野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2019年05月

前回のブログでも紹介したが、「明大土曜会沖縄ネットワーク」では、4月16日から4月19日まで、沖縄・辺野古現地統一行動に参加した。今回のブログは、この現地闘争報告である。

【辺野古現地闘争に参加して (standing on the Henoko beach in Okinawa)】
 
土曜会沖縄ネットワークは4月16日から4月21日まで、13名参加の現地闘争を展開しました  <報告: 明大土曜会H  2019.5.6>

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1) まずは団結式でしょう !!
芝工大全学闘、明大土曜会を参集の出発点にした、その土曜会沖縄ネットワークが生まれたのは今年の1月中旬でした。その目的は、①沖縄連帯の運動や集会に参加する、②我々自身で沖縄を語れる場をつくり横に広めていく、③辺野古現地闘争に参加する、④沖縄の人々との関係を構築することでした。
かくして3ケ月後の4月16日、那覇空港で3グループ(明大G・芝工G・気仙沼G)13名がドッキングして一路、辺野古経由で名護市に向かいました。かつてはキャンプシュワブの海兵隊でにぎわった「辺野古歓楽街」は昔の面影を残している店がチラホラなので、団結式は名護ビーチ近くの沖縄料理屋に陣を取った。
まずは自己紹介なのだ。大学別では東工大1、東洋大1、横浜国大2、明治4、芝工4に沖縄に移住し、首里城修復の従事経験を持つ芝工建築科のNさんが合流した。

2) 辺野古新基地と<キャンプシュワブ>
「1966年、ベトナム戦争の真っ最中に米国の海兵隊と海軍はキャンプシュワブに接する辺野古の海を埋め立てて、V字滑走路とヘリパッドを持つ飛行場と大浦湾側に巨大な軍港建設を構想した。
戦争による米国の財政悪化は新基地の建設を許容するものではなく長らくお蔵入りしていたものだ。
1996年、県内移設の条件付きで普天間基地返還が発表されて以来六年。結局は政府が考えていたとおりの、基本的には、アメリカに占領されていた時代の辺野古埋立―巨大な新基地を日本政府が財政負担して建設する計画に落ち着いた」
(七つ森書館 由井晶子『沖縄 アリは像に挑む』より 以上要約)

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 写真は米軍作成のイメージ図であり、国道329キャンプシュワゲート前の辺野古テント村に掲示されている。
<キャンプシュワブ>は辺野古に隣接しており、国道329号の西側内陸部のシュワブ訓練地区と東海岸のキャンプ地区に分かれ、キャンプ地区には活断層が走っているといわれる辺野古弾薬庫がある。
1950年代は砂川闘争を頂点とする本土の基地闘争が激化していた。本土の反米反基地反核感情を懸念した米政府は山梨県、静岡県、岐阜県の海兵隊を沖縄に移駐させた。キャンプシュワブは沖縄地上戦で戦死した海兵隊員の名前をとって1956年11月から運用が開始されている。先のイメージ図にある通りキャンプシュワブは核が常在する海兵隊基地でもあった。在日米空軍の横田基地弾薬庫には今も核運用部隊が常駐しているのだから辺野古弾薬庫も同様であると思われる。

3) 沖縄に来たら安和桟橋の土砂搬入阻止でしょう !!
4月17日は水曜日、毎週水曜は名護の琉球セメント前の安和桟橋からの埋立土砂搬入搬出阻止集中闘争日であり、朝7時半からダンプ1台でも1分でも遅らせる抗議行動が展開されています。

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まず合法スレスレの順法闘争は、①国道に数珠つなぎになって一台づつ右折して入ってくるダンプを遅らせるため横断歩道をゆっくりと青信号から赤に変わる直前までの「牛歩」戦術、②桟橋入り口でのスタンディングと何回も何回も回る「ぐるぐるデモ」戦術、③桟橋前の国道をゆっくりと走る「エコドライブ」戦術、④出港時のカヌー隊がぎりぎり船まで近づいて海保との「いたちごっこ」戦術として展開されているのです。
 陣頭指揮の山城博治さんがシュプレコールを連発する「土砂搬入を阻止するぞ」、それに答えて「ワッショイ」「ワッショイ」、抗議は約150人、カヌーは15艘が出た。大幅に出港が遅れた積み出し船は午後4時に出ていくが、カヌー隊と岸の部隊が呼応しエールを交換、加藤登紀子の「美しき五月のパリ」のメロディに乗せて、{辺野古を返せ}が歌われる。<<座り込めここへ 今こそ立ち上がろう>>
続いて、沖縄返還闘争で歌われ今も反基地闘争のシンボルになっている{沖縄を返せ} だ。
<<沖縄を返せ かたき土を破りて 民族のいかりにもゆる島 沖縄よ 我らと我らの祖先が 血と汗をもって 守りそだてた沖縄よ 我らは叫ぶ 沖縄よ 我らのものだ>>
我々も沖縄の人々の抗議活動の輪の中に入って、こぶしを空に突き上げて必死に抵抗する、力を合わせて巨大なものを押し返えさなければならない。現場に立てば学生時代のエートス(心性)が蘇ってくるのです。
抗議活動が無ければ通常10トンダンプ300台×3回が入り、3艘の積み出し船が出る。この日の戦果アギヤーはダンプ10トン換算で170台搬入に止め、満載できないままの2艘が大幅遅れで出航した。
 沖縄県の独自の辺野古新基地建設の工期試算は辺野古・大浦湾の二本の活断層と軟弱マヨーネズ地盤が発見される前でも10年であったし、今、建設工事を止める沖縄県の権限と辺野古反対の7割のウチナンチュの民意が加わっている。
一日中マイクを握って阻止行動を指揮している山城博治さんは「逮捕者は1名も出さないと戦いと」言う。沖縄の変革主体である市民を中心に、10年以上は続くであろう辺野古新基地建設反対運動の本質なのではないのだろうか。
 横田基地の爆音訴訟原告の方とお会いした。16日は高裁那覇支部で「普天間爆音訴訟」原告約3千4百人のへの判決言い渡しがあったとのこと。

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安和桟橋での集会のあいさつでは、「普天間爆音訴訟」の島田団長がマイクを握り腹の底から判決への強い怒りを表明した。「判決は一審から後退したものであり司法に希望を持てない。地位協定で日本は米軍基地の管理権を持っていない。立派な当事者行為なのに砂川事件以来の第三者行為論を持ち出してきた。こういう裁判を受けるのはみっともないことだ」
ちなみに、基地爆音訴訟は普天間基地、嘉手納基地、岩国基地、厚木、横須賀基地、横田基地の周辺住民原告合計約2万人によって争われています。
いつも我々に「沖縄現地報告」を送ってくれている、沖韓民衆連帯平和ガイドのOさんから土曜会の紹介があり、「辺野古に基地はいらない」の土曜会沖縄ネットワークの旗二本とともに明大のY氏が連帯の挨拶をしました。「今回は13名でしたが昔の学生運動仲間に呼びかけ沖縄連帯を進めます」、拍手拍手をいただきました。
僭越なのですが、福島でもそうであったが、沖縄アクションを通した本土全共闘世代の
もう一度の社会復帰を願ってやまないものであります。

4) 沖縄に来たらキャンプシュワブ前の座り込みでしょう !!
18日朝、シュワブ前テント村まで徒歩10分。オール沖縄が支援している「民宿クション」に旅装を解いた。まるでバックパッカースタイルの宿なのである。夕食は400円、朝食付き宿泊は2000円というありがたさだ。
毎朝8時から抗議行動が行われている、シュワブ前の工事車両出入り口に行く。搬入ダンプは午前9時、午後1時、午後3時にまとまってやって来て数珠つなぎになる。
「機動隊は座り込みの邪魔をするな」「機動隊は市民を守る任務につけ」、「ワッショイ」の声が聞こえてくる。この日9時前には約150人の座り込みの隊列が出来ていました。

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「現場の力で搬入を阻止しよう」「ワッショイ」「ワッショイ」。ふと思い出したが、前日のカヌー隊からの挨拶と本日のマイク指揮をしているのは1960年沖縄生まれの芥川賞作家の目取真俊さんではないだろうか。
ここで{辺野古の海を返せ}の歌を、次に{沖縄を返せ}、鬼太郎の替え歌{ゲゲゲのゲート}、リンダの{こまっちゃうな機動隊}が歌われていく。{辺野古を返せ}は沖縄返還の時のシンボル歌だが、今も反基地闘争のシンボルとして歌い継がれている。
座り込み隊列の前に青服の機動隊が立ちふさがる、「機動隊、排除警告はまだ5分早いぞ」「そうだそうだ」、だが排除開始の号令でごぼう抜きが次々と始まる。
ダンプ搬入のちょっとした合間を見て、また隊列が組まれ座り込みが再開される。だから一日5回から6回は強制排除されるのである。

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今、そして振り返れば沖縄戦の後の歴史性からも平和な政治にしようとしているのは、「生活や生命を守る」という根源的なかつ生活者感覚から発せられる民意ではないだろうか。辺野古は、権力という大きな力が小さな力をねじ伏せ押し殺し戦争に傾いていくその歪んだ現場ではないだろうか。
シュワブ前のテント村は人間の居場所である。
隣に座った日本山妙法寺のお坊さんと砂川闘争のことで会話を交わした。沙門のKさんは辺野古に道場を持っており、砂川の妙法寺宝塔を出発起点とする3月のビキニデーと8月の広島平和行進に参加しているので砂川平和ひろばには行きましたと言っておられました。
辺野古アクションを介して、このような市民的不服従のいろいろなつながりと再会が生まれているのだろう。テント村では芝工のYさんが、「辺野古に来れば沖縄の人がなぜ戦っているのか肌身で感じます」と連帯の挨拶をしました。
そういう縁であろう、同日夕刻。明大グループと芝工のS氏はかつて明大生協の職員で辺野古テントに5年前から常駐するH氏と、米兵相手だったかつての辺野古酒場で酒を飲みかわし旧交を温め、辺野古現地情勢についていろいろ教えていただきました。

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5) 土曜会沖縄ネットワークの行動
我々の辺野古前統一行動日は17日、18日であった。明大グループは17日のデモが終わった後に、72年沖縄大学自治会委員長、反戦地主でありチビリガマの平和活動を続けている読谷村の知花晶一さんの民宿に宿泊しました。ここで「沖縄現地報告」を提供しているOさんと再合流しました。翌朝はシュワブ前に合流しました。
芝工・気仙沼グループは20日の毎週土曜に行われている「辺野古デー」まで戦い抜いた。
 明大のSとHは昔の伝を頼って19日夕刻、那覇で「沖縄タイムス元論説委員のNさん」「沖縄平和市民連絡会のOさん」と台湾料理居酒屋で合流した。昔談議にひと花咲かせた後、Nさんから全共闘世代の在沖の活動家はいろいろ紹介する、土曜会沖縄ネットワークの沖縄現地展開については協力するとの言葉をいただきました。
本現地闘争報告の最後として、沖縄タイムスNさんの玉城デニー知事評価といたします。
①3区補選に出ている「屋良」は、僕の後輩記者で基地問題には熱心な男だ、ああいう男が国政に加わるのはいいことだ。だからデニー知事も押したんだろう。
②デニーは彼が選挙に出た最初から着目していた。既存の政治の枠の中に身を置き、その序列に甘んじることはいさぎよしとせず壊してきた。
③平和だのみの革新スタイルには違和感をずっと感じて来た人だ。
④デニー知事はアィデンティティーからも差別を受けたであろう。そういうことを知っている人だ。
⑤官邸筋は、デニーは政治経験も薄くあいつはバカだと言っているが、評論家の森本が官邸にご注進したように、「ああいう男がこれからの沖縄を変えていく」のではないかと実は内心危機感を持っている。だから翁長さんはそのことを良く見抜いて後継者の一人に押したのだろう。

【Nさん】:1950年那覇に生まれる。東京外大OB、都庁勤務を経て74年沖縄タイムス
入社。医療、福祉、環境担当、78年基地問題担当を経て学芸部長、編集局長、取締役論説委員などを歴任。現在、客員論説委員。
追伸:Nさんの、沖縄の変革誌「越境広場 5号(2018.11)」での仲里効さんらとの座談会「復帰後の沖縄を巡って」での発言や「戦後沖縄の転換点―自立をめぐる攻防の行方」での論調については後日紹介いたします。
 
(終)

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【お知らせ】
ブログは隔週で更新しています。
次回は6月7日(金)に更新予定です。

今回のブログは、4月6日に開催された「明大土曜会」での沖縄・辺野古報告である。「明大土曜会」は明大出身者に限らず、芝工大や日大などを含めた幅広い人たちが集まる場であり、毎回、ゲストを呼んで話を聞いたり、情報交換を行っている。
4月6日は、沖縄問題に取り組んでいる明大二部出身のN氏から最近の沖縄・辺野古の状況について報告があったので、その内容を掲載する。

「私は毎月、救援連絡センターのニュースに『辺野古レポート』を書いています。最新の辺野古、高江、沖縄をめぐる情勢をできるだけ事実に即して報告し、あまり主張とか押し出さないスタイルでやっています。
 皆さんも沖縄に関心のある方が多いので、大体はご存知だと思いますが、近々の動きで言うと、例の辺野古への土砂投入の段階ですけれども、3月25日に第二工区に新たな土砂投入を開始しました。前回からやっているものとあわせると、面積でいうと4分の1くらいということです。

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辺野古崎をはさんで浜のあたりを土砂投入を始めているわけですが、比較的浅い海域なので工事がやりやすいというか、本来の工事日程からすると、実は大浦湾の方からやることになっていたんですけれそも、それ自体が工法変更なので、本来なら変更申請しなければいけない部分ですが、それを無視して浅瀬の方から今始まっているところです。
2月24日の県民投票で、投票者総数の72%ではっきり出された『辺野古基地反対』ということを全く無視をするというか聞く耳を持たない形で進めてきています。それは現在もなお連日続いているという状況です。
土砂の積出港については、名護市安和の琉球セメントという民間会社の桟橋から、土砂を台船に載せて、ここまで持ってきて土砂投入する、K-9護岸にいったん下ろして、そこからトラックでまた運んできて、どんどん投入するという状況が毎日毎日続いています。積出港の安和は沖縄の中でもかなり辺鄙なところで、そんなに簡単に行ける場所ではないんですけれども、地元の島ぐるみ会議の人たちが中心となって抗議行動をやっています。毎日毎日動員はできなくて、毎週水曜日が集中行動日ということで、その日は100数十名くらい集まって抗議行動をやっているということです。抗議行動も、辺野古のキャンプシュワブのように座り込みできるようなスペースがなくて非常に危ない。琉球セメントの敷地ぎりぎりに道路が走っているので、座り込んでいるような場所じゃないので、順法闘争ということで隊列を組んでワッショイワッショイしながら、トラックが100数十台くらい来るんですが、県道からゲートに入るには右折しなくてはいけなくて、どうしても青信号を1回見てから右折しなくてはいけなくて、せいぜい1台くらいしか入れないらしい。それを3台くらい入れたいらしいんだが、阻止しようということで、歩道をゆっくり歩きながら妨害するという順法闘争をしながら、ダンプの搬入をできるだけ減らすということで、かなりいろんな知恵を絞ってやっているそうです。毎日毎日は大変だけど、水曜日はそれくらい集まるので、相当止められているそうです。それでかなり工事を遅らせているという成果を、それとして挙げていると聞いています。とにかく人が少ないという現状です。
キャンプシュワブの方では、新たな護岸工事が始まっています。辺野古崎のN4護岸を作って、そこからK8護岸まで伸ばしている。土砂の搬入はK9護岸しかないので、新たに護岸を作って、そこを搬入する拠点にしようと狙っているのではないかといわれている。そこに山石など投入して護岸を作っている。ここにもサンゴが残っていて、最近のニュースだと貴重なサンゴが辺野古崎に何点かあるんだけれども、それを移植しないままやろうとしている。防衛省の方は移植する対象ではないと相変わらず開き直っているんですけれども、実は移植すべき貴重なサンゴがここにあるという指摘もされています。そういう工事が今、着々と進んでいる。
一方で。工事は進めていますけれども、全体的な構想でいいますと、この間言われていますが、大浦湾側の方がマヨネーズ並みという軟弱地盤が広がっているということが分かってきて、数年前から指摘されていたんですが、防衛省はなかなか認めなかったけれど、今年になってついに認めざるを得なかった。いろいろと調べてみると、大浦湾側の予定地域のほぼ6割から7割くらいに広がっているのではないかといわれている。最大深度で水面下90メートル、70メートルくらいのところも相当広くある。それを地盤改良しないと出来ないので、最近の話だと砂杭(鋼管を打ち込んで内部に砂を流し込み、杭状に固めて鋼管を引き上げる)を打ち込んで、それを地盤にして、その上に作るという、それが計算上では陸上部も含めて7万7千本、大変な量なんです。試算では650万立方メートルという砂が必要だと。これは沖縄で3年から5年分の採取する量なんです。沖縄県の工事を全て止めてここに投入できるかという話で、それだけの砂をどこから持ってくるのかという見通しも見込みも全く立っていない、というような実態があるんですね。一方、90メートルになるところもあって、実績でいうと、90メートルに及ぶ砂杭を打てる船とか設備はないということです。70メートルしかないし、国内に数台しかない。ほとんど実績もないし設備も整っていない。なおかつ90メートルの地盤改良には足らないわけで、どうするんだと言うと、70メートル下は固い地盤ですということを言っているんだけれども、聞いてみると、実際のその場で測ったんじゃなくて、近くを測ったものを流用して、そういうことが想定されるという全くいいかげんなことを言っているみたいで、そこまでのデタラメなやり方なり説明をして進めているということです。いわば言葉でごまかし答弁をして、それで多少は世論をごまかせるかもしれないけと、土地は地盤はごまかせませんから、それが破綻するのは目に見えている。しかしながらとにかくやるんだということです。しかし、ここまで大きな変更になると、さすがに変更申請しなくてはならなくて、変更申請の対象は県知事なんだけど、県知事は絶対に認めないと言っているので、変更申請しても認められる見通しはないんだけれども、場合によってはそれも裁判で訴えて強引にやるかも分からない、という話もあります。
それともう一つは、この前からいわれている活断層。楚久断層と辺野古断層が交差するあたりに、相当の活断層が存在していることが前からいわれていて、先日、地質の研究者などが改めてその周辺を調査したらしいんですね。音波探査などやって、明らかに活断層があるということを報告しています。防衛省も実は知っているはずなんだけど、そういうことはありません、と開き直っていて、調査状態も発表していないので、調査の公表を求めているそうです。ただ、活断層もかなり新しい年代だという説もあって、もし仮に活断層が実際にあるとなれば、米軍は絶対に認めませんので、そういう欠陥空港を仮に作ったとしても、果たして米軍は、ありがとうと、使わせてもらいますと言うかどうかも疑わしいという全く展望のない状況があります。それが最近の動きです。
今後の見通しについては、私の方でとやかく言えるわけではないんですけれども、土砂投入については来年の夏くらいまでかけてずっとやろうということのようです。現地の方からの要請としてはとにかく人が少ない。闘争の現場がキャンプシュワブだけだったのが、4月から元々積出港にしていた本部の塩川港が、台風被害の補修工事が終わったので、それもまた始める。そうすると、キャンプシュワブと塩川と安和と3箇所が現場になっているので、こちらも人が足りない。とにかく1人でも多く現地に来て欲しいというのが現地の声なので、僕らもできるだけ辺野古に行こうよということで、4月5月からキャンペーンを始めて、派遣カンパだとか人の募集などやっていこうとしています。それが現地からの切実な声ということです。

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3年前の高江でのヘリパット建設強行に対しての反対運動を封じ込めるため、全国の都道府県から機動隊が派遣されたんですけれど、その中で特に警視庁の機動隊が派遣されたことは違法だということで、訴訟を始めたんです。私も原告の一人ですが、東京都は警視庁に都民の税金を不当に使ったので、都知事が警視庁に返還を求めるという請求なんです。被告は小池知事。東京都の方は門前払い、争点にならない、通常の給料を払っているので特別ではないということを言っているんですけれども、裁判長がかなり関心を示してくれていて、実質審理が始まって証人尋問が始まったんですね。ついこの間も3月20日に証人尋問がありまして、3回目が4月24日、是非よろしかったら来て下さい。画期的な裁判になったし、第一回目が重久という警察長の中でも高級エリートで、この高江の機動隊派遣のためだけに、警察庁(警察庁警備局外事情報部国際テロリズム対策課理事官)から出向して、その期間だけ沖縄県警の警備部長に就任したんですね。終わったらまた帰ってきて、今、警視庁警備1課長をしている。その人の証人尋問をしました。それと昆虫研究家とか映像作家とか弁護士の証人尋問がありまして、今度は、高江で実際にヘリパットに反対する住民の人2名と土木技術者と原告の1人の証人尋問をするというこになります。
以上です。」

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明大土曜会の沖縄ネットワークでは、この「明大土曜会」の後、4月16日から4月19日まで、沖縄・辺野古現地統一行動に参加した。詳細報告は次回のブログに掲載予定であるが、統一行動の写真を何枚か掲載する。

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(土砂搬入抗議)

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(土砂搬入抗議)

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(辺野古ゲート前)

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(本部・塩川港)

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(強制排除)

(終)

【重要なお知らせ!】

ヤフーのジオシティズの閉鎖に伴い、「明大全共闘・学館闘争・文連」のホームページを「さくら」レンタルサーバーに引っ越しました。
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