野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2015年09月

このブログ野次馬雑記も今回で400回目となった。よく続いたものだと改めて思う。毎週ブログ更新をしているが、ちょっとキツイ感じもあるので、これからは時々休みながらやっていきたい。
さて、先日、知人から電話があった。経産省前テント広場で「坊さんの会」をやるので来ないかと言う。坊さんの会?ネットで調べてみると「呪殺祈祷僧団再結成祈祷会」というものがあるらしい。
ということで、8月27日(木)午後3時から経産省前テント広場で行われた祈祷会に行ってきた。

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(祈祷会チラシ)
祈祷会のチラシを見るとJKS47という文字が見える。
チラシによると
呪殺祈祷僻目四十七士〈J KS47〉とは
【再結成】
1970年、日本列島を公害列島と化し、多くの人々に障害と死をもたらした水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市大気汚染等々の重大な公害問題に立ち向かった仏教者を中心とする「公害企業主呪殺祈祷僧団」という集団があった。このすでに伝説化した「公害企業主呪殺祈祷僧団」をこのたび再結成する運びとなった。再結成にあたって「公害企業主呪殺祈祷僧団」を「呪殺祈祷僧団(JUSATU KITOU SOUDAN)」と改め、僧団員の数を忠臣蔵にちなみ四十七人とした。したがって、正式名称を「呪殺祈祷僧団四十七士」、略称を「JKS47」とする。
【理念】
「呪殺」とは、神仏のはからい、霊験によるものである。
「呪殺祈祷僧団四十七士〈JKS47〉」は、神仏による音霊・言霊に感応し、伝達することを使命とし、死者との「共存・共生・共闘」を理念とする。それは、神殺し、仏殺しであった神仏分離・廃仏毀釈にはじまる日本の近代の始めから現在に至るまでの夥しい負の遺産を継承し、敗者の視点に立ち、ひたすら死者の裁きを懇請し祈念することである。
「死者が裁く」とは、近代化の悪潮流としての生者エゴイズムを糾弾し、死者との共存・共生・共闘を唱えた上原専禄の『死者・生者』にある言葉である。
【活動】
戦争法案廃案!安倍政権退陣!原発再稼働阻止!売国奴に死者の裁きを!
これが当面の緊急課題だが、安保関連法案の根本に存在する安保条約、日米地位協定を見直し廃棄することが最大の眼目である。』
とのことである。

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経産省前テント広場には、すでに数十人の人たちが集まっていた。顔見知りもいたが、その中にサックスをを抱えた人が居る。ちょっと場違いな感じと思ってよく見ると、末井昭さんだった。1970年代、白夜書房という出版社があって「写真時代」という雑誌を出版していたが、その編集者である。最近はサックスをやっているらしい。赤瀬川源平さんの本を読むと、末井さんは「スエイさん」という名前で出てくる。

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(末井さん)
呪殺祈祷教団の法要が始まった。

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【勧請(かんじょう)】(大導師独唱)
これより呪殺祈祷僧団再結成JKS47によります呪殺祈祷を勤修いたします。呪殺という言葉は、神仏の言霊を祈誓し、現代の悪潮流を生み出す自他共の煩悩を滅殺するための祈りでございます。
お手元に式次第をお持ちの方、どうぞご一緒に「観世音菩薩普門品 第二十五」をお唱えいただき、また、南無妙法蓮華経をお唱えする段がございますので、ご唱和いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
それでは、これより呪殺祈祷僧団四十七士呪殺祈祷法要を勤修いたします。

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(式次第)

合掌 南無妙法蓮華経・・・・

【読経 「観世音菩薩普門品 第二十五」】
(中略)

【表白文】(表白導師独唱) 福島泰樹氏

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(スピーカーの具合が悪く、聞き取れない部分あり)
(前略)そもそも我ら呪殺祈祷僧団とは、1970年9月7日、丸山照雄、梅原正紀、松下隆洪ら僧俗8名によって結成されし公害企業主呪殺祈祷集団の命題を引き継ぐものなり。呪殺とは国家企業によって殺されし死者の裁きを代行し、死者の声を祈祷により代弁するものなり。
1969年4月末、妻を失った歴史学者上原専禄は、妻への回向を通し、妻の常在を実感するに至った。死者との共闘の端緒である。そして、死者とともに生きるという実感は、日本の社会生活の実際の苛酷な現実を引き出し、さらに死者を拒絶する生者だけの世界を否定し、妻の死以前は観念的問題でしかなかったはずの虐殺の犠牲者たちが生き生きと立ち現われてくるに至るのである。
アウシュビッツで、アルジェリアで、ソンミで虐殺された人たち。その前に日本人が東京で虐殺した朝鮮人、南京で虐殺した中国人。また、アメリカ人が東京大空襲で、広島長崎の原爆で虐殺した日本人。それらはことごとく審判者の席についているではないか。そのような死者たちとの、幾層にも入り組んだ構造による共闘なしには、執拗で頑強なこの世の政治悪、社会悪の超克はたぶん不可能であるだろう。
この一文「死者が裁く」が朝日新聞に書かれたのは、告別式を終了してから11ケ月後の1970年3月になってからであった。そして、こう宣揚し死者に対する真実の回向を説く。それは生者である私たちが死者のメディアになって、この世界で審判の術を上げて行くことにしかない。
歴史学者の夫人への切々たる回向はアウシュビッツ、アルジェリア、ソンミ村、関東大震災、南京事件、東京大空襲、広島・長崎における虐殺者を被告人席に立たせ、虐殺させた数百万の審判者たちと共闘によって、頑強な政治社会悪と対峙してゆく姿勢を明確にしていくのである。
かくして、愛する者の不慮の死から発した死者との共闘は世界的規模を持って死者を内包しつつ、過去、現在、未来の存在の時空を駆け巡るのである。
1906年9月、能登高浜の貧しい漁村に生まれ苦学、関東大震災、治安維持法を生きて生涯を闘い抜いた歌人坪野哲久はこう言った。
残忍で強欲で流血を好むこと猟獣よりも甚だしい。我々の世界はこのような人間どもの集団であり、社会であり、歴史でもあるのだ。さらに支配する者と支配される者、強大国と弱小国、人間による人間の収奪と搾取と大量殺りく、そしてぬけぬけと猛々しく政治とか平和とかの美名を掲げている。老パルチザン坪野哲久は1988年11月、昭和尽、自らの死を前にしてこう歌った。
民衆を苦しめる奴とめどなく極悪な利権の・・・
民衆を苦しめる奴とめどなく極悪な利権の・・・
民衆を苦しめる奴とめどなく極悪な利権の・・・

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1960年6月15日、国会構内で虐殺された東大生樺美智子の声が聞こえる。
でも私はいつまでも笑わないだろう。いつまでも笑えないだろう。それでいいのだ。ただ許されるものなら、最後に人知れず微笑みたいものだ。
言葉には魂が宿っている。22歳の樺美智子は死んではいない。新生日本を見つめ、この悪しき地上に拠って闘うことを今も止めない。我々呪殺祈祷僧団に集う僧俗は高らかに死者と連帯し死者と共闘する。

写真家の声に耳を傾けよう。
この国はすでに三権分立さえも危うくなったように思う。戦後50年間、自民党政権は改正手続きも民意もとらないまま憲法を拡大解釈し、自衛隊を保有し、自衛隊の海外派兵までも合憲とさせた。侵略戦争の果てに国際連盟と闘い、320万の国民が殺され、全国の都市がほとんど焦土になり、100万人の子どもが親と家を失って戦争孤児となり、全ての国民が飢餓に晒された悲惨な戦争を性懲りもなく繰り返すつもりか。
写真家福島菊次郎、1921年3月山口に生まれ。国家が見せた戦災孤児や被爆者の悲しみを撮り続け、上京後には三里塚闘争、ベトナム反戦、全共闘、自衛隊と兵器産業、公害、福祉、環境問題など、執拗に歴史と国家の悪を撮り続けた。
太平洋戦争における非戦闘員の死者は約140万人で、消失家屋は228万戸と言われるが、そのほとんどが敗戦の昭和20年にサイパンを発進した焼夷弾攻撃によるもので、1000万人近くが住居を奪われ、戦後の荒廃の中で投げこまれた。あるべきことか、日本国は東京大空襲、全国都市への空襲、広島・長崎への原爆投下の大量虐殺を命令実行した米空軍大将に、勲一等旭日大綬章を授与した。東京オリンピックが開催された1964年、受賞を決定したのは、時の内閣総理大臣佐藤栄作。A級戦犯で60年安保を強行採決した岸信介首相の弟である。その岸信介は安倍首相の祖父であり、佐藤栄作は安倍晋三の大叔父にあたる。93歳を迎えて写真家福島菊次郎は言った。
人の生命には限界がありますが、悪しき権力者は孫の代に続いて更に次の代まで続こうとしています。人の生命には限界がありますが、悪しき権力者は孫の代に続いて更に次の代まで続こうとしています。けだし、至言である。悪しき権力者の悪しき遺伝子、悪しき野望を今すぐに打ち砕かなければならない。悪しき権力者の悪しき遺伝子、悪しき野望を今すぐに打ち砕かなければならない。

戦後70年の8月、福島の原発事故は顧みられることなく、川内原発は稼働を開始した。沖縄県民の平和への願いは無視され、辺野古に基地が作られようとし、戦争法案が平和安全法案という名に偽装され、今まさに参議院で強行採決されようとしている。
億万の死者たちは、日本人を戦争に巻き込み、国土を死の灰で汚染する者たちを許しはしないであろう。

海中(わたなか)を漂流し行く魂の悲しみ深く泣きわたるべし

呪殺とは呪い殺すの意ではない。呪殺とは呪い殺すの意ではない。虐殺された死者たちからの切羽詰った伝言であり、叫び声であり、怨嗟を込めた最後の言葉に他ならない。
呪殺とは呪い殺すの意ではない。虐殺された死者たちからの切羽詰った言葉であり、叫び声であり、怨嗟を込めた最後の言葉に他ならない。
彼らの痛苦を代弁する言葉、それが呪殺である。彼らの痛苦を代弁する言葉、それが呪殺である。
呪殺祈祷僧団に結集した我ら僧俗は、本日ただいま、憲法順守を願う人びとが集うここ経産省前テント広場において、死者と、死者の痛苦を代弁し、正にここに呪殺祈祷僧団を結成する。
呪殺祈祷僧団に結集した全ての僧俗は、本日ただいま、憲法順守を願う人びとが集うここ経産省前テント広場において、死者の願い、死者の痛苦を代弁し、再びここに呪殺祈祷僧団を結成する。
(中略)

【呪殺祈祷】
読経と法具のリズミカルな音に合わせて、末井さんが即興でサックスを吹く。

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【お題目三唱】
太鼓を叩きながら南無妙法蓮華経をお唱えする

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法要もいよいよ最後。

それでは、ただいま再結成いたしました呪殺祈祷僧団JKS47を代表してご挨拶をいたします。

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【呪殺祈祷僧団代表挨拶】
本日はこのように多数の方に、この反原発テント、経産省前のテントにお集まりをいただきまして、また、私たちの呪殺祈僧団再結成式にお立会いをいただき、祈祷法要をお見届けいただきまして、大変ありがとうございました。
本日は、さきほど祈祷祈願回向の中で申し上げましたが、日蓮大聖人の第756回目の松葉ケ谷ご法難の命日でございます。日蓮大聖人は、この松葉ケ谷の法難を振り出しに、伊豆・伊東、小松原、佐渡と数々の法難に会われました。まさに日蓮大聖人が最初のご法難に会われましたご聖日、古来よりの伝承ではございますが、8月27日という日は、この松葉ケ谷ご法難のご聖日でございます。その時、大聖人は御年39歳でございました。
正嘉の大地震によりまして、日蓮大聖人も鎌倉の正嘉の大地震の被災者でございます。つぶさに大地震をご覧になられ、お心を痛められ、そしてしたためられましたのが立正安国論でございます。この立正安国論を提出されましてから約40日以上は経ってございますが、松葉ケ谷に念仏者を中心とする人たちによりましてご草案が焼き打ちされるということが起こった訳でございます。松葉ケ谷のご草案は、以後、大聖人は約20年間布教の拠点といたしまして、もちろん8月27日にご草案が消滅したということではございませんが、そのようなご法難の記念すべきご聖日でございます。
その日に、私たちがこのようにして呪殺祈祷僧団を再結成できましたことは仏典の御加護によるものと思います。
さきほど、表白文の中でも申しましたが、呪殺とは単に人を殺す殺人ではございません。私たちは神仏の裁き、死者の裁きを懇請し祈念するということを菩薩行としてお勤めして参りたいと存じます。
どうも、これからも私たちがこのような形で法要を営むことがあると思いますが、その節はどうぞ皆様もご参集いただき、ご一緒に私たちと共にご祈念を賜りたいと存じます。
本日はどうもありがとうございました。

法要終了後は記念撮影。パチリ。

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法要は約45分間、特に、ここにも掲載した歌人福島泰樹氏の「表白文」は聞いていてとてもよかった。この部分は是非、肉声を「音」として聞いてもらいたいと思う。
また、「呪殺祈祷」の読経と法具と末井さんお即興のサックスもなかなかいい。
この「呪殺祈祷僧団祈祷会」は以下のアドレスでユーチューブで見ることができる。

【お知らせ】
10・8山﨑博昭プロジェクトの第3回講演会のお知らせです。

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●日時 10月10日(土)19:00開場、19:30開演 21:30終了予定
●会場 新宿文化センター小ホール
アクセス
・都営大江戸線・東京メトロ副都心線/「東新宿駅」A3出口より徒歩5分
・東京メトロ丸ノ内線・副都心線/「新宿三丁目駅」E1出口より徒歩6分
・都営新宿線/「/新宿三丁目駅」C7出口より徒歩10分
・JR・小田急線・京王線・西部新宿線/「新宿駅」より徒歩15分
●参加費 2,000円

●講演(第一部)
「家族という病・国という病」 下重暁子(作家)
●詩と音楽の夕べ(第二部)
出演・小室等(歌手・作曲家)
こむろゆい(歌手)
道浦母都子(歌人)
佐々木幹郎(詩人)

【献花と黙祷】
講演会に先立ち、羽田・弁天橋で山﨑博昭を追悼し献花と黙祷を行います。希望者はご自由にご参加ください。
*現地集合:京浜急行「天空橋」駅前 10月10日(土)14:00

主催:10・8山﨑博昭プロジェクト
公式ホームページ http://yamazakiproject.com/

参加を希望される方は以下のメールあてに申込み下さい。
E-mail monument108@gmail.com

5月28日、「ベ平連」の元事務局長、吉川勇一氏が逝去された。No390で吉川氏を追悼して、「週刊アンポ」第1号に掲載された「市民運動入門」第1回という吉川氏の記事を掲載したが、この記事は連載記事なので、吉川氏の追悼特集シリーズとして、定期的に掲載することにした。
今回は「週刊アンポ」第3号に掲載された「市民運動入門」第3回を掲載する。

この「週刊アンポ」は、「ベ平連」の小田実氏が編集人となって、1969年11月に発行された。1969年11月17日に第1号発行(1969年6月15日発行の0号というのがあった)。以降、1970年6月上旬の第15号まで発行されている。

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【市民運動入門第3回 吉川勇一 週刊アンポNo2 1969.12.15】
「ニュース・通信を発行しよう
沢山の市民運動グループが機関紙を出している。タイプ・オフもあればガリ版刷りのものもある。発行部数も数千のものから数十部のものまでさまざまである。ずい分前から続いているものは、みな立派な内容で、「ベ平連通信ふくおか」や「ベトナム通信」(京都)、「ちょうちんデモ・ニュース」(武蔵野・三鷹)などは毎号教えられるところが多い。比較的歴史の新しいものでも、「大泉市民のつどい」が発行している数々のパンフレットやビラなど、実に素晴らしい。グループで発行しているものではなく、個人で出しているものもある。姫路の向井隆さんが発行している「イオム通信」は、同じく「自由連合」とともに毎号必読のものだろう。
 多くは月刊か不定期刊だが、最近になって驚いたことに日刊紙が出だした。福岡ベ平連による「日刊アンポ」や名古屋ベ平連による「夕刊アンポ」で、ガリ版やタイプオフ刷りで毎日発行されている。その日の政治的事件の解説や行動へのよびかけなどがのって、キャンパスや街頭などで配布しているのだという。
 「週刊アンポ」や「ベ平連ニュース」など、全国に読者をもっている定期刊行物があっても、それだけでことはどうしても足らない。それぞれの地域や職場に即した内容をもつこうしたニュースや通信は是非とも発行したい。体制側の宣伝活動は、物量にものをいわせ、さまざまな手を使ってゆがんだ事実を報道し、われわれの考え方を一定の方向へ押し流そうと懸命である。この秋の気違いじみた警備・弾圧態勢は警察とマスコミの一体となった共同作戦によって強引につくりあげられた。彼らのやり方は、かなりきめが細かくなったとはいえ、しかし、一定に地域の中で、人びとが共通に体験した事実に基づき、直接的に語りかけることのできる刊行物の方は、それを逆に下からくつがえすこともできるだろう。
 運動に加わっている人びと、これから加わろうと思っている人びとが、嘘いつわりのない自分たちの気持ちをそのままぶつけて書いた文章は、何百万、何千万と刷られてても管理と操作の道具である人間性を無視したマスコミの報道をうち破ることができるだろう。
 最近の例では、佐渡の自衛隊基地内で発行されていたガリ版刷りの新聞「アンチ安保」が全国にまきおこした波紋を挙げることができる。たった数十枚か数百枚発行のビラのような新聞だが、それが自衛隊の本質を突き、仲間の自衛官に心からの訴えかけをしているものであるために、防衛庁はあんなに慌てふためいたのである。
 まずは簡単なものでいいから自分たちの機関紙をつくろうではないか。いや、機関紙という言葉は適当ではない。機関紙というと、労組や政党が発行する活版の新聞みたいなものが連想されるし、それになんとなく閉鎖的で、仲間うちだけが読んでいればいいような感じがする。
 われわれの場合は、続けて出されるビラのようなものだっていい。ただ、デモと同じようにいつも広く開かれていて、市民運動に参加している人はもちろんのことだが、参加していない人びとに向けて訴えかけ、考えてもらうような内容でありたい。
 だから仲間うちだけにしか通用しないような言葉づかいは困るし、一人よがりのお経みたいなものもいただけない。
 ガリ版の字は下手でもいい。ただ、丁寧に書き、丁寧に刷って読めるような印刷でありたい。半分消えかかったり、原紙にしわがよって2、3飛んで刷られたものは、せっかくだが読む気がおこらない。
 ニュースの題字のところだけ版画で色刷りにしたものがあるが、このちょっとした工夫でぐっと手づくりの感じが出て親しみがもてる。
 細かいことだが、発行者の連絡先なり電話なりは、必ず明記すべきだろう。一方通行では読んだ人の反応を期待していないということになる。
 さて、こうしたニュースや通信類を交換しあうことは楽しいし、また有益でもある。直接交渉もいいが、長野ベ平連の努力で「資料交換センター」という機関ができている。ここへ、一定の手数料をつけて送ると、全国の主要グループに配布してくれるし、それと交換に各地のグループが発行した新聞や通信や資料がまとめて送られてくる仕組みになっている。自分たちでいちいち切手をはって郵送するよりも手間がはぶけるだけでなく郵送料もずっと安くつく。長野ベ平連の苦労は大変だと思うが、その苦労にこたえるためにも、各地の市民運動グループがこのシステムをもっともっと活用するようにお奨めする。利用者がすくなければ。この折角のセンターもつぶれてしまうだろう。
(終)

【お知らせ】
土屋源太郎さんの本が出ました。9月4日(金)発売です。
「砂川判決と安保法制 最高裁判決は違憲だった!」

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安倍政権は集団的自衛権行使を憲法解釈変更で閣議決定しました。
今国会ではこの法制化のため、安全保障関連法案が審議されています。
安倍政権は、この法案が合憲であることの根拠は「砂川事件最高裁判決(1959年12月)」にあると主張しています。
しかし、最高裁での審理の争点は「安保条約に基づく米軍の駐留が違憲であるか否か」であり、集団的自衛権について審理されたものではありません。
更に、2008年、米国立公文書館で発見された公文書によって、米国が日本の司法に介入したことだけではなく、最高裁判決が憲法37条の「公平な裁判所」に違反した無効な判決であったことが明らかになりました。
この本は砂川事件の元被告であり、現在、砂川事件の再審請求を行っている土屋源太郎氏へのインタビューを中心に、砂川闘争、アメリカ公文書、伊達判決、最高裁判決、再審請求の現状などが掲載されています。

世界書院発行 600円(税別)


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