野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2014年03月

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(文書が長くブログの字数制限を越えるため、No333-1からNo333-3に分けて掲載します。)
東日本大震災と福島第一原発事故から3年。3月8日から3月15日まではNO NUKES WEEKである。
4大学共闘(日大・芝工大・専修大・明大の全共闘派)は、3月9日の原発ゼロ・大統一行動に引き続き、3月15日の「フクシマを忘れない!!さようなら原発3・15脱原発集会」とデモに参加した。

【集会パンフレットより】
「東日本大震災・福島原発事故から3年。いまだに14万人以上の方々が、困難な避難生活を強いられています。そして震災による直接死を上回る震災関連死を生み出しています。いっぽうで安倍政権は、原発再稼働、原発輸出に積極的に取組み、原発推進の旗を振り続けています。脱原発世論を無視する安倍政権を許してはなりません。フクシマによりそい、いま、ここから、ふたたび脱原発の声を、行動を、広げていきましょう!」

3月に入ってからも寒い日が続いていたが、当日は気温も上がり行楽日和(デモ日和)。会場の日比谷野外音楽堂の上は青空が広がり気持ちがいい。
会場はぎっしり満員。主催者発表で5,500名が参加とのことである。
集会はオープニングライブの後、木内みどりさんの司会で始まった。
最初に福島からの報告ということで、武藤類子さん(ハイロアクション福島)のスピーチがあり、続いて呼びかけ人である大江健三郎さんと澤地久枝さんからのスピーチがあった。次に秋山豊寛さん(元宇宙飛行士・有機農業者)が賛同アピールを行い、なすびさん(被ばく労働を考えるネットワーク)からの被曝労働の報告、そして松下照幸さん(原子力発電に反対する福井県民会議幹事)から原発再稼働の現地報告があった。最後に鎌田慧さんから閉会のあいさつがあり、集会は終了した。 
この集会スピーチの中から、秋山豊寛さんとなすびさんのスピーチを掲載する。

秋山豊寛さん(元宇宙飛行士・有機農業者)
『京都から来ました秋山でございます。
私はもともとといいますか、宇宙へ行ったのは会社の出張なんですけれども、福島で18年ほどシイタケ農家をやっておりました。原発、福島第一から32kmの地点で、原木シイタケ、クヌギとかナラ、それにシイタケ菌を植えてシイタケを栽培するという農家をやっておりましたが、もう福島ではハッキリ言ってシイタケは出来ません。
ナラなりクヌギなりの原木、あるいはその木には放射性物質が濃縮されて入っているんです。
それを元にしてシイタケをつくれば、必ずセシウムに汚染されたシイタケしかできないんです。
私の友人で果樹農家がいます。私は福島で農家をやっている間にいっぱい農家の友人が出来ました。彼は、汚染された地帯でもそれを離れて新しくやるには、私と同じように、彼も午年です。という事は72です。新しくやるのはとっても辛いことです。
私はたまたま京都の方で学校の先生をやるという仕事があったので、京都に移住しました。
彼はこの間電話をくれまして、「秋山さん、俺の身体また汚染されてるよ」
毎年彼はホールボディチェックといって体内のセシウム量をチェックするのをやっているんですけれども、「去年測った量よりも、今年の1月に測った方が、セシウム137のベクレル数が高くなっている」と。
今日の集会は「福島を忘れない」というタイトルが掲げられておりますが、福島では現在進行形なんです。あそこに若い人たちも暮らしています。毎日毎日、危険な中で暮らしているんです。
忘れないという事よりも、皆さんも今、それなりに汚染されているかもしれないんです。東京も関東もとっても危険な地域になりつつあるんです。その事を、皆さん、自分の中で確認して下さい
今やらなければいけない事、こういう問題を広げてはいけない事なんです。川内原発を再稼働させてはいけないんです!(拍手)
そして何よりも、そういう政策を推進する各自治体の首長、議員たち、そしてあの永田町にいる国会議員と“自称している”人たち。私あえて「自称している」と言います。
あの保守的な最高裁判所ですら、「違憲状態である」という判断の中で選ばれた人が、どうして国民を代表するんでしょうか!(拍手)
私たちはそうした人たちを一人一人、責任ある、責任なんか取れっこないんですよ。
福島の問題で誰が責任を取ったんですか!(拍手)
東京電力の社長だって、大量の退職金をもらってのうのうと暮らしているじゃないですか!(拍手)
そんな不正義が日本で許されるのは、私たちがひょっとしたら認めているからじゃないですか?
こういうのを認めない社会をつくろうじゃないですか。(拍手)

(No333-2に続く)

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(No333-1の続きです)

「私たちが責任をとる」大江さんが先ほどおっしゃった通り「未来に対して何ができるか」という事なんです。
私は今72です。先日70代の仲間が集まって古希の会というのを作りました。
「俺たちはもう先がないんだから、どういう生き方をするか。この事によって未来になにか貢献できるかもしれない」そんな思いを誓い会いました。
私たちが、責任をとれない連中、国会の中継なんかを見ていますと、「私が責任者だ」「責任をとります」腹でも切るっていうんでしょうか!?
やつらはそんなことしっこないんです。
「私がその立場にいる事が責任をとる」なんていう事をいろんな人が言っているでしょ。
そういう社会を変えましょう。私たちに未来を残せるっていう事はそういう事でしょ。
そのためには少なくとも原発の再稼働という原子力村教、私から見るとあれは一種の新興宗教ですね。自分たちが正しいと思いこんでいる人たち、その人たちに思い知らせること。
そして、できるだけ多くの人たちが声を上げて、そして彼等を恐怖させようではありませんか。(拍手)
与党の幹事長が「デモなど、ああやって大きな声を上げる人たちはテロだ」と言いました。
彼らがやっている事、日々政策の中でやっている事がテロ以外の何者ではないでしょうか。(拍手)そういう社会を変えましょう。それが私たちの未来への責任です。
今日集まった人々、私は日本の最良の部分だと思います。皆さんは小さな事、「デモしかない」そう思っているかもしれない。
だけど皆さんが信じ続ける事、思い続ける事が実は大きな力であり、今私たちに不当な事を強いている人々に対する怒り、そして悔しさ、そうしたものをまとめて大きな声にしていきましょう。呟きを声にしましょう。声を行動にしましょう!
それがこの集会ではないでしょうか。(拍手)
私たちは京都でも、あるいはこの間は鯖江で、あるいは松山で、あるいは福岡で、いろんな小さい声を集めて一つの行動に押し上げてきたと思います。
この今日の天気。これは神の恵みです。天は我に味方しているんです。
寒い中こんな暖かい日を私たちにくれた事はとても、別に私は宗教者ではございませんが、やっぱり何か大きな力が私たちに味方しているとしか思えません。
今日の集会を元に、川内原発、あるいは伊方原発、「原子炉の形が違うから安全だ」なんていうのは信じられません。全てあの地域、潜在的な福島なんです。
なにが「世界で一番安全な基準」ですか!住民の避難計画さえ立てられない様な基準がどうして世界一なんでしょうか!?私たちはそういう言葉に惑わされない。
惑わされては負けだ。くじけては負けだ。
そういう気持ちを持って今日は集まっておられると思います。
今後も頑張っていきましょう。(拍手)』

なすびさん(被ばく労働を考えるネットワーク)
『みなさんこんにちは。
被ばく労働を考えるネットワークのなすびと申します。同じ名前で昔、懸賞生活というのをやられていたタレントさんがいるのですが、全然別人です。
私たち被ばく労働を考えるネットワークは福島原発事故のあと、収束作業の労働者や除染作業の労働者の労働相談を受け、労働争議に取り組んできました。
重層下請構造のもとで、これらの労働者は賃金や危険手当をピンハネされて、そして、突然の一方的な解雇や使い捨て、ひどい労働環境の中で仕事をしてきました。
今取り組んでいる労働争議の一例をちょっとだけお話しますと、汚染水にまつわる仕事に就いている労働者がいます。
彼は1日8時間の労働以外に朝残業2時間、そして晩に残業2時間、1日12時間以上の作業を毎日強制されていました。
放射線作業というのは危険労働ですから、1日2時間以上の時間外勤務というのは労働安全衛生法上の違反行為です。それを日々、毎日強制されていました。
そして彼の話によると、政府のロードマップ、それから政治的なスケジュール、そして、東電からの強い意向によって、毎週毎週ノルマがきつくなったというふうに言っています。
彼は「本当にもう体がしんどくて動けない」「もう毎日こんな仕事なんかできない」というふうに訴えて、「仕事ができない」という行為を具体的に示したところ、その下請けの社長から、即日の解雇、そして宿舎からの即日の退去を要求されました。
これもですね、解雇は1カ月以上前の解雇予告通知が必要ですので、違法行為です。
そのような様々な労働相談と労働争議を今私たちは取り組んでいます。

(No333-3に続く)

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(No333-2の続きです)

そしてこの2月3月は、被ばく労働者統一春闘というふうに位置づけまして、多くの労働者からの要求を練り上げてひとつの統一要求を作りました。
昨日、東京電力とそして除染作業の元請けの一つである前田建設工業に対して、その統一要求書を提出して、回答を要求するという行動を行いました。
社前で抗議行動を行いました。
午後からは関係する厚生労働省、経済産業省、環境省に対して同様の要求書を突き付け交渉を行いました。
ただ、この収束作業や除染作業というのはそういう劣悪な労働環境であるという事だけが問題なのではありません。それらは被ばくを前提とした労働であるという事が最大の問題です。
今、収束作業の労働者は多くの人が累積被ばく20ミリシーベルトで解雇されています。
もちろんそのまま即解雇という事自体も問題なんですが、20ミリシーベルトという数値がどういう数値か?
これは同じ割合で被ばくをしていけば、「毎年0.1%ずつ癌になって死亡する人が増える」そういう割合です。「なんだ、0.1%か」というふうに思われる方もいるかもしれません。
しかし今、収束作業に入っている労働者は、1日3000人います。その0.1%と言えば3人。
その3人は他の仕事をしていれば死ななかった仕事なのに、収束作業に入った事によって「死ぬ」という事が予定されている3人なんです。
被ばく労働というのは、そういうある割合で誰かが死ぬことを前提とした労働なんです。
これを非人間的な労働と言わずしてなんと言いましょうか!(拍手)
その一方で被ばく労働を止めようというのは実は簡単な事です。
でも、今、そういうふうに言ったら、あの福島第一原発の労働者はみんな引き上げてくるしかありません。そのようになったらどうなるか?
おそらく核燃料は再び臨界を起こして、それこそ手を付けられない壊滅的な状況になるだろうというふうに想像が付きます。
私たちはすでにそういう、ある割合の人たちを犠牲にしてしまう様な社会を選びとってきてしまったわけです。私たち一人一人にそのような責任があります。
私は今、ですから、ここで是非皆さんにお願いしたいことは、「収束作業を急げ」とか、
「廃炉作業を加速化しろ」とか「漏れた汚染水をすぐに回収しろ」とか、そういう言い方をしないでいただきたい、というふうにぼくは思っています。
「急いで処理をしろ」ではなくて、労働者の安全を第一として、「慎重に回収しろ、作業しろ」そのように要求していただきたいというふうに僕は思っています。(拍手)
今、収束作業と除染作業の労働者が、その7割が地元福島の労働者です。この原発事故によって、故郷を奪われ、財産を奪われ、家族を失った福島の人たちに、今もなおこういう仕事を押し付けている。これが私たちの、この社会の現実です。
このような、非人間的な行動をなくすには、もちろん「脱原発」それしかありません。
しかし脱原発というのは単にエネルギー政策を転換させる、再稼働を許さない、全ての原発を即時廃炉させる、それだけで終わるものではありません。廃炉させるには廃炉作業があります。その後に廃棄物の管理作業があります。
私たちはもう、気の遠くなるような長い時間、この被ばく労働の問題と向き合っていかなければならないんです。
ですから、「脱原発」というのは、ただ単に政策の選択の問題ではありません。誰かを踏みつけにしていく様な社会、あるいは誰かを犠牲にしていく様な社会、その上で経済や産業が発展していく様な社会を、私たちは拒否する!(拍手)そのためのリスクと努力、それこそが脱原発の運動ではないでしょうか。(拍手)
都市が地方社会を犠牲にするのではなく、格差や差別を許さない、誰もが共に一緒に生きていく社会を具体的にこれから模索する。そういう取り組みを一緒にしながら、この脱原発運動を共に進めていきたいというふうに思っています。
共にがんばりましょう!(拍手)』

集会終了後、デモが出発。
デモコースは日比谷公園~東京電力前~銀座~数寄屋橋~鍛冶橋駐車場前(流れ解散)である。
記録班として、いつものように日比谷公会堂の交差点でデモを待つ。時間よりやや遅れてデモ隊が姿を見せた。4大学共闘は最初の隊列に入っている。今回のデモコースには歩道橋がないので、空撮(上から写真を撮ること)はできない。歩道の反対側を歩きながら、デモ隊の隊列の写真を撮る。
デモは比較的スムーズに進み、短時間で解散地点に到着した。今回は歩道上での流れ解散ということで、インターナショナルを歌うこともなく、東京駅方面に向かい、そのまま解散した。


※ スピーチは<みんな楽しくHappyがいい>さんのブログを参考にさせていただきました。

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(文書が長くブログの字数制限を越えるため、No332-1からNo332-3に分けて掲載します。)
東日本大震災と福島第一原発事故から3年になる。3月9日、東京・日比谷野外音楽堂で首都圏反原発連合・さようなら原発1000万人アクショ ン・原発をなくす全国連絡会の主催による集会が開かれた。
4大学共闘(日大・芝工大・専修大・明大の全共闘派)は、今年最初の共同行動として、この集会に参加した。

【3・9大統一行動呼びかけ】
「2011年3月11日、東日本大震災、福島第一原子力発電所の過酷事故からまもなく3年。
放射能汚染水漏れなど、事故収束の目処も立たず、いまだに14万人もの人々が満足な補償も受けられないままの避難生活を余儀なくされています。
しかし、自民党安倍政権は何の反省もなく、エネルギー基本計画から原発ゼロ目標を放棄し、再稼働、輸出、核燃料サイクル等を強行しようとしています。
全国的に巻き起こった反対運動によって、現在稼働している原発はゼロとなっています。これこそ国民の希望の反映です。原子力発電という既に“終わった技術”を維持・推進するのは電力需給の問題ではなく、政官財などの一部の都合でしかありません。
一進一退のせめぎ合いの中、我々市民が忘れず諦めず声をあげ続ける事によって、政府に再稼働を断念させ、原発のない未来を1日でも早く実現するために、2014年3月9日に『0309 NO NUKES DAY 原発ゼロ☆大統一行動 ~福島を忘れるな!再稼働を許すな!~』を開催します。
また、3月9日を前後した全国のとりくみをつなぐ『NO NUKES WEEK』共同行動をよびかけます。福島第一原発事故と被害者を風化、忘却させないように、3月9日は全国からかつてない規模の行動を起こし、大集結して原発を終わらせましょう!」

当日は少し早く行こうと思い、30分ほど前に日比谷公園に着いた。公園内ではイベントが行われていた。時間があるのでそのイベントを見学した後、日比谷野音に入ろうとすると、会場内はいっぱいで、入場制限をするというアナウンスが流れている。
慌てて野音に入ると、会場の入り口付近に日大と芝工大のノボリが見える。明大と専修大ノノボリは見えない。「ヤアヤア」という感じで近寄ると、日大のJUNさんが「集会の後の行動はどうするんだ」と聞いてくる。そういえば、私も集合時間しか聞いていない。
芝工大のブログに「4大学は東電前抗議集会に参加」と書いてあったのを思い出してJNNさんに伝える。芝工大のI氏に聞くと首をかしげている。みんな知らない。
今回は行動方針がうまく伝わっていなかったようだ。
遅れて明大のノボリも到着した。

日比谷野音は満員。入口を閉めたので、入りきれない参加者は野音の外で会場の発言を聴いている。この日の集会と国会前抗議集会の参加者は、主催者発表で3万2千人。実数に近い数字だと思う。
集会の.主催挨拶は、首都圏反原発連合のミサオ・レッドウルフさん。
以下、挨拶の要約。

『福島第一原発事故から3年、世間一般的には報道も減り、福島の状況は何一つ変わっていないどころか、むしろ後退しているのではないか。事故も収束してない。直接的被害に遭われた方々の救済が進んでいない。
そんな中で安倍政権は原発の再稼働、そしてエネルギー基本計画を更に原発寄りにしていくことを目論んでいる。
私たちはそれに対しての断固たる反対の意志と、早急に原発を廃止して、エネルギー政策の転換を一日でも早くすることを政府、社会に向けて発信しているが、3年目ということで、更に大きな声を皆さんと一緒に挙げて、原発ゼロを早く実現する、そして多くの人々に福島の事故のことを鮮明に思い出してもらう、そして我が身のこととして原発のことを考えていく、そううことを訴えていけたらと思う。
3年目を機会に、新たな第一歩として今日の大抗議行動を成功させたい。』

続いて/福島からのスピーチが続く。
福島からは名木昭さん(福島県内の全原発の廃炉を求める会・呼びかけ人)、鈴木薫さん(NPO法人 いわき放射能市民測定室たらちね・事務局長)、早川篤雄さん(福島県楢葉町宝鏡寺住職/福島原発 避難 者訴訟原告団・団長)の3名がスピーチを行った。
その中から鈴木薫さんのスピーチを掲載する。

鈴木『2011年3月11日の原発事故から2ケ月後に私たちは「放射能市民測定室たらちね」の開所準備に入りました。それから3年、「たらちね」の歩みをたどっていくと、私たちがどんな世界に生きているのか、そんなことが見えてきます。3年は節目ではありません。何故ならば事故は今も現在進行形だからです。汚染水の漏えいや施設内ケーブルの切断による冷却装置のストップ事故、東電は簡易なミスとして発表していますが、私たちはその内容に驚愕しています。本当に恐ろしいことです。

(No332-2に続く)

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(No332-1の続きです)

そうやって2011年3月11日から一連の事故が起き、それは今も続いています。「たらちね」の事業は放射能の測定を始め、子どもたちの甲状腺検診、沖縄の子ども保養プロジェクト、専門家による講演会や勉強会などを行っています。それぞれの事業を通じて様々な人々と出会い、様々な立場や暮らしを垣間見、そしてその皆さんと同じく被曝し、被災している自分たちのことを考えます。
そんな中、「何故避難しないのか」と時々質問されますが、私自身には大きく2つの理由があります。私の住むいわき市の線量が一部の高線量地域を除き、今現在、年間1ミリシーベルトの許容をギリギリクリアする状況にあること、また、私自身の子どもはすでに親許を離れていて福島には居住していないことが外向きの理由です。
しかし、心の部分では大きな理由が別にあり、その理由から避難せず今に至っております。それはこの事故が天災ではなく人災であるということです。天災で土地を追われるならば、それは致し方ないことです。圧倒的な自然の力の前で人間は無力だからです。津波や地震、火山の爆発、いろいろなことがありますが、人間はそれらの天災を回避しながら居住する場所を選んで存在してきました。人々は自然の中の一部として生きられる場所を探して暮らしてきました。天災による被害にも大きな悲しみが伴い、心身が痛み、苦しみが癒えるには時間がかかります。でも、それでも人は立ち上がり、希望の光を少しずつ輝かせていきながら、明日に向かって進んでいくようになります。私たちの祖先がそうしてきたように、私たちもそうすると思います。
けれども原発の事故は人災です。人の手が及ばない次元のものではありません。私たちと同じ人間の力により行われる、非人道的な行為です。事故を起こすことが目的ではないけれども、結果として非人道的な行為となります。止めようのない力ではなく、止められる力です。同じ人間の行う行為により、私たちが土地を追われることは、道理に合わない理不尽さとともに、大きな悲しみと無念さが心の底に横たわります。どこに引っ越しをしても、どんな新しいコミニティーを築いても、この悲しみと無念さから解放されることはありません。何故ならば、この事故により私たちが失ったものは、取り返しのつかないほど大きなものだからです。
それは子どもたちの心と体の健康のこと、そして未来の事です。「たらちね」で甲状腺の検診を行う中で、子どもたちの事故当時の初期の急性被曝症の話を多く聞きます。一番多い内容は集落の子どもたちの鼻血が止まらなかったことです。これは専門の医師によると、急性的な強い被曝により、体内の粘膜が広範に炎症を起こしたことが原因だそうです。炎症を起こした粘膜から出血をし、鼻血となって血液が体外に排出するということです。避難時の混乱で確認されてはいませんが、鼻血があるならば血便などの下血も予想されます。
鼻血のことだけを考えても、この事故が子どもたちの未来に大きな影を落としていることは、はっきりと見えていることです。
本当に取り返しのつかない大きなものを失ったことに気付かされました。「たらちね」に関わって3年の間、私たちの活動の精神的な支えの根底が、私たちが大人として、一人一人の責任に気付くために払ってしまった、取り返しのつかない大きな代償を決して無駄にすることはできない、その代償をなかったことになど出来ないという思いです。原発の事故により、子どもたちに降ろすことのできない重い荷物を背負わせてしまいました。本当に申し訳ないという気持ちです。
また、健康の問題だけでなく、原発の事故状況が今後どのように悪化していくか見当もつかない中、その収束の行方を担っていくのは、この事故に関係のない子どもたちです。
30年後、40年後、50年度、この事故の責任を問われる大人は世代の交代とともに消えていきます。私たち大人は、子どもたちの小さな肩に暴走する原発の収束を、嫌がおうにも背負わせない訳にはいかず、その罪はとても大きなものです。
これは福島だけの問題ではありません。世の中の責任を担う世代の大人一人ひとりが、等しく抱える責任です。さらに、この事故を積極的に指導する結果になった人々には、もっと大きな責任があります。事故につながるズサンな運営管理とともに、命に係わる重要な情報の隠ぺいです。
「たらちね」は、子どもの肩に乗せてしまった大きな苦しみの荷物を、少しでも軽くすることを目標に活動しています。私たちにどこまでできるのか分かりませんが、できるところまではやろうというのが私たちの考えです。汚染から逃れて新しい暮らしを築いても、心が解放されることはありません。

(No332-3に続く)

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