
1960年代後半から70年頃の新聞記事を紹介するシリーズ。
今回は毎日新聞の「本日休講 大学紛争を考える」というコラムの記事を紹介する。
【ナンセンス】1968.9.22毎日新聞(引用)
『1 相手の論理をやっつける用語ナリ
2「ベラボーメ」「ふざけるな」などと同じ意味ナリ
ただいま大流行の言葉「ナンセンス!」と「異議なし!」
用例その1
東大医学部本館前で16日開かれた“大衆集会”。学生側の“追及”すでに4時間。卒業試験の延期問題で返答に窮した小林隆医学部長が「もう生理的な限界にきました。これ以上正常に考え続けることはできません」と答えたとたん、学生側から「ナンセンス!先生から習った講義では、まだ生理的限界にきていないはずです」再び学生から一斉に「異議なし!」かくて集会は続行された。
用例その2
1月31日夜、日比谷公会堂で開かれた「全学連佐世保闘争報告大集会」。演壇に立った秋山勝行全学連委員長がカン高い声でぶちまくった。いきおいあまって「われわれワァ、無知な大衆をゥ、乗越えー、これから孤立することによってエー」とやったところ、すかさず聴衆から「ナンセンス!大衆は無知か!」とヤジが飛んだ。ハッとした秋山委員長、「今の発言を訂正!」、とたんに「異議なーし」の大唱和。
用例その3
アメリカの“全学連”が呼びかけた「国際反戦デー」(4月26日)明治公園は白ヘルメットの中核派、赤ヘルメットの社学同、青ヘルメットの社青同解放派の三者が集ったが、集会がテンデンバラバラなら、デモの“攻撃目標”も防衛庁、国会、アメリカ大使館とバラバラ。中核派の学生が反目する社学同の学生をヤジッた。「お前ら、口惜しかったら王子に来てみろ」米陸軍王子病院開設に反対してデモを連日繰り広げた“実績”を誇りたかったらしい。
とたんに「ナンセンス!王子から世界が見えるか。王子埋没主義ハンターイ」と社学同の学生がやり返し、同派の学生たちは口々に「イギナーシ」
かってのエロ・グロ・ナンセンスの時代のナンセンスとは違う。いまの「ナンセンス」は安保のころから使われ始めた「マルキシズムを非政治的に純粋経済理論的に分析したロジックを信奉する三派の前身が、相手の論理を非難するときに用いたのを源泉とす」(東大文学部尾崎盛光事務長)らしい。相手をバッサリ切って捨てる。論争のヤイバを交える手間をはぶく、これは手っとり早い、というので愛用され出した。
“話せばわからない”直線的なゲバルト至上主義の学生を早稲田の仁戸田六三郎教授は「マムシは一生懸命走ると直線的になるそうだけど本当かね」といい「ほろ苦人生の“ほろ”が通じない」と嘆く。
日大経済学部1号館の壁にこんなハリ紙があった。
<投石隊心得>
,佑蕕い鯆蠅瓩禿蠅欧襪海函
◆仝事命中のさいは某所で“いこい”1本を進呈する。
十人に命中し、1人以上の重傷者を出した場合は“ピース”1本の半分を進呈。
ぁ,劼箸弔劼箸弔寮个、われわれの涙の結晶であるから、決してムダ石を投げぬこと。
ァ‥┐寮个覆匹派藹?擦訃豺腓蓮崙鐱楝膤愾干惷ζ会議バンザイ」と叫んで倒れること。
“ゲリラ”の先陣訓。戦中派は旧軍隊の一節をおもい浮かべたくなる。(中略)
この「ナンセンス」―「てやんでー」「ベラボーメ」「バッキャロー」「ふざけるな」と同じニュアンス。
「異議なし」は「ヨーヨー」「大統領」「ヨッシ」あるいは歌舞伎の××屋ァ―。好きか、きらいか、季節でいえば夏と冬、単純明快に割り切る短絡反応のマル・バツ式発想である。
立場の違う相手をギョッとさせる。いわれる方は足元からすくわれた感じ。救いがない。
言う方は、ときに自分の迷いや論理的ゼイ弱性をふり切ったり、ごまかすのに、たいへん有効。
むかし「非国民!」の一言のもとに切り捨てた問答無用に通じる“硬直した”一元一次方程式“だ。二元、三元の根(コン)は認めない。交通信号でいえば「赤」と「青」だけ。
中間の注意信号の「黄」やウインクは不用、馬券ならさしずめ○印か無印で、本命に対抗する△印に迷うなど全くナンセンス。
受験勉強で著者と書名を線で結べばすむータスキがけの訓練ばかりしたため習い性となったのか。
二者択一の組み合わせの点では電子計算機のオートメーション・システムだが、こちらは初めから答えのわかった“原始計算機”だ。
「体位向上知能低下のシンボルですナ。エゴを追及することに急で、相手の立場に立って考えることをしない」(尾崎氏)
複雑な大学紛争解決への「正解」を探すのに苦労するわけである。』
この記事が書かれたのは68年9月。現象的な部分だけを取上げての記事であり、大学闘争の本質については何も書かれていない。大学側の視点に立った一方的な記事であるが、当時は、このような論調の記事が多い。
当事者としては「ナンセンス!」も「異議なし!」も、もちろん「異議なし!」である。