(No276-2の続きです)
「あいつがやるって言うんだから、やらない訳にいかんよな」。だから三井三池なんかもそうです。そういう伝統が無くなって、労組官僚が生まれるようになってから、日本の労働組合は、ストライキ一発すら打てなくなった、こういうことなんです。
もっと普通の生活者の目線で、その人たちの共感を得ながら、その人たちがいつでも自分の頭で考え判断し行動し、場合によったら闘いに参加する、そういう陣形を作らなけりゃいかん、と私は思います。
一軍だけではできないですよ。今のサッカーの繁栄というのは実に戦略的に作られてますでしょ。J1の1部リーグ.二部リーグ、その他3部リーグもあるでしょ。それでどこでも言っていることは、大衆に支えられろということですね。サポーター組織が全国に張り巡らされている。スポーツの世界でもそれぐらいのことを考える。私たちももうちょっと、私たち自身が単なる大衆に落ち込むんじゃなくて、いつも次の指導者を作るという視点で、自分たちと同じ思いで動いてくれる人たちを作って、その人たちも一人で動くんじゃなくて、仲間を作るということ。(中略)
<謙虚さを持った政治集団に期待>
私は理論家でもないし、何でもないんですが、ともかく物知り顔にいろいろ言う人に対しては我慢がならない。
だから塩見君なんかの不幸は、関西に居られると困るということで、本部に出そうということでブントの本部に来て、学対部長をやらされて、行くところが無くて早稲田に付いたというのが始まりですね。早稲田の社学同なんてごく少数派ですから、運動なんかやる必要がないんです。そういうところと、全ての行動が全学生に見られている、そういうところの学生運動は基本的に違うんだと私は思います。
全てがポツダム主義的自治会みたいな、ああいうヒエラルキーを持った運動がいいなんて思いませんけれども、そういうノウハウを身につけた活動家がいれば、もうちょっと、もったいないですね、毎週金曜、あれだけ反原発で国会前に減ることなく集まるエネルギーを持っていながら、あれを何で10万人に出来ないかと私は思うんです。
時としてどんなに素晴らしい党派でも誤ることがある。誤った方針が出た時に、文句が言える大衆政治集団が私は必要だと思います。
だからこそ私は、ブントも再統一で統一委員会というのを作るんですが、その創刊準備号で長崎浩さんが書いている、「我々は歴史的相対的存在である、明日も我々が優れているとは限らない。相対的というのは、他所の党派が全部間違っていて、自分たちだけが唯一正しいという訳ではない。相対的に正しいと思っているだけだ。」ということを言った党派はそこしかなかったんですね。その人たちとやる羽目になった。
でも、私はそういう謙虚さを持った政治集団が、党というのは難しいだろうが、現れないか、綱領があるから革命が出来るんじゃない、大衆のエネルギーがあるから革命ができるのであって、亡命していたレーニンがソ連に帰ったということは、私はあまり評価しないんです。国内に残って大衆運動をずっと指導していたトロッキーの方が大衆政治家としてはまっとうだと、私は未だに思っております。トロッキストじゃないですよ。トロッキーの考えに賛同することはないですが、いわば運動とともに生きる人間の生き方としては、ああいう生き方は正しいんだ、と私は思います。』
以上、故中澤満正氏の講演の内容である。
中澤氏からは、後日、次のようなメールをいただいた。合掌。
<先日は大変お世話になりました。久し振りの顔にも会うことが出来ました。心に重く数十年の亘って後輩にすまない、責任を取っていないという負債を多少でも今回の企画で返せたら望外の幸せです。感謝申し上げます。(中略)
アジテーターとしての私は明大闘争で多くの人の生き方を変えた責任は自分の一生の生き様で返す以外にないと思い正直に大衆組織化に総てのエネルギーを掛けてきたと思っております。(中略)
短時間でたいして中身のある話ができず申し訳ありませんでしたが、現状の私の体力では精一杯でしたのでご容赦ください。
貴兄らのご活躍を祈っております。>
【明大学費闘争の概略】
1966年
6月 学校当局学費値上げの基本方針決定
6月~10月 学費団交が続く。
11月 全明治臨時学生大会を開催しスト権を確立
和泉地区・生田地区スト突入。本校バリケード構築。
12月 二部学生大会でスト権確立
和泉校舎に右翼襲撃
学費値上げ発表
1967年
1月20日 学費団交 8,000名結集
1月29日 学費団交 全学闘と体育会が衝突
1月30日 機動隊導入 バリケード撤去
2月 2日 2・2協定調印
※ ホームページに、明治大学学生部発行「学費問題紛争経過報告書」をアップしています。そちらもご覧ください。
(終)