野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2013年06月

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(文書が長くブログの字数制限を越えるため、No295-1からNo295-4に分けて掲載します。)

2013年6月3日、明治大学リバティーホールで脱原発テント裁判を考える講演会が開かれた。呼びかけ人は「経産省前テント広場応援団」である。
講演会では鎌田 慧さんの挨拶の後、落合恵子さん、広瀬 隆さん、中嶌 哲演さん、ミサオ・レッドウルフさんから発言、弁護団から河合弘之弁護士の報告があった。
最後にまとめで鎌田 慧さんの発言があり、裁判の被告となっている渕上さんと正清さんから決意表明があった。
今回は、この中から、河合弘之弁護士からの報告と被告お二人の発言を掲載する。

● 弁護団からの報告
司会『裁判の可視化にも取り組んでいらっしゃる、河合弘之弁護士をご紹介したいと思います。河合先生は1994年に高木仁三郎さんと出会ったことから原発訴訟を手がけられています。福島の原発告訴団にも関わっていらっしゃいますし、私が事務局長をやっております東電株主代表訴訟の代表弁護士でもあります。』

河合『今日は私は脱原発テントの訴訟について話をせよ、ということなんですが、それは原発問題全部と関係することなので、ちょっと長くなるかと思いますが、お話をさせていただきます。
脱原発テントを経産省、国は立ち退けという訴訟を起こしてきている訳ですけれど、その請求原因、根拠は土地の所有権です。土地の所有権は確かに国にある訳ですけれど、私たちはこの訴訟で二つの論点を立てています。
一つは、こういうことを請求するのは権利乱用であるという、権利乱用論です。これはもっと分かりやすく言うと、国は原発という非常な害悪を流している。そして福島第一原発事故という、非常に深刻で重大な事故を起こした。それに対して抗議をし、原発を全部やめろと言っている人たちが脱原発テント村を作っている。加害者に対して被害者が文句を言っていることに、加害者が所有権を振り回すなんてとんでもない。(そうだー)
そういうのが論理の基本であります。
では何故原発が悪いのかということになると、そこで全ての原発論が凝縮して入っていることになります。
私たちは、まずそのことをきちんと訴訟の中で主張し、立証していかなければいけないと思っています。
今のが大上段に振りかぶった正当論ですね。
もう一つが、民事訴訟法的には、あのテント村というのは実は非常に難しい問題があります。誰が占有者だか良く分からない(笑)。入れ代わり立ち代わりでよく分からない。占有者自体も、自分が占有しているのかどうかも分からない(笑)。そういう時に、どうやって裁判を起こすのかということで、非常に難しい裁判です。
今、正清さんと渕上さんが被告ということになっている。たまたま仮処分をかけた時に居たというか、2人に狙いを定めた訳ですけれど、皆さんご存知のように第一テント、第二テント、第三テント、いろいろな占有関係とか、出来ていった過程とか、所有関係とかゴッチャゴッチャなんですね。誰が金を出したのかも良く分からない。そういう時に、どうやって裁判を起こすのかということはすごく難しい問題で、彼らが一番頭を悩ませたのはそこです。私たちは、そこをけたぐりで行こうかと。例えば渕上さんとか正清さんが来なくなっちゃったらどうするんでしょうね(笑)、いない人に裁判を起こしてどうするんだろうな、そういう手も使ってみるかとか。ただ、しょっちゅう行っているのに、寝泊まりしているのに居ないと言っても、それはバレちゃうんですね。みなさんご存知のように監視カメラが付いていますから。実際、僕は2人にしばらく行くなと言っているんですけれど、そうもいかないとは思いますけれど、そういう問題があります。
それは極めて法律的な難しいというか、ややこしい問題で、僕はけたぐりと言っているんですけれども、けたぐりをかますのも一つの方法かなと思っています。
それが裁判の中身の話です。
では、どういう原発論を展開しようとしているのか。私たち原発に関わっている弁護士は、脱原発弁護団全国連絡会というのを作って、今、日本国中で裁判をやっています。
3・11の時は、3か所くらいしか裁判を継続していなくて、みんな負けちゃって、疲弊しちゃって、みんなショボくれていたんですね。ところが3・11が起きて、「それ見ろ、俺たちの言っていたことが正しかった」。裁判官も考えが変わったはずなんですね、あの時点で。「日本の原発は大した事故は起きない、少々の事故が起きても安全なんだ」と思っていた訳なんですよね。みなさんもそういう風に思っていた人が多いと思うんです。そんなにひどいことは起きないと思っていたが起きた。日本国中の人が目からうろこが落ちたんです。裁判官も国民の一部なんですね。裁判官もテレビも見れば新聞も読むんです。その国民の一部である裁判官の目のうろこも落ちた。

(No295-2に続く)

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(No295-1の続きです)

それなら、もう1回裁判にチャレンジだ、リベンジだということで、私は今から2年前の今頃、「みんなもう1回やろう」と呼びかけたら、待っていたという感じで、300人集まった。「日本全国で裁判起こそうね」と言ったら、「分かった」。今までは、脱原発弁護士は自分で闘うだけで精いっぱいで、横の連帯という時間的、精神的余裕がなかった。いわば、向かってくる敵にタコツボに籠って、機関銃をパチパチ撃つくらいの闘い方しかできなかった。
それじゃダメだ。やっぱり情報と知識を共有しよう、助け合おうということを呼びかけた。
今、私たちは情報投げ込みのメールを持っていて、そこにいろんな準備書面などをどんどん入れていく。そうすると、今、非常に気軽に、若い人たちも、気持ちさえあれば裁判が起こせるようになった。「どんどん使っていいよ、著作権なんかないよ」、そいう形でやっている。
でも、2年前の今頃と今では、原発を巡る状況が非常に変わってきている。去年の今頃は、日本中総懺悔で、「誰がこんなことにした」みたいな感じで、原発推進論者はみんな「いつ嵐が止むかな」とシーンと下を向いていた。国民の大半が「原発やめろ」と言っていた。その後、状況はどんどん変わってきた。特に去年の12月の選挙でガラッと変わった。
私たちは押し返されたという位置にある訳ですが、一応、今、原発の論点がどういうところに移ってきているか、もう一度おさらいしたいと思いますが、福島原発事故の後、みんな危険だ、大変なことだと思った訳です。でも、しばらくすると、「原発を全部止めちゃったら停電になるぞ、大変だ大変だ」でも実際にやってみたら停電なんか起きなかった。それは明らかな理由で、日本の火力発電の稼働率を50%から70%に上げるだけで、火力発電を20%稼働率を上げるだけで、原発を止めてしまった電力を全部補える。そのことを日本国民が分かっちゃった。じゃあその次に敵は何を言い出したかというと、「それをやると化石燃料の炊き増しをしなければいけない。そうすると、燃料の輸入代が増える。日本の国富がどんどん失われる。そうするとギリシャみたいになる。それでもいいのか」それがその次の論点だったんですね。
これを一番熱心に言っていたのが、落選した仙石由人。あれは僕の同級生で仲が良かったんですよ(笑)。一緒に闘っていた仲間だったんですが、いつの間にか悪魔に魂を売った(笑)。
そういう脅かしに乗ってはいけなくて、そうい時は冷静に「じゃあ燃料の炊き増しにいくらなんだ。燃料の輸入代にいくらなんだ」。「毎年3兆円です」。3兆円というと皆さんの財布で考えると大きいお金になるかもしれないけれど、国家的レベルで考えると、全然大したことはない。国富が流出するというが、日本の国富はいくらあるか、三千兆円ある。
毎年千分の一を切り出すだけで間に合う。どうってことないです。それから日本のGNPはその何百倍もある。現に論より証拠、毎年、3兆円払っているが、日本の景気はアベノミクスで沸き立っているじゃないですか(笑)。ですから、燃料代なんか関係ない。私は安倍さんの影響で景気がやや上向いているなんて思いません。景気は必ず循環するんだから。
あっと言う間に株が落ちたじゃないですか、これからどうなるか分からない。
電力が足りなくなるぞ、電力が足りた。国富が流出して景気が悪くなるぞ、景気はいい。何なんだこれは。そうすると、次は何を言っているかと言うと、「CO2がいっぱい出る。」
こんな時は「何を言っているんだ。CO2と放射能とどっちが怖いんだ」。放射能の方が何千倍も怖い。1の悪さと千の悪さと比べて両方とも悪いというのは、非科学的な論理で、しかもCO2をどんどん出していい訳はないですよね。これは自然エネルギーに変えていけばCO2も減るし、化石燃料に頼らないいろいろな方法をみんなで熱心にやればできる。やる気になればできる。
そうなると、今、論点はどこに移ってきているか。今までの論点で論争すれば我々は勝っている訳です(拍手)。でも彼らは論争しない。彼らが、今、何を言っているかと言うと、「そうは言っても、原発を輸出しなくてはいけない」というところに論点を移してきている。確かに、世界的に言うと原発マーケットは将来性があると言われている。「そこに出て行かなければ大変だ、日本は乗り遅れてしまう、韓国に負ける、中国に負ける、フランスに負ける。ロシアに負ける。そんなことしたら日本は世界の先進国から取り残されるぞ」この恐怖感を煽っている。それが、今、安倍首相が原発の訪問販売を世界中にしている理由なんです。(笑)
でも、やっていいことと悪いことがあって、自分の国の始末も付かないものを、何で売りに行くんだ。(そうだー)(拍手)

(No295-3に続く)

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(No295-2の続きです)

トルコが問題だと思うんです。トルコは歴史的にすごい親日国なんです。日露戦争の頃、トルコの船が難破した時に、日本の漁民が助けに行って、非常に手厚くもてなして送り返してあげたということで、歴史の本に出てくるくらいで日本のことが好きだ。それで、今でも親日国。そのこと自体はいいことだと思うんですが。トルコは地震大国なんです。トルコ地震というのが3年に1回くらい出るじゃないですか。そんな危ない所に日本の原発を輸出して、事故が起きたらどうするんだ。「その時は免責条項を入れてあるから大丈夫です。福島原発でGEの責任が追及出来ないのは免責条項が入っているからです。それと同じように免責条項を入れればいい」と言う。でも、そんな問題じゃないでしょ。もし、福島原発みたいな事故がトルコで起きて何十万人という人が被害を被ったら、国土が汚染されたら、損害賠償を免れたって、トルコ国民は日本を許しませんよ。せっかくの数少ない親日国を失うことになる。(笑)(拍手)国際的な外交的な問題です。死の商人、毒ガスや大量殺りく兵器を売るよりもっと悪い。だから東芝や日立やIHIや三菱や、それを後押しする電力会社は死の商人だ、恥ずかしくないのか、というのが、今の論点です。
原発の輸出と原発の再稼働はすごく結びついている。どう結びついているのか。具体的に商談に入ります。「故障した時や事故が起きた時はよろしくお願いします。ノウハウをいっぱい持っているんでしょ」。「いやー、実はうちは原発やっていないんだよね」。原発を売り込んでいる本人が、本国で原発をやっていないなんて、セールスで負けちゃう訳です。だから絶対に日本で原発を再開しないと、日本の原発輸出はうまくいかない。他国に負ける。韓国は国家戦略として原発を輸出を打ち立てる。だけど、別に、そんなことに張り合う必要はない。死の商人で張り合うことはない、というのが私の考えです。
だから再稼働は原発輸出のために必要だというのが、彼らの本音。そこを押さえて、再稼働で事故が起きたら、一番被害を被るのは私たち。原発輸出、その裏づけとしての原発再稼働を最も強力に推進している官庁はどこか。経済産業省、経済産業至上主義者の集まり。それから彼らは原発原理主義者。誰が何を言おうと、絶対に日本には原発が必要だ、福島原発事故をすぐに忘れるように国民に仕向けている。核燃料サイクルで高速増殖炉で回せば、電気を作れば作るだけ原料が出来るというのが自己完結型永久エネルギー構想です。資源小国の日本は、これしか生きて行く道がないんだ、というのが彼らの生き方であり、原発が60年前に始まった時の考え方でもある。正にガラパゴス現象なんです。60年前の考え方が全く変わっていない。
僕は去年、関西電力の株主総会に行って論争を仕掛けたら、「日本は資源小国ですから、絶対もんじゅは止めてもらっては困ります。再処理も止めてもらっては困ります、だからお金を出し続けます」と今でもはっきり言うんです。その自己完結型永久エネルギー構想に凝り固まっているのが、経産省の原子力部門と資源エネルギー庁。その中核に原子力安全保安院があった訳ですけれど、これは今回取り潰された。その代り規制庁が出来た。規制庁は我々の味方なのか、あちらの味方なのかはよく分からないけれど、少なくとも、あちらべったりの味方ではなさそうだ、というところです。
そういう中で、経産省というのは一番悪質な官庁だと思います。原発事故が起きた後、いかに早く日本の原発を再稼働させるか、ということを、事故の3日後からずっと考えている。そこに異議申し立てをして、その再開の亡国の官庁の喉元に匕首を突きつけているのが脱原発テント村なんです。(拍手)
そういう意味で、この脱原発テントは非常に象徴的な意味があります。日本の脱原発を目指す人たちの心の拠り所なんです。いわば心の故郷。福島から来た人が言っていました。「ここは第二の故郷だ」。故郷にしてはちょっと汚いけど(笑)、もうちょっと掃除した方がいいんじゃないか(笑)、それは冗談ですけど、あれは象徴的な意味がある。だから原発推進勢力にとっては、あんなに目障りなものはない。だから、ついに訴訟を起こしてきた。
経産省は原子力村の本当の中枢、ここが日本の原子力推進、そして原子力村の指揮監督をしているんです。そして、それと癒着しているのが電力会社、そしてそれにコバンザメみたいにくっ付いてお金もうけをさせてもらっているのがゼネコン、原発メーカー、大手商社、マスメディア、機器メーカー、そしてそれにお金を貸して稼いでいるメガバンク、それらを全部足すと、子会社、下請け、関連会社を足すと、日本の経済の6割から7割くらいを占めるような、そういう巨大な勢力なんです。

(No259-4に続く)

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私たちは、毎日、それと闘っているんです。だから疲れるんです(笑)。
簡単には終わらない。だからみなさん、この闘いは絶対に粘り強く闘わなくてはいけない。
しかし、思い詰めてはいけない(笑)。思い詰めると切れます。
私も、今日、ここに来る時に、一つパーティーがあったのでちょっと一杯やってきたんです。それぐらいの余裕がなければいけない(笑)(拍手)。
いいですか、みなさん、この運動は絶対に止めちゃいけない。これは約束ね。だけど、それぞれが自分の人生を楽しみを一つ横に取っておいて、そして、それも楽しみながらこの脱原発運動を続けて行くこと、これが非常に大事な事です。だって、敵は強大な爬虫類みたいなものですから、少々傷つけたって、首をスパッと切るまでには時間がかかるんです。
だけど、止めなければいつか切れる。
原発事故というのはすべてを奪います。金持ちの生活も貧乏人の生活も、文化も教育も産業も、愛も全てを奪う。
私たちはそれを守るために闘っている。誇りを持ちましょう。(拍手)私たちは自信を持て胸を張って言える、俺はこれの為に闘っているんだ、後世の人たちにも言える。
飯館村に私は何回か行きました。あそこは本当にいい村だったんですね。飯館牛、それとトルコキキョウの名産地、お米も土地改良して非常にいいお米が出来るようになった。人口七千人くらいの小さな村ですが、若いお嫁さんを北欧の酪農業者のところに見学旅行に連れて行ったり、本当に村興しに成功していた村だったんです。
そこに事故後に行って、村役場の前に行ったらお地蔵さんがあるんです「お地蔵さんの頭を触ってください」と書いてあるんです。触った。そうしたら、飯館村の村民歌が流れます。それを聞いて、少年少女合唱団の二部合唱のすごく心を打つハーモニーが流れている。
それを最後に歌って終わりにします。

山 美わしく 水 清らかな  その名も飯館  わがふるさとよ
みどりの林に  小鳥は歌い  うらら春陽に  さわらび萌える
あゝわれら  今こそ手と手  固くつなぎて  村を興さん  村を興さん

土 よく肥えて  人 情ある  その名も飯館  わがふるさとよ
実りの稲田に  陽は照りはえて  続く阿武隈  山幸歌う
あゝわれら  夢大らかに  ともに励みて  村を富まさん  村を富まさん
(拍手)

私はこの歌を聞いた時に、「あゝ東電って何ていうことをしたんだろうか。これをどうやって償うんだろうか」と思いました。それで、私は東電は許さない、これを進めた経産省も許さない、絶対にきちんと責任を追及して原発を止めさせよう、そういう風に思いました。
原発を日本からなくすまでには、まだまだ時間もかかるかとは思いますが、最後まで闘いましょう。そして切れないで、継続して、ずっと闘いを継続して、最後に勝つように頑張りましょう。ありがとうございました。(拍手)』

●被告からの発言
正清『今年度75歳になります。35年位前まで練馬の区議会議員をやっていました。政党はどこかと聞かれると、社会党から、社会市民連合で、そういう意味では中道左派ということになるんですが、私は実は、今日お見えになった中嶌先生のところに15年位前にお邪魔しました。ずっと私どもは脱原発という立場を一貫してやってまいりましたので、そういう意味で、お前何をやってきたかと言われると、ちょっと不十分ですけれども、この問題で始めて、3月11日から徹底的にやるということでやっておりますが、他の運動もいろいろあるものですから、大変失礼しておりますが、みなさんと一緒にたくさん頑張っていきたいと思っております。』

渕上『渕上と申します。正直言って、私は一昨年の3月11日以来の脱原発派です。つまり、それまでは、脱原発とか反原発についてはあまり考えたところがなかったというのが正直なところです。しかし、皆さんと同じかどうか分からないけれども、あの大きな事故というのは、私にとっては人生を変えるくらいの衝撃を与えたものであった訳です。これから先、先ほど、どなたかから、冥土の土産という言葉があったけど、これから先のことを仰ったと思うんですけれども、頑張りたいと思うんですね。ただし、私一人で頑張るのは嫌です。(笑)いいんですけど、皆さんと共に頑張りたい。(拍手)先ほど原告団が300人を超えていると仰いましたけれども、実際のところそうなんです。あのテントが私と正清さんが2人で守っているのではないんです。他の方がたくさんいて、あのテントが存在している。みんな毎日毎日、経産省の役人と闘っているんです。たとえ、それが1時間の座り込みにすぎなかったとしてもそうなんです。そういうものとしてこのテントがあるということを、改めて本日確認した上、伴に闘って行くということを誓って私のご挨拶に代えたいと思います。』


(終)

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6月2日(日)、原発再稼働を既定のものとする「新規制(安全)基準」の策定及び原発再稼働に真正面から反対し、「原発ゼロ」へ転換を求める運動の力を結集し連帯するため、首都圏反原発連合、さようなら原発1000万人アクション、原発をなくす全国連絡会の3グループが連携した同日アクション「6.2NO NUKES DAY」が行われた。

4大学共闘(明大・日大・芝工大・専修大の全共闘派)はこの趣旨に賛同し、芝公園の集会とデモ、その後の国会包囲に参加することにした。
天気予報では梅雨空ということだったが、天気が回復し、集会が始まる頃には青空が広がった。4大学共闘の集合時間は午後1時。集会は12時半から始まっており、会場は人でいっぱい。昨年の6月にも芝公園で脱原発集会があったが、その時より多い。4大学の幟旗を探すが、なかなか見当たらない。会場の向こうに幟旗を見つけ、そちらへ向かうが、人を避けながら進まなければいけない。思ったより参加者が多い。
4大学は日大と芝工大の幟旗はあるが、明大はまだない。やや遅れてY・R氏が幟旗を持ってやってきた。旗の竿を忘れたので、経産省前テントで借りてきたとのこと。
4大学の参加者は少な目である。明大も少ない。5月31日から6月3日まで、集会などが続いているので、その影響かもしれない(5月31日「福島原発告訴団集会、6月2日「さようなら原発集会とデモ」、6月3日「脱原発テント裁判を考える講演会」)。また、明治公園で集会を行う原発をなくす全国連絡会は、新聞に集会の1面広告を出していたので、間違ってそちらに行ってしまった人もいるのだろうか?
明大のN氏が、4大学の後ろにいた三里塚の幟旗を、最近買ったタブレット端末で写真に撮ろうとしている。三里塚に思い入れがあるようだ。
黄色いヘルメットを被った、「旗旗」の草加さんがやってきた。9・30掲示板に集会の案内を書き込んだところ、草加さんから飛び入り参加の表明があった。草加さんに挨拶すると、三里塚の幟旗を持っていた女性が「中野です。」と声をかけてきた。チーム「旗旗」の中野さんだ。中野さんに会うのは初めてだが、イメージどおりの方である。4大学共闘の人数は少なめだが、チーム「旗旗」を加えて戦力アップ。
集会では、呼びかけ人の鎌田慧さんや大江健三郎さんから発言があり、脱原発のゆるキャラ、「 ゼロノミクマ」(原発ゼロノミクス)も登場。

私と芝工大のI氏は、公園の出口の向かいにある歩道橋の上で4大学共闘のデモ隊を待つことにした。写真の撮影ポイントである。
いつものように少し待たされて、4大学共闘のデモ隊が姿を現した。パチリパチリと写真を撮って、歩道橋を駆け下りる。そのまま歩道を走って次の歩道橋に駆け上がり、またパチリ。I氏はデモの隊列に入ったようだ。
そのままデモ隊と反対側の歩道を並行して歩いて(走って)行く。私は歩道橋の上から空撮、I氏はデモ隊目線での写真撮影となる。
デモ隊は新橋に近づいて行く。小走りに外堀通りの歩道橋に先回りして、その上でデモ隊を待つ。通りには警備の警察官が数人しかいない。
たぶん4大学共闘は仕掛けるな、と思っていたら、その通り。外堀通りに入ったところから横に広がり、プロジェクト猪、チーム「旗旗」とともに3車線デモに移った。規制がないので、そのまま進む。歩道橋の上から見ていると、4大学共闘は横に広がっているのだが、その後に続く隊列は2車線、その後は1車線を守っている。
途中、警察官が1人、「車線を守ってください」と呼びかけるが、無視して進んでいく。後ろから車が来るので、3車線から2車線に変更。
チーム「旗旗」のサウンドシステムから、We Shall Overcomeの曲が流れている。昔、新宿西口のフォーク集会でよく歌われた歌だ。デモ隊は東電前でシュプレヒコールをあげて、解散地点の日比谷公園へ。
日比谷公園ではY・R氏が中締めの挨拶。
「今日は4大学共闘の皆さん、ご苦労様でした。まだ第一ラウンドなので、余力のある人は、第二ラウンドで5時に経産省前テントに集合してください。帰る人もいますので、例によってインターナショナルを歌って中締めとしたいと思います。」
♪あーインターナショナル、我らがもの♪
(周りにいた人が「なんだこれは」)
「知っている人はみんな入っていいよ、気分いいよ。」
日比谷公園にインターナショナルの歌声が流れていく。

私は翌日の集会もあり、ここでリタイア。余力のある4大学共闘のメンバーは首都圏反原発連合主催の「反原発☆国会大包囲」に合流した。
主催者発表によると、この日午後、芝公園(港区)と明治公園(新宿区)の集会には計二万五千人、「反原発☆国会大包囲」には六万人が参加したとのことである。
4大学共闘を中心とした脱原発の行動は、まだまだ続く。

(終)






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