野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

タグ:短歌

私も関わっている「10・8山﨑博昭プロジェクト」の発起人の一人に歌人の福島泰樹氏がいる。
3月20日(日)の朝日新聞の書評コーナーに福島泰樹氏の新刊「追憶の風景」に関する記事が掲載されていた。

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記事の中で福島氏は「死者の記憶を大事にしないことは、歴史を否定することにほかなりません」と語っている。私も同感である。
福島泰樹氏のことは以前から知っていた。吉祥寺の「曼荼羅」という店で短歌絶叫コンサートをやっていること。でも、実際にコンサートを聴きに行くことはなかった。

昨年の8月、経産省前テント広場で行われた「呪殺祈祷僧団再結成祈祷会」に行った時、僧団のメンバーでもある福島泰樹氏の「表白導師独唱」を聴いた。
「独唱」の中には死者の記憶を大事にするという次のような言葉も出てきた。

『1960年6月15日、国会構内で虐殺された東大生樺美智子の声が聞こえる。
でも私はいつまでも笑わないだろう。いつまでも笑えないだろう。それでいいのだ。ただ許されるものなら、最後に人知れず微笑みたいものだ。
言葉には魂が宿っている。22歳の樺美智子は死んではいない。新生日本を見つめ、この悪しき地上に拠って闘うことを今も止めない。我々呪殺祈祷僧団に集う僧俗は高らかに死者と連帯し死者と共闘する。』

福島泰樹氏の肉声を聴いたのは、この時が初めてであったが強烈な印象であった。読経と法具の音をバックに「表白導師独唱」が詠まれる。短歌も読まれる。詩とか短歌は本で読むものではなく、音楽のように聴くものだと思わさられた。

今年の2月、福島泰樹氏は、早大学費学館闘争50周年を記念してコンサート「バリケード・1966年2月」を吉祥寺の「曼荼羅」で開いた。

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福島氏からコンサートのチラシを頂いたが、コンサートには行けず残念と思っていたところ、「10・8山﨑博昭プロジュクト」発起人会議で、思いがけず福島氏から「早大闘争50周年記念 短歌絶叫 遥かなる朋へ」のCDを頂いた。早速CDを聴いてみると、改めて「短歌は聴くもの」という思いにさせられる。CDのジャッケットにも書かれていたが「歌謡の復権・肉声の回復」である。

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(CD写真)

さて、このところ、大掃除で出てきた新聞の記事を掲載しているが、1973年2月の「週刊読書人」に、この福島泰樹氏の「バリケード・196年2月」に関する短い記事があったので、今回はその記事を掲載する。

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【人物点と線 標的としての現代歌人 福島泰樹
反骨に伴う気品 くやしみ深き荒寺の酒徒 週刊読書人1973.2.12】
“男歌”の第二弾、というより73年の手ごたえ確かな標的は福島泰樹である。沼津柳沢の荒寺に身をひそめる住職をなりわいとし、酒はあびるほどという豪気さに加えて、三枝昂之らと同人誌『反措定』を刊行し、第一歌集『バリケード・1966年2月』で全身これ反骨というしたたかな気概をみせた。

一隊をみおろす 夜の構内に 3000の髪戦(そよ)ぎてやまぬ
機動隊去りたるのちになお握るこの石凍し路面をたたく
潮騒と分ち難しもわがこころ いざオキシフル泡立つ海へ

見られるように岡井隆・塚本邦雄の双方を踏まえ、なお確かな骨格を示すこの歌集は69年に刊行され、たちまち歌壇ではない青年層に激しい拍手で迎えられた。佐佐木幸綱にくらべてなお一層“男歌”の要素が濃いのは、いずれ劣らぬ逞しい体躯と、荒くれというにふさわしい坊主頭のせいばかりではない。その歌に以外なほどの清潔さと気品までが具わっているせいであろう。

機動隊も眠れり夜の装甲車 すべての紺を憎むにあらず

現実のバリケードは破壊されたが、彼の胸奥にあるそれはいよいよ堅い。72年10月に刊行された『エチカ・1969年以降は』その証だが、1ページ1首というぜいたくさながら、ここにはなぜか秀歌が乏しい。くやしみと確信とが交互に語られているものの、それは凛とした一行の詩にまで高められず、生煮えの言葉が眼立ちすぎる。後記にある「1971年、わが乏しき二十八歳の盛夏、浄らかな水を汲み、レンズの球ならぬ珈琲の豆を挽きつつひとり宴す。おのが歌、おのがエチカを建てることの難艱なることを痛感する」という数行のすがしさに比してこれはさびしすぎる結晶体だ。

生きざまが作品より先行する、あるいははるかに魅力をもつことこそ彼の願いだろうが地上の懶惰を鞭打ち起たしめるものは言葉、詩語を措いてない。豪放とか磊落とかの男らしさは、古き日本では必ず臭味を伴わずにいなかったが、“男歌”の男らしさもまたその危険を孕んでいる。「72年大寒のわがさ庭は、梅は咲き、椿は落つる。小授鶏はこうるさく、私は黙す。油揚げは買った。椎茸は水に漬けてある。今夜は椎茸ご飯に葱ぬた、お吸い物にはまた芹をいれることとしよう。せめていま、自己のあられもない情念のありようを歌にするのみである」というとき、そこに添えられるべき香り高き一盞の酒は

酒飲んで涙を流す愚かさを断って剣菱 白鷹翔ける

ごとき粗雑なものであってはなるまい。何よりも喪ってならぬものは男心のすがすがしい香気であろう。

(ふくしま・やすき氏は早大西洋哲学科卒。歌集に「バリケード1966年2月」「エチカ1969年以降」昭和18年生)


【福島泰樹氏の新刊紹介】


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「追憶の風景」
生と死が激しく交錯した時代
108人への哀悼歌で刻む、若き昭和の姿
歌人の福島泰樹が、108名の心に深く残る友とその時代を歌とともに綴る。生と死が激しく交錯した幼年期、血を流して戦った青春の60~70年代。圧倒的なリアリティが交錯する昭和という時代を、さざなみのように呼び寄せる亡き人々の残像……。死者への追憶が、時代の記憶を烈しく炙り出し、現在の生を鋭くさせる。歳月の荒野に点々と灯る、108の挽歌とエッセイ。
【本書に登場する人々】
立松和平 岸上大作 中井英夫 武田泰淳
辺見じゅん 吉本隆明 横山やすし 高橋和巳
清水昶 勝新太郎 塚本邦雄 たこ八郎
中上健次 加藤郁乎 郡司信夫 干刈あがた
大岡昇平 野間宏 片岡千恵蔵 吉原幸子
磯田光一 松田修 宗左近 西村寿行
日野啓三 山下敬二郎 寺山修司 白井義男
関光徳 大島渚 美空ひばり 吉村昭
赤塚不二夫 小沢昭一 秋山駿 埴谷雄高
石原吉郎 木下順二 ……ほか計108人(登場順)
◇福島泰樹(ふくしま・やすき)
1943年東京下谷に生まれる。早稲田大学文学部卒。69年、歌集『バリケード・一九六六年二月』でデビュー。肉声の回復を求めて「短歌絶叫コンサート」を創出、1500ステージをこなす。『福島泰樹全歌集』(河出書房新社)、『弔い―死に臨むこころ』(ちくま新書)、『中原中也 帝都慕情』(NHK出版)、『寺山修司 死と生の履歴書』(彩流社)等著作多数。毎月10日、東京吉祥寺「曼荼羅」での月例絶叫コンサートも31年目を迎えた。

福島泰樹 著 佐中由紀枝 挿画
四六判変型・上製 344頁
定価:本体2000円+税
晶文社発行

(終)

このブログでは、重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」に掲載された日誌(独居より)を紹介しているが、この日誌の中では、差し入れされた本への感想(書評)も「読んだ本」というコーナーに掲載されている。
今回は「オリーブの樹」131号に掲載された本の感想(書評)を紹介する。
(掲載にあたっては重信さんの了解を得ています。)

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【「歌集“暗黒世紀”坂口弘」(角川学芸出版刊)】
(ブログ管理者注:日誌では歌の漢字に読みのルビがふられていましたが、見づらいので括弧に入れました。)
「歌集“暗黒世紀”坂口弘」を読みはじめました。
はじまりの章「冬の花火」に2000年の歌が集められているのですが、読みはじめて胸を衝かれぐっと涙をこらえる想いです。はじまりから哀しい。“二〇〇〇年一月一日午後一時弁護士辞むると怒りの手紙きぬ”“弁護士に去られし吾に追打ちの<恩知らず>なる誌上批判あり”“何やらむ冬の小菅の夜の空に数十発もの花火上がれり”この三首がまず最初の頁にあります。
坂口さんにとって2000年というのは「二〇〇〇年六月に裁判のやり直しを求め、再審請求の申し立てをしました」(あとがき)とあり、また同年11月8日、私は日本で逮捕されました。「冬の花火」の頃、私はまだ逮捕前ですが、のちに同じ獄という環境に在った分、これらすべての歌を生活史として読み、また実感するので、感情が溢れてしまうのです。獄の「死刑確定囚」の孤立感の中で弁護士とどんなやりとりか分かりませんが、驚きと苦しみにもう一人の自分が直視して詠んでいる姿がうかびます。
その後の方に“待ちまちし弁護受任をしらせくる電報をおし頂きて見る”“銭(かね)すこし差入れせむかと言ひくるるさても情(こころ)ある弁護士さんかな”と詠んでいて、やっと心開ける弁護士に出会えたことにこちらもホッとします。
そんな心境を経ながら再審にたちむかっている時、私の逮捕を知ったようです。“驚きをもちてニュースを聴きてをり重信房子が国内逮捕と”“昨日(きぞ)ありし重信逮捕は触れもせで朝まだき母は面会に来つ”と詠んでいます。続いて“文春誌になほ屹立(きつりつ)せる重信の父君の書きし達意の文かな”“<日本赤>と言ひてラジオは切られけり七十五年八月四日午後”など。父を詠んでいたのを知って、また涙が迫りそうです。父が当時の激しい非難糾弾の中で「重信房子の父として」と月刊文春に私を弁護する一文をよせました。はたちをすぎた大人が「確信犯」で行っていることで親を非難するのはおかしい。かつての戦前の赤狩りのような風潮」と淡々と記していました。それを思いだし、また坂口さんがそれを目にとめて刻んだ心根に嬉しくなってしまいました。
さらに坂口さんは私の逮捕から、かつて奪還闘争に自分が指名され、拒否し、現在があることを振り返りながら、その時のことも詠んでいます。“沈黙の間(ま)をしばらくは置きて言ふ<出国はせず>とただの一語を”“出国する者ら思ひて明けの空遠ざかりゆく爆音聞きをり”
坂口さんは「あとがき」で次のように記しています。
「再審請求を申し立ててこれまでのくらしに区切りがついたため、過去を振り返ってみました。遠い昔に、過激な路線ともまた組織とも手を切り、その結果として出国拒否にいたったこと(1975年)、一審死刑判決(1982年6月)と同判決をめぐる出来事、そして長年の間筆者を支えて下さった恩ある方への追悼などを取り上げ作品化しました。
また昔からの牢のくらしの折折の感慨も歌に詠んでみました。
幼稚ではありましたが、政治闘争をした端くれとして、またマルクス主義は放棄したもののリベラリストでありたいとする願望から、政治問題に対する関心をなくすことができず、アメリカによるアフガン戦争とそれに続くイラク戦争に関わる素材を極めて少数ではありますが、取り上げて作品化しました。
本歌集が扱った8年間(注:2000年から2007年)、死刑執行は空白をつくることなく、毎年判で押したように着実に行われました。当事者として嫌でたまらないこの素材は、できることなら避けて通りたいと願っています。しかし、そうしたらこの歌集は価値が半減するでしょうし、何よりも国により生命を絶たれた人たちへの申し開きができません」と。
さらに死刑制度批判、本歌集のタイトルの説明をしています。
「このタイトルは、実は歌集の内容を反映したものではありません。それは新世紀である二十一世紀を特徴づけるのにふさわしい言葉として、筆者が選んだものなのです」。「それは人類に束の間の繁栄をもたらしはしましたが、本当は人類を滅亡に導く呪うべき文明なのではないでしょうか?」と産業革命以来の産業社会批判としてタイトルを示しているとのことです。
2000年から2007年までの作品334首を収録していて「跋」は佐佐木幸綱氏が2007年の歌集「常しへの道」に続いて記しています。そして佐佐木氏は母をうたう歌を特に評価しておられます。“縮みたる母の身体に縮まざる大きな双手がいつも目に付く”など六首をあげ、「坂口の歌はどれもまなざしがやさしいが、母をうたう歌は特にやさしい」と評し、坂口さんが2007年で歌を終わらせたことにある区切りの意味があったのではないかと思わせられるとして、2008年93歳で母菊枝さんが他界されたと記しています。「著者は、母の死を、自分の人生の大きな区切りと考えたのだ。そう思いつつ、私はあらためて坂口の母の歌を読みかえし、人生というものを思うのである」と跋文を結んでいます。
どの歌も自分のくらし、心境をさらけ出し、時には悔・感謝を、時には憤りやこらえがたい思い、そうした自分を切りとるように詠んでいて「坂口弘」という人がどんな人なのかがわかるような気がします。
2000年の「冬の花火」に続いて詠まれている歌から私の心に残ったものを記していくと以下です。 
「新世紀」2001年 “弁護士にわれ恵まれて存(ながら)へたり恵まれず逝きし死囚多かり”。
「国民の敵」2002年 この年は佐々淳行原作・役所広司主演のあさま山荘事件の映画が宣伝された年です。“紙(し)をくればわれに攻めくる機動隊のあさま映画の大広告あり”“名指されて<国民の敵>と役所氏の指弾受くるとは思はざりしかな”“佐々書きし過誤あまたなるあさま本をべた賞(ほ)めしたる作家もあるかな”“人質を利用して逃ぐる企ては左翼なればこそ思はざりけれ”一方的なストーリーに対する静かな怒りが詠まれています。
「新獄舎」2003年 “国家より死ねと言はれて十年経(へ)ぬ十年経しかと今さら思ふ”“判決にて<自殺もせずにおめおめと逮捕され>とかく嘲(あざ)けられしかな”“総身より血の気が引きて総身を死のホルモンのごときが満たしぬ”(一審死刑判決をいひ渡されて)“死囚なる身分となりてしばらくは地に足のつかぬ生活(くらし)をしたり”“逆立ちを二年ぶりにせり水流の錆(さ)びし鉄管にほとばしるごとし”
「ときの淘汰」2004年 “小菅の空仰げば思ふ虹を見たし一度なりとも見たしと思ふ”“亡き指導者がわれを誘はむと摑む手を怒りて払ふつづけて見し夢”
「派兵」2005年 “屋上に逆立ちすれば足うらに冬の陽あたりこころ温(ぬく)もる”(私がこの歌集で一番好きな歌です。)“イラク派兵かくも安易に決めたるをいつか悔い深く省みをすべし”
「水琴窟」2006年 “あらざるにわが子の名前を考へをり死刑囚にして独り身のわれが”“ああ便器水琴窟となりぬらむ滴(したた)れる水の音のすがしさ”“上告をわれに促さむと三日続け小菅に来たまひ驚かされぬ”“三十八年われにより添ひてをりをり助言をしてくれ給ひき”
「生存死刑囚」2007年 “人生の節目のをりも正装して過すことなき人屋の生活(くらし)”“新聞に生存死刑囚と書かれをり魂すでに亡きがごとくに”“落ちこめるときわが本の苦しかる総括場面を読みて癒せる”“なりたきは総理と書きて笑はれし小学四年のわれなりしかな”“何ありともこの花のみは裏切らぬと金木犀の香を深く吸ふ”
昔の闘いの日々、更には公判での様々な難しさ、奪還を拒んだこと、そして獄での思索と作歌、想像しきれないことももちろん多いですが、身につまされることもまた多々あります。強く心に響く歌集です。 

虹みたしと拘置所の狭き空仰ぐ
坂口弘のくらし哀しも  
(7月22日)

<出版社の紹介文>
獄中から暗黒の世の中を問う--死刑囚からのメッセージ
死刑判決を受けたあさま山荘事件のことや、獄中から見た世の中をせつせつと詠いあげる。おのれのためでなく死刑廃止を願う真意とは。〈あらざるにわが子の名前を考へをり死刑囚にして独り身のわれが〉。
発売日:2015年03月23日
定価(税込): 1944円
四六判
角川学芸出版

(終)

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