一昨年の5月28日、「ベ平連」の元事務局長、吉川勇一氏が逝去された。No390で吉川氏を追悼して、「週刊アンポ」第1号に掲載された「市民運動入門」という吉川氏の記事を掲載したが、この記事は連載記事なので、吉川氏の追悼特集シリーズとして、定期的にブログにで掲載を続けてきた。今回はいよいよ最終回。「週刊アンポ」第12号に掲載された「市民運動入門」最終回を掲載する。
 この連載記事のブログへの掲載を通じて、「ベ平連」の運動を改めて見直す機会となった。一昨年の安保法制反対の国会前抗議行動にシールズが登場して、「今までにない新しい運動形態」と話題になったが、実は、50年近く前の「べ平連」の運動は、シールズをはるかに超えるユニークで革新的な運動だったと思う。その運動の遺産を今の時代にどう伝えていくのか。10・8山﨑博昭プロジェクトが昨年開催した「ベトナム反戦闘争とその時代」展は、その一つの答えだったと思う。
 「市民運動入門」の連載は終わるが、引き続き「週刊アンポ」の様々な記事を掲載していく予定である。
この「週刊アンポ」は、「ベ平連」の小田実氏が編集人となって、1969年11月に発行された。1969年11月17日に第1号発行(1969年6月15日発行の0号というのがあった)。以降、1970年6月上旬の第15号まで発行されている。

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【市民運動入門 最終回 運動の中での資金づくり 吉川勇一】
(週刊アンポNo12 1970.4.20発行)
 こういう形で発行される「週刊アンポ」は今号で終わるので「市民運動入門」も今回で打ち切りとなる。これまで12回にわたってこの欄を書いてきたのだが、私は題が気に入っていない。元来、市民運動に入門も免許皆伝もないので、いつまでたっても毎日々々が入門の連続のはずなのである。おそらく各地に私以上に経験豊かですばらしい運動の知恵をもった人びとが沢山いるにちがいない。各地の反戦グループの機関紙を手にするたびにそこにのせられている報告に関心させられ、教えられる。次号からの「週刊アンポ」にはぜひそうした方がたからの投稿をたくさんお願いしたい。

<苦労の種の資金づくり>
 さて、今回は最終回ということで、お金の話をしてみたい。どこの市民運動グループでも一番悩んでいるのが警察の圧迫とお金の二つだ。ベ平連ではどうしているんですか?よくお金が続きますねという質問も時々受ける。ベ平連はいいですね、小田実みたいな作家がいっぱいいるからお金には困らないんでしょうといわれることもある。とんでもない。作家一般はともかく、ベ平連でつきあってる人たちは、作家でも評論家でも大学教授でも、なにしろ金のない人が多い。そんなことをいう人は税務署の回しものか、原稿料の相場のひどい安さを知らない人である。もちろん、そういう人びともお金は出すが、べ平連に直接差出すというより、ベ平連運動のために個人で使うお金がべらぼうに多い。たとえば毎週火曜日夜ごとにやるベ平連のいわゆる「閣議」はいつも午前2時~3時までつづく。値上げしたタクシーで帰る。ベ平連関係の仕事のタクシー代だけで月に1人2万円近くになる場合もある。こういう金はもちろん個人負担だ。それ以外のベ平連の費用は「ベ平連ニュース」に決算が出ているが大体1ケ月15万円前後。これらの家賃、電話代、印刷費、文房具代などは、すべてニュース代や自発的に送られてくるカンパでまかなわれている。しかし、それは恒常的な費用なので、臨時の集会やデモなどの行動はすべて独立採算でやる。その苦労はどこのグループとも同じく大変なものである。

<デモ費も全員で支える>
 お金のことでは、まずみんなで自分たちの運動を支えているんだという考えをもつことが第一に大切なのだろう。たとえばデモに行く。いろんなパンフを売っていたり、さまざまなカンパ、たとえば弾圧救援カンパなどが訴えられている。そういう訴えにはお金を出すが、デモ自体にお金を出すということはあまりないのではないだろうか。デモは参加するだけならただみたいな気がしている人が多いように思う。しかしそうではない。東京の例で言えば区役所から公園を借りるのには、一人につき2円のわりで使用料を払わなければならない。デモに加わる宣伝カーの自動車だってただで動くわけはないし、スピーカーの電池だって買わなければならない。デモの届けのため警視庁や警察署にも何度も足を運んでいる。最低1人10円くらいデモ参加カンパをデモのたびごとに訴えることが必要だろう。4月の定例デモは大泉市民の集いや反戦ちょうちんデモの会と共催してベトナム留学生の無条件在留を認めるよう法務省に要求するデモとして行われた。この時は、以上の趣旨を訴えて出発前に会場に徹底的にカンパ袋をまわしたが、16,446円のお金が集まりデモの費用のほか、デモの際にまくための留学生問題のビラ五千枚の印刷費も完全にまかなわれた。デモの参加者がデモの費用も分担するーこれは当然のことなのだけれども、人数が多くなったり、度重なったりすると、次第にデモを準備し、よびかける事務局機能を果たす側と、よびかけにこたえて参加する側とが分離して、運動を全ての面にわたって全員で支えているんだという根本のところが薄らいでゆく傾向があると思う。デモでも集会でもただでは出来ない以上、常にその費用が参加者で分担されるように訴えることが忘れられてはならないだろう。先日、大阪の北摂ベ平連が主催する「アンポ大学」に出席した。司会者がこう訴えていた。「今日の大学の諸費用は5万円かかりました。出席者は約250名ほどですから、1人の分担は大体200円ということになります。お帰りの際ぜひそのていどの参加分担金を入口でお払い下さい」と。
 労働組合のデモでは、動員費というお金が参加者に支払われる場合が多い。交通費とか弁当代という名目だそうだが300円くらいがデモに行く組合員に渡されるのだという。これ自体は悪ではないのだろうが、私たちには考えられないことだ。60年安保の時、デモが連続したため組合の動員費の枠の資金が底をつき、そのためあとになるとデモの回数を減らしたり、あるいは割当動員数(こんなものは労働運動の堕落を示す以外のなにものでもない)を削ったりした組合があったというが、こうなると動員数という制度は粉砕すべき対象となる。(労働運動の中でも反戦青年委員会のデモはもちろんこんな考え方を粉砕するところから出発している。)
 私たちの市民運動は、出発当初からこうした考え方をひとかけらももたずにデモを行ってきた。当然といえば当然だがこれをもう一歩進めたいのだ。集会やデモに行き、しかも費用を分担するのだ。

<カンパの結果の報告を>
 カンパがわれわれの運動の基礎であることはその通りだが、カンパのやり方にも工夫すべき点が多々あるように思う。ベ平連の場合、カンパは何のためのカンパかを必ず具体的に明らかにしてよびかける。「ベトナム留学生支援のため」とか「小西誠氏の反軍裁判の費用のため」とか。「ベ平連にカンパを」というような一般的なものでないほうがいい。そしてその結果は必ず報告することが大切である。街頭募金でも、募金帳に住所氏名を記してもらったならば、あとでそれらの人びとに領収書をかねた決算の報告とその人の出したお金が実際に何のためにどう使われたのかということを知らせるはがきが出されるべきだろう。私たちベ平連がやった「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」紙などに全ページの反戦広告を出そうという募金運動には、それぞれ250万円、150万円というお金が集まって成功したが、私たちは住所氏名が判かるかぎり、50円以上カンパをよせられた人びと全員に、広告ののったその新聞の実物を送って報告をした。それは大変な数で、宛名書きだけでも容易ではなかったが、一人ひとりの出したお金がどのように有効に使われたかをお金を出した人びとに知らせることは、募金した側の義務であろうし、運動への信頼を強め、ひきつづく運動への参加を求める上でも重要なことである。
 街頭募金の時は、単に画板に袋と募金簿をつけ、ボールペンをもつだけでなく、人々に渡すビラが用意されるべきだろう。少なくともお金を出してくれた人には、募金の趣旨とそのお金の使途が明確に記されたビラ(もちろん連絡先も書いてあるもの)が渡されなければならないだろう。運動は俺たちがやっている、お前たちは金を出せ、などという傲慢な募金の態度は自分たちの運動の腐敗を示すものだろう。お金を出すということ自体が運動への参加である以上、その人びとが運動との結びつきを強めうるような何らかの手段―少なくともビラが考えられるべきだと思う。

<運動と結びついた資金づくり>
 多くのグループが資金を捻出するためにいろいろ苦心している。事務所の入り口に箱を置き、そこに出入りする人が必ず1日に1回は10円以上入れることを決めているところ、団地を月曜ごとにリヤカ-でまわって廃品回収をやって資金づくりをしているベ平連、手製のものや不要品をもちよってバザーを定期的に催しているグループなど、さまざまだが、基本は運動と結びついた募金運動の中での全員による資金づくりなのだろう。
 運動と結びついた資金作りという点からいえば、その「週刊アンポ」の拡げ方にも反省すべき問題点があったと思う。
私たちは、これまでの運動の手が届いていないところでも安保フンサイの人間の渦巻をつくりたいと考え、そのためにも取次店を通じ、本屋さんの店頭で本誌を売ることを計画したのだが、それは一面では「週刊アンポ」が出たら大いに売りまくり、運動を拡げようと待ちかまえていた全国の多くの人びとの期待をはぐらかす結果にもなったと思う。これは私たちの自己批判である。第13号からは、本誌は内容も形もまったく一新し、すべて運動を担っている人びとの手を通じて送りとどけられるようになる。発行部数は一挙に2倍以上、値段は5分の1程度となる。なによりもその形は、どんどん大量に配布されるような、集会やデモや街頭で手渡しうるようなものに変わる。
 定価は未定だが、とにかくそれを売るグループと個人の売上金総額の半額をアンポ社に送金ねがう(あと払いで可)ことになるだろう。あとの半分は人間の渦巻をつくるために、本誌を売ったグループの資金にしてもらう。それで採算がとれるかどうかは判らない。しかし、取次店の驚くべき面倒くさい手続き、前近代的契約・支払い関係にたよるよりは、こうした運動と結びついた配布のやり方の方が、さきにのべたような運動の基本的あり方にずっとかなったものであることは確実だと思う。
 4・28から6・15へ向けて、私たちはこの新しい「週刊アンポ」を安保の渦をつくるための強力な武器にするよう努力するだろう。そして、その運動とともに、財政面においても、運動の発展を保証しうるような基礎をつくってゆきたいとねがっている。
(おわり)

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今年から、ブログ「野次馬雑記」は隔週(2週間に1回)の更新となりました。
次回は3月31日(金)に更新予定です。