
(文書が長くブログの字数制限を越えるため、No325-1とNo325-2に分けて掲載します。)
連載を続けてきた明大全共闘クロニクルも大詰めに入る。(No310の続きです。)
1970年5月、翌月の6月闘争に向けて、明大全共闘内部でも党派間の内ゲバが公然化し、
明大全共闘は実質的に解体していく。
5月1日、ブントが2~30名で和泉を制圧。4月から続くブントとMLの内ゲバの続きである。
5月13日、ML派系の「新入生闘委」の結成大会が和泉で開かれた。
【「新入生闘委」が結成 13日和泉で1年生討論集会 明治大学新聞1970.5.4】
『5月13日正午すぎから和泉校舎306教室で「1年生クラス闘争委員会準備会連絡会議」主催による「1年生討論集会」が開催された。この討論会は50名を越える新入生が参集し“新闘委”と書かれたヘルメット数個が最前列に配置されていた。
安達文幸君(法一年)の討論会趣旨説明から始まり、全明全共闘議長関口成一君(商四)から明大闘争の経過報告が行われた。その後、討論に移った。
この討論会は「大学そのものが社会から鋭く問い返されている現在、自らの思想性と能動性によって真の社会をみつめ社会に働きかけねばならない。その初歩的、かつ根本的な討論を全学に起こし、自ら実践の中で階級形成してゆく」ものとして設定された。
何故、大学に入学したのか、大学とは何か、といった自らの存在に対する問いかけを行う中から、自らの闘争主体を確立しようという問題等が提起され、長時間に渡って熱心に討論が続けられた。そして、午後5時すぎ、「新入生闘争委員会」を14、5人で結成したが、この闘争委員会はアンチ・セクトではないことを確認した。』
5月15日、和泉・商学部自治会(中核派)では、15日の愛知外相の訪ジャカルタに抗議して、1日ストライキを実施した。
(写真は5月14日の商学部臨時学生大会。私も写っています。)
【和泉・商スト決議 愛知外相訪ジャカルタに抗議して 明治大学新聞1970.5.4】
『「アメリカ帝国主義のカンボジア侵攻阻止」「5・15愛知外相訪ジャカルタ阻止」などを叫ぶ和泉・商学部自治会(井花清委員長代行=商二)は、14日、午後2時30分から和泉・第二校舎一番教室にて、商学部臨時学生大会を開き、5・15商学部スト権確立に向けての討議を行った。その結果、4時過ぎに行われた投票で、出席代議員42名(委任状を含む)のうち、賛成26票、反対11票、棄権・白紙5票と「スト」賛成が過半数に達したため、5月15日の和泉地区商学部1日ストライキの実施が確定した。
予定より30分ほど遅れて始まったこの商学部臨時学生大会には、昨年6月17日以来の久々の学生大会とあって、各クラスからの代議員を含め約300名ほどの学生が会場につめかけた。
大会は、まず議長に岡本君(商二)を確認した後、全学連中央書記局(中核派)の松尾書記次長が挨拶に立ち、「日米帝国主義の打倒に向けて、今こそ決起を」と訴えた。その中で松尾氏は「委員長不在の学生大会は無効と、日共=民青がわれわれのカンボジア侵攻阻止行動に対して敵対を図っている。」と強く日共系を非難した。続いて、昨年の10・21以来現在もなお東京拘置所に拘留され続けている、互井賢二商学部自治会委員長の獄中からのメッセージが披露された。
この後、井花委員長代行が「米帝のカンボジア侵攻を是認する、日帝を突破するカギは商学部学生にある」として「5・15商学部スト」を提起し全体討論に入った。
討論では2年10組をはじめとする約10クラス代議員が、クラス決議をもとに決意表明を行った後、4時過ぎ議場を閉鎖し「スト権確立」に関する投票が行われた。委任状を含めた出席代議員42名のうち、「スト賛成」が過半数の21票を上回ったため、スト権が確立し、翌15日に商学部ストライキが決行されることになった。
大会はこの後、インターを斉唱し、4時半ごろ終了し、20名ほどが中庭をデモ行進した。
翌15日には、午前10時ごろ和泉校舎正門前に約50人が結集し、中庭で行われていた明大総決起集会に合流した。
また、午後1時すぎ、商学部自治会系の約50人は和泉校舎付近をデモ行進した。正門付近には50名を越える機動隊が配置されていた。商学部ストライキに対する一般学生の関心は薄く、授業妨害もあったが、さしたる混乱も生じなかった。
(No325-2に続く)