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手元に「関学闘争の記録」(関西学院大学全学共闘会議出版局発行)という冊子がある。この冊子と当時の新聞記事を中心に、何回かに分けて関西学院大学闘争の経過とその内容について掲載していきたい。

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今回のブログは5回目、9月27日のNo527で掲載した関西学院大学闘争の記録の続きである。1969年2月の法、文、商、社、経、神の学部校舎の再封鎖の写真とノンセクトの動向について掲載する。
まず、1969年2月の闘争の経過を、この冊子に掲載された「闘争日誌」で見てみよう。

【闘争日誌】(関学闘争の記録より)(抜粋)
1969年
2.15 全共闘、「機動隊導入による強権的闘争圧殺」に抗議して、法、文、商、社、経、神の学部校舎を再封鎖。サークル闘も、学館を占拠し泊り込む。学院側、「ロックアウト」を宣告。
2.17 県警、被逮捕者の自宅、下宿など22か所を強制捜査。
2.18 学院本部再封鎖。
2.19 同窓会館を封鎖。
2.21 第1教授研究館、同別館、第2教授研究館の3建物をバリケード封鎖。キリスト者反戦連合も、宗教センターとランバスチャペルの自主管理に入る。
 学院側、26、27日に「全学集会」を開催する旨を、全学生に文書で配布。

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【ノンセクトの生誕とその動向】
革自同〈革命的自立主義者同盟〉
 明確な政治綱領と総路線を持った政治同盟ではない。社闘内部のある集団に対してつけられた名前であり、日常生活構造批判という論文を中心に結集したノンセクト活動家の集団である。彼らの問題意識は、’66年の薬学部闘争に始まり、’67年学費闘争の敗北過程に既成学生運論批判という形で、新鮮な問題意識をわれわれの前に提出した。大衆の意識構造の分析の中から、自分自身一個の大衆としての自己否定と、それを軸にした対象変革運動を通して、大衆の意識構造の中にくさびを打ち込んでいく彼らの運動輪は、既成学生運動全体に痛烈な批判をあびせかけていった。
 彼らの論理は今年の6項目要求闘争の中で具体化され、闘争の中で欠くことのできない存在として登場している、縦に二本の白い線の黒いヘルメットをかぶった彼らの姿は、闘争のあらゆる所に登場し、兵庫県警をふるえあがらせた革自同は、同時に、第5別館死守闘争をになった中心的な存在でもある。
 しかし、総路線と明確な政治戦略を持ちえない彼らは、全国学園闘争の展開の中で、個別関学闘争を突破する方針は提起しえても、全国政治闘争としての方針を提起しえないという限界性をもっており、この事は、革自同に結集する個々の活動家の今後の課題として提出されるだろう。

キ反連〈キリスト者反戦連合〉
 キ反連は、関学80年の〈キリスト教主義〉への葬送と帝国主義約再編の中で、人民抑圧政策を支えるものとしてある<建国記念><靖国神社国営化>への粉砕、阻止闘争に取り組んでいった。これは<キリスト教主義>なるものが現実状況の中で、果して存在し得るのか否か!という本質的な問いから出てきたものであり、真に牧歌的ムードの中で醸成されてきた自己への闘いであり、反キリスト教的教育を続ける学院権力への鋭い攻撃であった。
 2月21日宗教センターを自主管理、ランバス・チャペルをバリケード封鎖し、闘いの戦列に加わった。しかし政洽方針のなさと同時に、閉鎖的状況はぬぐいされず、この闘争を担う部隊として形成され得なかった。同志社やその他の神学部との横の連帯を志向している現在の状態に今後の飛躍かあるのでは!?

サークル闘争委
 1月18日、文化総部常任委員会の提唱により、生協、新聞総部、総部放送局、その他同好会の参加のもとに、サークル闘が結成された。ここで特筆すべきことは、昨年の文総の体質改善運動の展開と今年の闘争へのコミットという歴史的事実である。混迷と停滞の中にあり、事務執行機関に転落した執行部の解散
と規約改正、そして“状況に基く文化サークル運動を”とのスローガンを掲げた新執行部の成立があった。そして学生会館を拠点にしているサークル闘争委は、6項目要求闘争を闘う中で学生会館自主管理を主体的に担うとの方針のもとに、講演会活動、クラブ、クラスオルグ、入試阻止座り込み闘争を展開した。
以前までは闘争圧殺の担い手であったこの部隊が主体的に闘争に参加したという大きな事実があるか、この闘争の頂点である入試粉砕闘争において、情勢分析の甘さ、政治方針の欠落が指適され、大衆動員主義に陥る限界を持っていた。しかし12月12日“機動隊大学を、再度われらの手に”と全学的に学園奪還闘争が展開される中で、全共闘とともに学生会館主事室を占拠し、自主管理体制に入った。
 厚生補導の場と、して、学院権力のヘゲモニーに包摂され、箱庭的文化運動を続けてきたわれわれの訣別の辞であった。そして学館をゼミ討論、クラス、クラブ討論に全面解放し自主講座を提起したのである。しかし文化運動論の軟弱さのために、次第にまばらになっていく学生の前に、この闘争の総路緑化を図る「核」として存在しえなかった。今後の〈自主講座運動〉の展開がサークル闘争委の課題であろう。
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体育会有志適合             
 ’66年の薬学部闘争、 ’67年の学費闘争、そして今年の6項目要求闘争においても、常に学院当局の尖兵として登場してきた体育会の中から、一部ではあるが反乱者が登場した。直接的には1・24全学集会における学院当局への批判から始まり、数十人の学生を結集する中で、今までの体育会のあり方―自己の学生存在への追求を一切ぬきにして学院当局の論理に乗っかる中でしか行勤しえないーそのものに対する批判を提出していった。

4連協〈4年生連絡協議会〉
 43年度学費闘争において当時の4年生がスト解除=闘争終焉の旗印をかかげて登場し、闘争壊滅の主要因となったことの総括の中から結成された4連協は、6項目闘争の中で、「卒業すること」とは、一体いかなる意味を持つのか、について本質的な討論をなしえず各学部4連協の意見調整機関としての機能を出なかった。そのため各学部段階での計7名の卒業拒否者を出しながらも、それを全学4連協として深化できず卒業式を契機として崩壊の途を辿った。

1連協〈1年生連絡協議会〉
 各学年別の連協組織は去年の学費闘争の過程にも結成され、各学部闘争委員会の組織的中軸として活発な活動を行なっていた。しかし、去年の学費闘争は、各学部の枠を突破できず、全学的な組織として各連協が活動を開始したのは、今年の6項目要求闘争が展開されてからである。
 各学部闘争委の連合体としての全共闘から闘いの実態としての全共闘への発展の中で、全学的な運動の展開を指向して結成された全学l連協は、2・6機動隊導入の際には、サークル闘とともに座り込み部隊の中心として活動を展開していった。しかし、いまだ活動家集団としての限界をもっており、政治焦点のある時には活動できるが、ない時には実態をもてないというのが現実である。

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(つづく)

【全国学園闘争アーカイブス】
このブログでは、1968年から69年にかけての全国学園闘争の記録を掲載しているが、これまでに掲載した中から、いくつかを紹介する。
関西学院大学は関西なので、今回は同じ関西の大学である。
<龍谷大学>
1968-69全国学園闘争 龍谷大学編
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2009-11-27.html
<立命館大学>
1968-69全国学園闘争 立命館大学編 その1
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2010-05-21.html
1968-69全国学園闘争 立命館大学編 その2
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2010-05-28.html
1968-69全国学園闘争 立命館大学編 その3
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2010-06-11.html
<関西大学>
1968-69全国学園闘争 関西大学編 その1
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2010-12-03.html

【お知らせ その1】
10・8山﨑博昭プロジェクト2019秋の関西集会

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「1960年代から70年代の米国学生運動活動家リーダー、マーク・ラッド氏が語る!」
講師:マーク・ラッド(社会運動家)
日時:2019年10月26日(土)14時00分~17時00分
会場:エルおおさか 5F視聴覚室
大阪市中央区北浜東3-14 
地下鉄・京阪電鉄「天満橋」駅徒歩5分
参加費:1,000円
50 years ago, a momentum-driven mass movement that helped end the War in Vietnam, 2020 Now, a movement to end all imperialist wars.
1960年代から70年代の米国学生運動活動家リーダー、マーク・ラッド氏が語る!
50年前、時代の勢いに乗った大衆運動はベトナム戦争を終結させた。
2020年に向け、今こそ全ての帝国主義戦争に終止符を!
【マーク・ラッド氏のプロファイル】https://en.wikipedia.org/wiki/Mark_Rudd   
マーク・ウイリアム・ラッド(1947年6月2日生まれ)は、政治オーガナイザー、数学教師、反戦活動家およびカウンターカルチャーの象徴であり、1960年代後半のSDSとコロンビア大学ストライキ闘争や1970年代前半の極左暴力主義組織ウェザーマン・アンダーグラウンドとの関りで有名。
マーク・ラッドは、1963年に米国民主社会学生同盟(SDS)コロンビア大学支部に加盟、1968年には委員長に就任し、同年のコロンビア大学闘争で様々な問題、特にベトナム戦争に反対する反体制学生のスポークスマンとして活躍した。戦争の激化に伴い、マーク・ラッドは他の若い活動家リーダー達とともにSDSをさらに過激な路線へと導かんとしたが穏健多数派の反対に遭い、中国紅衛兵の影響を受けボブ・ディランの曲の歌詞からとって“ウェザーマン”を名乗り極左軍事主義的分派を創設した。1970年マーク・ラッドは、3人のウェザーマン・アンダーグラウンドの同志を亡くしたグリニッジビレッジタウンハウス事故爆破事件以後、当局からの目を逃れ地下に潜伏。7年間の逃亡生活を経て1977年に自首投降し、数年間獄中生活を送る。出所後ニューメキシコ州アルバカーキ市のコミュニティカレッジで数学教師を勤めるが、現在は同地にて引退。
2010年、マーク・ラッドは「アンダーグランド―私の人生とSDSとウェザーマン」という自叙伝を出版、その中で過去の闘争と自己人生を総括し、ウェザーアンダーグランドの路線と自己の役割を悔い改め、今では非暴力主義、民主主義選挙による変革を提唱しコミュニティ活動に献身している。

【お知らせ その2】
「糟谷プロジェクトにご協力ください」

1969年11月13日,佐藤訪米阻止闘争(大阪扇町)を闘った糟谷孝幸君(岡山大学 法科2年生)は機動隊の残虐な警棒の乱打によって虐殺され、21才の短い生涯を閉じま した。私たちは50年経った今も忘れることができません。
半世紀前、ベトナム反戦運動や全共闘運動が大きなうねりとなっていました。
70年安保闘争は、1969年11月17日佐藤訪米=日米共同声明を阻止する69秋期政治決戦として闘われました。当時救援連絡センターの水戸巌さんの文には「糟谷孝幸君の闘いと死は、樺美智子、山崎博昭の闘いとその死とならんで、権力に対する人民の闘いというものを極限において示したものだった」(1970告発を推進する会冊子「弾劾」から) と書かれています。
糟谷孝幸君は「…ぜひ、11.13に何か佐藤訪米阻止に向けての起爆剤が必要なのだ。犠牲になれというのか。犠牲ではないのだ。それが僕が人間として生きることが可能な唯一の道なのだ。…」と日記に残して、11月13日大阪扇町の闘いに参加し、果敢に闘い、 機動隊の暴力により虐殺されたのでした。
あれから50年が経過しました。
4月、岡山・大阪の有志が集まり、糟谷孝幸君虐殺50周年について話し合いました。
そこで、『1969糟谷孝幸50周年プロジェクト(略称:糟谷プロジェクト)』を発足させ、 三つの事業を実現していきたいと確認しました。
① 糟谷孝幸君の50周年の集いを開催する。
② 1年後の2020年11月までに、公的記録として本を出版する。
③そのために基金を募る。(1口3,000円、何口でも結構です)
(正式口座開設までの振込先:みずほ銀行岡山支店 口座番号:1172489 名義:山田雅美)
残念ながら糟谷孝幸君のまとまった記録がありません。当時の若者も70歳代になりました。今やらなければもうできそうにありません。うすれる記憶を、あちこちにある記録を集め、まとめ、当時の状況も含め、本の出版で多 くの人に知ってもらいたい。そんな思いを強くしました。
70年安保 ー69秋期政治決戦を闘ったみなさん
糟谷君を知っているみなさん
糟谷君を知らなくてもその気持に連帯するみなさん
「糟谷孝幸プロジェクト」に参加して下さい。
呼びかけ人・賛同人になってください。できることがあれば提案して下さい。手伝って下 さい。よろしくお願いします。  2019年8月
●糟谷プロジェクト 呼びかけ人・賛同人になってください
 呼びかけ人 ・ 賛同人  (いずれかに○で囲んでください)
氏 名           (ペンネーム           )
※氏名の公表の可否( 可 ・ 否 ・ペンネームであれば可 ) 肩書・所属
連絡先(住所・電話・FAX・メールなど)
<一言メッセージ>
1969糟谷孝幸50周年プロジェクト:内藤秀之(080-1926-6983)
〒708-1321 岡山県勝田郡奈義町宮内124事務局連絡先 〒700-0971 岡山市北区野田5丁目8-11 ほっと企画気付
電話  086-242-5220  FAX 086-244-7724
メール  E-mail:m-yamada@po1.oninet.ne.jp(山田雅美)

<管理人注>
野次馬雑記に糟谷君の記事を掲載していますので、ご覧ください。
1969年12月糟谷君虐殺抗議集会
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/1365465.html

【お知らせ その3】
ブログは隔週で更新しています。
次回は10月25日(金)に更新予定です。