野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2012年12月

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(ブログの字数制限を越えるため、No271-1からNo271-3の3つに分けてあります。)

12月15日、さようなら原発一千万署名市民の会、首都圏反原発連合の呼びかけにより
「Nuclear Free Now さようなら原発世界大集会 」と「Nuclear Free Now 世界大行進」が行われた。
 この集会と行進(デモ)は、12月15日から17日にかけて、日本政府と国際原子力機関(IAEA)が「原子力安全・福島閣僚会議」を福島県郡山市で開催することへの対抗アクションとして、東京・日比谷と福島・郡山で企画された同時参加型アクション「Nuclear Free Now」の一つとして開催されたものである。
4大学共闘(明大、日大、芝工大、専修大の全共闘派)は、この集会とデモに共同行動として参加したので、その様子を報告する。

当日は小雨。日比谷野外音楽堂に到着すると、会場も半分くらいしか埋まっていない。会場の後ろにいた日大のJUNさんに「11月11日(首相官邸・霞が関大包囲)の時と一緒だね」と話しかける。
明大の幟を探していると、Y・R氏が「明大土曜会」幟を持ってやってきた。4大学の面々も徐々に集まってきた。
会場の演壇の後ろには、7月16日の代々木公園でも掲げられていた、奈良美智氏の少女の絵が掲げられている。(写真上)
中大ブント(叛旗派)の神津陽氏も「原発なくすりゃええじゃないか」の幟を持ってY・R氏の隣に座っている。
雨が降りやまぬ中で、集会は始まった。

●「さようなら原発」呼びかけ人あいさつ
<鎌田慧さん(ルポライター)>
『皆さん、こんにちは。今日は雨の中、ありがとうございます。
私たちは3・11事故の後、いくつか集会をやってきました。雨が降ったのは今日が初めてです。しかし、闘いも長くなりそうですし、雨が降ったり、風が吹いたり、選挙があったり、選挙がなかったり、いろんなことがあっても、私たちは脱原発まで絶対に頑張るという意志は貫いて、雨をものともせず、頑張っていきたいと思います。
今の選挙は、殆どの候補者が脱原発を言うようになりました。これは目くらましということもあるでしょうけど、しかし、私たちが殆どの人が脱原発と言わざるを得ないような状況を、一生懸命、この1年9か月にわたって耕してきたと言う成果を、忘れることは出来ません。
私たちは、毎日のように脱原発のために働いてきました。例えば、去年9月の明治公園での6万人集会、あるいは、ことし7月の代々木公園での16万人集会、あるいは、各地でのさまざまなところでの集会やデモ、そして首相官邸前のデモ、国会包囲デモ、そして経済産業省のテント村、いろんな方々が、いろんな創意をこらして、そして脱原発を誓って闘ってきた訳です。その成果がいよいよ選挙に向かって来ました。
しかし、自民党に(政権を)譲り渡す訳にはいかない。絶対、それを乗り越えて闘っていくという決意を、今日表明する必要があると思います。
今日の集会は、たまたまここに設定していたのに選挙がぶつかってきた。しかし、それも私たちは敢えて引き受けて闘っていく、選挙も乗り越えて闘っていく、どんな政権になっても私たちは脱原発の声を落とすことはない。更に盛り上げて闘っていく。それが次世代の子供たちに果たす、私たちの役割だと思います。(中略)
自民党は美しい日本などとまだ言っています。美しい日本を破壊してのは誰ですか。美しい日本に私たちの力でもっていく、それには原発を無くしていく、そういうことです。
美しい日本を破壊したのは、かって自民党と産業界が公害問題によって日本を破壊してきました。それを私たち住民は反公害闘争によってそれを克服してきた。そして、今、原発が美しい日本を破壊した。それも、私たちは尚且つ修復していかなくてはいけない。
そういう意味で原発は全部潰す、54基を潰す、もう活断層がいろんなところに現れています。これは初めから指摘されていた。それを原子力安全・保安院は無視した。電力会社も無視してきた。そういう負の遺産の上に立ってこの選挙があります。
皆さん、選挙を戦おう、そして選挙を乗り越えて、なお闘っていきましょう。頑張りましょう。』

「どんな政権になっても私たちは脱原発の声を落とすことはない。更に盛り上げて闘っていく。」ということである。
続いて、呼びかけ人の内橋克人さんのあいさつ、そして法政大学教授の田中優子さんから発言があった。
今回は世界大集会ということで、海外ゲストの発言があった。

● 海外ゲストの発言
<モニカ・ゾッペさん(イタリア/環境NGO・レーガンビエンテ)>(要約)
『みなさん、こんにちは。私たちは、イタリアの脱原発運動から、皆様にメッセージを持ってきました。私たちは、去年イタリアで原発を廃止することに成功しました。国民投票で98%の人が脱原発に賛成したのです。

(No271-2に続く)

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(No271-1の続きです)

しかし、我々は、それではまだ十分だとは思っていません。私たちは、世界の全ての国が原発から解放されるまで、努力を続けるべきだと思っています。
私たちはフロレンスで会議を行いまして、28ヶ国から四千人もの人が集まって、この先、どう脱原発を進めていけるか話し合いました。
このフロレンスの会議で、いろいろな今後の課題について話し合いましたが、一番重要なのが、フロレンス宣言というのを採択したことです。この宣言は国際的な運動であるべきだということで合意しました。
ヨーロッパレベルで国民投票を行って、ヨーロッパの市民が脱原発の選択をする、ヨーロッパレベルの国民投票が妥当だと思っています。そのため、次の一歩として来年の3月にパリで会議を行います。
私たちはイタリアの経験から、原発を廃止することは可能だということを学びました。明日、日本で総選挙があるということを伺っています。様々な政党が総選挙に参加していることも伺っていますが、皆さんにご提案したいのは、是非、あなた方の未来、あなた方の子供たちの未来のことを一番考えている政党に票を入れること、一番本気で原発を廃止してくれるような政党に票を入れて欲しいということです。
最後に皆さんに呼びかけておきたいのは、この運動を是非続けて欲しいということです。脱原発は可能なのです。私たちもイタリアで脱阮発を果たしましたので、皆さんも是非その努力を続けてください。ありがとうございます。』

<アンドレイ・オザロフスキさん(リトアニア/環境NGO・ベローナ)>(要約)
『私はこの場に居て、これだけ多くのみなさんが脱原発を望んでいることを知って非常にうれしいです。これは日本にとってもいいことだと思います。
私のコメントとして、皆さんに連帯の気持ちを伝えたいです。世界の原発を廃止する必要があるのだと思います。
私はロシアから来ました。残念ながらロシアは、原発を作り続けています。しかし、良いこともあります。隣のリトアニアでは国民投票がありまして、62%の人が新規の原発に反対したのです。おそらく、日本でも国民投票を実施したら原発を廃止することは可能になるでしょう。
日本で新しい原発を作ることは不可能に近いと思いますが、日立がリトアニアで新しい原発を作ろうとしています。
日立の原発は、福島の原発と同じように蒸気で動くものなんです。このような輸出も止めなければいけないと思っています。日立は、国民投票で国民が反対の意思表示をしたにもかかわらず、原発の輸出をしようとしており、リトアニア人の意見を聞いてもらえないのでしょうか。ノーというのは、明らかにノーなのです。
私からの東芝とか日立に対するメッセージです。彼らは一般の人が使う製品を作ることが出来るので、そういったものを作って欲しいです。人々に害を与えるようなものは作って欲しくないです。
私は、いずれ皆さんが日本で原発を廃止することに成功するだろうと確信しています。同時にみなさんも、日本の企業が海外に原発を輸出しないように、我々の運動にも期待して欲しいのです。
もう一つ、私が確信しているのは、人間の将来には原発が存在しないということ。是非、共に成し遂げていきたいと思います。
(日本語で)さよなら原発!共に頑張りましょう!』

続いて福島からの発言。
●福島からの発言
<大賀あや子さん(ハイロアクション福島原発40年実行委員会)>
『こんにちは。福島県大熊町から避難しています大賀と申します。改めて、まだ終わっていないということをお伝えしなくてはいけません。
つい先週、12月7日には宮城県、福島県の広い地域で震度5以上という大きな余震がありました。ゆっくりと激しい揺れが数分間も続き、多くの人々が恐怖に震えました。
福島市内の仮設住宅では、住民が外に出て「助けてー」などと声を上げ、一時騒然となったとも報じられました。
福島県の浜通り、仲通りの各地では地震後まもなく、ガソリンスタンドで給油する車の長い列が出来ました。更なる大地震と福島第一原発からの更なる放射能の放出を恐れています。
私たちはよく、東京電力の幹部や政治家や官僚たちに対して、その発言は、その政策は、仮設住宅に泊まってみてから、警戒区域を解除しようとする地域に住んでみてから、年間20ミリシーベルトくらいのところに住んでみてから、(福島第一原発の)4号機の建屋を視察してから、そこで心底激しい揺れを体験してから言えるのか、こう問いたいんだと話し合っています。
今日、私は郡山から2時間かけてまいりましたが、郡山のビックパレットの前では、早朝からIAEA閣僚会議の会場前で、非暴力直接行動のアピールが行われています。

(No271-3に続く)

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(No27121の続きです)

IAEAは福島で何をするつもり?放射線の影響を過小評価するな、IAEAは科学をゆがめるな、放射線防護基準を見直せ、命より大事なものってある?福島はすでに脱原発を決めた、私たちを抜きに福島のことを決めるな、と訴えています。
同時に各地でさまざまな取り組みも進んでいます。茨城県高萩市では、茨城県の最終処分場の建設反対集会、ここには福島県谷川村での放射線廃棄物焼却炉の建設を止めようとする人々も参加しています。
福島市では、今日も子供たちの健康相談会や、弁護士による賠償相談会も行われています。
宮城県、福島県の各地域、栃木県、千葉県、茨城県、群馬県、さらにもっと広い各地で食品の放射能測定の活動なども続いています。
第一原発では、高線量下で数千人の方々が収束作業に当たっています。その多くは、故郷を追われた双葉郡の住民です。
そして、汚染されてしまった全ての土地で、また避難先で多くの人々が命を守るために、被曝防護に気を遣いながら暮らしています。本当にさまざまな課題が山積みです。とても無力感にとらわれてしまうこともあります。
今年の6月には、国会で全会一致で原発事故子供被災者支援法が成立しましたが、まだ具体的な計画すら決まっておらず、もどかしい思いをしています。
子供被災者支援法の成立までには、超党派の国会議員の方々が働き、そして多くの被災者の声を届けることが行われ、これまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っている人、国の責任が明示されたこと、現在の避難区域より広い地域を支援対象地域として指定し、そこで生活する被災者、そこから避難した被災者の双方に対する支援をしていくことなど、多くの画期的なポイントもありました。
特に、子供たちの健康診断については、将来にわたって実施して行くことも盛り込まれ、医療費の減免や、減免については被曝と疾病との因果関係について、立証責任を被災者に負わせないというようなことも規定され、いろいろと期待を持てたものだったのですが、国会が解散してしまったという状況の中で、来年の予算なども決まらず、現在、災害救助法で行われているものが、12月一杯で新規の受付が打ち切られるということもあり、本当に、日々奔走しているという毎日です。
どんなことを福島から、こちらに伺ってお伝えしたらいいのか、とても悩んでしまったりしまして、今朝、思い出したのは、3・11前に、こんな事態を防ぐ希望を持って仲間たちと歌ったことがある歌でした。
恥ずかしいんですけれど、ちょっとだけ歌わせてもらいます。
♪今こそ言おう原発はいらない~ (中略)
ありがとうございました。』

この後、飛び入りで翌日に控えた東京都知事選候補者の宇都宮健児氏からのアピール、そして最後に呼びかけ人で作家の澤地久枝さんからの閉会のあいさつがあり、「さようなら原発世界大行進」(デモ)が出発した。
デモコースは約3km、日比谷公園→有楽町→内幸町→日比谷公園のコースである。集会参加者は、主催者発表で約1600人。ほぼ正確な数字だと思う。
私は記録叛としてデモには入らず、歩道から写真を撮っていた。デモの先頭には「首都圏反原発連合」の横断幕を持った、日本未来の党嘉田代表の姿も見える(写真)。
歩道では子供連れの若い母親が、デモのシュプレヒコールに合わせて「原発いらない!」と手を挙げる光景も見られた。
4大学共闘は、冷たい雨が降る悪条件にもかかわらず、20名近くがデモを貫徹。デモの解散地点の日比谷公園で、明大土曜会のY・R氏が総括のあいさつを行った。

<総括あいさつ 明大土曜会Y・R氏>
「今年最後の行動に決起された4大学共闘の皆さん。ここに集まってください。
今日は、最初はちょっと雨が降っていて、今一つ士気が上がらなかったんですが、雨が止んできて本来の我々の元気が出てきたかと思います。
みなさん、2時間近くも、我々としてはパレードではなく、デモ行進を最後まで貫徹した、そのことをまず第一に確認したいと思います。(異議なし)
今年1年間、みなさんご苦労様でした。たぶん、これが今年最後のデモ、集会になると思います。我々の闘いは、これから来年も再来年も続くと思います。
みなさんも命を大事にして、長い闘いをのんびりと闘っていきたいと思います。
みなさんの健康を祝して、インターナショナルを歌いたいと思います。」

♪あーインターナショナル、我らがもの♪

インターナショナルの歌声が、夕暮れの日比谷公園に響きます。
最後に「明日からも頑張ろう!」で今年最後の4大学共闘共同行動を締めくくりました。

(終)

※ 年始(1月4日)のブログは休みます。次回は1月11日です。来年も記憶を記録する作業と並行して、明大土曜会を中心とした脱原発やTPP反対の活動を伝えていきます。

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