野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2012年06月

イメージ 1
(ブログの字数制限を越えるため、No245-1とNo245-2の2つに分けてあります。)

今年は連合赤軍事件から40年。
5月13日、40年の節目ということで、「連合赤軍事件の全体像を残す会」主催の「浅間山荘から四十年 当事者が語る連合赤軍」シンポジウムが都内で開かれた。
当事者として植垣康博氏(赤軍派)、青砥幹夫氏(赤軍派)、雪野建作氏(革命左派)、前沢虎義氏(革命左派)が出席。塩見孝也氏(赤軍派議長)、三上治氏(叛旗派)、鈴木邦男氏(一水会代表)、森達也氏(映像作家)、山本直樹氏(漫画家)など多数ゲストを交えて、5時間近く様々な事が語られた。
このようなメンバーと多彩なゲストが一同に会する集会は、今後開催されることがないだろうと思い、シンポジウムに参加した。

シンポジウムの概要は以下のようなものであった。
●主催:連合赤軍事件の全体像を残す会
●日時:2012年5月13日(日) 午後1時30分~6時30分
●会場:目黒区民センター

司 会:金 廣志  椎野礼仁
当事者:植垣康博、青砥幹夫、雪野建作、前沢虎義

第1部「映像でふりかえる」
当時の資料映像で構成(制作:馬込伸吾)
第2部「当事者世代が語る」
●ゲストパネリスト
塩見孝也、三上治、鈴木邦男
第3部「連合赤軍事件が残したもの」
●ゲストパネリスト
森達也、田原牧、大津卓滋
第4部「若い世代にとっての連合赤軍」
●ゲストパネリスト
雨宮処凛、山本直樹、ウダタカキ、小林哲夫、赤岩友香

会場は400名ほどが入るが、参加者は半分程度。思ったより若い人たちが多い。NHKの取材陣がカメラでシンポジウムの様子を撮ったり、参加者にインタビューをしていた。(翌日の朝のNHKニュースで放映されたとのことだが、私は見ていない。)
受付で写真撮影OKということを聞いたので、前の方の席に陣取った。
雪野氏の開会の挨拶の後、第1部として当時の資料映像を新たに編集した映像の上映(約20分程度)があった。
第2部からは、連合赤軍当事者とゲストパネリストのトークである。
今回は第2部の発言を中心に紹介する。
司会の金氏は、元赤軍派で、指名手配されるも、15年間の逃亡生活を送り逃げ切った経験を持つ。
もう一人の司会は椎野氏。元社学同(戦旗派)。
この2人とは「日本赤軍!世界を疾走した群像」という本の出版記念会でお会いした。

第2部「当事者世代が語る」では、最初にゲスト・パネリストが現在抱えている問題意識やシンポジウムに向けて議論したいことを語り、それに対して当事者がその意見に答えていく、という形式で進められた。

ゲストパネリストからの発言(要約)。
塩見『連合赤軍問題というのは、革命左派と赤軍派という路線の違う両派が野合して反対派を粛清した、その根底にはスターリン主義に対して批判的態度をとらなかったことがある。連赤事件というのは、現在の反原発闘争の中でも未だトラウマになっている。これを総括していかなければならない。』

三上『赤軍派に対して批判的立場に立っていたが、外部的な批判はしたくないので、自分の中で複雑な矛盾的感情を抱きながら連合赤軍事件を見ていた。我々が共同的なあり方として振る舞っている人間の歴史性というものは、もっと違った形で我々を無意識を含めて拘束していて、それはなかなか見えないけれども、運動の本当の場面、命をかけたりとか、一番共同的なものが全面的に力を発揮してくるような場面になると、それが出てくるのではないか。その事に対して我々が内在的にどのように自覚し、そのことを不断に運動の中で超えていくという考え方、思想がないと、そこのところが越えられなかったのではないか。
連合赤軍事件は事実としては解明されていくだろうが、そこで起こった精神的、心理的展開というものが謎として残されていくのではないか。
このことは現代の政治運動や社会運動や権力との運動の中でも、少しでも緊張感のある、本当の意味での闘いに近づいたら、必ずもう1回喚起されるてくる残ってくる問題と考える。』

鈴木『左翼の人たちの言っていることは難しくて分からない。失敗した革命だからああいう形でさらし者にされたんだろう。もし革命が成功していれば、その革命の前には、そういう非常に貴重な、また痛ましい犠牲があったという形で皆に悼まれる、称えられることだったと思う。
それが、日本では革命が出来なかったから、ほら見ろ、革命なんてやろうとする人間は皆こうなるんだ、という形でさらし者にされたのではないか。
みんな夢を持って、また運動が楽しかったから、善意でもって当時は革命運動に入っている。どこからそれが間違ったのか、それはきちんと検討する必要がある。
浅間山荘で警察官を2人殺している、それからもう一人、果物を届けに行った民間人も殺している。ここに居る人たちはみんな自分たちとは関係ないと言うかもしれないけど、仲間が殺した。僕はそれはきちんと謝罪すべきだと思う。

(No245-2に続く)

イメージ 1
(No245-1の続きです。)

できたら一緒に追悼会でもやるべきだと思う。その上で何故ああいう事件が起きたのかを、きちんと自分たちで語る、また自分たちはこういう意思で、こういう夢を持って運動をやったんだ、ということを、革命運動の楽しさをもっともっと話すべきだと思う。
そうでないと、何時まで経っても暗い連合赤軍のイメージからは払拭できなのではないか。』

次に、ゲスト・パネリストの発言を受けて連合赤軍当事者の発言(要約)。

青砥『あの事件の後、私が一番感じていたのは、土壇場で人間として踏みこたえられなかったな、という思いが非常に強かった。
連合赤軍が、その中の人間に対して、死を突きつけてもいいんだという状況があったことは確かだと思う。
それに対して抵抗する気持ちも当然たくさんあった、ためらいもあったが、一方で共産主義化とか、援助のための暴力であるとか理屈を受け入れていく自分もあった。
ためらいと、そういったものを受け入れていく自分があった。そのことを考え続けてきたのが、その後の私の40年間だった。スターリン主義というのは外にあるのもではなくて、忍び込んでくるものだ。』

前沢『塩見さんが野合があったというが、実際にはあそこに行き着く前に組織の思想的な問題が解体していて、一緒になった時は両方とも思想の殆ど無い組織が方針でくっついた。現実の方針でくっついた。
今、警官を銃撃して倒そう、その1点で一致して、もうその前に我々の理論というのは、たぶん放棄されて、それが原因だと思う。
最終的に脱落者をどうするかという問題を、結局、危ない人間は消しちゃうという、たぶん、あの事件の本質はそういうことだったと思う。
口先では共産主義化とか、同志の援助だとか言われて、本当かなと思いながらも、それに対して違うとは言い切れなかった。だからああいう形になった、と僕は思う。
すでに山に入る前から、我々は思想的に武装解除を自分でしていて、あそこに行ったんじゃないか。』

植垣『野合問題ということで、実際のこういうことをやっている世界に居ると思想問題を考えるヒマも余裕もない。そういう中で一緒にやっていこうとなったのは、経験が同じなので、経験を通じた意識の方が先行していたことが大きかったと思う。
当時は党のためとか言われると、そこで思考停止という人間でした。残念ながら、それ以上、物事を考えることができなかった、ということです。
もう一つは、自分自身が武装闘争の中で死ぬんだ、という思いでいるので、自分が死ぬということを前提にすると、他人に対しても死を強制していくということに対して、それ程の緊張感が無かったという面もある。
連合赤軍が結成されたということは事後報告。だから連合赤軍が結成されたというのは、僕ら軍の方の人間にとっては、まるで他人事のようなことだった。』

雪野『その当時、我々がやろうとしていた武装闘争、その思想、それを私が支持していた、そこに責任を感じる。そういう闘争を支持していたから、準武力的な闘争を一部含めることについては同意していた。それについて責任を感る。だから、銃を持ってきたとか、それを作ったとか、渡したとか、それよりも責任を感じるのが、当時の我々の政治思想、軍事方針。』

この後、ゲスト・パネリストと当事者の発言を踏まえて、武装闘争の必然性があったかのか、また、武装をどのように考えていたのか、前段階武装蜂起のイメージなどについて話が交わされた。
第3部と第4部については、印象に残った言葉をいくつか紹介する。

青砥「全共闘白書という本が以前に出た。その中には全てのページに連合赤軍事件の所為で活動を辞めましたということが書いてある。我々も社会運動とか階級闘争に悪い影響を与えたことは十分承知しているが、辞めたのはあんたの勝手でしょう。」

植垣「(若松孝二監督の「実録連合赤軍 浅間山荘への道程」の最後の場面での台詞をふまえて)勇気がなかったのではなくて、勇気がありすぎた。」

※このシンポジウムの第1部での開催挨拶と、第2部「当事者世代が語る」での発言を、リンクしているホームページ「明大全共闘・学館闘争・文連」の「時代の証言者」コーナーに掲載しています。
なお、発言が聞き取れなかった部分は省略していますので、発言の全体を知りたい方や第3部・第4部の発言を知りたい方は、「連合赤軍事件の全体像を残す会」発行の「証言10号」(2012.7発行)をご覧ください。

(終)



イメージ 1
前回に引き続き、重信メイさん(国際ジャーナリスト)のシリア取材報告の後半を紹介する。
今年の1月、TV取材のスタッフとしてシリアの現地に入った時の報告である。
(報告は読みやすいように編集しています。)
(文書が長くブログの字数制限を越えるため、No244-1からNo244-3に分けて掲載します。)

<取材報告:後半>
『(報告前半のホムスの取材状況説明の続きです。)
最初、私たちは自分たちの車でホムスに行きたいと頼んだんですが、結果的に私たちジャーナリスト全体をまとめて政府のバスでホムスに行ったんです。
攻撃とかキズナップ(誘拐)されることを止めるために、前後にセキュリティーが付いていた。私たちはその時、あんまり考えなかったんですが、後で本当にセキュリティーのために付いていたんだなと思いました。
1週間後にフランス人のジャーナリストが、同じバスのツアーで行った時に殺されたんです(1月11日)。
私たちが行った週に同じことが起こって、私たちが狙われて殺されてもおかしくなかった。
その時何が起こったかと言うと、ホムスの政府側の街にジャーナリストが行って、政府側の人たちのデモを取材していた。
私たちもそういう取材していたけれど、そういう取材をしている人を反対勢力が狙った。
ミサイルってまだ刺さっているんですよ。3本飛ばしたから1つは刺さっていたんですね。うまくいかなかったのか良く分かりませんが、刺さっている状態を見ると、ミサイルの航跡からどこから飛んで来たか分かるじゃないですか。ミサイルが飛ぶ距離で、地図とか見ると○○から飛んできているのが明らかに分かる。
その時も、最初に発表してる反対勢力は地元の人ではなくて、海外のトルコから外側から発表している。海外メディアのずるいところは、BBCなどほとんどのところはベイルートとかトルコからレポートしている。
実際に地元に行って地元の全てを見ている訳ではなくて、隣の国からいろんな情報収集しただけでレポートしている。

もう一つは、シリアに入ってきても反対勢力だけを取材しようとしているので非合法的に入っている。非合法的に入ったということは、シリア国内では反対勢力に付くしかないんですね。全部を見ようと思っても全部は見れない。
私たちみたいに合法的に普通に入った人は全部取材できる。政府側の取材もできれば自由に歩ける訳です。自由に移動できる。危ないところに行くのは自分の責任だけれど、移動は自由だから、そういう意味では反対勢力を取材しようと思って非合法的に不正に入ったジャーナリストたちの取材の結果は、明らかに反対勢力側のことしか見ていないので、そういうものしか報道されないのは当たり前のことだと思っている。
殺されたフランス人は、私たちみたいにビザで入った人だったんです。ミサイルが飛んできて、最初のミサイルはデモに対して飛んできた。デモに対するミサイルを普通にジャーナリスト的に撮りたいということで行ってしまった。
ジャーナリストというのは、たぶん一番最初に情報を撮りたいという本能的なものがある。ただ、戦争という状態が一つ加わった時にはそれではダメです。相手がどういう方針でやっているか把握して取材に行かないといけない。
今回はより多くの被害者を出したいということで事件を起こしているので、最初のミサイルで現場に飛んで行ってしまうと、2重3重の爆破というのがあるんですね。
イスラエルの手順とイスラム原理主義者の手順というのは、イラクでもそうなんですが、最初の爆破があって、そこに助けようと思って人が集まるじゃないですか、それを狙って2番目の爆発事件、イスラエルの場合はミサイル飛ばすというのがよくあるから、それだけは気を付けなくては、と一緒に行ったみんなに言っていたんですが、まさにそのフランス人はその罠に落ちてしまった。2番目のミサイルで殺されたんです。
だからそういうこともあって、その次に1ケ月後くらいにまたイギリス人とフランス人のジャーナリストが殺されたんですが(2月23日)、その人たちは反対勢力に付いていたんです。
反対勢力に付いていたんですけれども、政府の許可を取って入っていたらダマスの街の取材もほったらかしでさせてくれるんだけど、ホムスみたいな危ないところはバスにエスコート付けて送ってくれたりとか、一応安全は取ろうとしていた。
ただ、反対勢力は政府でも何でもないから守ろうとはしてくれない。撮って欲しいけれども、必ずしもそれで完全に身元を確保してくれるかというとそうでもないから、政府側の攻撃があった時は反対勢力と同じような危険性があって、それで亡くなったというのが、前回、非合法的に入った2人が普通の攻撃で殺されたという状況です。
危ないと言えば危ないんですが、全部を取材しようとした方がいい点があると思った。それでいろいろ見てきたことがあります。

(No244-2に続く)

イメージ 1
(No244-1の続きです)

ホムスは危ないということはある。着いたとたんにパンパンと、どこからかスナイパー(狙撃手)が撃った音が聞こえたんです。
バスでエスコートが付いていたので、たぶんスナイパーが政府側のジャーナリストか政府側のお客さんということを見て分かって、それで結構撃ってきた。私たちがその時に行こうとしていたのは政府の軍事病院だったんですけれど、軍事病院といっても軍人だけではなくてその家族とか普通に行けるんですが、病院の中まで外から撃ってきた弾の跡があるんです。
あまりにも狙われているから、怖くてみんなその病院に行けなくなっている。だからそういう所もある。日本のテレビで見る報道は完全にウソです。使われ方がウソだと言っておきたい。
例えばCNNなんか見ていると、パンパンパンとかいう音だけ聞いて、「これでここの人たちが殺されています。」となる。でも別にデモの人が殺されているところも見えていなければ、誰が誰を撃っているかも見えていなければ、何も見えてないのに、そういうキャプションというかタイトルを付けることによって、見ている人は自然と当たり前のように、これはデモの人が殺されている映像なんだ、と勝手に思ってしまう。でもそれは本当は見えていないことなんだけど、そういう報道の仕方で、すごいずる賢い。見ている人たちを騙す。見ている人は知らないうちに騙されている。』

O・K「アルジャジーラのベイルートの記者が何人か、偽造の名簿を自分たちが作らされて辞めましたが、あれはどういうことだったんでしょうか。知っていることがあれば話を聞かせてください。」

メイ『偽造のニュースだったんです。映像までフォローしていませんが、確かにアルジャジーラのスタッフで何人か辞めた人がいます。イデオロギー的なところもあるかもしれないし、責任のこともあるかもしれませんが、「アルジャジーラがあまりにもウソを報道している。自分はウソに入れない。」そういう風に辞めている人はいっぱいいます。
リビアの時もそうでしたが、アルジャジーラは結構情報操作というか情報偽造しているんです。
一つの例を言うと、同じメディアで働いている者同士で、友達とかいっぱいいるんですが、個人的に知っている友達の知人の話です。
その友達の知の話によると、シリアからの現場で見た人のふりをして「いま何処どこにいて、これを見ました、今撃たれてています、私たちは何十人殺されました。」という電話のやりとりを延々とやっているのが、アルジャジーラで働いている友人の声だったということなんです。
自分が知っているアルジャジーラで働いている友達が、何回も同じ声で毎回違う名前で出てくる。声を知っているのは友達だから、明らかに友達なんだけど、毎回違う名前でシリアからの現場で見た人です、と言って出てくるということなんです。
リビアの時も感じたんですが、シリアもそうですが、本当に無名な人ばかりが電話に出てくるんです。証言をしているとしても、本当の証言なのかどうかフォローできない。ただ「私たちはあれを見ました、これを見ました。」というのはリビアもシリアも一緒です。』

O・K「もう一つ、対イスラエルについて聞きたいことがあります。エジプトがイスラエルに対して手を握って、シリアがその後、軸になってアラブの全体の対イスラエルで頑張ってきた、シリア国民はそういうアサド政権の政策を支持しているのでしょうか?
もし対イスラエルのアラブの軸であるシリアがダメになると、対イスラエルに対するアラブの力が弱まるのではないでしょうか。」

メイ『シリアの国民のイスラエルに対する考えは変わりません。エジプトでは経済的な腐敗に反対するだけはなくて、自分の国の政府の対イスラエルに対する政策に反対して、自分たちが納得する外交政策をしてくれ、ということだった。
でもシリアではそれがなかったんです。シリアは腐敗とかありますが、外交政策については国民と政府が離れているような感覚はありませんから、それでいまだに支持しています。確かにシリアが倒れるということは、対イスラエルに対するバランスが完全に壊れる。さっきも言いましたが、シリアの国内で人々は改革を求めているということはありますが、改革を求めていることと、対イスラエルに対するバランスが変わることは違うことなんです。シリア国内で改革を求める人たちを利用して、アメリカとかヨーロッパとかイスラエルは、対イスラエルに対するバランスを変えていこうとしている。
対イスラエルに対するバランスが変わるということは、要はシリアを変えることによってイランも変える訳です。
イランの力はシリアが一緒に付いているということだし、シリアが倒れるということは、イランが対イスラエルに対しバランスを持とうとするときに、イスラエルの国境沿いにいるのはシリアとレバノンです。

(No244-3に続く)

イメージ 1
(No244-2の続きです)

シリアとヒズボラがイスラエルに一番危ない、それにイランがいる。
とにかくシリアを倒すことによって、レバノンにいるヒズボラも倒れる、そうするとこの2つが無くなることによって、イランは孤立する。』

W「シリアの反政府勢力はイスラム原理主義と言われているが、それが分からない。アメリカは原理主義者との戦いをしていると見ているのだが。イランもそういう意味では原理主義者ではないか。」

メイ「アメリカはイランをイスラム原理主義の国と描きたいと思っているが、必ずしも原理主義者の国ではありません。イスラム国家だけどもイスラム原理主義者ではない。イスラム的な国を作っているけど、原理主義者ではない。もう一つは、今言っている原理主義者はどちらかというとスンニ派で、イランはシーア派です。この両派の間の宗派的な対立はあります。イランはシーア派でシリアの原理主義者はスンニ派だから。スンニ派のイスラム原理主義者の一番の敵はシーア派。湾岸の国々もスンニ派だから、サウジアラビアとかカタールが今、シリアの反対勢力をサポートしている理由とかリビアの反対勢力ををサポートした理由は、シーア派の国を倒そうとしているのが元にあります。」

W「いろんな意味でアメリカの世界戦略の中で、中東の力関係というのは作られているという理解でいいんだね。」

メイ「そうそう、シリア国内の今の状態は今までもあった状況で初めて起こった状況ではないんですが、それをアメリカなどがうまく利用した。それは地域的なジオポリティクスを動かすための政策的なことです。」

<リビアについて>
メイ『リビアの場合は東と西の部族対立があって、昔の王様は東の人で、亡くなったカダフィは西の部族で、ずーと憎しみはある。実は東から革命の動きが始まったけれど、東側の人の方が裕福なんです。だから金銭的な問題じゃないです、リビアの場合は完全に。
部族的な対立というのを、やっぱりアメリカとかヨーロッパがうまく利用したということです。
もう一つすごく大きいことがあります。それは、金の売買です。
リビアは叩かれる前の2010年末、アフリカ連合国家を作ろうとしていた。これからアフリカ大陸の中の資源を全て金で売買しようとした。資源を売った時に、アメリカが自由に刷っているドルではなくて、実物の金で売買することによって、アフリカは新たに発展し、平等に金を儲けることができる。アフリカは一番資源がある大陸なので、ヨーロッパとかアメリカに、ダイヤも石油もガスも全部利用されてきたけれど、金で売買することによってアフリカが金持ちの国になることができる。
それがやっと2010年に、みんなアフリカの国家の人たちが、王様も含めてOKして実現して行こうとなった。それが実現すると、アメリカとイギリスはものすごい大変になる。
カダフィは金の売買のリーダーシップを取っていた、だから狙われたんです。
リビアは民主国家じゃない、国会議員がいないと言われていましたが、実はリビアは昔のギリシャの民主主義と同じシステムを持っていて、国民の全員が集まって、国民の日常的なことで話し合いをして、必要なこと、嫌なこと、止めたいこと、やりたいことを話し合いの中で決めていたというのがあります。
だから私は国会議員のシステムよりいシステムだと思います。みんなで相談して、みんなで話して、みんなが納得したところでいろいろ変わる。ただ、一つ問題だったのは重要な政治的な結論はカダフィ政権、カダフィと周りの人たちが決めていたことです。
でもさっきのシリアの報告と同じように、メディアで報道されていたような、悪魔みたいな悪者がいて、お金だけ集めたというのはウソです。すごく大量のお金を隠していたというのもズルイ報道です。
リビアのお金は、あたかもカダフィが貯めていたような報道がされますが、あれは政府の投資などのお金で、リビアという国がいろいろなところに貯めていたお金で、カダフィのお金ではないんです。
要はリビアの国のお金を凍結したということです。アメリカなどは、反対勢力に武器をこのお金で売ったんです。今までリビアは何にもローン(負債)を持っていない国だったんです。でもこの戦争の後でリビアは初めて大量のローンを抱えてしまった。
何故なら反対勢力の人はバンバン武器を買って、さらに自分たちが政権を取りたいから、アメリカやイギリスの会社に「私たちが政権を取ったら貴方たちにこれをあげる、これをあげる」と約束した。だから戦争が終わった途端にいろんな国からディベロッパーから何から全部入ってしまった、ということです。』

メイさんのシリア取材報告を聞いて、テレビや新聞での報道について、改めて多面的な見方が必要と思った。
今後のシリア情勢の行方に注目していきたい。

(終)

↑このページのトップヘ