野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2011年12月

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(ブログの字数制限の関係で3つに分けてあります。No219-1から見てください。)

『自分の所でもやろう、ということでそれぞれの所で、今日11日にパラソルを使ったり、ウオークをしたりいろんな形で自分のところの電力会社の本社を攻める活動をやられています。私たちの運動がこんなに広がっていることについて大変うれしく思いました。
こういう全国の皆さんの期待にも答えて東京の電力会社の支社8つを長い距離ですが全部回って抗議の声を突きつける、全国の皆さんと一緒に闘えるそういう大変、頼もしい日だと思います。一緒に頑張りましょう。』

デモコースは、日比谷公園を出発して東電など8つの電力会社をまわり、経産省テントに戻る全長7.4kmのロングコースである。
私は記録班として、デモ(パレード)には入らず、歩道を歩きながら写真を撮った。

●日比谷公園を出発して東電本社へ。(写真右下・中左)<コール!>
原発とめよう 原発なくせ 再稼動やめる 原発こわい 原発アウト!
東電解体 賠償しなさい 東電有罪 牢屋に入れろ
●デモ(パレード)は銀座数奇屋橋交差点へ。<コール!>
福島返せ 安全返せ 自然を返せ お金を返せ 税金返せ 田畑を返せ 動物返せ
いのちを返せ 青春返せ
●銀座から有楽町駅を経て丸の内へ(写真左下)<コール!>
事故を隠すな やらせをやめろ インチキやめろ 隠ぺいやめろ 御用学者やめろ
保安院いらない
●丸の内から東京駅周辺をぐるりと周り八重洲口へ(写真中右)<コール!>
子どもをまもれ 未来をまもれ 農業まもれ 漁業をまもれ

街の中での反応。
銀座数寄屋橋交差点付近、若い男性2人組「原発なくなったら暮らしていけねえじゃん」
東京駅八重洲口の交差点、おかあさんが、宣伝カーの声に合わせて「子供を守れ」「子供を守れ」

<「経産省前テントひろば日記」より>
『12月11日(日) 快晴都心の空は抜けるように青い。今日は前日に続いての都心デモである。全国から電力会社ー経産省を包囲するマラソンデモ。福島から佐々木慶子さん、そして下北の尖端・大間から小笠原厚子さんがも駆けつけてこられる。大間はきっともう雪、寒風吹きすさぶ中にあるだろう。デモの出発時には1,000人程の人数に膨れあがっていた。
「在特会」なる品性下劣な右翼な「東電防衛隊」よろしく登場して、「今日の目標はデモの逮捕者をできるだけ多く出すことだ」と叫んでいるという。9.11新宿デモでの挑発行動に味をしめて、ということだろう。だが警察に守られた30名程が罵声をあげていただけ。デモはそんなものを全く相手にせず、東電に向かって怒りのコールを上げながら進んでいく。 各電力会社の支社を周り歩く、通常の2倍以上の距離。それでも最後まで元気に賑やかにデモは続き、最後に経産省を一周して終えた。その後もテント前の広場で交流集会が続く。テントの内も外も人でいっぱいに。』

※ 今年のブログは今回が最後です。
このブログでは、1960年代後半から70年代の「あの時代」の記憶を記録する作業と、明大土曜会の活動を対外的に広く発信していく作業の2つを大きな柱としています。
今年は、主に現在の緊急の課題であるTPP(環太平洋経済連携協定)に反対する活動や、3月11日の東日本大震災・福島原発事故を受けて、明大・日大・芝工大を中心とする3大学共闘の「脱原発」活動の報告を発信してきました。
 来年も、「記憶を記録する作業」を加速させながら、ゆるいネットワークを広げて、地道に日本の社会のあり方を変える活動に関わっていければと考えています。

  来年もよろしくお願いします。
  次回のブログは来年の1月1日です!





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(No219-1の続きです。)

『そういう僕たちの仲間である釜ヶ崎の労働者が、事故直後の3月20日に「騙し求人」で女川でダンプ運転手という求人であったにもかかわらず、行ってみたら福島第一で給水作業をさせられるということがありました。
報道されたのでご存知かと思いますが、今、行なわれている収束作業の中ではそういうムチャクチャなことが平気で行なわれています。
条件が違ったということは、原発の仕事だけでなく雇用関係も無責任な重層下請け構造の中ではよくある話なんですが、それ以外にも今回の収束作業の中では、例えば下請けの労働者が汚染水に足を突っ込んで、局部的に2シーベルトの被爆をしてしまった。その時には、アラームメーターが鳴っているにもかかわらず仕事を続けていた。
それから、廃棄物の建屋では今回の収束作業の中で始めて60歳の方が亡くなるという事態もありました。その亡くなった方は死亡事案にもかかわらず労基署が現場検証することもないという形で、放射線とは関係ないということで、司法解剖もされずに処理された。
こういう無茶苦茶な不法な状態というのは、今、この緊急性の高い収束作業だからそうなったという訳ではありません。通常、稼動している原発の労働の中でも普通に行なわれていることであって、それが、たまたま事故後のマスコミの注目の中で表に出てきたにすぎません。
福島第一原発の管轄している労働基準監督署は富岡労基署というのがあり、富岡労基署は福島第一原発に強制的に視察をしたことがあるか、それは一度もありません。それどころか富岡労基署は防護服の準備もしていなければ放射線測定器もない、放射線管理責任者もいない、つまり1971年福島第一が動き始めてからただの一度も突然企業の中を査察することをやったことがない、やる気もなかった。
福島第一を見たことがないかといえばそうではない。日にちを決めて東電が準備したコースを歩いて回って「よく出来てますね」ということを1971年から繰返しやってきた。
電力会社も行政も一緒になってそういう労働者を無茶苦茶に扱う、使い捨てていく状況を温存してきた、僕は決して許せないと思います。
その状況を裏付けるように、例えば海江田前経済産業大臣は、線量計を持たずに収束作業に向った労働者がいるということを自分で言っておいて、しかもそれを日本の誇りだと いう言い方をした。それも許せないし、厚生労働省が行なった収束作業に関わっている労働者の健康管理に関する検討会というのがあり、その報告書を見ると50ミリシーベルト以上の被爆をした人は通常の健康診断以外に国の責任で目の検査をする、100ミリ以上の人はガン検診をする、という報告を出しました。
しかし、それは逆に言えば50ミリ以下の人は何もしないということです。行政も政治家も民間も全く、そこで働く労働者ことも命も健康も全く配慮しないそのようなプラントである原発というものは直ぐにでも全て廃止しなければならないと強く思います。
そして今日、皆さんに是非記憶して欲しいのは、被爆労働というのは、もしこの我々の闘いが勝利して全ての原発が無くなったとしても被爆労働は続くんです、廃炉作業があります、廃炉作業というのは定期検査以上に被爆をします。そして廃炉が終わってもずっと廃棄物管理の作業があります、ずっと被爆労働は続くんです。
ですから、この運動を勝ちきって全ての原発を止めるとともに、被爆労働のような非人間的な労働を強いるこの国のあり方について、是非、最後の最後まで闘って全ての非人間的な労働を一掃したい、と強く思います。最後まで頑張りましょう。』

『タンポポ舎のヤナギダさん
タンポポ舎のヤナギダです。少し前に福井で開かれた「もんじゅ」廃止の集会に行ってきました。今日はその報告したいと思います。
毎年、「もんじゅ」の事故が起きた12月に全国集会が開かれます。全国の皆さんが集ります。そこで、年1回、全国の皆さんとお会いするんですが、全国の皆さんが東京のテントの運動、そして経産省を取囲む運動、この2つの運動にすごく刺激を受けていろんな運動をやられているということが、福井の現地に行って分かりました。
例えば、北陸電力の中心、富山ですが、富山県ではこのテントに見えた方たちがテントに学んで、パラソルでやっていました。名古屋でも、岐阜でも11日の行動をされています。
茨城でもやられています。私たちが知っただけでも、こんなに沢山ありました。
そういう意味で、私たちが11日の日に行なっている経産省を取囲む人間の鎖の運動と、経産省前のテントの運動、その2つの運動を11月に全国の女性たちが東京に来た時に見たんですね。』

(No219-3に続く。)

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福島原発事故から9ヶ月目の12月11日(日)、『全国から電力会社・経産省を包囲しよう!再稼働反対 12.11デモ』が行われた。明大・日大・芝工大の3大学共闘では、この集会とデモを第4次共同行動とすることを確認し、20数名が参加した。
当日は快晴で風もなくデモ(パレード)日和。会場の日比谷公園のイチョウの葉も黄色に色づいて青空に映えている。集会は公園の日比谷公会堂の近くにある中幸門周辺。私服の姿がやけに目立つ。
集会では、各団体からのあいさつ、サックスの演奏(A列車で行こう)、寸劇などがあったが、その中からいくつかの団体の発言を紹介する。

『福島老朽原発を考える会のアオキさん
みなさんこんにちは。福島老朽原発を考える会のアオキと申します。
野田政権は今、原発推進と原発輸出を強引に進めようとしています。彼らは目先の金のために、そして目先の経済的利益のために子供たちの未来と健康を売り渡そうとしている、そんな風に思います。
日本だけでなくて世界中に放射能を撒き散らして、それに対する一切のまともな反省もなく、そしてまともな責任を取ることもなく世界中に原発と放射能を撒き散らす、そんなことを彼らは、今、やろうとしています。私はそのことについて、心から怒りをぶつけたいと思います。
日本の原発推進というのは福島原発事故の実態、そして放射能汚染の実態を隠蔽すること、そのこととセットになって、今、進められているのではないかと思います。
都合の悪いことは隠し、そして情報統制をする、ウソの発表を平気でする、そういうことが今、やられています。正に戦前の大本営発表と同じではないか、と私は感じています。
福島県を中心とした広い範囲での放射能汚染、これは大変深刻です。その中で今、政府、そして福島県も地元の自治体もそうなんですが、除染キャンペーンを進めています。
除染モデル事業というのが鳴り物入りで行なわれていますけれども、その中で、一体どこが年間1ミリシーベルト以下を達成できたでしょうか。
全くそんなことはできていません。せいぜい2割か3割しか下がらない、そんな程度が実態なんです。まったく非科学的、実現の見通しもないこんな除染キャンペーン、これが先程福島から来られた佐々木さんも言われましたけれども、住民を避難させず人口流失を防ぐ、そして事故を小さく見せかけるまやかしだと思います。
そして除染という新たな巨大な公共投資、それで原発ビジネスを儲けさせるそんなことを彼らはやろうとしている。
除染に対しては厖大な予算をつぎ込む一方で、被害者への支援には金を出さない、それが今の政府、そして東電のやり方です。地震被害者の賠償、それは全部で2,100億円と報道されています。ところが、その現実性のない除染に来年度1兆円の金がつぎ込まれると報道されています。しかし、これも最終的には数兆円かかるだろうと言われています。
除染の前に、まず子供を、そして妊婦をこれ以上の被爆から守るためにこそ金を使うべきだと思います。
自主避難者への賠償の問題について、方向が出されました。賠償は残留した人も含めて見舞金のようなものになってしまいました。
自主避難者は移動や引越し、そして二重生活による生活費の増加、そして仕事を失った人がいます。こうした全ての実費を政府、東電は補償すべきだと思います。
ただ、7日の衆議院での答弁で、枝野経産相は東電に対してこうした実費も含めて支払う、そして場合によっては収入が減少したことについても支払うよう、東電に指示した、ということを答弁しています。私たちはこのことをこれから新たな課題として自主避難者を支援して全国の支援者の力で実現していく、そういうことが必要だと思います。
この運動も成果を正しく評価して、次の課題に、我々の要求の実現に向けて子供たちと妊婦を放射能から守るために、次の課題へ進んで行かなければいけないと思います。
放射能の実態を告発して、被爆を最小化する、この闘いは全ての原発を廃棄させるその闘いと一体のものだと思います。
私たちもこれからみなさんと協力してやっていきたいと思います。共にがんばりましょう。』

『福島原発事故緊急会議の被爆労働問題プロジェクトのナスビさん
福島原発事故緊急会議の被爆労働問題プロジェクトで活動しているナスビといいます。
ここは日比谷公園ですけれども、皆さん覚えておられるようにしばらく前に日比谷派遣村、年越し派遣村が開かれたところです。
僕は今、緊急会議で被爆労働問題をやっていますが、通常は山谷労働者福祉会館で日雇い労働者、野宿の労働者の支援活動をしています。
年末年始は仕事がなく、そして住む所がない野宿の仲間たちと一緒に、この日比谷で派遣村があったのと同じように、年末年始の越冬闘争をやっており、それも注目していただければありがたいと思います。』

(N0219-2に続く)

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(ブログの字数制限の関係で2つに分けてあります。No218-1から見てください。)

『いいね、あの新宿のコマの前でマイクを持って、「あなた方は資本家のために働いているようなもんだ」、そういう言葉をもう一回聞きてえけど、まあ談志さんの話ばかりしてちゃいけねえんだけども、談志が死んだ、上から読んでも下から読んでも同じ。(笑)
あの人も嘘つきなんだ、大体、十何年も前にね、「俺は食道がんと舌がんだ。1年しかもたねえ」周りの噺家は喜んだ、やっとうるせえのが居なくなる。(笑)そしたら3年たっても5年たっても死なねえんだよ、そのうちあいつは嘘つきだ、嘘つきでも長生きした方がいいと思うけど、まあこんな話してますけど、我々ここでこうやって縁になって、縁ってすごいものですね、1億も居てさ、今、両川が来たけども(両川氏:69年明大中執委員長、ブント戦旗派)、面白いもんだよ、50年前、そんなに経っていないけど、デモやって今だに繋がっている、何してんだろうな。
だけど俺はもういいからね、気仙沼も潰されたし、私も泣いたけどね、姉ちゃんとか姪御とかみんな死んだけど、周りの先輩方も死んだけどさ、それよりも尊厳なる労働力を否定されたと、尊厳なる労働力なんて噺家で喋れるのは俺だけだよ(笑)、昔の気仙沼の人たちが作ってきたものをみんな潰されて流されたということに涙したね。
でも何とか後輩がやってくれると思うんですが、話はそれましたけど、みなさんとこうやって生きている間、味岡さんがきたよ(味岡氏:「三上治」という名前の方が有名、ブント叛旗派)、こうやってこういう栄誉を持って反対をしてやっていく、すごいことですね、うれしいことでもあります。たぶん、また生まれてきたら学生運動していたと思うけど、心は津波で流されたし、周りの人もみんな死んだし、子供は嫁いだし、私は病気になってかあちゃんと暫く一緒でかあちゃんにも孝行したし、あと「○て○○っ○ぽ○○う○」(筆者:伏字にしました)持つだけなんだよ、よろしくね。(笑)その時は黒い羽織はかまでやる。
味岡さん、そこに立っていると疲れますよ、上がってください。貴方が来るんじゃないかと今か今かと待ってfたんですよ、中大の親分でございます。
(前半はここで終了、この後、八っさんが大家さんから嫁を世話される噺が始まるが、省略)』

テントを出ると、もう雨は止んで陽が差してきた。
休みの日の霞ヶ関は閑散としている。人通りもまばらだ。
三壽さんを含め明大関係者は、御茶ノ水の店で開かれる「明大土曜会」定例会に場所を移した。
定例会では、日大、芝工大の関係者も交えて、12月11日の『全国から電力会社・経産省を包囲しよう!再稼働反対 12.11デモ』を3大学共闘第4次共同行動とすることを確認した。(当日の様子は、来週のブログに掲載する予定です。)
また、来年3月11日(日)に福島県いわき市で行なわれる、原発事故1周年現地集会への参加も確認した。
三壽さんは、定例会の席でも喋りは絶好調。今度、活動家から落語家への転身の背景などについて聞いてみたいと思う。

<「経産省前テントひろば日記」より>
『午前中は昨日からの雨が続いていた。今日は午後から明大土曜会主催の落語会があるので気になっていたが午後からは晴れてきた。最近は天気予報もあたるね、テントに来た人と話した。 落語はテントの中で行われた。明大出身の柳家三壽さん。師匠は宮城県気仙沼市の出で今回の大震災には心痛めているとのことであった。噺は縁結びの一席だが、巧みな語り口に一同は笑いも挟んでの楽しいひと時だった。第二回目を来年の二月に開催するとのことだ。先のことになるが楽しみが増えた』

(終)

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先週の柳家三壽さんの「原発よせ(寄席)」の続きです。

『本当に何考えてるか分かんないですけども、やはりこの間、話は変わって、業界では立川談志というハチャメチャな男が、落語会の異端児、違うんですよあの人、落語会の革命児なんです。あの人は、そうですね、丁度私が(大学)三年くらいの時に南千住で反戦でデモをやった帰りに新宿に寄ったんです、コマの広場に。彼が車に乗って喋ってた、ちょこっと聞いたんです、そうしたら「あなた方ね、働くとみんな資本家のためになっちゃうんだ、資本家のために働いているようなもんなんだから」
談志が労働の剰余価値なんてものを知ってたかどうか分かんないけど、まああの人だったら知ってたかもしれない、とにかくね好奇心の塊だから。「俺が知らねえものは許さねえ」なんてもんだからね。たぶん安保かなんかで「何だこの騒ぎは、なに?マルクス主義?」てんで本屋に走って多分かじったんだと思う、じゃあなかったら落語家がね、資本家のために働いてるんだなんてこと言えないんだから。多分あの人はね、資本論読めたかどうか分かんないけども言ったんだよね。
すごいよ、あの人は、「師弟関係なんて封建制度、あんなものはいらねえんだ」、でも不思議な人よ、「封建制度いらねえ」なんて言いながら家元制度作ってね(笑)、それで弟子から銭取ってんだからね。メチャクチャもいいとこ。
まあ談志さんの話だからついでに言いますがね、あの人はね、私が柳屋小さんの内弟子の時に、ある日袋をかついできたんだよ、ばーっとね、懐メロがなんか歌いながら。「かみさんいるかい」「おります」
おかみさんの前で炬燵のところにどーんとそれを置いてさ、「おかみさんね、大平のかあちゃん騙して50万ふんだくってきたよ。これあげる」って50万、おかみさんにやったんだよ。
それで50万のバラ銭は担げないけども、あの時丁度、30万、あと20万はバラ銭なんだよ。バラバラとバラ銭を置いて、おかみさんとひとしきり話して、で帰っちゃった。おかみさんは「おう、これちゃんと数えとけ」、半日かかったよ、20万バラ銭、きっちり50万あった。30万、おかみさんが札束で持ってったから20万、で師匠が帰ってきて「お前、何してんだよ」「いや談志師匠がね・・」「そうか」って嬉しそうな顔してるんだよ。(笑)芸人って金貰うとあんな顔すんのかね。
うちの小さんはね、「噺家は、落語家は徒党を組んじゃいけねえ」なんて言ってたんだよ、「いいかみんな、スクラム組んだりなんかしちゃいけねえぞ」って言いながら消費税反対でデモやったんだよ、あの人。徒党組んでるんだよ、チラシ持って旗持って、小さんがですよ、落語家引き連れてやってるのはなんだかわからない、でもあの人たちは噺家も労働者だということに気が付かねえんだね。
うん、やっぱりね、私なんかはねこの原発デモね、何でもいいんだ、もちろん原発反対なんだけど、とにかく私はね、権力、資本家やることはナンセンスだからすべて。拍手がないかね、異議なしとか(笑)
私はどっちかというと神聖なる労働派だから、こういうことに関しては「異議なーし」、いつになったら落語するのかな。まあ、そんな訳でひとつ、またここに来たいと思います。
一席だけ、今日、「原発よせ」誰が作ったの、いいね「原発よせ」って、落語よせって言わないでくださいね。(笑)
こうやってみなさんと縁になって、私もね、そのうちまた来ます。これやっぱりね、3ヶ月にいっぺんやってもいいと思う。(拍手)
ただね、私は「こういうことあるんだけども、前座、誰か行かねえか」私の弟子もいるんだよ、そしたらみんな「勘弁して下さい」って言った。(笑)「あぶねえから」「あそこ行くと、霞ヶ関、右翼の街宣車がいっぱい走っていたり、なにか鉄砲で撃たれるかもしれない」「いいじゃねえか撃たれたってよ」「いやー勘弁して下さい」ってみんなビビッて来ねえんだよ。
今日は2人分話さなけりゃいけない。
また談志さんの話になるけど、高座で客と喧嘩する、私がね、前座の頃にね高座で喧嘩始まってね、後ろから(客)「聞こえねえぞ!」(談志)「聞こえねえかー」(客)「聞こえねえよ」(談志)「聞こえてんじゃねえか」(笑)それで喧嘩になっちゃった。それがヤーさんなんだよ。「このやろー」談志さんはもう舞台降りて、着物脱いでパンツいっちょうで池袋の街に出た、その後を俺が洋服持って追いかけた、その後からヤーさんが追いかけてきた。(笑)それで夜の池袋をぐるぐる3人でさ、やっとまいて、談志さんが、あの顔忘れねえけどちょっと優しいところもあるんだ、「すまねえな悪かったな」って言ったかどうか覚えてねえんだけど(笑)、まあ兎に角そんな面白い人だけど、何となく、さっきも言いましたが労働の剰余価値を知っていたかどうかってところが生きている間に聞きたかったなと思うんですけどね。』

(No218-2に続く)


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