野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2016年11月

今年の8月と10月の明大土曜会で、「沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック」の吉田庄司さんから沖縄の現状と「沖縄・一坪反戦地主会」の活動についてお話を伺った。
今回は、そのお話を掲載する。

明大土曜会の案内文である。
『辺野古新基地・高江ヘリパット現地では必死の闘いが続けられている。その戦いは国の対応と沖縄の民意、日米安保・地位協定の様々な矛盾をあぶり出しています。
一坪共有運動の嚆矢は明治時代の足尾鉱毒による現地強制廃村に反対する支援者の運動です。
東京での沖縄連帯の様々な運動や集会の大きな柱となっている一坪反戦運動のリアルをお聞きします。 沖縄一坪反戦運動とこれからの私たちの関わりについても議論します。
 一坪反戦地主会関東ブロックの吉田さんは、伊達判決を生かす会事務局や沖縄意見広告運動等にも関わっている。小樽商大OB。』

【明大土曜会】
〇吉田さんのお話の前に7月の参議院選挙について
Y・R「前回の参議院選で沖縄の伊波さんがオール沖縄で自民党の島袋大臣と闘って、圧倒的な差をつけて当選しました。実は、土屋(源太郎)さんから東京で伊波さんを支援する組織を作ってもらいたいという依頼を受けて、私が明大土曜会ということで呼びかけ人になって、伊波さんの応援を東京からやりました。明大土曜会は5万円ほどカンパしました。
そうしたら、投票日当日、伊波さんから『ご協力ありがとうございました』という電話が直接きました。その後、伊波さんから報告とお礼が来た時に、沖縄の新聞が同封されてきました。東京とは全然雰囲気が違いますね。

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吉田さんとは40年近い古い付き合いです。今は、沖縄の一坪地主の関東ブロックの運営委員をやっています。
吉田さんは長く沖縄の問題に関わっておられますので、吉田さんの方から沖縄の現状について報告していただきたいと思います。」

【「沖縄の今」と「沖縄・一坪反戦地主会の基地内民間地共有運動」】
(沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック 吉田庄司さん)
<8月6日 明大土曜会>
吉田「今、言わなければいけないことがたくさん起きています。辺野古のことも、今、焦点ですからやっていますが、テレビで見た人もいると思いますが、高江が急展開しています。高江は6つヘリパッドという着陸帯を作ることになっている。そのうちの2つは出来たということで、実は完成していないんですが、あと4つだということで2年間工事をしていなかたのに、急に準備が始まりました。

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それで、工事車両を通さないように、県道70号線に乗用車を150台止めた。その前も乗用車を置いて、工事車両が入ってこられない出てこられないようにしていたんです。
『来れるものなら来てみろ。絶対通さないぞ。』と言っていたれども、7月22日、今度は機動隊を何と全国から500人も動員してやってきた。まさかそんなに来るとは思っていなかった。車はどうせ運べないだろうと思っていたら、車の下にローラーを入れて150台みんな持っていかれました。

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(写真「沖縄タイムス」から転載)

沖縄県公安委員会が全国の公安委員会に1,000人の出動要請をしたらしい。高江の住民は150人です。ちょっと考えられないですが、何でそういうことをするのか。一つには、参議院選挙で全体としては自公が圧勝した。ところが沖縄では現職の沖縄担当大臣が落選した。報復ですよ。どうもそうじゃないか。米軍側にヘリパッドを急いで作る事情はない。日本の事情なんです。
今、高江が焦点になっている。しかも車を全部どけてしまって、作業車両が来たのでその上に乗って『やめろ、やめろ』とやっていたら、テレビで見た人がいると思いますが、上で取っ組み合い、殴り合いをやっている。騒然となって、引き摺り下されて上から落ちてくる人もいっぱいいるし、これはエライことになったと思ったんですけれども、現場にいた人から聞くと、車の上では確かに取っ組み合いをやっていたけれど、殴っているのも当たっていないし、下の方はあんがい落ち着いていたということで、私も安心しました。

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(写真「沖縄タイムス」から転載)

沖縄県公安委員会が全国に出動要請したということですが、本当はそんなことはやってはいけない。戦後は国家警察ではなく自治体警察になっている。知事は先月『そこまでやられるのは堪らない。オスプレイが来るなら高江もやめてください』と防衛大臣に言った。言われた防衛大臣は『何もおしゃらなかった』と言っていますがウソです。その前の政府沖縄の協議会の時は高江のことは言わなかった。沖縄の人はあまりペラペラしゃべらないんですよ。『はいわかりました。依存ありません、』とか言ったから菅官房長官は『OKした』と言っているんですよ。沖縄の人はデベートでも、あなたのいうことは分かるとすぐ言ってしまうんです。菅官房長官が次から次にいろんなことを言って、一つ言ったら十くらい返す。そういうことで沖縄のことはやり込められていて、県議会が高江の事で反対の決議をしたのは7月になってからで、それまではっきりしなかった。全会一致ではなく賛成多数。公明党は高江の工事に反対するかと思っていたら反対しなかった。退席した。自公を除いて反対多数で決議した。だからそれを見て知事も『俺も反対にまわろうか』ということではっきりしなかったこともあるんですね。

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(写真「沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック」ツイッターより転載))

2015年2月19日、防衛大臣名で『ヘリコプター着陸帯として追加提供する』という告示を出して、錦の御旗を得て機動隊が乗り込んできた。こういうことをするのは、識者のコメントでは高江の着工というのは、緊急事態条項と同じだということです。翁長知事がやっと中谷防衛大臣に『やめてください』とついに言った。北部訓練場、高江は東村の太平洋寄りにあることころで、那覇から3時間くらいかかる。路線バスは1日1本くらいしかない。辺野古に行くのも大変だけど、それよりさらに大変なんです。沖縄の県民でも、『それはどこにあるの?』と知らない人までいる。2年間工事が凍結されていたが、なぜか急に浮上してきた。

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次に、どうしても言っておかなければいけないことがあります。それは昨日、国が沖縄県を訴えた辺野古裁判(辺野古の承認取り消し撤回)の第1回の公判があった。この裁判は何をやっているのか分かりにくいと思うんです。3月に和解になっている。行政訴訟なので和解というのは聞いたことがない。和解したからもういいだろうと思っていたら、和解の原因があって、和解した原因は国側が負けそうになったこと。裁判長が冒頭『国の方はあまりにも横暴で、このままだと国が負けますけどいいですか』と言った。それはどういうことかというと、地方自治法という法律があって、三里塚のように代執行する場合、最初から代執行というのはあり得ない。地方自治法は2000年に大改革して、国と地方の関係が対等になった。代執行は簡単に発動できないようになっており、代執行する場合は手続きが必要になった。命令して従わない場合、是正指示を出して、それでも聞かなかったら代執行となる。国がまったく通らないようなことをやっているので、裁判長も『これでは国が負けます』と言ったので、和解となった。
ところが、国はそれから3日後に、法律にあるからといって、すぐ是正指示を出した。裁判合戦になるので、県は裁判を起こさなかった。国だけが裁判を起こして県を訴えている。辺野古の埋め立てを取り消したのは違法であるという違法確認訴訟を行っている。私は埋め立ての許可の方が違法だと思う。これは勝てるかどうか難しい。『取り消します』と言ったら、国土交通省が沖縄県に違法を指摘している。そんなことは普通考えられない。
昨日の裁判では、8月中に結審して9月に判決を出すということで、沖縄県が勝てるかどうか難しいと思う。是正指示を出さなかったのはまずかった、だから是正の指示の手続きは踏んだという、裁判所が入れ知恵したみたいな恰好になっている。
(管理人注:9月16日に知事の辺野古の埋め立て承認取り消しは違法という国勝訴の判決が出た。)

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(写真チラシ「沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック」ツイッターより転載))

仮に裁判の判決が下ったとして、代執行まで行く場合、沖縄にはまだ抵抗する手段があります。首長にも権限があります。工事を行おうとして川に橋を架けるとか川の流れを変えようとするとき、首長がダメだと言ったら出来ない。他にもいろいろ抵抗する手段があるから、私はやれると思います。厳しい判決が出る可能性はありますが、今、オール沖縄と言われていて、今の知事は前の知事とは違う考え方に基づいて辺野古の埋め立てを阻止しつつある。
これは2009年の政権交代が大きい。民主党が政権を取って、当時の鳩山首相が『せめて沖縄の基地は県外へ』と言った。沖縄県民は本気になった。ところがダメになった。沖縄の人は鳩山さんに対して評価が高いです。そのことによって、沖縄の基地を巡る保守対革新という構図は全部壊れてしまった。保守がもたなくなってしまった。基地を置いておけば儲かるというけれども、これはどうも違うらしいということが分かってきて、保守が割れてしまって、革新側と保守の一部がくっついたんです。そうすると、残った保守の方は目も当てられない。それでだんだんと反基地でオール沖縄的になっていったんです。昔は基地があることで軍用地料も入ってきたし、いろんなことができた。ところが今は沖縄は観光収入が大きくなって、観光収入は県の財政の20%くらいです。軍用の収入は5%くらいです。だから基地がなくてもなんとかなる。
ただ、大地主の人は軍用地料がたくさん入っている。それも半分ウソがあります。軍用地料が入って六本木ヒルズに入っている人がいるといわれますが、とんでもない。ほとんどの人が軍用地料は年100万円以下です。軍用地料が入ってくるから働かないという若者がいる。『基地は人間をダメにする』と怒る人もいる。でも、年100万円入ってくるとしても働かない訳にはいかない。大地主はほとんど法人で、個人でそんなに軍用地料が入る人はいない。
伊波さんは革新系でやってきたけれども、彼と翁長知事は本当だったら敵対関係なんだけれども、今は一緒にやれる。伊波さんは会派をどこにするかという問題がある。オール沖縄ということがあるけれど、5議席ないと発言権がない。議員になっても、ただ座って聞いているだけになる。何か会派を作らなければいけない。オール沖縄というのを維持したいために、社会大衆党の糸数さんと2人会派になることになっています。伊波さんは質問時間はないけれど、質問趣意書は出すことが出来る。質問趣意書には内閣が回答書を出す。これは閣議決定なので動かせない。争っているところに、質問趣意書を出すと議論できない。伊波さんは東京の交通事情も分からないだろうし、議員は秘書で決まるといわれているので、秘書がしっかりしないと大変だろう。伊波洋一であれば、なまじっかのことで崩れることは絶対にないし、オール沖縄の信頼感もあるし、これから土曜会も是非バックアップしてもらいたい。」

Y・R「伊波さんとはホットラインもできたから。吉田さんはいつから沖縄に関わるようになったのか?」

吉田「私は1983年から地主になっています。個人的にやっている。私みたいな人はいっぱいいます。トラスト運動みたいで入りやすい。ただ、沖縄の人は困った。ヤマトの人が入ってくると、文化が違うからどうしていいか分からない。でも、ヤマトの人は決断が早いからどんどん地主になって、東京だけで1、500人くらいが地主になった。
私は嘉手納空港の滑走路の格納庫の地所を分けてもらった。一坪地主なので、格納庫のところの共有地を持っている。普天間も売りたいという人がいたので買って、両方に共有地を持っています。
沖縄の人と合わせて全部で3,500人の反戦地主がいます。『土地はやりません。絶対に戦争に使わせません。』と言っている人が3,500人います。関東に900人、大阪に500人くらいいます。残った土地はどうなっているかというと、軍用地主です。33,000人います。沖縄には軍用地会館という立派な建物がある。」

K「沖縄でやっている人に聞いたんですけれども、(軍用地を)持っている人が年寄が多くて、亡くなって、引き継ぐ人があちこちにいて、情報を収集できないらしい。そこに東京や大阪の人が入って行って、遺族から引き取ることが結構あって、情報が入るようにやっているらしいんだけれど、なかなか全部は・・・」

吉田「法務省は職権で調べられるんです。住民票も取れる。防衛省から買いたいという申し入れもあったが、こちらは共有地主で権利書は弁護士事務所の金庫の中にしまってある。絶対に出さない。国は買い取りたいんです。だけど、土地が引き継がれて遺産相続により地主が増えているんです。」

H「軍用地主の中に反戦地主と土地連(沖縄県軍用地等地主会連合会)がいる。土地連は自民党の下請けみたいな形だが、オール沖縄で変わってきているのか?」

吉田「土地連も揺れている。我々がいるために地価が上がってきている。地主が軍用地料を上げろと言いだして防衛省と地主がモメた。土地連の代表者がデモには出るべきだと言い出して、上の方がだいぶグラついている。下の方はちゃんと契約していない。委任状を書いただけ。委任状を書いただけで土地の地主だといっても、そんなもの通用しない。判も代理印なんです。そういう足元を見ているから防衛省は強気なんです。
沖縄に行ったら『軍用地売ります』という広告があるけど、あれは高いですよ。坪1万円では買えません。特に普天間は返還されるのではないかと思われているので買う人がいる。
ヤマトの人間も買っている。だけど嘉手納は帰って来ない。普天間が返還されると様相は一変する。辺野古は和解で止まっているが、高江で機動隊が1,000人、嘉手納で座り込みが起きて来て、フェンスを引っ張ってはがすことも出てきますよ。だからこれから分からないですよ。」

Y・R「我々も地主になるか。」

吉田「それはできますよ。大したことする訳じゃないけれども、地主になれば国としては脅威ですよ。本土にもいっぱいそういう人が出てきたということで、有難い話です。ただし1万円はする。軍用地料は入ってこない。その代わり損失補償金がもらえます。米軍は本音から言えば引きたいんです。日本政府は米軍が引いたら自分たちの自衛隊が使いたいんです。だけどそうは言えないから黙っている。米軍は実は重荷になっている。沖縄にいる必然性がない。地主の件は我々の方も相談してみます。」

<10月1日明大土曜会)>
吉田「前回、中途半端になってしまいましたが、続きを話します。

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反戦地主会は沖縄の軍用地主会の内の分派です。『権利と財産を守る軍用地主会』というのがフルネームです。軍用地の賃貸借契約を拒否している軍用地所有者の組織です。沖縄には、復帰の時点で約27,000人がいたと言われる。何で27,000人もいるのか。沖縄の米軍の軍用地は、国有地と民有地、それから自治体所有地が3分割するくらいの面積なんです。
それで、民間の所有者が持っている土地を基地にしているのが3分の1ある。あとの3分の1は那覇市などの自治体、国有地はわずか3分の1しかない。民有地は借りるしかない。地主の土地はバラバラで、今使っている軍用地の真中の人もいるし、端の人もいる。真中の人に断られたら道をつける訳にもいかない。民用地はトラブルが多い。私の持っている共有地についても売ってくれということで何回も来ましたが、それは出来ませんということで売っていないです。
2万7千人の軍用地所有者がいたと言われている。沖縄戦が終わって自分の土地に戻ってみたら、米軍がいいところを全部取っていて、自分の住むところがない。先祖のお墓も基地の中なので、法事をやるときは米軍に頼むしかない。2万7千人のほとんどは嫌だと言ったんです。

(資料を読みながら)
『1972年の復帰に際して、日本政府はこれらの人びとと土地の賃貸借契約を結び、その土地を米軍に提供しなければならなかった。しかし、軍用地主の1割にあたる約3,000人が、事実上米軍に強制接収されてきた自分たちの土地をこれ以上軍用地として使わせる訳にいかないと契約を拒否した。これらの人たちは、復帰半年前の1971年12月に反戦地主会を結成した。日本政府は契約すれば軍用地料を支払うことになるが、契約しないのであれば損失補償金を支払うことにした。日本政府としては全部買い取りたいので、軍用地料を大幅に引き上げる(6倍)とともに、契約地主には協力謝礼金を支払うなどの利益誘導を図る一方、公用地法というのを制定して、復帰前に公用地(実際は軍用地ですけれど)として使用されていた土地は、土地所有権者の同意がなくとも、復帰後5年間は日本政府はこれを継続できることにした。』
5年後になったらどうするか。5年後の1977年にモメたんです。
『日本政府はあらゆる手段を使って反戦地主の切り崩しを図ったが、それでも約500人の反戦地主が残った。そこで政府は、戦争で不明確になった土地、軍用地等の位置境界を明確化するという名目で、地積明確化法を制定して、その附則で公用地法を更に5年間延長した。』
ところが、この時に相当モメたんです。社会党が反対してすぐに国会で議決できなくてモタモタしているうちに期限が切れてしまった。そうしたら、地主たちが俺の土地だと言って入って行って、作物を植えたりニワトリを放したりした。米軍から怒られて日本政府は4日後にようやく議決した。その4日間は米軍基地に入ったことがある。
『復帰後10年、それでもなお200人の反戦地主が残った。日本政府はついにこれらの地主の土地の強制使用に踏み切り、82年4月には沖縄県収用委員会も土地の使用を認める裁決をした。』
これで反戦地主が切り崩されて、100人を切った時もある。
『反戦地主の数が減少した理由は、防衛施設庁が反戦地主の土地をできるだけ返還する方針を取ったこともあるが、より大きな理由は反戦地主の巻き添えになって軍用地が返還されることを恐れた隣接地主などが、契約に応じないと周辺地主が迷惑するという泣き落としを図ったり、このままでは県民同士血を見ることになるなど脅迫まがいの言動で契約を強要するなど、反戦地主が村八分状態に置かれたためである。』
反戦地主の家の前に行って『あんたが契約しないから私ら軍用地料もらえねえんだよ。困るんだよ。』とやった。『仕方ねえな。』というので切り崩されて、それでも最終的には100人近くが残った。
それを我々が聞いて、これは何とかしなくてはということで、『あんたの土地を分けてください。』と言って3,000人で分割して分けた。権利書は一括して書かれて、3,000人が共有されているから1人が嫌だといっても売買できない。権利書は弁護士事務所の金庫に入っているので勝手に出せない。これでトラスト運動がうまくいった。
『村八分状態に追い込まれたことは、沖縄の反戦・平和意識の空洞化・観念化を意味している。にもかかわれず、孤立無援の戦いを続けている反戦地主の存在は生活に根差した反戦・平和運動の原点を示しているといえよう。』
これが反戦地主の経過です。
結局、切り崩された人たちを見て、支援しようということで、私を含めて3,000人が名乗りを上げた。反戦地主の土地を強制収容しようとした時に、収用委員会に3,000人で押し掛けて、支援者を入れて5,000人くらいだったが、収容委員会の中はテーブルは引っくり返るは収用委員は壇上から落ちたり大騒ぎになって、警察が入ってメチャクチャになった。反戦地主は『どうして早く来てくれなかったのか。我々は100人もいないのでどうしようもなかった。』と喜んで、我々は感謝された。大阪に関西地主会が出来て、関東にも関東ブロックが出来て、900人くらいいる。沖縄にも2,500人くらいいる。反戦地主はそれで勢いを増して、今では200人を超えている。
ただでは使わせないので、損失補償金を家まで持ってくる。でもなんだかんだと言って受け取らない。向こうは郵便受けに供託通知書を入れて供託する。今でも地主はそうやって抵抗しています。

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文化の話もしたかったので、案里屋ユンタ(あさどやユンタ)という唄があります。誰でも知っているし、知っているつもりになっている。あれは複雑な唄で、実は八重山の唄なんです。沖縄島では唄わないわけではないけれど、あれは沖縄島の民謡ではないんです。
沖縄民謡というと、みんな一緒だと思っている人が多いですが、一応、民謡と古典と区別があります。古典は琉球王朝の時代の唄なんです。民謡はいつ作られたのかも分からない。
沖縄は沖縄島、宮古、八重山、先島が連なっているが、非常に離れている。文化がちょっと違う。我々は沖縄の民謡はみんな同じだと思っているが、違う。区別している。
案里屋ユンタ(あさどやユンタ)は八重山の唄です。しかも、琉球王朝から派遣された役人が、地元の娘を嫁にしようとして断られ、それじゃあ別の娘をということで別の娘を嫁にするというとんでもない唄なんです。これは八重山の人たちが琉球王朝を批判しているような唄なんです。だから八重山の方は歌詞も違っているし、意味も違う。
それで、地主になってもいいという話がありましたが、問い合わせをしたら60歳以上はダメだというんです。みんな歳取って、防衛省が家まで金を持って来きて断るのが大変だから若い人に譲りたいという人がいっぱい出てきた。それで60歳くらいまでにしろというガイドラインなんです。全くダメだという訳ではない。」

Y・R「これは反戦地主が持っている土地を分けてという形ですね。三里塚も同じですよね。」

吉田「三里塚と同じですが、きっちり1坪ではない。小さいという意味で1坪と言っているだけ。ザブトン地主とかハンカチ地主と言われたこともある。」

H「基地内の民有地というのは、いろんな意味で本質的なものを抱えていると思うんです。そこに我々の精神的な拠り所を置かせてもらうと、見えてくるもの違ってくると思う。そこを大切にしたい。」

吉田「それじゃあ、Y・R君を代表にするような形でできるかどうか検討します。」

H「基本的に1口1万円ですか?」

吉田「宅地ではなくてほとんどが山林だから1万円は高い。ところが、我々が騒ぐものだから軍用地主会が上げろと騒ぐんです。それで15倍くらいになっている。今、ヤマトの人が投資で軍用地を買いたいという人がすごく出てきて、また値上がりしている。
国が沖縄県を訴えた辺野古裁判(辺野古の承認取り消し撤回)の判決が9月16日にあった。国が100%勝訴なんです。ちょっと信じられない。上告はします。最高裁に行くのは、本当は憲法で争うのでなければ上告できない。辺野古の基地の埋め立て問題なので、ストレートに違憲ということでやると負ける。統治行為論なんかを出されてアウト。
憲法を争うのではないけれど受理願いを出したら受理された。最高裁には継続されます、結論は来年2月くらいには出ると思います。最高裁では弁論を開かないと思います。」

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(写真「沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック」ツイッターより転載))

(終)

【お知らせ】
来週のブログとホームページの更新はお休みです。
次回は12月9日(金)の予定です。

昨年5月28日、「ベ平連」の元事務局長、吉川勇一氏が逝去された。No390で吉川氏を追悼して、「週刊アンポ」第1号に掲載された「市民運動入門」という吉川氏の記事を掲載したが、この記事は連載記事なので、吉川氏の追悼特集シリーズとして、定期的に掲載することにした。
今回は「週刊アンポ」第10号に掲載された「市民運動入門」第10回を掲載する。
この「週刊アンポ」は、「ベ平連」の小田実氏が編集人となって、1969年11月に発行された。1969年11月17日に第1号発行(1969年6月15日発行の0号というのがあった)。以降、1970年6月上旬の第15号まで発行されている。

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【市民運動入門 第10回 ビラの作り方について 吉川勇一】(週刊アンポNo10 1970.3.23発行)
 この前の号ではビラ配りについての三つの立場を①警察②裁判所③市民のそれぞれから考えてみた。ではいよいよビラまきをすることになるとして、そのビラ自体について考えてみよう。今度も三つの具体例をあげてみることにする。つぎに引用するのは、2月11日、いずれも東京練馬の自衛隊基地周辺で、自衛隊員を対象にまかれたビラの実例である。どれがどれとは特にいわないが、ベ平連、大泉市民の集い、そして第二・第三の小西を!東京行動委員会のつくったものである。まずその実例をよんで比べてみてほしい。いずれもその一部の引用だが。

実例① 練馬駐屯地の自衛隊員の皆さん
 ・・・自衛隊員の皆さん、皆さんの上官はベトナム戦争を間接侵略の範例としてアメリカの戦争行為を正しいものと説明してはいませんか。もしそうだとすれば皆さんはソンミ虐殺事件のような虐殺者にしたてられる危険のまえにあるのです。他民族の自由をうばう戦争に使われる危険があるのです。・・・皆さんは72年に沖縄進駐を命じられるでしょう。沖縄に行って誰から何を守るというのですか。沖縄県民の闘いから米軍基地を守る番犬になるのではないですか。米兵にかわって、全軍労の労働者の胸に銃剣を突きつけるつもりですか。
 いまこそ、あなた方が果されられる役割について、思いをめぐらすべきです。小西三曹は「自衛隊法は我々に沈黙を強いているが、もはや我々は沈黙している時ではない」といって行動をおこしました。・・・自衛隊法の「政治的行為」の禁止の規定は<かかし>です。一般公務員と同じように、おそれることなく、自分の考えを表明し、戦争に反対する自衛隊員の集いをつくり、行動をおこそう。・・・

実例② 自衛隊員のみなさんへ
 ・・・どこの自衛隊の部隊でも、昨年はじめから治安出動訓練がはげしく行われるようになりました。それは、こうした安保問題に不安を感じ、反対の行動をおこそうとする人びとが国民の間にますます多くなり、政府に対する抗議と抵抗が拡がるのを、おさえるためのものであることは、明らかなことです。
 「国を守るため」のものだといわれていた自衛隊の目的が、実は他国への侵略のため、そして自国の同胞への弾圧のためのものであることが、次第にはっきりしてきたわけです。
 もういちど、今の自衛隊の立場について、ゆっくりと考えて下さい。小西氏の訴えを真剣に考えて下さい。・・・

実例③ 全ての自衛隊員諸君!
 ・・・67年以降、ベトナム人民の解放闘争に呼応し、全世界の人民の解放を目指し、ブルジョア支配階級に対する激烈な闘いを開始した我々労働者、学生は、血みどろの対権力実力闘争によって不断の階級形成を促進し、昨秋安保政治決戦を闘う中、ついに自衛隊内に政治的流動化をかもし出し、一人の革命兵士=小西誠元三空曹の叛乱を生み出した。
 彼の闘い・・・は日本の革命闘争の歴史上きわめて劇的であり、そして自らの決意に基づく内部からの闘いの決起は、国家権力に対する鋭いつきつけであるが故国家権力はその最も弱い部分を暴露されあわてふためいている。・・・
 兵士プロレタリアートよ、誰に銃を向けているのか、支配される者へか、それとも支配する者へか。・・・日帝が我々人民を抑圧しアジア侵略へと、自らの利益を守り追求せんがため強化された軍事力を背景に踏み出さんとしている現在、その先兵として銃を持つ自衛隊兵士諸君は決断の時を迫られている。・・・

思想を力にするもの

 さて、以上の三例をみて、一般の自衛隊員はどう反応するだろうか。どれが一番効果的だとみなさんは思うだろうか。どれも同じような思想を自衛隊員に訴えようとしているものであり、その言わんするところは決して間違っているわけではない。しかし正しいことだからといってどんな表現のしかたをしても相手に伝わるというものではないはずだ。「思想は大衆をつかんだ時力になる」という言葉がある。だが、正しい考え方を生のままぶつけてもそれだけでは決して人びとをつかまないし、力にもならないことがある。自衛隊員にまくビラは、今は革命的自衛隊員討論資料ではないはずだ。
 技術も大切だ。どのビラも、字はきれいだったが、読み易さでは①②③の順だった。③は青インクで、一部がかすれてよく読めなかった。それにたくさん刷ったのか、原紙がひび割れをして字と字がつながってしまっている所もあった。
 ビラをまく、となったら、どういう機会に、誰に、何を伝えるビラかをよく考えて、読まれ、力になるようなきれいなビラをつくろうではないか。
(つづく)

【お知らせ】
10・8山﨑博昭プロジェクトでは、昨年に引き続き、第2回大阪講演会を開催します。関西在住の方々の来場をお待ちしております。

◎10・8山﨑博昭プロジェクト第2回大阪講演会◎
羽田闘争とベトナム反戦から考える -この国家どうするー
日 時:2016年11月26日(土)  13:00開場、13:30開演
会 場:大阪駅前第3ビル17階・TOG会議室(大阪市北区梅田1-1-3 電話06-6344-0791)
講 演:「2015夏 日本は変わったか」 13:30 ~14:30
講 師:上野千鶴子(社会学者)
上野千鶴子インタビュー  14:40 ~15:10
            (聞き手:西村秀樹)
参加費:¥1000 
申し込み:「10・8山﨑博昭プロジェクト」大阪事務局
E-mail: monument108@gmail.com

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