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3.11に起きた福島原発事故では、水素爆発などにより広島型原爆168個分の放射能が大気中に撒き散らされた。
そして、食品の出荷制限が相次いでいる。私たちは、この食品の放射能汚染に、どのように向き合えばいいのだろうか。

5月9日のNPO法人原子力資料情報室共同代表 伴英幸氏を囲む会合で、明大生田のI氏から1冊の本の紹介があった。
タイトルは「食卓にあがった放射能」。
原子力資料情報室を設立した高木仁三郎氏とスタッフの渡辺美紀子さんの共著である。渡辺さんは明大生田の出身。

『(この本は)90年に講談社新書から出版されたものだが、それを今年の4月に再刊した。前は「食卓にあがった死の灰」というタイトルで出たらしい。今回は、もうちょっと(タイトルを)やわらかくした。
渡辺さんが資料室に入ったくらいの1988年に、家に「こんなことをやっているから」と電話をもらった。
何故電話がかかってきたかというと、今は死んでしまったRCサクセションの忌野清志郎が「カバーズ」というアルバムで反原発の歌を歌った。その音を聞けないかなということで電話がかかってきて、その時に原子力情報資料室でやっているという話を聞いた。
自分はロックの仕事をやってきているが、「頭脳警察」のパンタのマネージメントをやっている。ロックで食えるわけないんですけど、渡辺さんから電話をもらったときに原子力情報資料室でやっていて、食えるのかなと、自分のことを棚にあげて心配した覚えがある。
88年のRCが反原発の歌を出したときにそんな話を聞いて、この本を出したときには、僕も忙しくてサポートできなかったけど、連絡をとったりしていてつきあいは続いていた。
彼女が言っているのは、「自分が言いたいことは新装版の前書きに結構書いてあるので、一家に一冊この本を置いてくれたらうれしいな」ということなんです。
この本を作ったときには日本でこんなことが起きるだろうということは思わないで、日本で原発事故が起こったらという章をつくったらしい。20年前に、よもやこういうことが起ころうとは思ってもいなかったが、起こってしまった。現在進行形である。
自分の思いでは起こって欲しくないと思っていたが、起こってしまった。これからどうすればいいんだろう、というのが(本の)6章に書いてある。
彼女いわく「僕らは20年30年原発を止められなかった。子供たちとかの世代に放射能の害を伝えるような食べものを食べさせちゃだめだ」ということを6章で自分自身で書いた。
一家に一冊置いて、自分自身の家族と孫を守ってくれと、そういうメッセージです。是非、この本をゲットしていただきたいと思います。』

この本の前書きに、渡辺さんの言いたいことが書いてあるとのことなので、引用する。
『1986年に起きたチェルノブイリ原発事故後、原子力資料情報室のスタッフとして、当時焦点となっていた食品汚染の問題を担当した。ヨーロッパから伝えられる食品汚染のデータをまとめ、また、きびしい放射線のもとで暮らしていた友人たちから具体的な話をたくさん聞いてきた。
1992年からは、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアの研究者と日本の研究者とのシンポジウムや研究会開催にかかわり、現地を数回訪れ、チェルノブイリで起きたことは理解していたつもりでいた。
しかし、福島第一原発が日々深刻な事態に陥り、予断を許さない状態が続いている事故に直面して、初めて原子力災害とはこういうことなのだと実感した。
本書は高木仁三郎さんとともに、輸入食品の汚染問題の先に考えなくてはならない、日本で稼動する原発(当時37基)をどうするかを考えるきっかけになるような本にしようという意気込みでまとめたものだ。私にとってすべてが勉強しながらの作業だった。
本書の第1~4章は、当時問題となっていた輸入食品の放射能汚染についてまとめたが、事故後、オーストリア政府がまとめた報告書を大いに活用した。唯一のツベンテンドルフ原発を運転開始前、国民投票によって止め、脱原発を実現させた国だ。原子力への国の姿勢が、チェルノブイリ事故後の対応にはっきり現れていた。
そして、第5章の「日本で原発事故が起こったら」、第6章の「放射能にどう備えるか」のテーマをまとめながら、このようなことが日本で起こらないことを願わずにいられなかった。
しかし、実際に原発事故が起こったいま、政府や原子力学者の「安全キャンペーン」に惑わされることなく、すこしでも放射能摂取をすくなくするように本書を役立てていただきたい。
新装版となる本書を読んで、あらためて、もう「脱原発しかない!」と心から思った。
いま日本には54基の原発が存在し、ついに福島第一原発が危機的な状況にある。くやしくてならない!
こんどこそ、脱原発がすすまなければ、未来はない。』

「食卓にあがった放射能」:高木仁三郎・渡辺美紀子著 七つ森書館 1,470円