2020年4月4日、東京・御茶ノ水で明大土曜会の定例会が開催された。
新型コロナウイルスの感染拡大による外出自粛要請の中、会場の換気や人と人との間隔をできるだけ開けるなど、三密を避ける形での開催となった。
さすがに電車はすいていた。普段の土曜日の3分の1くらいだろうか。電車の中での感染リスクは低いだろう。
御茶ノ水駅前もガラガラ。ここは学生の街だが閑散としていた。
さて、今回のブログは明大土曜会での小林哲夫さん(教育ジャーナリスト)のお話を掲載する。2月11日に「高校闘争から半世紀シンポジウム」が御茶ノ水の連合会館で開催されたが、その第三部で小林哲夫さんの司会進行で高校生や大学生など若い世代の方から話があった。小林哲夫さんには、その集会を踏まえて、2010年代の高校生の社会運動について語っていただいた。
今回の定例会には2月11日のシンポジウムに参加した若い世代の方も参加して、いつもとは違う明大土曜会となった。
なお、「高校闘争から半世紀シンポジウム」第三部については、4月3日のブログに概要を掲載している。
さすがに電車はすいていた。普段の土曜日の3分の1くらいだろうか。電車の中での感染リスクは低いだろう。
御茶ノ水駅前もガラガラ。ここは学生の街だが閑散としていた。
さて、今回のブログは明大土曜会での小林哲夫さん(教育ジャーナリスト)のお話を掲載する。2月11日に「高校闘争から半世紀シンポジウム」が御茶ノ水の連合会館で開催されたが、その第三部で小林哲夫さんの司会進行で高校生や大学生など若い世代の方から話があった。小林哲夫さんには、その集会を踏まえて、2010年代の高校生の社会運動について語っていただいた。
今回の定例会には2月11日のシンポジウムに参加した若い世代の方も参加して、いつもとは違う明大土曜会となった。
なお、「高校闘争から半世紀シンポジウム」第三部については、4月3日のブログに概要を掲載している。
<小林哲夫さんプロフィール>
1960年生まれの小林さんは、2012年に『高校紛争1969ー1970「闘争」の歴史と証言』を著しています。
今年の2月11日、「高校闘争から半世紀シンポジウム」が御茶ノ水の連合会館で開催され。300人を超える参加者がありました。
小林さんが司会したシンポジウム第三部では、現役の高校生・大学生10人が登壇し「今、高校生はどう社会と向き合っていくか」で話し合われましたした。
小林さんに、現在進行形の高校生の運動について話していただきます。
1960年生まれの小林さんは、2012年に『高校紛争1969ー1970「闘争」の歴史と証言』を著しています。
今年の2月11日、「高校闘争から半世紀シンポジウム」が御茶ノ水の連合会館で開催され。300人を超える参加者がありました。
小林さんが司会したシンポジウム第三部では、現役の高校生・大学生10人が登壇し「今、高校生はどう社会と向き合っていくか」で話し合われましたした。
小林さんに、現在進行形の高校生の運動について話していただきます。
【小林哲夫さんの著作】
・『理系就職・転職白書』丸善 2005
・『ニッポンの大学』講談社現代新書 2007
・『東大合格高校盛衰史 60年間のランキングを分析する』光文社新書 2009
・『高校紛争1969-1970 「闘争」の歴史と証言』中公新書 2012
・『中学・高校・大学最新学校マップ グループ・系列から進学・資格実績まで1冊でわかる』河出書房新社 2013
・ 『シニア左翼とは何か 反安保法制・反原発運動で出現』朝日新書 2016
・ 『早慶MARCH 大学ブランド大激変』朝日新書 2016
・ 『神童は大人になってどうなったのか』太田出版 2017

・『理系就職・転職白書』丸善 2005
・『ニッポンの大学』講談社現代新書 2007
・『東大合格高校盛衰史 60年間のランキングを分析する』光文社新書 2009
・『高校紛争1969-1970 「闘争」の歴史と証言』中公新書 2012
・『中学・高校・大学最新学校マップ グループ・系列から進学・資格実績まで1冊でわかる』河出書房新社 2013
・ 『シニア左翼とは何か 反安保法制・反原発運動で出現』朝日新書 2016
・ 『早慶MARCH 大学ブランド大激変』朝日新書 2016
・ 『神童は大人になってどうなったのか』太田出版 2017

小林「小林哲夫と申します。よろしくお願いします。フリーのジャーナリストで、教育関係の記者をやっています。ずっと雑誌記者をやっていまして、今、編集兼ライターをやっています。
1960年生まれです。高校入学が76年になります。中学の時に高校闘争に憧れて、高校に入ったら運動をやろうと思ったんですが、なにせ76年なので、前進社に電話して『反戦高協に入れてください』と言ったら『お前革マルだろ』と言われて、そういう時代だったので、一人で三里塚に行くしかなかった、そんな世代です。そのころから高校闘争の記録をまとめたいなと思っていました。
2012年に『高校紛争』という本を出しました。もう8年前になります。私も社会運動のフォローは全然していなくて、2011年の反原発運動から、高校生が反原発運動に関わっているというところもあって、できるだけ国会前とかにぎやかな集会に行くようにしました。2010年代の高校生、大学生ってどんなものなんだろうということで、できるだけフォローして、2010年代の若い10代の社会運動というのが今こんな状況なんだというのを、2月11日の集会で前ぶりで話しました。それが今日お渡しした資料ですが、その時と同じ話をざっとします。
2011年の原発事故、その年に行われた抗議集会には大学生や高校生が結構来ていました。ただ、受け皿がなくて、本来なら受け皿になってしかるべき民青が機能しなかった。機能しなかったというより、もう30年くらい大衆運動というか街頭運動というのが地区が分断されすぎて無かったということもあるんですけれども、高校生。大学生が集まる空間というのが2011年の原発事故の時は無かった。年輩の方に紛れて高校生、大学生が居たというのがあります。ただ、それ以前に、大学生というのは70年代80年代90年代、どの時代でも活動しています。それが個別の大学であったり、個人であったり、グループ同士が学生・高校生の運動体としては成りにくかったというのはありました。
2011年以降、13.14年に特定秘密保護法の反対運動の中で、シールズの前身となるサスプルというのが出来ます。この時にも結構高校生がいるんです。2013年の12月、女子高校生が3人、国会前デモというのをやっているんです。誰も知らないんですけれども、もちろん報道されていない。とにかく『こんな秘密保護法できたらまずいよね』という高校生たちはいたんです。サスプルが解散してシールズが2015年の5月に出来ます。当初、高校生はサスプルとかシールズにくっついて行ったという状況でした。でも、シールズはシールズで学生グループとして、高校生の面倒まで見られないというので、シールズは学生の緊急活動の集まりということで、高校生は入れない、高校生は独自でやってくれ、あるいは他の市民運動と一緒にやってくれと。それで2015年の6月か7月に高校生がティーンズソウルというグループを作りました。東京と大阪にほぼ同時に出来ました。関東と関西のティーンズソウルの高校生グループは特徴があって、党派的な話になってしまうんですけれども、シールズが登場した頃に、あれは民青の別動隊なんじゃないかと一時言われていた時期があるんですけれども、確かに親和性が高い部分があります。民青同盟員がシールズというのは聞きます。でも、民青が何か動かしたということは全くなくて、集会で民青の人たちと一緒にやるとか、国会前で共産党系の組合の車を借りるとか、そんなことで、シールズ=民青とか、シールズが出た時そう言われました。シールズの学生からすると『民青はうざいな』と言いながら、彼らを利用しようとか、一緒にやって損はないよね、当時国会前に来ていた中核派よりいいよね、というのがたぶんシールズの判断。高校生はどうしたかというと、高校生独自のグループを作りたいということでティーンズソウルを作ったんですね。関東のティーンズソウルというのはバラバラというか自主独立というか自分勝手な人が多かった。関西のティーンズソウルは、面倒を見ていた人が共産党の大阪府委員会の人だったんですね。それがいい意味でも悪い意味でも結構統制がとれていたんですよ。関東のティーンズソウルは高校生ですから、女性問題とかお金の問題とかグチャグチャしたところがあった。関西のティーンズソウルは民青が締め付けたところがあって、そんな面倒くさい事は起きなかった。

(新聞記事①)
お配りした新聞の記事。ティーンズソウルが、2015年8月2日に独自のデモをやりました。メディアの書き方もいかがなものかなんですが、まず高校生5,000人も集まっていません。高校生などです。学生や社会人含めて全体で5,000人はいたけれど、僕が目測で数えても高校生は100人はいなかったな。高校生独自のデモというのがすごく久しぶりだったと思うんです。40何年ぶりかな。
2015年の9月か10月に高校生の政治活動を条件付きで容認しようとなった。ティーンズソウルの高校生が安保関連法案でデモを始めた頃は、まだ政治活動の禁止の時代だったんです。これは1969年70年の高校闘争の時に、文部省や教育委員会から高校生の政治活動禁止の通達が出された。それから45.6年経ってから、政治活動を条件付きで認めようと。これも明らかに自民党の18歳に選挙権を引き下げることとリンクしているものだろう。

(新聞記事②)
新聞記事2枚目の『あゆみちゃん』という女の子。当時都立高校の子で、メディアに出たりスピーチしたりしていました。がんばってやっていた女の子です。

(新聞記事③)
ちょうど同じころ、新聞記事3枚目、『首都圏高校生ユニオン』というのが出来ます。当時。雇止めですとか、高校生をむちゃくちゃこき使っていた状況にあって、高校生のアルバイトをちゃんと認めようという運動を、ティーンズソウルの高校生の運動とともにやっていました。

(新聞記事④)
新聞記事4枚目。さきほど申し上げた政治活動についてですけれども、実は学校が非常に困ってしまった。現役の高校教師で69年を知っている人は誰もいない。高校生が政治活動をする、デモをするというのが、高校の先生からすると、これまでの教師経験からなかなかイメージが湧かなかった、というのがあります。この頃、教職員組合も弱かったので、そもそも政治活動って何だという定義づけもよくされないうちに、政治活動は校内では駄目だと。つまり69年の時の教室で集会をやったり、バリケード封鎖をやったり、そんなことは絶対駄目だよと、あくまでも高校生が街頭に出て集会に出る分にはいいよと、校内で安倍打倒や制服自由化のビラを配ってはいけないよと、校内の政治活動は駄目ということになりました。ただ、69年と比べて決定的に違うのは、SNSがあることです。SNSは校内も校外もないので、『今度集会あるよ』という発信をすれば、オルグなので政治活動ですが、どこでやろうがどこでキャッチしようが場所を問いませんので、高校の中では駄目で高校の外ではいいというような話はほとんど現実的でないということです。

(新聞記事⑤)
新聞記事5枚目。高校の先生がもっと困ったのは、18歳選挙権で何の政治家だったらいいのか、高校の先生からすると言いたいことはある。安倍はいい、安倍は悪い、でも一応中立が大前提になっているので、本当に高校の先生は困った。18歳選挙権に向けて政治を議論しようと、元々自民党が言ってきたわけですが、現場からすると何を語らせるべきなのか、ということで非常に困ってしまった。討論の時に結局自分のところに回ってくるのではないかというので困ってしまった。そういう実情があります。

(新聞記事⑦)
新聞記事7枚目。政治活動届出制。これは、都道府県によっては、政治活動する場合は学校に届けないといけない。つまり地域によって届出をしたりしなかったりする。届け出ること自体が、高校生にすると『思想信条の自由じゃないか、何で言わなければいけないのか』当然そういうロジックは成り立つ。学校からあるいは教育員会からすると、それは政治活動である以上はちゃんと届けなさいという話。ティーンズソウルはこれに対して反対を掲げていました。政治活動届出反対運動をやったのは、唯一ティーンズソウルだけです。シールズは大学生ですからやっていません。高校生の運動として唯一独自のスローガンということで彼らが掲げたということがあります。

(新聞記事⑥)
話を戻しますが、新聞記事6枚目。3年くらい前の記事ですが、東京新聞が高校生の政治活動を記事にしたいので、高校生の活動家と昔の高校生の活動家を引き合わせたいという企画を立てたわけです。ティーンズソウルのM君と、都立青山高校がバリストした時の青山高校全共闘のメンバーが対談することになって、あまり話がかみ合わなかったみたいですけれども、そういうことをやったということがありました。この頃、割とメディアが高校生の政治活動とか、高校生がどう政治に関心を持つのかとか、いろんなところで伝えるようになりました。僕が最初にM君に会ったのは2015年、彼が中学2年の時、国会前に来ていました。2月11日の集会でも発言していましたが、彼が何で中学2年生で三里塚闘争に興味を持っていたのか、すごいなと思っていました。

(新聞記事⑧)
新聞記事8枚目。これは『Fridays For Future Tokyo』、気候統一デモ、温暖化反対の政策を訴えるデモ、いろんな言われ方があります。9月に渋谷の国連大学前から日比谷公園までデモをしました。このデモは圧倒的に年齢層が低かった。たぶん平均年齢20歳くらいじゃないか。高校生が非常に多かった。この写真は2019年の高校3年生。2015年の高校3年生とやっぱり感覚が違うんです。2015年のティーンズソウルの高校生というのは、どこかこれまでの社会運動、学生運動に対して、遠慮というかリスペクトしながらも気を遣うとか、手探りだった。こういうことをやっていいのかなと、いろんなことを考えたというのと、もう一つはシールズという面倒くさいのがいた。これは69年の高校生の時の全学連がウザいなと思った感覚に近いと僕は思っています。69年の高校生運動は当時のいろんな党派や全共闘からいろいろ来るんですよ。それが結構面倒臭くてウザくてうるさくて、眼の上のたんこぶ的なところがあったらしいんです。全共闘世代と括られるということが、69年の高校闘争世代からすると非常に違和感があるという方が結構いらっしゃる。つまり1947年から49年生まれの全共闘世代、団塊の世代のど真ん中、69年70年の大学3・4年生と、1951年52年生まれの69年70年の高校3年生は断絶があると思います。2015年のティーンズソウルの高校3年生と、シールズの大学4年生はやっぱりちょっと違う。ティーンズソウルからすると、シールズはウザいなと、兄貴面してああだこうだ言ってくる、そういう話はずいぶん聞きました。
この女の子たちと、2015年の高校生のどこが違うかというと、2015年の高校生はまわりに既にいろんな運動体があって、いろんな社会運動グループがある中でのティーンズソウルの立ち位置を考えなければならなかった。シールズの弟分みたいな言われ方をするのも嫌な感じだったけれども、シールズと一緒にやらざるを得ないというところもあった。ところが去年の彼女たちというのは、そういうまわりに対する気遣いとか忖度とか一切ない。話していてそう思いました。自分が好きなようにやる、まわりに遠慮しない。昔だったら絶対こんな写真は撮らせないですよ、対権力からするとマズイということで。今だったら『は~い』という感じで、いい意味での脳天気さというのがある。15年のティーンズソウルというはまだ緊張感があったんじゃないか。19年の『Fridays For Future Tokyo』の女の子たちというのは、全然そういう意味では違った。彼女たちに15年安保のことを聞いたら全然知らない。もっと言うと、安倍政権がどうなるかあまり興味がない。まずは『気候』が問題だと。安倍さん打倒とか私たちは言わない、私たちは政治運動ではない、社会運動だと、そこまでも言わないですが、明確なメッセージとしてとにかく『気候』だと。彼女たちは都立国際高校。彼女たちに聞いたら高校から100人は来ていると言っていました。都立国際高校というのは、普通の日本語の授業と、英語だけの授業があります。これは帰国生とか外国人向けの授業があります。ある意味で安倍政権が進めている教育のグローバル化というのが、回りまわって、気候デモの中で高校生のグローバル化が体現したんだなと思っています。つまり、グレタさんとか欧米の中高生がストライキをやる、そういう情報が帰国生からどんどん入ってくる。国際高校というのは、他の高校と比べると海外の情報が入ってくる。じゃあ私たちもやろうねと、私たちが日本で何をやれるというところからどんどん盛り上がっていく、こうなると高校の先生は止めようがないので、やってはいけないという話にはならない。それで100人くらい来てしまった。この時に特徴的なのは、こういう国際系の学校は、都立国際高校とか東京学芸大附属国際高校とか、そういう高校とインターナショナルスクールとかシュタイナー学園とか日本の文科省に定まっていない自由な感じの学校があって、特にインターナショナルスクールの学生はすごく多かったし、シュタイナー学園は高校内でデモがありますと貼っていたし、先生が連れてきた。これは15年安保とも違うし、まして69年とも違うし、60年安保の安保阻止高校生会議とも違うし、52年のメーデー事件の高校生とも違うし、19年の気候デモの高校生というのは、見ていてすごいというのが私の印象でした。

(新聞記事⑨)
新聞記事9枚目。これが一番驚いたのが、浜松開誠館中学という私立の中高一貫校です。ここから気候デモに約400人くらい行っている、野球部が全員来ているんです。『暑さから野球を守ろう!』『気候は変えず私たちが変わろう』というプラカードを持ってデモをした。これは学校ぐるみです。校長や教員が『デモに行こうぜ』ということで、野球部、体育会系がデモに行くというのはあり得ないですから。そもそも学校って体制側ですから。でも『暑くて野球やってられないよ、こんなに暑くなっているのは政策のせいじゃないか』というので、運動部員が起ち上がってデモをしたというような話が昨年の12月にあって、これは全然私ついていけないなと思うくらい高校生の社会運動というのは大きく変動していると思いました。

(新聞記事⑩)
最後に新聞記事10枚目。2月11日の集会に声をかけたのですが、忙しくて来なかった人です。大学入学試験で英語の民間試験導入に反対する高校生が文科省前で気勢を上げた時期がありました。この写真の高校生のスピーチが本当に論理的で、こうだからいけないと入学試験制度に対してNoを突きつけていた。これは私もどう分析解釈していいか分からない。彼は安倍政権よくないということを言っているんですけれども、旧制中学を含めて、明治の初期から学校制度が出来てから、生徒が入学試験制度に反対する運動が起きたのかな?と思いました。戦後の高校生運動の中で入試制度反対の運動というのは、たぶん受験戦争反対というは50年60年でも起こっているはずです。僕は共通一次の最初の世代なので、当時『共通一次反対』というプラカードを持って文科省の前でデモをして追い出されたことがありましたが、高校生が大学入試制度反対というがあったんだろうか?と、69年当時、駿台高等予備校に浪人共闘というのがありましたが、ベトナム戦争とか佐藤訪米阻止闘争とか政治的なものが強かった。浪人共闘は大学立法粉砕は言ったが、さすがに入試粉砕は言えなかったというのがあった。
以上が2010年代のティーンズソウルから気候反対デモまで高校生が何をしたかの全体的な流れになります。個別には、いくつかの都立高校や京都の府立高校で制服が復活している動きがあります。京都の洛北高校では戦後ずっと私服だったのが、府立高校が人気がなくなったことから制服を入れようと。制服を入れる理由が進学実績を高めるためというロジック的には分からないですけれども、そういう話になっている。
最後に、2月11日の集会に高校生、大学生が10人ほど来ていただきました。感謝しています。当初『僕たちの失敗』というタイトルで当時の高校生の話を語り合おうということだったんですが、どうせなら今の高校生、大学生に語ってもらいたいという思いがあって、69年の高校闘争をどう思うかという話から、今の高校生が置かれている立場とか、何を考えているのか話してもらいたいと思って呼びました。僕としては細い糸をたどりながらお願いして、みなさん来てくれたことに感謝しています。
(終)
A5版720ページ
定価3,500円(税別)
情況出版刊
定価3,500円(税別)
情況出版刊
(問い合わせ先)
『続・全共闘白書』編纂実行委員会(担当・前田和男)
〒113-0033 東京都文京区本郷3-24-17 ネクストビル402号
TEL03-5689-8182 FAX03-5689-8192
メールアドレス zenkyoutou@gmail.com
〒113-0033 東京都文京区本郷3-24-17 ネクストビル402号
TEL03-5689-8182 FAX03-5689-8192
メールアドレス zenkyoutou@gmail.com
【1968-69全国学園闘争アーカイブス】
「続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
【お知らせ その2】
「糟谷プロジェクトにご協力ください」
1969年11月13日,佐藤訪米阻止闘争(大阪扇町)を闘った糟谷孝幸君(岡山大学 法科2年生)は機動隊の残虐な警棒の乱打によって虐殺され、21才の短い生涯を閉じま した。私たちは50年経った今も忘れることができません。
半世紀前、ベトナム反戦運動や全共闘運動が大きなうねりとなっていました。
70年安保闘争は、1969年11月17日佐藤訪米=日米共同声明を阻止する69秋期政治決戦として闘われました。当時救援連絡センターの水戸巌さんの文には「糟谷孝幸君の闘いと死は、樺美智子、山崎博昭の闘いとその死とならんで、権力に対する人民の闘いというものを極限において示したものだった」(1970告発を推進する会冊子「弾劾」から) と書かれています。
糟谷孝幸君は「…ぜひ、11.13に何か佐藤訪米阻止に向けての起爆剤が必要なのだ。犠牲になれというのか。犠牲ではないのだ。それが僕が人間として生きることが可能な唯一の道なのだ。…」と日記に残して、11月13日大阪扇町の闘いに参加し、果敢に闘い、 機動隊の暴力により虐殺されたのでした。
あれから50年が経過しました。
4月、岡山・大阪の有志が集まり、糟谷孝幸君虐殺50周年について話し合いました。
そこで、『1969糟谷孝幸50周年プロジェクト(略称:糟谷プロジェクト)』を発足させ、 三つの事業を実現していきたいと確認しました。
① 糟谷孝幸君の50周年の集いを開催する。
② 1年後の2020年11月までに、公的記録として本を出版する。
③そのために基金を募る。(1口3,000円、何口でも結構です)
残念ながら糟谷孝幸君のまとまった記録がありません。当時の若者も70歳代になりました。今やらなければもうできそうにありません。うすれる記憶を、あちこちにある記録を集め、まとめ、当時の状況も含め、本の出版で多 くの人に知ってもらいたい。そんな思いを強くしました。
70年安保 ー69秋期政治決戦を闘ったみなさん
糟谷君を知っているみなさん
糟谷君を知らなくてもその気持に連帯するみなさん
「糟谷孝幸プロジェクト」に参加して下さい。
呼びかけ人・賛同人になってください。できることがあれば提案して下さい。手伝って下 さい。よろしくお願いします。 2019年8月
●糟谷プロジェクト 呼びかけ人・賛同人になってください
呼びかけ人 ・ 賛同人 (いずれかに○で囲んでください)
氏 名 (ペンネーム )
※氏名の公表の可否( 可 ・ 否 ・ペンネームであれば可 ) 肩書・所属
連絡先(住所・電話・FAX・メールなど)
<一言メッセージ>
1969糟谷孝幸50周年プロジェクト:内藤秀之(080-1926-6983)
〒708-1321 岡山県勝田郡奈義町宮内124事務局連絡先 〒700-0971 岡山市北区野田5丁目8-11 ほっと企画気付
電話 086-242-5220 FAX 086-244-7724
メール E-mail:m-yamada@po1.oninet.ne.jp(山田雅美)
呼びかけ人 ・ 賛同人 (いずれかに○で囲んでください)
氏 名 (ペンネーム )
※氏名の公表の可否( 可 ・ 否 ・ペンネームであれば可 ) 肩書・所属
連絡先(住所・電話・FAX・メールなど)
<一言メッセージ>
1969糟谷孝幸50周年プロジェクト:内藤秀之(080-1926-6983)
〒708-1321 岡山県勝田郡奈義町宮内124事務局連絡先 〒700-0971 岡山市北区野田5丁目8-11 ほっと企画気付
電話 086-242-5220 FAX 086-244-7724
メール E-mail:m-yamada@po1.oninet.ne.jp(山田雅美)
●基金振込先
<銀行振込の場合>
みずほ銀行岡山支店(店番号521)
口座番号:3031882
口座名:糟谷プロジェクト
<銀行振込の場合>
みずほ銀行岡山支店(店番号521)
口座番号:3031882
口座名:糟谷プロジェクト
<郵便局からの場合>
記号 15400 番号 39802021
<他金融機関からの場合>
【店名】 五四八
【店番】 548 【預金種目】普通預金
【口座番号】3980202
記号 15400 番号 39802021
<他金融機関からの場合>
【店名】 五四八
【店番】 548 【預金種目】普通預金
【口座番号】3980202
<郵便振替用紙で振込みの場合>
名義:内藤秀之 口座番号:01260-2-34985
名義:内藤秀之 口座番号:01260-2-34985
●管理人注
野次馬雑記に糟谷君の記事を掲載していますので、ご覧ください。
1969年12月糟谷君虐殺抗議集会
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/1365465.html
野次馬雑記に糟谷君の記事を掲載していますので、ご覧ください。
1969年12月糟谷君虐殺抗議集会
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/1365465.html
【お知らせ その3】
ブログは隔週で更新しています。
次回は5月15日(金)に更新予定です。
コメント
コメント一覧 (2)
私は明大和泉には1回だけ行ったことがあります。大学1年のとき、69年9月の全国全共闘結成大会の前日、明大和泉で全国学生解放戦線結成大会があり、それに参加しました(その後割とすぐにML派からは離れましたが)。
高校時代には、大阪の卒業式封鎖闘争があった二校のうちの一つにいて、その突発的というか、予想外の封鎖に驚いた思い出があります(本当はあのような戦術を取る予定ではなかったのです)。
今後ともぜひ続けてください。
meidai1970
が
しました
ブログを開設して13年になりますが、もう少し続けようと思っています。
meidai1970
が
しました