今回のブログは、今年の3月2日から5日まで、土屋源太郎さんを団長として、「老学青」総勢18名で沖縄を訪問した明大土曜会沖縄ネットワーク沖縄訪問報告の続編である。
沖縄訪問の初日の3月2日に遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんから、遺骨収集を始めたいきさつや活動内容、更に現在進められている辺野古新基地建設、琉球弧の自衛隊基地建設強化に対する厳しい批判の説明もお聞きした。
沖縄県名護市の辺野古では、現在新基地建設のための土砂の搬入が続いているが、膨大な埋め立て土砂を調達するために、元々は西日本各地から土砂を持ってくる計画だった。しかし、埋め立て予定地の大浦湾一帯に軟弱地盤が存在することが明らかとなったことを受け、防衛省は大規模な地盤改良のための設計変更を県に申請し、県外からの土砂搬入は県条例でかなり難しいということで、埋め立て土砂の採取地に本島南部の糸満市と八重瀬町などを追加した。
ところが本島南部は沖縄戦が最も激しく戦われた場所で、いまだに戦没者、犠牲者の遺骨が出てくるという場所であり、よりによって南部の遺骨が混じっている土砂を、戦争のための基地建設に使うというのはもってのほかだとうことで、具志堅隆松さんが反対の呼びかけを続けている。
以下、遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんのお話の概要である。
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【沖縄県における戦没者遺骨収集について】
(この概要は、沖縄訪問に参加したK・Y氏のメモに加筆したものです。)
2023年3月2日(木)18:40から
那覇市民協働プラザにて 
講師:具志堅 隆松さん ― 遺骨収集ボランティア(ボランチュ)「ガマフヤー」代表― 
具志堅さんは自営業の傍ら、週末に遺骨収集活動を30年余にわたり続けてきた。
「ガマフヤー」設立の目的は「壕や山野に眠る沖縄戦没者の遺骨収集をすることにより、沖縄戦没者の慰霊と沖縄戦の実相を伝え、次の世代の平和につなげる」ことである。設立は1983年。
ガマは琉球石灰岩の鍾乳洞で自然に出来たもの。「ガマフヤー」とは「ガマを掘る人」という意味である。ガマは沖縄本島南部に集中している。
ちなみに辺野古埋立て土砂の七割を、本島南部産を使用する予定とのこと。
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(写真 沖縄の闘いに連帯する関東の会発行「ナンクルナイサー」より転載)
遺骨収集は、磁気探査機を使用する。自然界に存在する磁気にも反応してしまうが、軍靴の底に付いていた鉄鋲や武器などの磁気を発する物体の反応を見て、遺骨を見つけ出す。

2008年6月、返還された「米軍住宅跡地(※1)」の再開発地区において住民参加の遺骨収集を行い、そこに遺骨があることが知られるようになった。
(※1)解説:那覇市牧港住宅地区。面積195万1千㎡(60万坪弱、東京ドーム4万7千㎡の42個分。1965年に部分返還開始、22年後の1987年全面返還。那覇市の8字(上之屋・天久・安謝・銘苅・安里・真嘉比・古島・おもろまち)に及んでいた。跡地は、那覇市新都心地区土地区画整理事業を実施中。シュガーローフ(※2)は、具志堅さんの子供の頃の遊び場だった。現在は、大きな配水タンクのある公園になっている。
場所は、那覇市字真嘉比。沖縄戦最激戦地、米軍呼称シュガーローフ・ヒルである。戦闘は、1945年5月5月12日から5月18日にかけて7日間にわたり行われ、双方合わせて5千人(1日当り700人以上)が亡くなったと言われる沖縄戦最大の激戦地であった。
(※2)解説:①Sugar loaf(シュガーローフとは往時、租砂糖が擂鉢を伏せたように固められていた形状を言う。②地元では、慶良間諸島が眺望できることから、慶良間チージ(キラマチージ)と呼んでいる。③日本軍呼称は、安里52高地とも、擂鉢丘ともいわれた。④沖縄都市モノレール、おもろまち駅西側にあり、大きな白い配水タンクが丘の上に聳えていて、那覇空港から市内に向かい、国際通りを過ぎた直後に見ることができる。
米軍は、本島北部を1~2週間で制圧後、南部に転戦してきた。
対峙したのは、千葉県「佐倉の連隊」(※3)に埼玉から1,040人が加わった。
(※3)解説:独立混成第15連隊。1944年6月24日千葉県佐倉にて近衛歩兵連隊を中心に関東一円の部隊を集成して新設された。

厚生労働省は、日本本土の港において、沖縄戦帰還者から聞取りを実施した。
その後、41年前(1982年か?)より遺骨収集活動を開始する。
役所は動きが遅い。もう、沖縄返還から10年、敗戦後36年経過している。

2008年6月28日、沖縄県遺骨収集担当部署を訪問する。
沖縄県保護・援護課は、「遺骨収集は終了している」という認識を示す。
遺骨収集の済んでいない埋没壕が多数ある。戦いは壕内(日本軍)からの方が有利であるため、米軍は壕内に攻め込まず、入口をダイナマイトで封鎖した。現在、壕(ガマ)の入口は陥没し、草木が生い茂り分からなくなっているものが多い。
埋没壕の遺骨収集については、厚労省は実施方針を示す。
しかし、現場の建設工事会社と、遺骨収集会社は異なる。なぜ同じ会社がやらないのか納得がゆかない。

朝鮮特需の話が出たがメモが欠落。多分、戦争の武器を作るために、金属類を取りにガマに入った人がいることかと思う。。

遺骨収集するにも日曜日は、人員が少ない。
不景気なので、ホームレスの人達を教会が引取り、働きに出られる人は働きに出す。
厚労省は金を払って、業者にやらせる。
ホームレスの人達を手助けして、戦没者の声なき声に応えるのはどうかと考え、厚生労働省に訴える。
当時の厚生労働大臣・舛添要一に面談すると、対応が早かった。
緊急雇用創出事業を適用するので、沖縄県から厚労省に要請するよう促された。
しかし、沖縄県は、「遺骨収集事業は終了した」の一点張りであった。
「それならば」と、那覇市に相談すると応諾ししてくれた。
緊急雇用創出事業の雇用期間は、六ヶ月間であった。
作業面積は一人当たり一日4㎡と、遺跡発掘に準じた見積もりをした。
プロシスキーパーとガマフヤー協同で、真嘉比小学校南側の土地7,000㎡(2122坪)を発掘した。
2009年10月9日から12月10日まで、55人のホームレスの人達は、公園から出勤して172体を収集した。
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(写真 沖縄の闘いに連帯する関東の会発行「ナンクルナイサー」より転載)
まず、標高の高いところから下に向けて、等高線上を掘り進む。遺骨を探り当てると、遺跡の発掘調査のように、刷毛と竹串を使って丁寧に作業する。
軍隊手帳は紙の部分は無くなり、セルロイドのみ残っている。兵隊の認識票は、上官に取り上げられたらしく、一分隊13人分が纏まって出てきたこともあった。認識票は、少尉以上は名前が記載されているが、それ以下の兵隊は数字のみであった。172体を収集し、DNA鑑定したら、3体の身元が判明した。
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(写真 沖縄の闘いに連帯する関東の会発行「ナンクルナイサー」より転載)
日本軍の蛸壺は、直径60㎝、深さ120㎝あり、中から千人針の布に縫い込まれた穴なし五銭銅貨(四銭=死線を越える意)が出てくる。その蛸壺の中の遺体を発掘したホームレスの人は、「自分は、本土より沖縄へ死のうと思って来たが、遺骨収集により命の大切さを知り考えを変えた」と述べ、この仕事が終わったら故郷に戻ると言っていた。
アメリカ兵は、3日以上同地点にいて移動しない場合は、周辺の日本兵の遺体を集めてオイルをかけて燃し、埋めていた。そうしたキャンプ跡地には、C-レーション(携行食缶詰)やそれより古いK-レ-ションの残骸が出てくる。

遺体のDNA鑑定が規則化されたが、防衛省は南部の土砂を埋め立てに使う方針である。厚労省は2016年以降、遺骨のDNA鑑定を決定する。
沖縄戦では、20万人以上亡くなっている。そのうち、600体のDNA鑑定を実施した。
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(写真 沖縄の闘いに連帯する関東の会発行「ナンクルナイサー」より転載)
2021年3月1日、南部土砂採取禁止の為、沖縄県庁前でハンストを始めた。
南部・沖縄戦跡国定公園地域内、魂魄(こんぱく)の塔西側において土砂採取の計画(糸満市米須、沖縄土石工業、永山盛也代表)が明らかになる。この場所は、具志堅さんの話を聞く前に、平和ガイドの沖本さんに案内された所である。

2020年11月20日、防衛省に申し込みをする。
具志堅さんは、防衛省内部で共感者の出ることを期待した。遺骨が多数ある南部戦跡における土砂採取は「人の道に外れる」と訴えた。

2021年2月26日、防衛省に2回目の要請を行う。この度は、日本山妙法寺の僧侶も賛同して参加した。
2月17日、沖縄県選出、赤嶺政賢衆議院議員(1947年生れ、共産党、沖縄1区)は国会質問し、当時の菅義偉首相(1948年生れ)は、業者による遺骨収集に配慮を示すと答弁した。
防衛省担当者は、具志堅さんからの質問に対して、「南部に遺骨が多数あることは、新聞報道などで知っている」と答えた。「貴方達は、戦友(自衛隊の先輩)の遺骨を使って、アメリカ軍の基地を造ろうとしている」と更に突っ込んだ。
西銘恒三郎(自民党衆議院議員、沖縄4区、1954年生れ))も同じことを言う。沖縄では党派は関係がない。
自分はハンストをして、現実を人に知らせたい。
全国の地方議会に要請文を送り、いくつかの賛同を得られた(※4)。
(※4)解説:琉球新報(2022年12月30日付)によると、県内外の1743の地方議会に意見書の可決を促す要望書を送付。2022年12月21日までに、227議会が意見書を可決した。可決された意見書のほとんどは、遺骨を含む土砂やその可能性のある土砂は使わないことや、国の責任で遺骨収集することを求めている。

東京弁護士会は、「遺骨は遺族のもの、戦争基地に投げ込むな」と声明を出す。
靖国神社前でも座り込みを敢行したが、別に何ともなかった。
日本は、米国の属国と化しているが、米軍兵士の未収集の遺骨も含まれている。
戦争が起きたら、避難はシェルターにせよと言うが、建設を認めるのは、戦争を認めることだ。
「戦争があったら、お前らシェルターに入るなよ!」と右翼に言われた。

戦跡国定公園を航空写真で見ると、川状の緑の線が見えるのは、全て崖の未利用地である。
そこには遺骨がある。琉球石灰岩で構成される未利用地であるから、自治体による買取りを望んでいる。ふるさと納税金を財源に充て、全国的な問題として知らせたい。
最後に、なぜこの仕事を続けているのかと問われた具志堅さんは、「勝ち負けではない。不条理の中には、立ち止まっていられない」と答えていた。
以上

【補足】
 沖縄の闘いに連帯する関東の会発行「ナンクルナイサー」(2021.12.31発行)には、「第7回沖縄の闘いに連帯する集い」での具志堅隆松さんの講演の内容が掲載されている。沖縄訪問での講演を補足する意味で、その中の一部を転載させていただいた。
【「止めさせて!父を海に沈めないで!」家族の顔いに応えて・・・】
一昨年の4月、沖縄防衛局が大浦湾の軟弱地盤を埋めるために土砂が足りないということで、沖縄県内7力所から土砂を採取する届け出を知事へ出しました。その場所が遺骨収集の現揚とぶつかるのではないかと心配していたところ、その心配が的中し、まだ遺骨が残っている未開発の緑地帯から土砂を採取されることになってしまいました。
遺骨を見つけ、次の日曜日にまた作業をしようと行ってみると、周りの木が伐採されており、磁気探査をしている人に聞くと採石場になるということでした。
最初は業者を止めようと思いましたが、業者が採石をするのは需要があるからであり、需要ができたのは沖縄防衛局が計画を立てたことが問題だと考え、防衛局へ要請をすることにしました。
防衛局は、遺骨がまだあると知らないのではないかと思い、まずは現場視察を要請しました。すると防衛局は、「まだ決まったことではなく、内部で共有したいと思う」と返答しました。計画を立てた時に、南部にまだ遺骨があることを知っていましたかと聞くと、それには答えませんでした。「知っていたなら人の道を外れていますよ」と言っても、何も答えませんでした。
次に、計画の断念を要請しましたが、防衛局はその少し前に菅首相が国会で行なった答弁を繰り返すだけでした。その答弁とは、「業者が遺骨に配慮すると思う」というものです。それは業者が遺骨収集をするということかと尋ねても、何も答えません。
私はいろいろな人にこのことを伝えましたが、「いくら何でもそんなことはしないのではないか」という反応でした。多くの人にこのことを知ってもらおうと、「ハンガーストライキ」を行ないました。
すると、多くのお年寄りがやって来て、「どうにかして止めてください」と言われました。ある人は、「泳げなかった父親が陸路を逃げて死んでしまったので、その父親を海に沈めないでほしい」と言っていました。
私は「できるだけのことはします」と約束しました。
遺骨が含まれている土砂を埋め立てに使う話を聞いた人は、「国がそんなことをするのは間違っている」と言ってくれます。国に間違ったことをさせないため、全国の地方議会に「南部から土砂を採取しないでください」という意見書を採択させる取り組みを始めました。
【主権者=国民が決める! 「勇気」を出して国の方向を変えよう!】
全国の自治体議会は1,743あります。宗教者の人たちが協力してくれ、全国へ要請書を発送し、138議会から「国に要請しました」という回答が届きました。しかし、ほとんどの議会では採択に至っていません。郵送された要請書は議長預かりとなり、地元の人が議会に提出しないと審議されないところが多いのです。
議会への要請は国民としてできる権利です。そのために必要なのは「勇気」です。勇気を出して国の方向を変えましょう。
私たちは主権者です。国の方向を決めるのは私たちです。

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