ごろ、社学同の学生130人に占拠された。
大学当局者によると、学生はヘルメットと角材で“武装”し、ヘイを乗越えて乱入したという。
同大学の日吉本校では、7月以来無期限スト中で、11日からの授業再開を前に、学生たちの間で主導権争いが激しくなっていた。
社学同系は5日、三田校舎もスト体制を確立するよう働きかけることを決めていた。』

【占拠学生を逆封鎖 慶大塾監局 水道もとめる】1968.9.24毎日新聞(引用)
『慶応大学では大学側がさきに塾監局(本部)を占拠中の社学同系の学生に対し、24日午後6時までに退去せよと勧告していたが、時間切れの同時刻ごろ塾監局のまわりにロープを張り、水道をストップするなど“逆封鎖”の手段をとり始めた。
午前6時前から塾監局に面した中庭に、永沢塾長をはじめ常任理事、各学部長、教授ら約150人が集まり、無言のまま内部の占拠学生の動きを十数分見つめていたが反応はなし。永沢塾長は苦悩の表情で「出てこないね」と一言。
そのときはそのまま引揚げたが、午前7時すぎには「塾監局を占拠し、数度にわたる退去説得をも無視した一部学生の行為は許しがたい。大学は24日以降塾監局の立入りを一斉に禁ずる措置をとる」との塾長告示を出した。
このあと占拠学生が出入りできないよう周囲にロープを張り、さらに水道を止める手段に踏切った。
これに対し、占拠中の全学闘争委員会は「われわれの要求である米軍資金の拒否宣言獲得と大衆団交の開催が受入れられるまで占拠を続ける」と長期戦の構えだが、水道のストップで食事も満足にできなくなり、占拠体制にどう影響するか、注目される。
また大学側は全塾自治会の村川浩一委員長代理に「大学は16.18.21日の3回にわたり公聴会開催について申し入れたが、返事がなかった。
一般学生が署名を集めて学生大会の開催を要求しているのに、まだ責任ある回答がない。二つの会を開催するのか、24日午後5時までに回答を求む。
回答なき場合は、全塾自治会はその責任を果たし得ないと考える」と申入れ、告示を出した。(中略)
この告示は大学側が全塾自治会のほかに新しい自治会を作るための“呼びかけ”をしたものとみられる。』

(つづく)