今回のブログは、「10・8山﨑博昭プロジェクト」のWebサイトに9月20日付で掲載された、山本義隆氏のコロナ論考第三弾!「再度リニア新幹線について、そしてポスト・コロナ――コロナに思う その3」である。プロジェクト事務局のご厚意により転載させていただいた。

【再度リニア新幹線について、 そしてポスト・コロナ――コロナに思う その3】
山本義隆(科学史家、元東大全共闘議長)
はじめに
 前回、リニア中央新幹線について書きましたが、言葉足らずで誤解を招きそうな処もあり、また書き足らなかった処もあり、というわけでその続きから始めます。
 実は、前回、書くにあたっては国会図書館でいくつかの点を調べておきたかったのですが、3月以来、緊急事態ということで図書館が閉鎖され、緊急事態が解除された後にも入館者数の制限で事前申し込みになっていたので、面倒で行かなかったのです。それに私自身、外出を極力控えていたこともあります。コロナの新型肺炎では、高齢者や持病があれば重症化し易いとあり、両方とも該当するからには用心せざるを得ない立場だったのです。そればかりか、一昨年の入院後、退院してから体が元に戻るのにほとんど1年半を要したのですが、ここでもう一度入院すれば、たとえ回復してもほぼ確実に寝たきり老人ですから、人一倍用心せざるをえなかったのです。
 しかし、今回、思い切って国会図書館に行ってきました。入館希望日として3日を書いたのですが、抽選でそのうち2日があたったので、2日間足を運びました。科学史の勉強のため40年近く国会図書館に通ってきたのですが、抽選で行ったのは初めてです。こんな時が来るとは、思いもよりませんでした。

超伝導とは
 前回、リニア新幹線について、たとえば「超伝導」等のいくつかの事柄を説明抜きに書いたのですが、わかりにくい処もあったようで、また私の記述に誤解を招きかねない処もあり、そのあたりから始めます。
 以下では、固体・液体・気体を問わず分子が数多く集まって形成される巨視的な系(システム)を簡単に「物体」、そしてそのまわりの空気等の存在する空間を「環境」と呼びます。
 まず「エネルギー」ですが、これは物体を加速する能力、物体を摩擦や空気抵抗に抗して動かし続ける能力、物体を重力に逆らって持ち上げる能力、バネを引き延ばしたり気体を圧縮したりする能力、そして物体を熱する能力等を指します。つまりエネルギーの移動の形態として「仕事と熱」があるわけです。「仕事」は、物を持ち上げるとか、気体を圧縮するとか、ばねを引き延ばすとかの形で物体に与えられるエネルギーであり、「熱」は熱するという形で物体に与えられるエネルギーです。そしてその際エネルギーは保存されます。つまり物体Aと物体Bがあり、AがBに仕事をしたり熱を与えたりしたならば、その分だけAのエネルギーは減少し、Bのエネルギーは増加します。ピッチング・マシーンからボールが投げ出されるとき、マシーンはボールに仕事をするわけですが、それはマシーンの中に蓄えられていたエネルギーがボールに与えられることであり、その際ボールはエネルギーを得て、そのエネルギーを運動エネルギーの形で保持しているのです。
 他方で、熱とは、物体を構成している分子の無秩序な運動エネルギーのことです。無秩序ということは、全体として見た目には静止しているが、分子ひとつひとつがあるものは前後に、あるものは左右に、あるものは上下にというようにテンデンばらばらに動いていることを意味します。お風呂のお湯が熱いというのはそういうことです。他方、滝の水が流れ落ちるのは、すべての分子が下向きにそろって、つまり秩序だって動いているから、熱運動とは言えません。
 そして、その熱運動の激しさを表すのが温度(絶対温度)です。絶対0度とは、熱運動が0、つまりその物体が全体として静止している状態ですべての構成分子が静止している状態を指します。したがってこれ以下の温度はありません。それにたいして摂氏0度は1気圧で水が氷る温度で、これは絶対温度の273度に相当します。つまり絶対零度は摂氏-(マイナス)273度(零下273度)です。
 発電機は運動エネルギーを電気的エネルギーに変換する機械であり、電力とは発電機や電池から電流によって電気器具に供給される電気的エネルギーであり、それによってモーターを用いて物体を駆動させることも、オーブンで物体を熱することも可能な、汎用性の高いエネルギーです。その際、通常の導線(金属線)をもちいて電流を流すと、導線に電気抵抗があり、そのため供給されたエネルギーの一部が熱となって無駄に環境中に失われます(つまり環境中の空気分子に与えられるのですが,それは回収不可能で使い物になりません)。マンチェスターのジュールが発見したので、ジュール熱と言われています。
 さて、「超伝導」(まったく同じ意味で「超電導」とも書きます)ですが、ある種の金属は絶対0度近くの極低温で電気抵抗が完全に0になることが知られていますが、その状態を指します。それにたいして通常の電気抵抗のある導線の状態は「常伝導」と言います。超伝導状態にするには極低温に冷却しなければならないのですが、通常その冷却には液体ヘリウムを使います。ヘリウムは常温では気体ですが、絶対4度(摂氏零下269度)近くで液化します。
 たとえば棒磁石に巻きつくように導線を巻いて両端をつなぎ、ループ状のコイルを作ります。この状態で棒磁石を急速に抜き去りますと、そのコイルに電流が流れます。1831年にイギリスのファラデーが発見した電磁誘導という現象で、これが発電機の原理です。このときコイルが常伝導であれば、熱(ジュール熱)が発生しこの電流は減衰しやがて無くなってゆきます。しかし超伝導であれば、熱が発生せず、この電流はいつまでも流れ続けます。この点について、超伝導の解説書(岩田章『応用超伝導』講談社)には次のように書かれています:
 このようにして流れ続ける電流を永久電流といい、このような超伝導コイルの使い方を永久電流モードといいます。…… 実際に超伝導体の電気抵抗がゼロであることの実証は、この永久電流を数年間流し続けることによっておこなわれました。この永久電流が数年で打ち切られたのは、永久電流が減衰したためではありません。超伝導状態を維持するためには毎日液体ヘリウムを補給する必要があり、それがマンパワー的にも経済的にもたいへんで、この実験は中断されたのです(p.25f.)。
 この本には、次の様なことも書かれています。先にジュール熱について語りましたが、そのため発電所から都会まで電力を輸送する送電線では、かならず何パーセントかの電力が無駄に失われます。それにたいして超伝導線ではこの損失がなくなります。問題は、超伝導状態を作ることと維持することにあります。
 我が国の主幹送電線では最高10パーセントの送電電力がこの電気抵抗で〔ジュール熱として〕消費されております。超伝導送電では、このような損失がまったくなくなるわけです。しかし、実際には超伝導線を液体ヘリウムで冷却しなければなりませんので、そのためかなりの電力が必要であり、現状ではあまりメリットはありません。(同上p.21)
 これだけのこと、つまり超伝導状態を作るためには、そして維持するためにも、経費や電力が必要なことを予備知識として、あらためてリニア新幹線を考えます(今回も敬称は一切略させてもらいます)。


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▲毎日新聞社『月刊なるほドリ』2020年2月号から(作成・山田英之、古川幸奈、グラフィック・清田万作)

リニア新幹線が要する電力
 コイルに電流を流したものは電磁石として磁石とおなじ働きをします。リニア新幹線は線路上に固定したコイル(地上コイル)と列車に搭載したコイル(車上コイル)の両方に電流を流してそれらを電磁石にし、その反発力で列車を地上から浮かせ、またその極の間の斥力(反発力)と引力(吸引力)を旨く使って、列車を前に進めさせるものです。そのさい、超伝導コイルを使っているのは車上コイルだけで、地上コイルは常伝導コイルです。したがって車上コイルに対しては出発前に電流を流せば、超伝導状態が持続しているかぎり、いつまでも流れていますが、地上コイルに対してはつねに電力を供給し続けなければなりません。
 ところがリニアモーターカー開発の第一人者と言われている京谷好泰の書には次のような記述が見られます。
 リニアモーターカーの場合、この永久電流モードを使えば、車庫でコイルに電流を流し、永久電流モードにすることで、電源と接続するパワーリードを外し、営業線に出てゆくことができる。このようにすると、営業中〔運転中〕はコイルに外から電力を供給する必要はなくなる。(『リニアモーターカー』p.76)
 まるで電力を供給しなくとも走り得るように書かれていますが、これは2重に誤解を招きます。
 ひとつには、電源への接続が不要なのは車上コイルにたいしてだけであること、です。産業技術総合研究所の阿部修治の2013年の論文「エネルギー問題としてのリニア新幹線」には「JRリニアは他の磁気浮上システムとの違いを強調して<超伝導リニア>とも呼ばれるが、超伝導で走るわけではないので誤解を招く表現である。列車の駆動力は地上コイル(常伝導)から供給されるのであって<超伝導だから消費電力が少ない>などというのはまったくのあやまりである」とあります(『科学』岩波書店、2013年11月)。
 そしていまひとつには、超伝導状態を作るためだけでも相当の電力が必要なことです。
 前者から見てゆきましょう。
 リニアモーターカー駆動のために地上コイルに供給される電力について、前回見たたようにJR側の見解は、1989年にJR総研の尾関雅則が語った、従来の新幹線の3倍というもので、その値がその後も語り続けられています。1990年に交通新聞社から出された『時速500キロ「21世紀」への助走』 には書かれています:
 「新幹線の3倍、航空機の半分」と言うのが、現在のJR総研の“公式見解”。3倍の根拠は単純。新幹線とリニアの走行抵抗〔空気抵抗〕の差だ。走行抵抗は速度の2乗に比例するから「時速500キロのリニアは〔時速250キロの〕新幹線のおよそ4倍強の抵抗を受ける。しかし、車輌断面積を小さく空気抵抗を低くしたため実際は3倍で済む」(澤田一夫JR総研浮上式鉄道関連開発推進本部主任研究員)というもの。(p.82)
 従来の新幹線そのものが相当に電力を必要とし、その3倍でも相当な量ですが、それでもこれはやはり過小評価のようです。
 上記の阿部論文は、走行中に働く抵抗力として「空気抵抗」だけではなく「機械抵抗」「磁気抵抗」をも考慮し、そのそれぞれにたいして丁寧な考察をし、「JRリニアの消費電力は時速500㎞で49メガワット〔=49万キロワット〕と予測され、〔従来の〕新幹線の約4.5倍が必要である」として
 JRリニアの消費電力は新幹線の4~5倍(強調山本)
と結論づけています。これにたいするJR側からの反論は聞かれません。阿部の議論は丁寧で綿密であり、反論しようがなかったのでしょう。応用物理学者で機械工学の研究者・新宮原正三の2016年の書『科学技術の発展とエネルギーの利用』(コロナ社)にも「リニアモーターカーの使用電力が、新幹線の約3~5倍と見積もられている」と書かれています(p.75)。この値が機械工学やエネルギー問題の研究者のあいだでほぼ認められているということでしょう。
 そしていまひとつの問題。先の岩田の書からの引用にあったように、導線を超伝導状態にするために必要な液体ヘリウムを作るためにも、相当の電力を必要とするということについて見ておきましょう。
 物体を冷却するためには、自分より冷たい物体に接触させるか、そうでなければ外から仕事を加えなければなりません。絶対零度近くまで冷却するには、もちろんそれより冷たい物体に接触させるという方法は使えませんから、たとえば特殊な気体を圧縮して急激に膨らませると温度が下がること等を使います。クーラーや冷蔵庫はそのことを使っています。そのさい気体の圧縮に電力が必要なのです。冷蔵庫で室温(摂氏20数度)から摂氏0度近くまで冷却するためにも電力を要します。低温になればこの過程はより困難になりますから、液体ヘリウムを作るためにも相当の電力が必要なのです。
 それにしてはそのことに触れている文献がほとんど見当りません。私の見たかぎり唯一の例外は『危ないリニア新幹線』(リニア・市民ネット編、緑風出版、2013)の懸樋哲夫の手になる第6章「リニアのジレンマ」で、そこには「液体ヘリウム冷却のために厖大な電力を要する」とあります(p.222)。ただし、実際にどれだけの量のヘリウムを必要とするのかはどこにも書かれていないので、列車1台走らせるのに必要なヘリウム冷却のための電力がどの程度なのかについては、よくわかりません。
 ヘリウム冷却のための電力についてなぜ書かれていないのかというと、日本はもっぱら既製品つまり冷却して液化されたヘリウムをアメリカから相当な価格で購入しているからだと思われます。その価格については、先述の岩田の書には「1リットル2000円」(p.14)、京谷の書には「アメリカで1リットルが1ドルのものが、日本では1万円になる」とあります(p.96)。二つの価格に大分開きがありますが、いずれにしても安いものではありません。
 ヘリウムそのものについて言うと、問題は価格だけではありません。ヘリウムが採取できる国はアメリカ合衆国とロシアとポーランドだけであり、すこし古いが専門書には「現在の世界のヘリウム市場は量・価格ともにアメリカの動向いかんにかかわっている ……。ECC諸国のようにポーランドからの平行輸入を持たない日本その他の諸国は一層その度合いが大きい」、「現在の技術で経済的に採取可能なヘリウム資源は …… 有効に利用されないままに年々減少しつつある」(『超伝導応用技術 実際と将来』シーエムシー、1988、p.78f.)とあります。その後、大きな変化があったのかどうかは知らないのですが、供給が不安的であることは変わらないでしょう。このように高価なばかりか不安定な資源に依拠した技術は、そのことだけで公共的使用にきわめて不向きと思われます。
 結局、超伝導だから電力を必要としないというのは、液体ヘリウムの購入価格に繰り込まれている超電導状態を作るための電力を無視していることを意味します。
 同様な論理は、他にも見られるので、すこし脱線しておきます。
 たとえば核分裂性ウランは、同質量の石油に比べて圧倒的に多くのエネルギー生み出すというようなことが、原子力発電の有利さの論拠にしばしば語られています。しかし、実際には核分裂性ウランつまりウラン235は天然ウランにわずか0.7%しか含まれず、ウランそのものとしてはずっと多くを必要とします。そして核分裂を起こさせるためには、天然ウランをウラン235の含有率が数%になるまで濃縮しなければなりません。そのために必要なウラン鉱石の量は、相当になりますが、なによりも重要なことは、濃縮ウランを作る過程で大量の電力を要するということです。第二次世界大戦中に原子爆弾を作ったアメリカのマンハッタン計画でもっとも困難であったのが、原爆そのものの製作ではなく、天然ウランから核分裂性のウランを濃縮するこの過程だったのです。
 そういったことすべてを考えれば、燃料としてウランが石油にくらべて有利とは決して言えません。日本は濃縮ウランを高い金を出してアメリカから購入しているのであり、濃縮のために必要な電力はその濃縮ウランの代金に繰り込まれているのです。

リニア新幹線と原子力発電
 脱線したので、リニアに話を戻します。
 リニアが多大な電力を要するということは、リニア中央新幹線を実際に運転するためには、そのための原発を新設しなければならないことを意味しています。先ほど見た新宮原の書にも「〔リニアモーターカーを〕現在の新幹線と同程度の頻度で走らせるとすると、莫大な電力を必要とし、原子力発電所を再稼働どころか増設せねば、この電力は賄えないかもしれません」とあります(p.76)。
 JR東海は、2007年に計画を発表した時、当然そのことを前提としていたでしょう。
 JR東海内部でリニア新幹線計画を中心的に進めてきた人物は、国鉄民営化の過程で国鉄の中心にいたJR東海の初代社長・葛西敬之です。前回でも少し触れましたが、2011年3月の東日本大震災で東京電力の福島第一原発が崩壊したわずか2か月半後の5月24日の『産経新聞』に、JR東海の会長となっていた葛西はつよい調子で語っています。前回、すこし触れただけだったので、もうすこし引用しておきましょう。
 原子力を利用する以上、リスクを承知のうえでそれを克服・制御する国民的な覚悟が必要である。……日本は今、原子力利用の前提として固めておくべきであった覚悟を逃げようのない形で問い直されているのだが、冷静に考えれば結論は自明である。今回得られた教訓を生かして即応体制を強化し続ける以外に日本の活路はない。政府は稼働できる原発をすべて稼働させて電力の安定供給を堅持すべきだ。今やこの一点に国家の存亡がかかっているといっても過言ではない。
 要するに事故がありうることは認めても、それでも覚悟をきめて原発に固執せよ、今一度原発推進に邁進せよ、と、動揺している原発推進派を叱咤しているのです。
 「覚悟」という言葉が2回も出てきて「国家の存亡」とまであるこの檄文は、福島原発の事故からわずか二カ月半のこの時点では、もっとも過激な原発再稼働論でしょう。何があったのかというと、この丁度二週間前の5月10日の『朝日新聞』の一面トップに「浜岡全炉数日中に停止 中部電 首相要請を受諾」とあります。民主党の菅直人首相の要請を受け容れて中部電力が浜岡原発の運転を停止したのであり、葛西はこのことに大きな危機感を抱いたのでしょう。リニア中央新幹線の営業運転にとっては、東京電力の柏崎刈羽原発と中部電力の浜岡原発の増設と稼働が絶対的に必要なことを,葛西は知っていたのです。
 本来なら福島の事故で真っ先に見直さなければならないプロジェクトであるリニア中央新幹線計画の、堅持と継続を宣言したと言えるでしょう。
柏崎刈羽原発の増設がリニア新幹線のためのものであるということは、それまで宮崎で行なわれていたリニアの実験線の移転先が山梨に決まり、1997年に走行試験が始まった時点で東京電力が明言しています。
 すでに高度成長が終りを迎え、電力需要が頭打ちになっていた1990 年代でも、なおかつ原発拡大方針をとっていた日本政府と通産省(後の経産省)は、各電力会社に原発新設を促していたのです。三菱、日立、東芝といった原発メーカーや原発建設にあたる大手ゼネコンの保護政策です。そんなわけで、どの電力会社にとっても、需要があるから原発を新設するのではなく、原発を作るために新しい電力需要の掘り起しを考えなければならない状態になっていたのです。そして願ってもない新しい大口需要先として電力会社はリニアを見出したのです。
 『毎日新聞』(山梨版)1998年9月13日の記事には「東京電力 大槻に新変電所設置 新潟・柏崎原発と直結」との見出しで、次のように書かれています:
 東京電力は、リニアモーターカー誘致などにともなう今後予想される県内の電力需要の急増に対応するため、大月市内に新山梨変電所を設置するとともに、新潟県・柏崎刈羽原子力発電所と同変電所を結ぶ新送電線、群馬山梨幹線の建設を進めている。
 そして「柏崎刈羽原発から原発2基分に近い150万キロワットを引き込み、県内や静岡県などに供給する」という東電の計画が記されています。ちなみに柏崎刈羽では、1980年から90年までに作られた5基の原発はすべて110万Kw, そして1996年と97年に各135.6万Kwの原発2基が作られています。総発電量821万Kw、世界最大であり、恐るべき密集原発です。そしてこの第7号基がリニアのために作られたのでしょう。
 のちにJR東海がリニア中央新幹線計画に乗り出した段階では,今度は逆にJR側が、新設されるはずの東電・柏崎刈羽原発と中電・浜岡原発をリニアに欠かせない電源として位置付けることになります。
 2011年東日本大震災での東電福島第一原発の崩壊は、それまでの経産省(旧通産省)の原発拡大路線を根本的に見直す機会でした。しかし経産省も原発メーカーも電力会社も、そして原発利権に群がっている政治家や大学教授たちからなる原子力村も、それまでの行き方に対する反省を示すことなく、これまでの路線の継続を図ったのです。JR東海もまた、リニア新幹線に関してそれまでの方針の堅持を表明し、そのための絶対条件として原発再稼働を確認したのです。それが上記の葛西の談話だったのです。この方針は、その後も変っていません。
 雑誌『財界にいがた』2018年8月号には「国とJR東海がリニア中央新幹線開業に向け熱望する 柏崎刈羽原発再稼働」の見出しで書かれています:
 世界最大の原子力発電所である柏崎刈羽原発を抱える本県――。一般に柏崎刈羽原発は「関東圏の電力需要を賄うための原発」と捉えられているようだが、その存在意義は県民が思っているよりも格段に大きく、国が同原発の再稼働を強く望んでいることには確たる理由がある。その理由とは、2027年に開業予定のリニア中央新幹線の電力供給源としての同原発の再稼働が不可欠だからだ(強調山本)。
 リニア中央新幹線の建設は原発の再稼働や新設と不可分であり、したがって反リニア新幹線は反原発と直結しているのです。

安倍晋三とリニア中央新幹線計画
 ところで、今、JR東海会長・葛西敬之に言及しました。前回私は、安倍首相が2016年にJR東海のリニア中央新幹線計画への3兆円の財政投融資の投入を決定したことに触れ「安倍首相にまつわるネポティズム(お友達優遇)の影がちらついています」と書きました。このことについて、なぜか大新聞はあまり書かないのですが、『日経ビジネス』2018年8月20日号の特集「リニア新幹線 夢か、悪夢か」に詳しいので、同誌に依拠して、もうすこし書いておきましょう。
 もともとリニア中央新幹線計画は、建設費用は全額JR東海自己負担としてJR東海単独の計画で始まったのですが、2016年6月に安倍首相が大阪開通を8年間前倒しすることとともに総額9兆円の建設費のうち3兆円を国からの財政投融資で賄うことを表明し、このことで民間企業であるJR東海の計画が、公の議論がほとんどないままに「国家的なビッグプロジェクト」(『毎日新聞』2017年3月3日)に変質したのです。
 その融資の内容は「無担保で3兆円を貸し、30年間、元本返済を猶予する。しかも、超長期なのに金利は平均0.8%という低金利を適用する」(『日経ビジネス』)というとんでもないものです。この金利について、『東京新聞』には「国土交通省の試算によると、民間からの借り入れとくらべて五千億円ほど金利負担が減る」とあり、さらに書かれています:
 財政投融資の資金は政府が国債の一種「財投債」を発行し、銀行や保険会社などから借りる。JR東海への金利は将来にわたり低いまま固定されているが、財投債は日銀の政策変更や景気の改善で金利が上昇する可能性がある。
 政府が払う利息が貸し出した金利分より多くなれば、その穴埋めに税金が使われる恐れがある。(『東京新聞』2017年12月19日)
 貸付金額の大きさも、貸付条件の甘さも、いずれも破格のものです。『日経ビジネス』の記事には、日本政策投資銀行の話として書かれています。
 「民間銀行はもちろん、うちでも1社に3兆円を貸し出すことはあり得ません。相手先が倒れたら、銀行も一緒に死んでしまう。うちも他の大手銀行も、1社2000億がギリギリのラインです。30年間返済据え置き? それはないでしょう。」
とあり、そして同じ財政投融資という融資スキームを扱っている日本政策金融公庫の幹部も語っています。
「いや、あの融資条件は、他に聞いたことがないですね」。「そもそも、30年後から返すって、貸す方も借りる方も責任者は辞めているでしょう。生きているかどうかも分からないですよね。」
 金融の常識からしてありえない異常な話なのです。
 次の問題もあります。通常で言えば、金融機関がなにがしかの事業に融資するとなれば当然厳しい審査があるはずですが、このリニアのプロジェクトの場合、一体どのような審査がなされたのでしょうか。
 私の見たかぎりで、リニアについて書かれた文献の大部分は、事業の成功の可能性について、いずれもきわめて厳しい否定的な見方をしています。
 『交通学研究 2009年研究報告』に「中央リニア新幹線導入が経済と環境に及ぼす影響」という論文が掲載されています。著者は東京大学の二人の研究者・山口勝弘と山崎清で、「要旨」冒頭に「次世代の都市間高速交通網の一翼を担うことが期待される超電導磁気浮上式鉄道の東京、名古屋、大阪間への導入(中央リニア新幹線)」とあるように、基本的にはリニア新幹線について期待するという立場で書かれたもので、すくなくともリニアにたいして批判的なスタンスはありません。そして純粋な数学的な、その意味では中立的なモデルによる定量的な分析に終始しています。しかし、その結論は「要旨」には「中央リニア新幹線は、単体では採算が見込めるが、〔従来の〕東海道新幹線には巨額の減収をもたらす。従って、JR東海がリニアを導入した場合、東海道新幹線からの需要シフトにより増収効果が小さいため中央リニア新幹線の事業収支は大幅な赤字となる」とあり、本文で「東海道新幹線を保有するJR東海にとって中央リニア新幹線導入は事業収支の悪化をもたらす可能性が高い」と結論づけられています。
 難しい数学を使わなくとも、私がすでに2019年に単一の電鉄会社が競合する2本の路線を有する場合の危険性として語ったのとおなじ結論です。
この雑誌『日経ビジネス』は、標題どおりビジネスマンはあるいは株価の動向に関心のある人たちが読む雑誌で、もちろん「リベラル」でもなければ「革新的」でもありません。しかしこの雑誌の記事も、JR東海のリニア中央新幹線にたいしてはきわめて厳しい評価をしています。
 『日経ビジネス』の記事はPt.1, Pt.2, Pt.3に分かれています。そのPt.1の表題は「速ければよいのか 陸のコンコルド」です。フランス政府が国力をあげて追求したが、騒音と排気ガスの公害を撒き散らし、赤字続きでついには悲惨な事故をおこして破綻した超音速ジェット機コンコルドになぞらえているところに、リニアに対する評価が透けて見えます。そしてそこには、なんとJR東海の社長自身がリニア計画は「絶対にペイしない」と正直に語ったことまで書かれています。そしてPt.3の標題は「平成の終焉 国鉄は2度死ぬ」で、この標題もこのプロジェクトにたいするきわめて否定的な見方を暗示しています。
 公共政策に詳しい橋山禮治郎の前回見た書には、一般にプロジェクトの成功の条件として、「経済性が確保されているか、技術的な信頼性があるか、環境を破壊することはないか」を挙げ「この3点をすべて満たしていればプロジェクトとしては成功すると言えるが、そのひとつでも不十分または不適切であれば、ほぼ確実に失敗におわる」とあります(『リニア新幹線 巨大プロジェクトの「真実」』集英社新書,p.80.)。そしてとくにリニア中央新幹線について
 内外の多くのインフラ・プロジェクトの評価に携わってきた一研究者として言えることは、本件リニア計画ほど不確定要因が多く、多くの困難とリスク(経済的、技術的、環境的)を抱えたプロジェクトは、世界中を探してもまず存在しないということである(『必要か、リニア新幹線』岩波書店,p.82)。
との、最大限の危惧を表明しています。
 とくに経済性について言うならば、人口減少下での需要の増加が見込まれないことを踏まえ、審議会とJR東海自体の需要予測にたいして「これまでの分析から言えることは、審議会はもちろん、JR東海自身も需要見通しが甘すぎるという一語に尽きる。現下の厳しい経済社会を展望すると、客観的に見て需要増加の可能性はきわめて低く、それにもかかわらず輸送能力を2~5割も増強するというフレームに固執して着工すれば、プロジェクトの失敗は避け難いと判断せざるをえない」と断じています(『リニア新幹線 巨大プロジェクトの「真実」』p.100.)。
リニア中央新幹線プロジェクトは、その金額の大きさは勿論ですが、計画内容自体、通常の金融の常識では、ということはつまり資本主義的合理性という観点から見て、とても融資の対象にはなり得ない不健全なものなのです。
 『毎日新聞』の2016年7月25日の社説には「リニア新幹線 公費の投入は話が違う」と題して、「そもそもリニア計画は、JR東海の<全額自己負担>を前提に国が認可したものだ。民間企業だからこそ、JR東海は政治の介入を極力回避し、開業時期やルートなどを自分で決めることができた。…… 公的資金による国家プロジェクトの位置づけであったら、JR東海単独の事業として認められただろうか。建設が始まった今になって、やはり国が資金支援、というのは明らかに約束違反だ」とあります。しかし現実には単なる「約束違反」を越えた「不正」ではないでしょうか。
 そしてそのような理不尽がまかり通っている背景には、安倍政権の存在が考えられます。この『日経ビジネス』の記事のこの問題を扱ったPt.2の見出しは
安倍 「お友だち融資」 3兆円  第3の森加計問題
森友学園、加計学園の比ではない3兆円融資。
その破格の融資スキームが発表される前、
安倍と葛西は頻繁に会合を重ねていた。(強調ママ)
とあります。実際この記事によると、1994年以来2018年までの葛西の首相との面会は、安倍以外の10人の首相とでは計16回、年平均1.3回、それにたいして、安倍首相とは、第1次安倍内閣で7回、2018年までの第2次安倍内閣で45回、年平均で7.5回ととびぬけています。葛西と安倍の関係は、行政府の長と地域独占企業のトップとの関係をはるかに越える緊密なものになっています。そして安倍がJR東海のリニア計画への財政支援を表明した2016年6月1日までの半年間、つまり前年末から5月27日まで葛西と安倍は実に6回会談し、とくに直前の5月27日には葛西は名古屋駅で安倍を迎え、安倍はJR東海本社ビルのある名古屋JRセントラルタワーズにあるホテルに宿泊しています。
 この件にかんして、私は前回「リニア計画を引っ張ってきたJR東海の葛西敬之名誉会長は、安倍晋三首相と非常に距離が近い人物だ。二人の関係があったので優遇されたと見られても仕方がない」という橋山禮冶郎の談話を引きましたが、「…… と見られても仕方がない」というよりは「…… と見ざるをえない」と言うべきではないでしょうか。『日経ビジネス』には「これほど破格の3兆円融資は、官や民の判断能力をはるかに超えている。しかも返済されなければ、公的処理をせざるを得ない。大きな政治判断なくして実行できない」とありますが、きちんとした議論も審査もなく、まさに安倍晋三の「政治判断」でなされたとしか考えようがありません。

脱線:観光公害と奈良の鹿
 福島の原発事故を経験した現在、あの事故から顧みるならば、電力を過大に必要とする運輸システムとしてのリニア新幹線は、真っ先に見直しを必要とするプロジェクトなのです。既存の慣れ親しんだ運輸や生産のシステムでさえ、消費電力削減の要求に合致しないものの淘汰が図られているなかで、電力消費においてこれまでのものを何倍か超えるような新しい運輸システムを作り出すような余裕はもはやありえないはずです。そこまでして速く移動しなければならないような社会を作るべきではないと言うことができます。
 そして更にコロナ禍を知った今、鉄道について、より多くの人を、より速く、より遠くに運搬することを第一義とする考え方、そしてその結果として一極集中をより促進するような運輸システムにたいして同様に根本的な見直しが求められているのです。疫病は人間の活動範囲が拡大し自然の自立的な営みが侵されたときの自然からの逆襲ですが、それがパンデミックとして今回、とくに西欧や米国のような技術的先進国で急激に拡大したのは、都市に人口が集中していることに加えて、運輸・交通システムの量的拡大と高速化により国内の多くの都市が広域にわたって結び付けられ、以前には考えられなかったような多くの人の迅速な移動が生まれたことの結果でしょう。
 そのことが、例えば北陸新幹線が開通し県外や国外からのアクセスが大幅に改善された金沢でオーバーツーリズム(観光公害)の弊害とともにコロナの被害をいち早くもたらしたことは、前回述べました。丁度よい機会ですから、この観光公害について、若干、脱線的な感想を語りたいと思います。
 大分前の新聞で、京都における観光公害の記事に、嵐山の観光名所、竹林の小径に外国からの観光客がひしめいている写真が出ていました。こうなると風情も何もあったものではありません。たとえば西芳寺(苔寺)のような京都郊外の寺院は、閑散としてこその風情であり、人々が列をなしていては、その魅力は激減でしょう。拝観料が増えることは確かですが、庭園の植生も痛むだろうし、それがお寺にとって本当によいことなのでしょうか。
 ところで東京の営団地下鉄(メトロ)丸ノ内線・霞ヶ関駅のホームに、何年も前から京都とならぶ観光県・奈良そして忍者の里を擁する三重のリニア新幹線誘致広告が出ています。おそらく、新幹線径路から外れているその二県が観光ブームから取り残されているという思いがあるのでしょう。
 実際には、新幹線の駅がなくとも外国からの観光客が大勢訪れている処は多くあります。数年前、北海道の増毛に行ったときに、中国からの観光客が多いので驚きました。のちに廃線が伝えられている留萌線の終点という、率直に言って不便な所ですが、そこがかつて高倉健の映画のロケに使われたというだけの理由で、中国の人たちが押しかけていたのです。正直、驚きました。観光客をひきつける条件は、その土地固有のなにかであり、交通の便の良さだけではないのです。
 その点で、以前に私は、京都と奈良を訪れた西欧からの観光客から、感心し感激したのは京都ではなく奈良だと聞いたことがあります。つまり京都も奈良もともに多くのビルが建ちならび舗装道路に車が走っている近代都市であって、市内や郊外に古い神社仏閣が点在する所もかわりはなく、その程度のことであればアジアの都市には珍しくはない、しかし奈良には、その近代的な市内で人とならんで数多くの鹿が自由に散策している、それには驚き感心したというわけです。実際、鹿は野生生物であり、野生生物は臆病で人前に出てこないのが普通です。北極圏のトナカイは別にして、鹿を家畜にした例を聞きません。その野生生物の鹿が近代都市の内部で人を恐れもせずにのどかに草を食み歩んでいるのは、たしかに言われてみれば驚くべきことです。
 私のように関西に生まれ育った人間は、大抵は小中学校の遠足で一度は奈良にいったことがあり、そのため奈良の市内に鹿がいることを当たり前のように思っていて、外国人から指摘されてはじめて、そのことが大変珍しいことだと気付くようなところがあります。
 春日大社の使いという伝説は別にしても、平城京以来千年を大きく超える年月をかけて、人と鹿が共存する特異な空間が形成されたのです。こうして天然記念物としての「奈良の鹿」が誕生しました。その事実はたしかに他の何ものにも代えがたい観光資源と言えるでしょう。しかしそれはきわめてデリケートなバランスのうえに成り立っているのであり、観光公害と言われるまでの多くの観光客が殺到したとき、そのバランスが崩れる可能性は決して小さくはありません。そして、そのデリケートなバランスは、ひとたび崩れればもはや回復は叶わないでしょう。
その意味では、奈良がこれまで新幹線径路から外れていて、観光ブームに一歩とり残されていたことが実は幸運であったのかもしれません。現実には奈良はJR京都駅から近鉄線に乗り換えればすぐに行けるので、アクセスの問題にかんしてそれほど京都と差があるとは思えませんが、逆に言えば、いささかなりとも差があったために、かろうじて観光公害を免れてきたのかもしれません。
 なにがなんでもリニア中央新幹線を招致して地域を活性させたいという発想は、前回も語ったように、見直すべき時期が来ているのです。

ポスト・フクシマ、ポスト・コロナ
 さて、私が前回の原稿「コロナに思う その2」を10.8山﨑博昭プロジェクトのホーム・ページに掲載してもらうためにプロジェクト事務局に送ったのは7月14日でした。
その翌日、7月15日の『毎日新聞』夕刊には、法政大学学長・田中優子とコラムニスト・中森明夫のエッセーが掲載されていたのですが、いずれもコロナとの関連で東京一極集中の危険性を指摘するものです。田中は「都内の新型コロナウイルスの感染がなかなか終息しない一因は人口の首都圏集中であろう」と語り、そして普段はもっと柔らかいテーマを取り上げる中森のエッセーも、めずらしく社会的な問題を正面から捉え、熱く語っています。今回だけはストレートに言わなければという中森の思いが伝わってきます:
 新型コロナウイルスによる感染者数は東京都が突出して多い。…… 東京は異常なのだ。1400万人もが住み、15兆円の予算はスウェーデンにも匹敵する。日本の首都であり、国会議事堂があり、皇居があって、大手企業の本社や、テレビ局や新聞社のマスメディアが密集している。一極に集中した国家中枢の異様な肥大化ぶりはあまりにも危うい。(中森明夫「ニッポンへの発言」)
 誰が見てもコロナの教訓は、一極集中の危険性を明らかにしたことにあります。そして、その一極集中を生み出した大きな原因のひとつが、前回見たように、新幹線だったのです。のみならずリニア中央新幹線は、その一極集中をさらに推し進めることになるであろうと予想されているのです。このことは、前回の私のリニア批判でもっとも言いたかったことのひとつなのですが、しかし一般にはあまり知られていないことのようです。
 実際たとえば、1987年にJR東海の社長に就任した須田寛の1988年の書『東海道新幹線』には、東京‐大阪を1時間強で結ぶリニア新幹線は「首都機能の分散や、国土の均衡ある発展に大いに寄与するものと考えられる」(p.268)とあります。しかし現実には真逆の効果をもたらすと考えられています。実際にも従来の東海道新幹線は、「分散」どころか「集中」をもたらしたのです。
 そしてまた大阪維新の会は、一方では東京都に対抗する形で「大阪都」を主張しているのですが、同時にリニア中央新幹線の早期大阪開通を掲げています。しかし「大阪都」構想が東京一極集中にたいするアンチテーゼであると言うのであれば、それはリニア中央新幹線プロジェクトと矛盾しています。大阪維新の会もまた、リニア新幹線が東京一極集中を加速させるものであるという事実を理解していないのです。
 かつて江戸を唯一の焦点とする参勤交代のための東海道・中山道・甲州街道等の基幹道路(五街道)が徳川幕藩体制を支えていました。維新後、それにかわる国鉄建設が明治統一国家の骨格を形成しました。それにたいして戦後昭和の東海道新幹線はあらためて東京への一極集中を加速させたのです。そして現在計画されているリニア中央新幹線の「東京・名古屋・大阪6000万人メガロポリス」のスローガンは、日本における一極集中の極限的表現なのです。
 この点について、7月21日の『毎日新聞』の広井良典のインタビューはたいへん興味深いものです。
 公共政策と科学哲学の専門家である広井が財政学や社会心理学、医療経済学の専門家とともにAI(人工知能)を駆使して「2050年、日本は持続可能か」とのテーマで日本の将来をシミュレーションした結果が語られています。すなわち「日本の未来が都市集中型と地方分散型に二分され、後戻りのできない分岐点が25~27年ごろにやってくることが判明した」、そして現状のままの都市集中型を貫いた場合、財政は持ち直しても出生率の低下と格差の拡大はさらに進行し、個人の健康寿命や幸福感は低下する、他方、地方分散型に転じた場合は、34~37年頃までに、地域のエネルギー自給率や雇用、地方税収に力を注げば、人口、財政、環境資源、雇用、格差、健康、幸福等の観点がバランスよく持続可能になると判断されたとあり、広井はさらに語っています:
 当初は社会保障のあり方などが主要な論点になるだろうと考えていましたが、ふたを開けてみると「集中か分散か」という論点が日本の持続可能性を決める本質であることがわかりました。…… 新型コロナは主に東京などの大都市で広がり、都市集中型社会のさまざまな課題を一気に噴出させましたが、それらの解決が求められるコロナ後の社会とAIが示した持続可能な未来があまりにも一致していることに驚きました。
 この点について、かつて「原発震災」という概念を提起して福島の事故を予測した地震学者・石橋克彦は、今年7月2日の『静岡新聞』で、まったく同様に「新型コロナウイルスの大流行により、世界中で社会経済様式が大きく変わろうとしている。経済成長を至上として効率・集積・大規模化が追求されてきたが、それが感染症拡大を激化させたから、ゆとり・分散・小規模が重視されつつある。…… 今後は、東京一極集中や大都市圏の過密と地方の過疎を解消し、エネルギーや食料を域内で自給できる分散型社会を目指すべきだろう」と語っています。ここでも「集中と分散」がキーワードです。
 広井のインタビューに戻りますと、欧米の技術先進国アメリカとイギリスとドイツでのコロナ被害を比較した場合、ドイツでは被害が比較的少なかったことが見て取れるのですが、これは、米英社会がニューヨークやロンドンの一極集中であるのとちがって、「ベルリンなどの大都市もありますが、国全体に中小都市が幅広く分散しているのがドイツの特徴です。……ドイツの被害が相対的に抑えられているのは、医療システムが整備されていることなどに加え、国全体が3密の起きにくい多重構造になっていることも見逃せないと思います」と続けられています。なんだかはまりすぎの感じもしますが、興味深い指摘です。
 広井良典の『ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来』(岩波新書, 2015)も興味深い書物で、『毎日新聞』のこのインタビューと併せて読まれるべきものでしょう。広井はこの書で、『ゾウの時間 ネズミの時間』の書で知られる生物学者・本川達雄の所説を次のように紹介しています:
「ビジネスbusiness」とは文字通り“busy+ness(=忙しいこと)”が原義であるが、その本質は「エネルギーを大量に使って文字通り時間を短縮すること(=スピードを上げること)」と言い換えることができる。たとえば東京から博多への出張に列車ではなく飛行機で行くと、それはエネルギーをより多く使う分、それだけ速い時間で目的地に到達することができるわけで、つまりそれは「エネルギー → 時間」という変換がなされたことになる。
その調子で人間はスピードを無際限に速めてきており、現代人の時間の流れは縄文人の40倍ものスピードになっている(同時に縄文人の40倍のエネルギーを消費している)。しかしそうした時間の速さに現代人は身体的にもついていけなくなりつつあり、「時間環境問題」の解決こそが人間にとっての課題である、というのが本川の主張である。(p.142)
 私自身がリニア問題にこだわってきた理由を旨く説明してもらったような気がします。
 リーマン・ショックによって世界の金融に危機がもたらされた後のフクシマの原発事故は、重化学工業を中心とする大量生産・大量消費・大量廃棄に支えられた高度成長経済、そしてその条件が失われたのちの新自由主義経済における資本のグル―バルな展開と格差の拡大といった、これまで昭和戦後期から平成にいたる過程の根底的な見直しを促していたのです。そしてコロナは、大都市に資本と人口が集中し、社会的格差の拡大のなかで追い詰められた人々がゆとりをなくして働かされていることのもつ危険性をあぶり出しました。そのことは、根本的には生活と労働の見直しを促しているのです。
 上に見た広井の書の書名に「ポスト資本主義」という言葉が見られます。経済学者・水野和夫の書『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書、2014)には「もう資本主義というシステムは老朽化して、賞味期間が切れかかっています」とあります(p.131)。リーマン・ショックとフクシマの事故とコロナ禍がだめ押ししたことになります。それゆえ「ポスト・フクシマ」や「ポスト・コロナ」を語ることは、つきつめれば「ポスト資本主義」を語ることになるのでしょう。
 私自身について言えは、とてもそこまでのグランド・デザインを描くだけの能力も知識もありませんが、すくなくとも、これまでの社会システムやプロジェクトのひとつひとつにたいして、ポスト・フクシマ、ポスト・コロナの観点から見て、見直されるべきもの、否定されるべきものの指摘くらいならできるかと思っています。
その典型的な例がリニア新幹線なのです。
 石橋克彦は先述の『静岡新聞』のエッセーで「時代錯誤のリニア再考を」と訴えています。ポスト・フクシマの観点からは、過大なエネルギーを消費し原発の再稼働と新設を必要とするリニア新幹線プロジェクトは真っ先に見直されるべきものでありますが、ポスト・コロナの観点からもまた、リニアが一極集中をさらに助長しかねないものとして、真っ先に見直されるべきものであります。したがってリニア新幹線プロジェクトはその2重の意味で端的に「時代錯誤」として放棄されるべきものと言えるでしょう。
2020年9月
(やまもと・よしたか)


【お知らせ その1】

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「続・全共闘白書を読み解く」今秋刊行!
全共闘運動から半世紀の節目の昨年末、往時の運動体験者450人超のアンケートを掲載した『続全共闘白書』を刊行したところ、数多くのメディアで紹介されて増刷にもなり、所期の目的である「全共闘世代の社会的遺言」を残すことができました。
しかし、それだけは全共闘運動経験者による一方的な発言・発信でしかありません。次世代との対話・交歓があってこそ、本書の社会的役割が果たせるものと考えております。
そこで、本書に対して、世代を超えた様々な分野の方からご意見やコメントをいただいて『続全共闘白書を読み解く』を刊行することになりました。
「続・全共闘白書」とともに、是非お読みください。

執筆者
<上・同世代>山本義隆、秋田明大、菅直人、落合恵子、平野悠、木村三浩、重信房子、小西隆裕、三好春樹、住沢博紀、筆坂秀世
<下世代>大谷行雄、白井聡、有田芳生、香山リカ、田原牧、佐藤優、外山恒一、小林哲夫、田中駿介 他
<研究者>小杉亮子、松井隆志、チェルシー、劉燕子、那波泰輔、近藤伸郎 他
<書評>高成田亨、三上治

11月末刊行予定
定価1,800円(税別)
情況出版刊

(問い合わせ先)

『続・全共闘白書』編纂実行委員会(担当・前田和男)
〒113-0033 東京都文京区本郷3-24-17 ネクストビル402号
TEL03-5689-8182 FAX03-5689-8192
メールアドレス zenkyoutou@gmail.com  


1968-69全国学園闘争アーカイブス】
「続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。

http://zenkyoutou.com/yajiuma.html


【学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録】
続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
知られざる闘争の記録です。

http://zenkyoutou.com/gakuen.html


【お知らせ その2】
ブログは隔週で更新しています。
次回は10月16日(金)に更新予定です。