野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2016年10月

10・8山﨑博昭プロジェクト主催の「ベトナム反戦闘争とその時代」展が、京都市の京都精華大学で10月19日(水)から10月24日(月)まで開催されている。

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(チラシ写真)

この京都展示会について、展示を監修した山本義隆氏が、先日10月8日の10・8山﨑博昭プロジェクト発起人・賛同人で、「ベトナム戦争証跡博物館展示についての報告」の中で発言しているので、その部分をを抜粋して掲載する。

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「ベトナムでの戦争証跡博物館展示の話を聞いて、正直これは大変なことになったなと、つまり元々このプロジェクトの企画の中に無かったことであるし、プロジェクトの企画は3つの目的を持っていたわけで、それ以外に全く新しい目的が入ってきたわけで、マンパワーからしても大変だなと、顔ぶれを見ても誰か中心になってやる人間がいないとできないし、皆さんの顔ぶれを見て、僕がやるしかないかと腹を決めました。
それで、私は駿台予備学校というところに勤めているんですけれども、駿台予備学校の日本史科の講師の諸君何人かに頼んで『60年代研究会』というのを作りまして、それを中心にしてやってきました。
日本におけるベトナム反戦闘争というのは、1965年から75年くらいまでの10年間にわたります。それで、非常に多元的かつ重層的だったと思うんです。多元的という意味は、戦線が日本中に広がっていた。例えば砂川闘争であるとか、下総の闘争であるとか、10・8の羽田とか佐世保だけでなくて、日本全国で展開されていたし、重層的という意味では、三派全学連、反戦青年委員会、ベ平連だけじゃなくて、いろんな小集団が闘争に関わっていたし、現役の大学の先生から高校生、家庭の主婦にいたるまでが反戦闘争を闘っていたわけで、そういう多元的、重層的な闘争を、もう一度、今の人にわかってもらいたい。それはあの10年間の経験というのは、日本の民衆運動の中で特異な経験だったと思います。しかも、実際に闘争を闘った人も全貌は見ていない。はっきり言って知らないです。自分のやったところだけ知っている人が多いです。今になって、そんなのがあったのかというのが結構あるんです。僕にとってもそうでした。そういう意味で、できるだけ全体像を明らかにするような形での展示会をしたいと思ってやってまいりました。
ただ、国内で展示会をやることは僕が言い出したんですけれども、初めはできないと思っていました。というのは、場所がないと思っていたんです。ちょっとしたギャラリーだと1日で10万円とられます。1週間やれば70万円以上かかります。とてもできんなと思っていたんですけれども、根津の『ギャラリーTEN』(6月の東京展示会の会場)はオーナーさんの厚意で、事実上タダで貸してもらいました。奇跡的です。そんなわけで6月の展示かができて、正味600人以上の方に来ていただきました。6日間ですから、平均1日100人以上の方に来ていただきました。嬉しかったのはずいぶん若い人が来てくれました。これは『60年代研究会』のメンバーの中に大学で授業を持っている人がいて、ゼミの学生に『出てこい』と言ったということもあるんですが、ずいぶん若い人が来てくれたので嬉しかったです。やはり60年代の経験というのは、今の若い人にもぜひ知ってもらいたいという思いがあります。
それで6月にやって、関西の実行委員会から関西でもやりたいという話が出てきた時に、一番考えたのは会場があるのかということだったんですけれども、京都精華大学が共催でやってくれることになりました。京都精華大学というのは白井聡さんのいる大学かと思われるでしょうけれども、確かにそうなんですけれども、白井さん自身はこの件にノータッチです。教員は誰も関与していません。この件をやっているのは職員だけです。つまり職員が大学運営に関与しているわけです。つまり京都精華大学というところは、学長の選挙権、被選挙権を教員と職員が全く平等に持っているところなんです。おそらく日本で他にないと思います。それで、今、職員の方が中心になって、私の講演会も含めて全部やってくれています。ものすごく広いギャラリーで、(6月のギャラリーの)倍くらいのスペースがあるので、展示物もだいぶ膨らませました。
京都精華大が出来たのは1968年です。初代学長が岡本清一さんという方で、創立の時の大学の案内に書かれた文章があるので読ませていただきます。読んで感心したんです。『大学は学問と教育と深い友情とを発見する場所である。学生の精神を凍りつかせるような官僚主義的な環境の大学では友情を培うことはできない。学生を群衆の中の一人としてしか扱うことのできない巨大大学においては、学生の孤独からの脱出は極めて困難である。そして、学問的に、また人間的に魅力のない教授による教育は無意味である。』これを読んで僕は、はーっと思ったです。こんなことを1968年の段階で言われた学長は他にないです。それで、正直、僕は嬉しくなりました。現在の学長は竹宮恵子さんというマンガ家です。そういう意味でユニークな大学です。そこで展示会をやれるというのは正直嬉しくて、その引き換え条件として僕に講演をやれと言われたので、これもしょうがないと思って引き受けました。
10月19日から6日間、京都精華大学で、職員の方が中心となってやっておられて、大学との共催で展示会をやらせてもらいます。展示内容に関しては、さきほど言った10年間のベトナム反戦闘争の重層的かつ多元的な内容をできるだけ再現したいという形でよりよく充実した形でやれると思います。
というのは、6月の展示した段階で、ずいぶんいろんな方が来てくださって、それで『実は私の方にこういうのがあります』とか『こういう資料を持っています』とか言ってこられた方がずいぶんおられて、そういう方に連絡が取れる範囲で取って、新しく資料を収集することができて、内容的にも自分で言うのも何ですけれども、充実することができた。関西の方に手伝ってもらって準備を進めているので、それなりにやれるのではないかと思っています。(略)」

この京都展示会の開催前日、パネルなどの搬入作業を行うため、日帰りで京都精華大学に行ってきたので、その報告を以下に掲載する。

10月18日(火)品川駅7時半出発の新幹線で京都に向かった。京都までは約2時間である。京都に着いて、地下鉄で最寄り駅の「国際会館」まで向かう。地下鉄はほぼ満員状態。学生が多い。地下鉄の「京都」駅から「国際会館」駅までは10駅である。電車はほぼ満員状態のまま「国際会館」駅に着いた。学生がぞろぞろ降りていくので、それに付いて階段を上がって外に出ると青空が広がっていた。暑い!

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地下鉄の出口の前の学生の列ができていた。これは京都精華大学へ行くスクールバスを待つ列?列に並んでいた学生に聞くと「そうです」というので、並んでバスを待った。1本目のバスには乗れず、2本目のバスにようやく乗ることができた。

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京都精華大学まではバスで10分ほど。バスは大学の本館の前に着いた。本館の前には大学主催で10月21日(土)に開催される山本義隆氏の講演会のポスターがドーンと置いてある。

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大学の構内の様子である。

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展示会を行うギャラリーフロールは明窓館という建物の中にある。

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建物の中に入ったのだが、ギャラリーの場所がよくわからない。大きな教室に出てしまった。ウロウロしていると、山﨑建夫さんが「よーっ」と声をかけてくれた。ギャラリ-の入り口は目立たないので案内サインが必要と思った。

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ギャラリーに入ると、もう展示準備作業が始まっていた。


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さっそく壁にパネルを養生用の両面テープで貼る作業を開始。パネルを壁にペタペタと貼っていくが、水平に貼るのはなかなか難しい。そこで登場したのがこの「水準器」。ここまでやるか、という感じではあるが、正確に測れることは確かである。


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三里塚の教会からオブジェが届いた。この展示会のために遠く三里塚から運んできた故戸村一作氏が作製した「真理と自由」という作品である。

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昼食を食べに大学の近くの喫茶店に向かう。田んぼが広がって、郊外の大学という感じである。

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ログハウス風喫茶店。

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昼食は天ぷらうどんとおにぎりセットにした。関西に行った時は必ず「うどん」を食べることにしている。関西のうどんは汁までおいしく飲める。

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昼食後は再び展示作業を開始。この京都精華大学の展示会場は6月の東京展示会の倍くらいの広さがあるので、新しい展示もある。
「漫画アンポ」(1969年12月刊)からのパネル。


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故戸村一作氏作製のオブジェは、さきほどの「真理と自由」の他に「闘う大木よね」も展示される。


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夕方になって、だいぶ展示会場らしくなってきたので会場の写真を撮影。
何枚か掲載する。

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会場はまだ展示作業中であったが、私は日帰りなので、皆さんに挨拶をして17時半頃に会場を後にして京都駅に向かった。
この展示会の記事が朝日新聞の京都版に掲載された。記事を見て、日にちを間違えてきた人が1人いたが、たくさんの方の来場を期待している。

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◎山本義隆監修「ベトナム反戦闘争とその時代─10・8山﨑博昭追悼」展◎
期日:2016年10月19日(水)~24日(月) 10:00~18:00
会場:京都精華大学ギャラリーフロール (京都市左京区岩倉木野町137)
    www.kyoyo-saika.ac.jp/fleur/
1960年代から70年代の日本のベトナム反戦闘争を記録写真と資料でふりかえる展覧会を開催します。写真家の北井一夫さんの協力を得て、10・8第一次羽田闘争の弁天橋の連続記録写真を初公開します。展示期間中、展示会場で毎日上映会を行います。
主催:10・8山﨑博昭プロジェクト/協力:60年代研究会(代表・山本義隆)
入場無料

【お知らせ その1】
10・8山﨑博昭プロジェクトでは、2017年1月にベトナム・ホーチミン市のベトナム戦争証跡博物館で「日本のベトナム反戦闘争の記録」展を開催するため、クラウドファンディングを始めました。
今まで、プロジェクトの事業を進めるために、賛同人を募集し、賛同人の方からは賛同金をいただいていますが、この賛同金は、趣意書に書いてあるモニュメントの建立と記念誌発行のためのものであり、新たな企画であるベトナム戦争証跡博物館における展示の費用は含まれていません。
このベトナム戦争証跡博物館での展示にあたっては、資料の翻訳、資料のベトナムへの輸送、展示準備のためのプロジェクト代表者等のベトナムへの渡航費用など、かなりの費用が見込まれます。
そのため、今回、ベトナム戦争証跡博物館での展示のためのクラウドファンディングを始めたものです。
 クラウドファンディングの目標額まであともう少しです。クラウドファンディングの詳細は下記のアドレスからご覧いただくとともに、是非とも多くの方のご協力をお願いいたします。

【クラウドファンディングのページへGO!!】
https://readyfor.jp/projects/AntiVietnamWarMovement

ご協力をいただいた方には、お礼として、発起人である山本義隆氏の著書「私の1960年代」(要望に応じて自筆サイン入りも可)などを用意しています。

【お知らせ その2】
次回のブログとホームページの更新は10月28日(金)の予定です。

今年は1967年10月8日の第一次羽田闘争から49年目である。49年目の10月8日、10・8山﨑博昭プロジェクト主催の羽田・弁天橋での献花の集いに行ってきた。

49年前は快晴だったとのことだが、この日はあいにくの雨。

集合場所は京浜急行空港線「天空橋」駅の改札である。駅に着いた時には、すでに十数人の参加者が集まっていたが、集合時間までに約30名となった。


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「天空橋」駅の改札は地下にあるので、エスカレーターを上って地上に出るとポツポツと雨は降っているが、傘を差さなくても何とかなる程度の雨だった。

このまま小雨程度の雨でいてくれればと思いながら天空橋を渡る。


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天空橋を渡りながら弁天橋の方を眺めると、遠くに弁天橋の鳥居が見える。



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川沿いを歩いていくと弁天橋が見えてきた。1年ぶりである。



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弁天橋の欄干のところから羽田空港に通じる橋の写真を撮る。


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弁天橋を渡って鳥居の前の広場に着くと献花の集いが始まった。

集いの前に、全員で1分間の黙祷を行った。



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広場から見た羽田沖の眺めである。

沖合からはカモメの鳴き声が聞こえてきた。



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献花の集いの司会は10・8山﨑博昭プロジェクトの発起人である辻恵氏である。

(弁天橋の上から警官が一人、こちらを監視していた)

辻恵(司会)「今日は10月8日。来年の50周年に向けて、お集まりいただいた皆さまからいろいろな思いを語っていただこうと思います。」



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最初にプロジェクトの発起人代表として山崎建夫氏から挨拶があった。

(以下、各発言者の発言要旨を掲載します。)



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山﨑建夫(発起人代表)

「今日はこんなにたくさん集まっていただいてありがとうございます。賛同人も増えて感謝しております。来年の50周年を皆さんと一緒に迎えたいと思います。よろしくお願いします。」

 

次に1967年10月8日に弁天橋で闘った方からの発言があった。


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K氏「僕は山﨑博昭君と一緒に、空港に行こうとする隊列ではなく、向こうからくる機動隊を追い返す隊列に配置された。高校の時から何十回とデモに行っていたが、我々の動きで機動隊が撤退していくのを始めて見たので、すごいことになっていると思った。

我々は防衛ラインを担当させられていたが、攻めていく方が気になって何回も振り向いた。山﨑君は隣にいた。山﨑君は『行きたい、行きたい』と何回も繰り返していたが、一人で行ってしまった。」

 

次にプロジェクトの発起人であり、10月8日の闘いをきっかけに、「10・8羽田救援会」を立ち上げ、その後の救援運動の中心となって活動した水戸喜世子さんから発言があった。



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水戸喜世子(発起人)

「今の話を聞いて、実は私の夫も当日参加していたんですね。私は小さい子供たちと、夜明けまで帰ってくるのを待っていて、夫は明け方に洋服が血まみれになって『やったぞー』と言って帰ってきた。山﨑君の死を聞いて、吉川勇一さんや羽仁五郎さんに電話をかけて、抗議声明を出そうという話が出てきました。本当に、いまだかってないくらい広範な人たちの共感を得た闘いだと思います。

今度のプロジェクトもあと1年です。皆さんのおかげて着々と進んできて、もう一歩ということろまで来ました。関西でも展示会と講演会があります。東京からちょっと遠いですが、関西でもたくさんの方に来ていただいて、今一度、若い人の中に、この闘いの意味が広がっていくといいなと思っています。」

 

辻恵(司会)「10月19日から24日まで、京都精華大学で展示会があります。10月21日の夜には大学で山本義隆さんに講演をしていただきます。また、11月26日には大阪で山﨑君と京大で同級生だった上野千鶴子さんに話をしていただきます。」

 

次に、当時の遺族の代理人の弁護士だった小長井良浩氏から発言があった。


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小長井良浩(発起人)

「私は学生事件の弁護はやっていなかった。労働事件をやっていた。ところが、弁天橋の闘争で学生が亡くなっているので誰か紹介してくれという話が来た。休みの日だったので誰にも連絡が取れず、亡くなっているなら自分が行かなくてはならないと決心して、これに参加しました。

誰かが言わなければ事実が間違って虚偽が伝わってしまう。車を運転していた日大の中村君も大変な被害者だったので、山﨑君とともに今度の記念誌に書かせていただこうと思っています。」

 

雨が強くなってきた。

最後に発起人の一人である佐々木幹郎氏から挨拶があった。


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佐々木幹郎(発起人)

「山﨑博昭と高校2年生の時に同級生、高校3年生の時にマルクス主義研究会で一緒でした。10・8当日は私は大阪にいて参加できなかった。山﨑君が死んだということをきっかけに追悼詩を出してから、あっという間に半世紀が経ちました。

ここの景観はどんどん変わっていきますが、弁天橋のこの地で、毎年、山﨑のことを思い出すのはとても意味のあることだと思います。

今日の午後の発起人・賛同人会議で、記念碑をどこに建立することに決まったのか具体的な報告をします。また、会計報告そして来年に向けて何をするのか、ベトナム戦争証跡博物館の企画がどのように進んでいるのかという報告もさせていただきます。2014年にプロジェクトが発足した時は、ここまで大きくなるとは思っていませんでした。着実に根を広げ、賛同人の方々も増えてきました。あと2~3年あればもっと大きな動きにできるという思いがあります。また来年もここで集まりましょう。ありがとうございました。」

 

辻「来年は2017年10月8日、日曜日にここで四たび、このような形で黙祷と献花の集いを開催する予定でおりますので、是非、皆様方も来年もお越いただければと思います。

本日はどうもありがとうございます。」(拍手)

 

献花の集いは終了。

雨が少し小降りになったので、弁天橋を背景に全員で記念撮影。



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これが献花です。

参加者が持ってきた花も並んでいます。



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記念撮影終了とともに雨が強くなってきたので、全員で献花の場所に移動。

献花は山﨑建夫氏が持って、献花場所に供えた。


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献花場所に供えられた献花です。


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来年はいよいよ50周年。

来年の10月8日は秋晴れであってもらいたいと思う。

 

(終)

 

【お知らせ その1】

10・8山﨑博昭プロジェクトでは、2017年1月にベトナム・ホーチミン市のベトナム戦争証跡博物館で「日本のベトナム反戦闘争の記録」展を開催するため、クラウドファンディングを始めました。

今まで、プロジェクトの事業を進めるために、賛同人を募集し、賛同人の方からは賛同金をいただいていますが、この賛同金は、趣意書に書いてあるモニュメントの建立と記念誌発行のためのものであり、新たな企画であるベトナム戦争証跡博物館における展示の費用は含まれていません。

このベトナム戦争証跡博物館での展示にあたっては、資料の翻訳、資料のベトナムへの輸送、展示準備のためのプロジェクト代表者等のベトナムへの渡航費用など、かなりの費用が見込まれます。

そのため、今回、ベトナム戦争証跡博物館での展示のためのクラウドファンディングを始めたものです。

 クラウドファンディングの目標額まであともう少しです。クラウドファンディングの詳細は下記のアドレスからご覧いただくとともに、是非とも多くの方のご協力をお願いいたします。

 

【クラウドファンディングのページへGO!!】

https://readyfor.jp/projects/AntiVietnamWarMovement

 

ご協力をいただいた方には、お礼として、発起人である山本義隆氏の著書「私の1960年代」(要望に応じて自筆サイン入りも可)などを用意しています。

 

【お知らせ その2】

10・8山﨑博昭プロジェクトでは、6月に東京で開催した「ベトナム反戦闘争とその時代展」を京都で開催します。今回は、東京展示会よりも更に規模を拡大した展示となりますので、関西在住の方々の来場をお待ちしております。

 

◎山本義隆監修「ベトナム反戦闘争とその時代─108山﨑博昭追悼」展◎

期日:20161019()24() 10:0018:00

会場:京都精華大学ギャラリーフロール (京都市左京区岩倉木野町137)


1960年代から70年代の日本のベトナム反戦闘争を記録写真と資料でふりかえる展覧会を開催します。写真家の北井一夫さんの協力を得て、108第一次羽田闘争の弁天橋の連続記録写真を初公開します。展示期間中、展示会場で毎日上映会を行います。

 

主催:108山﨑博昭プロジェクト/協力:60年代研究会(代表・山本義隆)

入場無料

 

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