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2010年もあと少し。
今年の締めくくりは、10月23日(土)にBSジャパンで放映された「田原総一郎の遺言 タブーに挑んだ50年」という番組について、今回を含め2回に分けて紹介する。
この番組に関連して、ブログのNo82「1968-69年 全国学園闘争 明治学院大学編」に、こんなコメントが寄せられたことを覚えているだろうか。

<コメント>
『昨夜(5/27)、久米宏の番組で田原総一郎がプロデューサー時代手がけた番組で、早稲田の黒ヘルが大隈講堂から運び出したピアノで山下洋輔がコンサートをやる映像を流していましたね。黒ヘルに記された「反戦連合」の文字に鳥肌立ったのは私だけでしょうか。
久米が早稲田闘争のおかげで自分たちの就職は大変だったと語っていましたが、どう大変だったんですかね。(虎児)

TBSの「クメピポ」という番組ですか?残念ながら見ていません。
そんな映像が流れるとは思っていませんでしたので、焼酎ロックを飲んだ影響もあり、その時間はすでに寝てました。(yajiuma)

山下洋輔が早稲田でピアノを壊しながら"演奏"をした時、たまたま現場にいました。
久米のアジも聞いたことがあります。(省略)(文理\(^o^)/学科)』

この時の久米宏の番組は、コメントにあるように寝ていたので見ることができなかったが、今回の「田原総一郎の遺言 タブーに挑んだ50年」という番組の中でこの映像を見ることができた。

【1969年作品「バリケードの中のジャズ ゲバ学生対猛烈ピアニスト」】
『1969年、バリケードの中の早稲田大学。立看板に「JAZZによる問いかけ 山下洋輔トリオ 相倉久人 平岡正明」という文字が書かれているが、場所は書いていない。
反戦連合の黒ヘルを被った14~5人が、ピアノを運んでくる。
やがて山下洋輔トリオの演奏が始まり、黒ヘル学生たちが演奏に聴き入っている。
演奏が終わり、外に出て構内を歩く山下洋輔へのインタビューに、アジテーションとインターの歌声が重なる・・・。』

番組では、この映像の他に田原総一郎と山下洋輔による対談があった。
この対談の内容が結構面白いので、ブログで紹介する。

(ナレーション)
田原がディレクターとして活躍した時代は日本が高度経済成長の真っ只中にあり、ベトナム反戦運動などに端を発した世界的学生運動の波が日本にも押し寄せ、全国各地の大学で学園紛争が巻き起こる。
やがて大学の存在意義そのものを問う全共闘運動へと広がり、多くの大学が機能停止状態に陥った。
そしてついに学生同士の内ゲバが続発、死傷者まで出る事態へと突き進んでいったのである。

(対談)
司会:学園の中で暴力闘争が行われるのは信じられない。田原さんはイデオロギー的に誰に付くということではなかった?

田原:誰に付くということはなかったが、全共闘はぶっこわし屋。僕は壊すのは大好きだから心情全共闘ですよ。

司会:各派ということではなくて、ぶっこわせというスローガンがいい、破壊せよと。

田原:そう、実際にぶっこわしていたから。

(ナレーション)
その時代、モダンジャズに心頭していた学生たちのスターといえば山下洋輔。
その演奏ぶりは正に圧倒的だった。
前衛芸術粟津潔の「ピアノ炎上」など過激で挑戦的な演奏でも若者たちの支持を得た。
そしてそれらの映像イメージの原点は5年前の田原作品の中にあった。

(対談)
山下:とにかく、ああいう演奏を一人でも多くの人に聞いて欲しかったのでチャンスを捜したことは確かで、我々の仲間が田原さんに届けてくれたときに、ピアノを弾きながら死にたいと言っている奴がいるという風に伝わって、田原さんが「面白い、俺が殺してやる。」ということになって、それでそこの場所を設定してくれたのだと思います。

田原:山下さんが弾きながら死ねる状況を作るにはどうしたらいいか真剣に考えた。
殺される状況をね。早稲田に彦由という男がいて黒ヘルだった。当時一番過激だった。
そこで彦由に「山下さんが弾きながら死ねる状況を作れないか」と訊いたら、「面白い、やろう」ということになった。
(彦由常宏;黒ヘルメットのアナーキスト集団「早稲田反戦連合」のリーダーという字幕)
そこで、早稲田大学のこのピアノの鍵を無くしたために首になった人がいるという大事なピアノを盗み出して、当時民青、共産党が封鎖しているところに黒ヘルが民青にゲバかけて地下のホールで山下洋輔さんがやる。』
(写真は毎日グラフから転載)

(つづく)