2020年2月11日(祝)、東京・御茶ノ水の:連合会館大会議室で「高校生が世界を変える!高校闘争から半世紀~私たちは何を残したのか、未来への継承」と題したシンポジウムが開催された。

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(チラシ写真)
【プログラム概要】
Ⅰ部 1968 年は我々に何をもたらしたか ―自己否定を巡って― 山本義隆(東大全共闘)+高校全共闘(都立青山高校・麻布学園高校・教育大付属駒場高校・県立仙台一 高・慶應高校・灘高校・都立日比谷高校・県立掛川西高校・都立竹早高校など)が登壇予定 司会:高橋順一(武蔵高校・早稲田大学教育学部教授)
Ⅱ部 運動の現場から ―香港の学生・日本の高校生の闘い―
香港の闘う学生+日本の闘う高校生+高校全共闘+全中共闘などが登壇予定 司会:初沢亜利(ドキュメンタリー写真家、東北・沖縄・北朝鮮・香港などの現場撮影取材)
Ⅲ部 ぼくたちの失敗 ―僕たちは何を失い何を獲得したのか―
高校全共闘(都立上野高校・都立九段高校・新潟明訓高校・県立旭丘高校・県立千葉高校・都立北高校・ 府立市岡高校・都立立川高校など)+全中共闘(麹町中学・日本女子大付属中学など)が登壇予定 司会:小林哲夫(高校紛争1969‐1970「闘争」の歴史と証言 著者)

今回は、このシンポジウムの第三部の概要を掲載する。概要なので、発言を全て掲載しているわけではない。第三部はプログラムのタイトルと内容が変更となっている。前回、前々回とシンポジウムの第一部と第二部を掲載してきたが、今回で最後である。

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【第三部】
<登壇者>
金廣志氏(総合司会)
小林哲夫氏(進行)(「高校紛争」著者)
保坂展人氏(世田谷区長)
高校生・大学生10名

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「それでは第三部を始めたいと思います。第三部はたくさんの若い方が来ています。世田谷区長の保坂展人さんも来ていただきました。『高校紛争』の著者である小林哲夫さんに進行をお願いします。」

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小林「みなさんこんにちは。今日はありがとうございます。第三部は『ぼくたちの失敗』という企画になっていましたが、それを変更して『今、高校生はどう社会と向き合っていくか』ということで、高校生、そしてちょっと前まで高校生だった方々、例えば15年安保の時に高校生として国会前に来ていた方々に来ていただきました。
 一人ひとり簡単な紹介をしたいと思います。
Aさん、温暖化対策をやっている高校生2年生です。Bさん、高校2年生です。ティーンズソウルのメンバーとして中学2年から国会前に来ていました。Cさん、高校3年生です。同じくティーンズソウルのメンバーとして中学2年から国会前でスピーチしていました。すごいです。Dさん、大学生です。特定秘密保護法と15年安保の時に高校生として活動していました。Eさん、大学院生です。高校時代に制服復活反対の運動をしていました。Fさん、大学生です。同じく高校時代に制服復活反対の取り組みをしていました。Gさん、高校3年生です。校則の問題に取り組んでいました。Hさん、高校の自治問題を調べています。Iさん、高校の校則・自治問題に取り組んでいます。Jさん、高校時代に様々な問題に取り組んでいました。以上のメンバーで話を進めていきたいと思います。
まず、2010年代に高校生はどういう形で社会に取り組んでいたのか。2011年の東日本大震災の原発事故による反原発の時からの運動の流れがありますが、15年8月に高校生だけの単独デモがありました。また、高校生ユニオンというブラックアルバイトのことに取り組んでいる高校生がいました。この頃、多くの高校生がいろんな取り組みをしていました。高校生の政治活動は、1969年に文部省、あるいは各自治体の教育委員会が高校生の政治活動禁止というものを出して、それが40何年ぶりに政治活動はいいということになったんですが、例えば校内でビラを配るとか、教室で何かをすることは相変わらず駄目だった、学校によってかなり線引きされていた、そういう時代です。この年に18歳選挙権も議論されています。皆さんが60年代に取り組んでいた高校生の政治活動禁止反対の運動というのが、何十年ぶりに2015年に世の中に出てきたということです。政治活動と言っても、政治活動する場合、届け出なければいけないというのが自治体によっていろいろありました。届け出なくてもいいというところと、届け出る必要があるというところと。ティーンズソウルが届け出反対という抗議活動をやっていました。元々、政治活動禁止という言葉はおかしな話で、高校生であろうが中学生であろうが何をやっても構わないわけで、それに政治活動という枠をはめるのがおかしいんじゃないか、というような問題意識を当時持っていたわけです。60年70年の頃、高校生が国会の議員会館で記者会見をしたことがあったのか分かりませんが、ティーンズソウルの高校生・中学生は国会の議員会館で制服のまま『これからデモをやります』という記者会見を開きました。一番最初にお話しした高校生のデモというのは、制服デモと言われていました。昔ですと制服反対というロジックでしたが、逆に5年前の高校生は、自ら制服を着ることによって、高校生がこういう抗議活動をやっているということを表したかったという、一つの高校生の象徴としてそれを利用しようという思いがあったんじゃないかと思います。

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18歳選挙権は学校が正直混乱します。何をどうやって教えたらいいか分からない。その中で高校たちは投票に行こう、ちょっと政治に関わろうという話をすることになります。2015年の高校生と69年の都立青山高校全共闘のOB・OGたちが何故か話をしたという報道がされたこともありました。英語の大学入学試験で、民間試験導入に反対する高校生が文部科学省前で抗議しました。これも高校生の社会運動を振り返った時に、試験の内容に疑義を挟むというのは、たぶん戦後の高校生の運動の中ではなかったと思います。浜松のある高校が温暖化対策を求めてグロl-バル気候マーチで学校ぐるみでデモをした、しかも野球部が全員デモに参加した。暑くて練習できないという理由です。高校単位のデモは麻布高校のデモ以来ではないかというくらい僕にとっては衝撃でした。
限られた時間ですので、皆さんから一言意見を言っていただいて話を進めていきたいと思います。その中で保坂さんからコメントをいただきたいと思います。」

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Aさん「Fridays For Futureをご存知ですか?地球温暖化により気候変動が起きて深刻化しています。日本では台風が来たり、西アフリカでは干ばつ、オーストラリアでは山火事、このようなものは全部気候変動の影響で起きていると言っても過言ではなくて、この8年間で行動を起こさないと歯止めが利かなくなるというところまで来ています。それで大人たちは何もしない、それで子供たちが何かしないといけないという運動なんですけれども、Fridays For Future『未来のための金曜日』という意味なんですけれども、始まったのは2018年に、スエーデンのグレタ・トゥーンベリさんという女の子が、18歳の時にスエーデンの国会議事堂の前で気候変動に対してもっと具体的な対策をしてくださいとサインを持って座っていたんです。それが始まりだったんですが、1年で760万人も参加者が増えたんですね。これは子供だけでなく大人もいるんですけれども、毎週金曜日に学校ストライキをして外でデモ活動を行うという内容です。これはいろんな形があって、デモだけじゃなくて、マーチ。歩くだけじゃなくて例えば歌を歌ったりとか、いろんなクリエイティブな感じでやっています。
日本はどんな感じかというと、日本もFridays For Futureがもちろんありますが、他の国と比べると、とても規模が小さいですね。それはすごく恥ずかしいんですけれども、私たちの主張というのは、『勉強したって住める環境がなければ意味がない』ということです。大人たちは、これは私たちの問題だから私たちが解決するから、あなたたちは勉強しなさい、と言う。でもそうやって勉強して、大人たちが何もしなくて8年が経って歯止めが利かなくなる、そして住める環境がなくなるじゃないですか。今、一生懸命勉強したって、住める環境がなかったら意味がないんですよ。だから私たちは活動を行っています。
去年の2月に20人くらいが集まってプラカードを持つという感じだったんですけれども、11月29日に全国の気候マーチがあって、東京では2,800人が参加して、全国では5,000人が参加しました。これも小規模なんですよね。これから絶対伸ばします。(拍手)
私たちが求めるものは、気温上昇を1.5度以内に収めることです。IPCCの報告書では、1.5度以内に収めないと、どれくらいの生物が絶滅するとかそういうレポートがあるので、是非あとで自分で検索してください。IPCCに企業や政府が従うこと、そしてクライメート・ジャスティス、気候正義です。気候正義というのは、例えば私たちはみな被害者であり加害者もあるんですね。若い世代は結構被害者なんですけど、何故かというと、上の年令の人たちが政治で気候変動を加速させるようなことを行ったり、企業がそのようなことを行っているわけじゃないですか。私は17歳で選挙権はないですが、私たちの未来の事じゃないですか。私たちが一番影響があるんです。しかも、二酸化炭素を全然出していない国が、二酸化炭素を一番出している国に影響させられる、そういう風に不正義なんですね。ですから私たちは気候正義を訴えているところです。
次のマーチは4月にあります。是非、お友達をたくさん呼んで参加していただけると嬉しいです。これは私の問題とかあなたの問題とかじゃなくて、みんなの問題なので、是非、なるべく多くの人に参加していただきたいと思います。」(拍手)

小林「Dさん、15年安保の時の高校生の話をお願いします。」

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Dさん「この前まで高校生でした。まずティーンズソウルがどういう団体か簡単に説明させていただきます。シールズという団体を覚えていると思いますが、安保法制が安倍政権によって成立させられるというような時代が2015年だったんですが、その時に中心になって抗議行動したのがシールズで、まずメディアに取り上げられたと思うんですが、その他にもいくつか団体がありまして、ティーンズソウルは、シールズの中でも個人情報の問題が途中で取り上げられている中で、高校生たちは離れてもらおうかという話が出た時に、僕らは僕らで独自でやっていこうということで、基本的に協調して行動していくこともあったんですけど、そういう形で出来た高校生グループです。僕らが入ったのは9月10月なので、8月の時はメディアで知っている状態でした。
ティーンズソウルにはどういった人たちがいたかということですが、高校生を始めとする10代がいました。安保法制が日米同盟を強化して安全保障環境を悪化させる、それから日本国憲法の九条に違反するものである、集団的自衛権の行使は認められない、こういう論理の基にやっていました。高校生でどんな人が参加していたかというと、60年代の方たちとは違い、必ずしも進学高の高校生がいたわけではありませんでした。帰国子女が多い学校から来た高校生もいましたし、私立の自由な校風のところから来た人もいましたし、あるいはキリスト教とか、いろいろな宗教を信仰している高校生で、その点から反対しているという方もいました。非常に多様な方がいたと思っています。
高校生の政治参加の届出反対ということも、もちろんやってはいたんですけれども、それは18歳選挙権が翌年から始まるということになったので、高校での政治活動を認めるという通達が出たんですね。おかしな話ですけれども。政治活動をやる時は届出をしなさいという学校だったり、禁止しますという学校が出たわけです。僕がいた学校はそもそも制服もない学校で、制服もないし、そういう規則もないという比較的自由な高校にいたんですが、そういう届出が必要な学校が日本のどこにもあるのは、非常にナンセンスなことだ、というような意識がありまして、反対活動をしました。メンバーが学校の中でどういう目に遭ったかというと、自由な校風の高校では特に何も言われなかったり、そもそも政治が話題になることが少なかったりという問題がありましたが、授業で例えば、この人はこういう活動をしているからと当てられないとか、先生から直接文句を言われたりとか、そういう目に遭ったメンバーもいまして、弾圧というか停学にさせるぞというような公のものはなかったんですが、そういう風な圧力をかけられていることはありました。
そうした中で、私たちが取り組んだ中で、60年代の高校生とは違う点で言うと、同級生にこの輪を広げようということにかなり意識をしました。というのは、例えばデザインを若くしたりとか、若めのを意識して出したりとか、メディアに取り上げてもらうことを意識していたのは60年から比べると珍しいと思うんですが、メディアの拡散力、それからSNSの拡散力を重視した団体でありましたので、デザインや感じを若くして、デモはサウンドデモといって、若い人に人気があるアーティストの曲を、デモがやりやすいテンポに変えて、すごい早い行動をするという、コールアンドレスポンスと言って、『民主主義って何だ!』と言ったら『これだ!』と言って返してもらうとか、そんな風な形でデモをするというのが特徴的な団体でした。
ただ、学校ではどうだったかというと、各学校2、3人いればメンバーとして多い方で、基本各高1人ずつのような感じで、全体としても全国で100人、実際よく集まるのが30人くらというところが限度でありまして、『安倍首相が・・・』というような話を周りですることもなく、『安倍首相が・・・』という話を周りでしているなと思ったら、巨人の阿部選手の話だった(笑)。これが限界でした。そういった中でも、どうやって参加してもらえるかな、こういうことを周りに少しずつ話したりとか、授業でそういう事が出たらそういう話をしてみたりとか、結構それとは違うという意見をもらうことも多かったんですけれども、そうやって対抗することを重視しながらやって行ったのが僕らの世代ではなかったのかなと思います。」(拍手)

小林「Fさん、高校時代に急に制服が復活した。それに対する思い、考え、取組。それから大学に進まれてから高校生のブラック校則に取り組まれた、ご自身の経験からお願いします。」

Fさん「都立高校の1年生の時に、その時の校長先生が一方的に『校則を変えます』という発表をされて、それに生徒会役員として反対していたということがありました。高校1年生の時なので、鮮明な記憶ではありませんが、高校生の時の話をしたいと思います。
私が通っていた高校は、自主自立を重んじる校風を謳っている高校で、一応、髪の毛とか制服とか見た目に関する校則はない学校でした。髪の毛を染めている人もたくさんいましたし、ピアス開けている人もいましたし、制服も標準服制度というもので、着ても着なくてもいい、まあ買わなきゃいけないんですけれども、というようなもので、これは恐らく遥か昔の先輩が校則を変えてくれたから標準服制度なんだろうなという感じなんですけど、それを校長先生が秋の中学生向けの説明会で『染髪は禁止にします。制服制度を導入します』というのを発表してしまって、私たちが高校生として思っていたのは、中学生向けに最初に発表してしまったというのがすごく汚いというか、先にこっちに説明しろやみたいな感じでみんな怒っていて、それでいろんな活動、署名をしてみたりだとか、臨時の生徒総会を開いてみたりだとか、結構やったんですけど、結局、校長先生としては『校則を変えるというのは校長先生の仕事だから、君たちの意見は関係ないよ』ということで校則は変わってしまって、私の高校は、今は制服制度が導入され、染髪等も禁止という校則になっています。
私自身が『アルビノ』という先天的に色素が薄い遺伝子疾患のようなものでして、生まれた時から髪の色が茶色で肌の色も白いので、全員黒髪の生徒の中で一人だけこういう髪の毛の色という生活をずっと送ってきたので、自由な高校に入ってみて、自由というかみんなの中に紛れられる良さみたいなものをすごく気付いて、そういう社会の方がきっといんじゃないかということで、校則とか教育に関心を持って大学にも進んでいます。
大学に入ってからは、やっぱり校則をどうのこうのという時に、生徒というのはどうしても弱い立場になってしまう。教員側の教育の論理といいますか、そういうもので生徒はすごく弱い立場になってしまうので、生徒会だったり、弱い立場になっている生徒を助けようじゃないかみたいな団体を知り合いと起ち上げたんですが、外側から学校にずけずけ入って行って生徒会をどうのこうのと言うのは手に負えないという話になって、結局高校生たちを集めて『学校についてちょっと話し合ってみない』というような会を、細々と2年くらい続けて活動してきました。そこにたまたま来てくれたのが、隣に座っているGさんです。Gさんにバトンタッチします。」

Gさん「現在高校3年生です。Fさんの会に参加してから、自分の高校のおかしさに違和感を感じて活動をするようになりました。自分は3年間、生徒会を務めていて、生徒会長、副会長、見習いといろいろ経験しました。その中でも、特に校則について違和感を感じました。自分の学校では携帯電話持ち込み禁止、女子の下着は白じゃなければ駄目だとかいうブラック校則かどうかギリギリのあたりの校則が多かったです。そういう中で、校則について考える生徒があまりにも少なかった。学校の中で『これおかしくない?』とか『これはこうすべきじゃない?』とか『こうしてもいいんじゃないか』という声を上げる生徒がほとんどいなくて、みんな部活動や勉強に必死でした。そんな中で、自分は部活に入らずに生徒会でどうしたら生徒のことを考えられるかな、変えられるかなと思って活動しました。
本当に今日伝えたいことは、今の高校生も何も考えてないわけじゃなくて、少しは違和感だったり、もっとこうしたいなという思いを抱えている生徒はたくさんいます。だけども、どう行動したらいいかとか、どうアプローチを取ったらいいかというところに悩んで、結局卒業しちゃうというパターンが多いです。だから自分は高校3年なんですけど、卒業したら、もっとそういう高校生、違和感や疑問を持っている高校生にアプローチをして、少しでも良く変えていきたいなと思っています。なので、たくさん考え闘ってきた先輩方の意見をもっとたくさん聞いて勉強してやっていきたいと思います。ご協力お願いします。」(拍手)

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小林「ここで保坂さんにお話しを伺いたいと思います。これまでの話で、特に校則、制服関係、それから保坂さん自身が中学の時取り組まれたことを含めて、あと、区長としてブラック校則の話が出ましたので、そのあたりの話をお願いします。」

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保坂「皆さんこんにちは。50年前は14歳の中学生で、その当時は毎日学校で呼び出しにあっていました。政治活動をさせろとか、ベトナムで何があるのかとか、どうして部落差別があるのかとかいうことを、新聞を作っていたんですね。これを配布するということを巡って、当時の30人くらいの先生方に、短い方で2時間くらい、多い人で1週間とか果てしなく会話をしていた経験があります。
今、ブラック校則の話を聞いていて、例えば『地毛証明書』だとか、天然パーマの子はストレートパーマをかけるとか、そういうのを今まですっとやっていたんですね。それはいかにもおかしでしょうということで、例えば世田谷区では中学の校則、校則は実は他から見えないですね、生徒手帳に書いてあったりするので、とりあえずホームページで公開してもらおうということになり、あまりおかしな校則については変えて行こうということをやっています。
それから、自分自身のことも含めて話しますけれども、2015年の安保法制の時の5.000人近くの高校生、中学生が制服で記念写真を撮っていたりするような雰囲気とは50年前はだいぶ違っていて、今日も実は中学全共闘をやった仲間たちが十数人一緒にいるので、同窓会、同期会的なことを時々やっているんですけれども、僕の場合、危険思想みたいな言われ方をしていて、授業に出してもらえない、あと面白い議論は、日本国憲法も教育基本法も学校の中に入っていなかったですね。だから君が何を考えても自由だ。君が何を考えてもいい。だけど君の考えを文字にしたり言葉にすると影響を与えるでしょ、それは駄目なんだと。何故なら未熟な人たちが悪い影響を受けるからという論理だったんですね。その論理の中でずっと『おしくらまんじゅう』みたいにしていたんですけれども、そういう意味では50年経ってこれくらいかとも思うけれども、だいぶ積極的に発言できるようになってきたのかなとも思います。
実は、今みたいな日本的な学校の校則とか制服とかいろいろな縛りは、時代の流れの中で孤立してしまったというか役に立たない規制でしかないという話が出てきていると思うんですね。僕が行った麹町中学という学校は、今やクラス担任制を廃止し、校則の見直しを率先してやるような、いわゆる改革モデル高みたいになっています。50年経って、昔言っていたことが通じたかなと思いますけれども、世田谷区内でも桜ケ丘中学という区立の学校があって、校長主導の改革でもあったんですけれども、生徒会で校則の見直しをして欲しいということを受けていろいろやってきたそうです。一昨年くらいに生徒総会で三大要求を決議した。一つは、暑いから体育館にエアコンを入れて欲しいという要求、それから校庭を芝生化して欲しい、それから定期テスト廃止。実は一番目は猛暑でバタバタ倒れたりということがあったので、予算を付けてエアコンが入ったんですね。たまたま、その決議の翌年に入ることになったので、それはタイムリーだったんですけれども、校庭の芝生化はまだできていない。これからの検討ということですが、定期テストは廃止したんですね。制服もなくしました。スマホもOKにしました。ある意味で校則をほぼ無くしていく、最小化していうという取り組みをやった結果、どんどん評判が良くなって、そういう学校なら行きたいという子も増えて、生徒の自主的な活動がすごく活発になって、文化祭とかフェスティバルがものすごく盛り上がって、その結果生徒たちは自分の言葉で人に伝えるという力がものすごく磨かれていったというところが評価されていて、世田谷区の他の学校もそういう風にならないだろうかということで集会を開くと、千人くらいの親とか高校生とか中学生が集まる状況になっています。ですから『僕たちの失敗』という題だったけれども、半世紀経ってそれかねという感じもあるけれども、当時言っていたこと、議論していたことというのは、明らかに問い返され、変えようという話がずいぶん顕在化していると思います。」(拍手)

小林「どうもありがとうございます。とは言いながら、まだ大変な学校があると思います。Hさん、高校の自治で大変な学校があると聞いたんですが、その辺のお話をお願いします。」

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Hさん「私は定時制の高校を6年かけて卒業しまして、この場にいるのがふさわしいかどうか分からないんですけれども、そもそもは私はそんなにこういった活動に興味があるとかそういうことではなかったんですね。そもそもは、出来心で始めた校内新聞に対する検閲からこの話は始まったわけであります。私は昼夜間の定時制と通信制の専門の高校を出ているんですけれども、そこで生徒会会則が公開されていない問題とかを新聞の紙面で取り上げようとしたところ、これが検閲されるという騒動がありました。そんなこんなでいろいろあって廃刊にいったん追い込まれてしまって、私その後卒業したんですけれども、その後を引き継いだ後任の編集長、在学しているんですが、その彼が大変ひどい弾圧を受けたということもあって、今、いろいろ発信しているところです。
その高校のケースとして述べさせていただくのであれば、その後任の編集長はオンライン版でニュースサイトを運営しているんですけれども、このサイトに校内で起きた出来事について記事を掲載したところ、学校側がこれらの記事について学校の評判を貶めると述べ、削除するように繰り返し生徒に迫りました。この後任の編集長は、憲法21条の検閲の禁止規定を盾に応じなかったんですけれども、連日呼び出され、連日生活指導室に連れていかれ、連日校長室で指導を受けるということで、その際に『覚悟はできているんだろうな』とか、『法律なんかどうでもいい』という発言がございまして、だいぶ追い込まれてしまったという出来事がありました。こういったこともありまして、生徒の言論の自由、表現の自由というものを守っていかなければならないということで、高校で自治委員会という新しい生徒自治機関が結成されました。現在、私は生徒自治機関の自治委員会の全国組織である日本自治委員会の議長を務めておりますが、自治委員会と学校の紛争は現在も続いている状況でございます。
現在、日本自治委員会としては、都立高校全体において、学校運営の在り方に関して人権軽視、生徒の自由と権利を無視した運営が行われているのではないかということで、現在、『東京トリエンナーレ』と題しまして、都立高校を回って、朝の登校時間帯にチラシを配るプロジェクトを開催しております。昨年の10月7日に始めて4ケ月やりまして、合計24校回りました。
北園高校の事例があります。私が自治委員会とは別に活動しているインタースクールジャーナルという生徒の自由と権利について生徒目線で報じるというメディアを作っているんですけれども、それで報じた北園高校の問題について、直接北園高校の皆さんに、起ち上がったらいかがかと申し上げる趣旨でチラシを配りました。北園高校については私が取材し情報を得たところ、突然全校的な頭髪検査を始業式にやったという事例がありまして、北園高校というと『自由の北園』で有名だと聞いていたので、そんな学校で頭髪検査をやるんだろうかと思いまして、生徒の声とか聴いたところ、結構反発が多かったという状況でございました。この規制は2018年度から強化されている状況ということで、自分たちで髪色を守れないようであればルール化するだとか、そういうことを学校側が言って、この他にもいろいろな伝統的な自由とか行事というものがどんどん学校側に壊されていっているらしいんですね。こういった現状をどうにか変えましょうということで、日本自治委員会としてビラを配らせていただいている状況です。
中学校でも高校でも学校教育現場において、生徒の人権というもlのが非常に軽視されておりまして、本当に人権侵害事例が多発していることから、微力ながらではございますが、いろいろやっていきたいと思って活動しております。」(拍手)

小林「Cさん、69年の青山高校闘争の人と話をした時の話と、一部と二部で50年前の話が出ましたが、それと今を照らし合わせて、国会前に行かれたり高校生と政治活動をしたり、その辺りの話をお願いします。」

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Cさん「中学校2年生から3年生までティーンズソウルで活動していました。僕が政治活動に参加したいと思ったきかけは三里塚闘争です。僕はもちろん三里塚闘争のことは教科書で見たぐらいだったんですけど、三里塚闘争の本を中学2年の時に読んだことをきっかけに、こんな問題があったんだということを知って、地域の多くの人が反対しているのに、それを政府が強行的に押しのけて、今の成田空港があることを知ったところがあって、それがちょうど2015年の夏くらいで、安保法制が国会で審議されていて、国会の外で連日のようにデモが行われている。その中で大学生とか高校生とか中学生がスピーチしているのをニュースで見て、それに影響を受けて、他人事じゃないなと思って活動に参加した感じです。
ティーンズソウルの活動として気付いたことは、選挙に行こうという活動とか、投票率を上げようという活動もやったんですけれども、やっぱり右とか左とかイデオロギーとか関係なく、どうせ声を上げても変わらないんじゃないかみたいな雰囲気が日本の中にすごく充満しているなということは感じました。やっぱり活動を通して、ともかくどんな意見でも声を上げていくことから変わっていく、権力に対して声を上げていくことの大切さということをすごく実感しました。
69年の青山高校闘争の人との話ですが、最初は話がかみ合うかと思ったところが正直あったんですけれども、青山高校の人たちの運動と今の15年の運動とは共通する点も結構あるのかなと思います。それは時代背景というのがあると思うんですけど、時代背景によって運動のやり方とか目指すところはちょっと変わってくるかもしれないけど、何だろうな、やっぱり自分たちの権利であったり権力に対して声を上げていくということは共通していることかなと思いました。一方でちょっと正直思ったことを言うと、60年70年安保で活動していた方々と話してみて、結構保守的だなと思っちゃったところもあって(拍手)、でもすごい面白かったというかそんな感じです。」(拍手)

小林「ありがとうございました。続いて中学2年から国会前に立っていたBさん、ご自身の体験とか活動に入った理由とか、お願いします。」

Bさん「2015年の時の安保法制が、おかしいんじゃないかということをメディアで言われるようになってきて、暑くなってくる頃から国会前に立っていて、そういう中で、当時僕がツイッターをやっていて、そのアカウントが結構政治的な感じだったので、こちらにいるDさんからメッセージが来て、今度デモをやるので誘ってくれないか、みたいなところからだんだん始まってコミットしてくようになって、その後、安保法制、戦争法は通ってしまって、安倍政権が続く限り安保法制の体制として米軍と自衛隊がどんどん一緒になっていく体制は変わらないだろう、だけれども、その一過的な運動が終わった後で僕が何をできるのか、1回何かしらそういう問題に目を向けると、だんだん視野が広がってきて、社会の矛盾だったり何だったりを感じるようになってくる、そういう中で僕はその後に、一つは自分の住んでいる地域で平和運動などやっているところに参加させていただいているのと、もう一つは高校に進学した後に、学校の中で生徒会の組織がすごく低調になっている。しかも本当は生徒の意見を代表する場所なんだけど、まるで教員組織の私兵のようになっているというような状況で、おかしいなということで生徒会の役員選挙で通って、いろんな人たちの意見を拾って行こうという時に、これからいろいろやっていこうという時に、脅迫というかいろんな圧力を教員の方々を含めて受けて、それはあまり成就しなかったみたいな感じで今は活動しています。
高校闘争から50年ということなんですけれども、50年経ってみて、当時と情勢は違わなくて、新しい運動というのはポツポツといろんなところで出てきているし、ソーシアルメディアが発達したことで、それがすごく可視化されているんだけれども、やっぱり69年の安保闘争に比べて実際にアクティブにやっていこうという人は本当に少ないところになってしまっている。それは僕たちの世代の問題でもあるし、日本社会がいわゆる政治的なものに対して蓋をしてきたという問題でもあるんだけれども、その一方でどんどん権利だったり自由というのは、昔の世代よりは今の世代の方が少しずつ根付いているところがある。そういう中で学校教育の場における人権の問題だったり、あるいは若い世代の意見が政治に反映されているか、そういうところに歪みはどんどん大きくなってくるという風に感じています。だから、今は69年の闘争の世代の方からしたら頼りないのかもしれないけれども、だんだん拓けてくる、もちろん進歩にも反動はつきものだけれども、未来が拓けてくるんじゃないかというのが、今、10代として見ていて感じるところです。だからもっと大きくなった時に、これが本当に社会をどんどん前進させる力になるために、そのためには学生だけじゃ駄目で、香港の事例もそうだけども、学生の部隊が前にあったとしても、他の世代だったり皆さんのお力やご支援がやっぱり必要だと思います(拍手)。そういう意味で、どうかこれから若い世代の人たちも、世代を超えて一緒にやっていけたらなと思います。ありがとうございます。」(拍手)

小林「ありがとうございました。Eさん。彼も都立高校時代に制服問題に関わってきました。高校時代の話をお願いします。」

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Eさん「自分は都立U高校に通っていました。都立U高校に入った理由としましては、中学時代、下着の色から靴の色まで全部白だと決められていて、制服も詰襟を着なければいけなくて襟元まで閉めなければいけない、そういう管理教育に何となく苛立ちではないですけれども、これは良くないなと感じていて、自分とはマッチしないなと感じていて、当時自由な校風を謳い文句としていて、校則を一切定めていないとしていた都立U高校に、自転車で通える距離でもあたということもあって、入学を決めました。
自分が政治などに入り込むきっかけになったのは、自分が入学した時から既に高校内で学生運動ではないですけれども、署名活動とか行われていて、ちょうど自分たちの新1年生の世代から頭髪検査が行われるようになると、これが校則がないのにどういう規定で行われているのかを説明して欲しいという署名運動が起きていたという中で入学していった。入学後、運動をやっていた先輩たちとコミニュケーションして話をしてく中で、管理教育というものに対して、いけない、ナンセンスだということを再確認しまして、自分たちとしても学習会だったり、校長室に十数人で直談判に行ったりとか、そういった運動を展開してきました。ただ、高校生だったということもあるんですけど、本当に運動としては粗いというか緻密さみたいなところに欠けていたと思っていて、そういったところで分断工作で徹底的に破壊されてしまったところが一つの敗北点ではあったのかなと捉えています。ただ、高校生の運動を通して他に運動をやっている人たちとつながって、2015年安保の時に国会前に行って、ティーンズソウルさんとかシールズではないんですけれども、ハンスト実行委員会というものに参加させていただいて、直接行動委員会、直接行動という団体なんですけれども、そういうところに参加させていただいて、話を折るようですが、シールズさんとかのデモの最後に『警察の皆さん、警備ありがとう』とか『終電だから帰りましょう』とか、これに対してちょっと違うのかなというのは正直思っていて(拍手)、具体的な戦術面としても2~30万人で国会を包囲すれば絶対に止められるんだというところに対しても違うなと、それこそ60年安保は国会前にいただけでなく突入までして血を流して、それでも止められなかった、この認識が重要なのではないか。そういう中で、もっと歴史を学んでちゃんと戦術を立てていくというところに問題意識を持って、いろいろ学習会をやったりデモに参加したり仲間としています。」(拍手)

小林「ありがとうございました。次に北海道の高校に行っていたJさんお願いします。」

Jさん「皆さん東京の高校のご出身で、その後いろいろ挫折をされたりとか苦労されたりという話だったんですが、どうして運動というのが都会でうまくいって田舎でなかなか広がらないのかというのを考えていたわけですが、やはり一番苦労している当事者は福島と沖縄だと思っていて、この2点をずっとやっています。
高校時代、予算の不正問題に僕はずっと関わっていて、それこそ職員室に呼び出されて授業を受けるのを妨害されたりとかしました。これは僕自身の自己批判でもあるわけですが、後で知ったことですが、僕のいた中学校がアイヌの人のみを強制的に隔離して、アイヌの人のみに土人教育課程を行っている学校だということを勉強して知りましたが、そういう中でも学校教育というのが学校の歴史を知っていながらも、あるいは労働組合に入りながらも、生徒に対して高圧的だということに対して、僕は非常に憤りを感じてきました。その結果、何を残せたかというと、高校を卒業した翌月の北海道新聞の1面に、自分の所属高校と残り2高だけ政治活動の届出制を行うということをやってしまった。つまり僕が残せたというものは結局何だったんだろうか、69年の当事者の方の自己批判、内省と全く同じようなものを今感じながら、福島に通っていますが、今度は福島で原発推進派の方々にものすごく脅迫を受けて、大学に処分を求める嫌がらせを受けたりとか、やはり声を上げる人というのが、声を上げれなくさせるようなことをさせられるわけですね。ノーベル文学賞を受けたスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチは『福島には抵抗の文化がない』と言いました。抵抗が無いとは言っていないです。ここにいらっしゃる先達の方々のみならず、福島で多くの方が声を上げているのを目にしてきました。しかし、彼らがどんな声を上げてもここには来ないわけです。つまり福島の高校生、沖縄の高校生が声を上げたとしても国会前に行けないんです。文科省の前で抗議ができない。東京新聞に載ることもありますけれども、やはり15年安保の時にあそこに行けたのは東京の人たちだった。東京の大学に来て気付いたことというのは、北海道の辺境の場所からは見えるけれども、東京からは見えないものがあるということを強く感じています。これからも、そういう声なき声に向き合っていきたいと思います。本当にありがとうございました。」(拍手)

小林「69年70年の世代の方に一言、感想と皆さんへの意見をお願いします。仙台一高で制服の自由を勝ち取ったSさんから。」

Sさん「日本で闘って初めて制服制度を校則から廃止して消滅させて自由になった闘いの経験者です。今、現役の高校生が福島のことを問題にしていましたけれど、私はは福島のことにも関わる中で、この制服闘争をどうしても記録に残した方がいいということで、資料を作りました。制服闘争はすごかったんです、それを突破口に5年間、東北の仙台で運動が続いてきたんです。そして、ずっと現役の高校生が訴え続けて、例えば当時、同時に運動を起こしていた全金本山闘争が勝利するとか、さまざまな相互発展がありました。
全国でも制服自由化したいところがあったんだけれども、私たちは成し遂げたんです。戦術はバリケードもやったし、生徒総会は何度も繰り返したし、ハンストもやったし、クラス討論もいっぱいやった。その中で強調したい点は徹底討論です。生徒総会は1,000名の生徒が来ました。徹底討論したんです。毎年、先輩が後輩に継承させて5年間も続きました。こういうことがあったという資料がありますので、よろしくお願いします。」

小林「Iさん、お願いします」

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Iさん「神奈川県の高校で生徒会会長をやっております。私は生徒自治の活動をやっています、極めてローカルで小さな活動なんですけれども、生徒会長をやっていて、権利意識の低さを強く感じます。多くの人は生徒会とは何か、あまり分かっていないんですね。高校生自体、教員すらも分かっていない。教員すら分かっていないものですから、生徒自治を抑圧してしまっているのではないか、尊重してもらえない。更に生徒会というのは、学校の管理下にありますね。なので権利とか自由の保護が難しい状況にあります。現状、高校生闘争をやられてきた世代の残した民主的な生徒会の会則を利用して対抗してはいるんですけれども、ないがしろにされちゃったりするんですよ。ということで、強力な自治組織が必要なんではないかと考えています。一部意識の高い人もいますので、その人たちも取り込んで活動を進めていきたいと思っています。ありがとうございました。」(拍手)

小林「最後に保坂さんに締めていただきたいと思います、」

保坂「素晴らしい10代の若者たちの、特に何人かから私が言われたのと同じような台詞を言われているというのは驚きでした。実は高校に進学しようとした時に内申書があります。内申書に、この生徒はずっと学校の指導に従わず、ベトナム戦争反対などのデモに駄目だというのに出て校則を破った、というようなことを書かれて、全部の高校を不合格になるということがありました。僕ともう一人なんですが、『内申書裁判』という裁判を16歳の時から32歳の時までやって、この裁判自体は最初、東京地裁で勝って、『中学生政治活動の自由認める』と新聞の一面の見出しに出たんですが、その後負けて、最高裁で負けが確定した。だけど、大きな問題提起をしているのは、『学ぶ側からの教育権』。これまでは『教える側の教育権』だったんですね。学習権といいますけれども、そういうことを問題提起した。裁判は負けたけれども、内申書にこいつ落ちろとばかりに報復的に書くというような書き方はまずいということで止まったという効果がありました。司法試験の問題にも内申書裁判が出ております。
二つ目に、こういった高校生や中学生の運動とは別に、校内暴力、いじめ、更には不登校という形で学校に行かない子が激増しています。学校に行かない、行けない子は5年前の2倍以上になっています。そのことで大きな変化が生まれています。教育機会確保法という法律が成立して、それまでは教育は学校の中でしか認められていなかった。しかし、学校の外にいるフリースクール、夜間中学、こういったところでやはり学び育ちはあり得るじゃないかという風に大きく転換したわけです。その結果、世田谷区でも公設民営のフリースクールを作りました。東京シューレというところに委託して、建物に子供たちがものすごいくたくさん入ってしまって、入れなくなってしまうくらいにいっぱいになったんですけれども、そういうことが起きてきた;
もう一つは、オルタナティブ教育、これがこれからどんどん広がっていくと思います。公立のオルタナティブ教育校も作りたいと思っています。
最後に、オランダに5年前くらいに行った時に、アムステルダムのオランダ高校生生徒会連合の事務所を訪ねました。我々に1時間プレゼンをしてくれました。オランダ政府が1億円の予算を出して、高校生が20代の職員を3人雇って事務所をやっているんですね。それで、例えば高校生に関わる全国統一テストというのがありますが、この問題の出し方とか教科の仕切りが変わった時には、高校生に通告なく変えた時には私たちはストライキをやります。ハーグというところに国会議事堂があるんですが、ロビー活動を常にやります、それから定期テストが終わった後のテストの出来がどうだったのかというのを電話調査をしてテレビで発表したりとか、そういう風にやっていますので、日本でも1回だけ未熟な政権交代がありましたが、次の政権をもうそろそろ作らなければいけない時なんです。その折には予算要求、運動の盛り上がりで日本でもそういう拠点が生まれることを期待したいと思います。」

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「今日はどうもありがとうございました。最後、保坂さんの熱い話もありましたけれども、これだけの若者が来てもらって、我々が勝ち取った自由というものが、こうやって崩されていくんだなと強く感じています。『僕たちの失敗』というタイトル、何でこんなタイトルを付けたんだと言われています。言ってくる方がいらっしゃいますが、これはこういうことなんですよ。私たちが継承しなかったということなんですね。私たちが1969年から70年に闘って、あれだけの自由を勝ち取って、都立の高校がほとんどが制服が自由化されたし生徒手帳もなくなったんですよ。ですけれども、我々はそこで卒業して、卒業した後にそれを継承することが出来ないまま、あなたたちとこうやって50年経って出会わなきゃいけなくなった、それが残念でしょうがないです。だから、今日は一部、二部、三部とありましたけれど、とてもとてもこんなものでは納まりがつかない。しかも『高校闘争半世紀シンポジウム』と言っていますけれども、最初にお話ししましたように戦友会や同期会をやるつもりで来たわけじゃないですね。時代の闘う人たちに我々が連帯して、そして支援していきたいなと思っています。この若い人たちに暖かい拍手をよろしくお願いします。(拍手)
これで終わらせていただきます。どうもありがとうございました、」

(終)

【1968-69全国学園闘争アーカイブス】
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