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生きている 生きている 生きている
バリケードという腹の中で
生きている
毎日自主講座という栄養をとり
“友と語る”という清涼飲料剤を飲み
毎日精力的に生きている

生きている 生きている 生きている
つい昨日まで 悪魔に支配され
栄養を奪われていたが
今日飲んだ“解放”というアンプルで
今はもう 完全に生き変わった
そして今 バリケードの腹の中で
生きている

生きている 生きている 生きている
今や青春の中に生きている

日大闘争の記録「叛逆のバリケード」(写真:日大農闘委HPから転載)の巻頭を飾る有名な詩である。
この詩の作者は、当時日大全共闘文理学部闘争委員会に所属していたT氏であるが、私の知り合いである文闘委のN氏の仲介で今年の2月下旬、新宿の喫茶店「D」で、この詩を書いた「いきさつ」などの話を聞くことができた。
この「詩」はどのようにして「叛バリ」の巻頭を飾ることになったのだろうか?

(Y:筆者)
Y:「Tさん「叛バリ」の例の詩を書いたんですよね。」

T:「書いたというより黒板に殴り書きしたんですよ。本当は。」

N:「あー、そうなの、本のためにわざわざ書いたんじゃなくて。」

T:「違う違う、それを本で取り上げてもらっただけなんですよ。別に、頼んだとかそういうんじゃなくて。」

N:「ずーとわざわざ書いたと思ってた。」

T:「あそこを占拠してた時に泊まり込んでたじゃない。その時は夕方になると人が居なくなるじゃない。それで寂しくて書いた。Kと2人だった。夜、1人は見回で交代で警備で外に居るじゃない。そうすると2人だったのが1人になっちゃう。その時に黒板に書いた。」

Y:「それを誰かが、Oさんとかああいう人が写したんですかね。ほら、叛バリの編集者。」

T:「俺は知らない。「版バリ」は知らないところで作られてたでしょ。当時は。だから、誰だか分かんないね。週刊誌だったかな、なんかで見た時に写真にも出てましたよ、あれ。その書いたものを写真で撮ってたヤツがいた。だから、その、作者不明じゃないけど、こういうのが書いてあるってしか出てなかった。別にどうのこうのってのじゃないから。」

N:「頼まれて、書けとか言われて、あるいは自分から積極的に投稿したのかと思っていた。」

T:「全然違うよ。」

N:「聞いてみるもんだね。俺は知らなかった。ずーと付き合いは長いけど、今日初めて聞いた。」

T:「何気なしに書いたということでしょ。他の落書きとか書いてあるところに書いたんだもの。」

N:「だけど、あなたの書いたものがピックアップされた。」

T:「誰だか知らないけど、誰かが写した。」

N:「ピックアップするだけ光っていたということでしょ」。

T:「載せるのもがなかったんじゃない。」(笑)

Y:「昔から詩みたいなものは書いていたんですか?」

T:「いや、そんなには書いていないけどメモ程度には思いついたことを書いていた。」

N:「我々の中でも彼はセンスがあった。詩人です。」

T:「そんなことないって。」

N:「感性を持った人間が居たということだね。」

N:「彼のものは日大闘争の勃発時の巻頭を飾るにふさわしい詩。夜、寂しいときに書いたとは思わなかった。あれを書いたのがあなただったってずーっと知らなかった。誰かから、ある時聞いてエーと思った。」

T:「あまり知っている人はいないでしょ。だって、書いた時に周りに人が居ないんだから。」

N:「だけど、口伝てに分かるわけでしょう。あなたが書いたって事は結構広く知られてるよ、いいんじゃないの。あのあとに東大でもそういうものを見たことがあるけど、政治的だったり党派的だったりするけど、あなたが書いたこれは生き生きとしたナイーブな感覚で、だからやっぱり生きている。」

T:「まだ、それほど染まってないからね。」

N:「染まってない、そうだよなー。だからいいんじゃない。」

この話の後、T氏に大学を去った後のことを聞いてみた。

T:「大学が終わって1年くらいは仕事をしていなかった。なんかもやもやしていて・・。ある日、働かなけりゃと思って仕事についた。そこで定年まで働いた。」

Y:「今、昔のことは考えないですか?」

T:「ほとんど考えていない。今、アラブの方でやっているでしょ。ああいうのを見ていると何か若いころを彷彿とさせるような、向こうは若い人がやっているのが多いじゃないですか。自分らがやっていた頃の神田とかの状況がアラブの状況に似ているので、鮮明に思い出したりしています。ここのところ、テレビとか新聞とか夢中になって読んでいます。
虐げられたり抑圧されたりしていると、どこかで爆発する。日大もそうだと思う。政治的なものを持っている人がいたかもしれないけど、それが全てではない。」

この日、T氏は、当時の日大闘争への関わりについて多くを語らなかった。ボイスレコーダーで録音していたので緊張していたのかもしれない。また機会があれば、もっと話を聞いて見たいと思う。

※JUNさん、ご協力ありがとうございました。