野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

今回のブログは『週刊アンポ』第8号(1970年2月23日)に掲載された特集「市民運動・自省と噴出のはざまで」の中から、1970年1月31と2月1日に開催された「ベ平連全国懇談会」の報告記事を掲載する。
ベ平連結成から5年、70年安保闘争の中での全国各地のベ平連の活動と方向性がよくわかる内容である。
この報告の中で、大学ベ平連について言及している部分があるので、明大ベ平連について少し書いてみたい。
明大ベ平連は、べ平連と書いた水色の旗を持って黒ヘルを被っていた。1969年当時10数名いたと思う。大学ベ平連の中でも「戦闘的」と言われており、「トロベ」(トロツキスト・ベ平連)とも呼ばれていた。
私も一緒にべ平連定例デモに参加したことがあるが、銀座4丁目の交差点あたりに差し掛かると、「ここは目立つのでジグザグデモをやろう」ということで、交差点でジグザグデモをやったり、そんな雰囲気のグループであった。
70年安保以降は、MUP共闘(明治大学新聞学会を中心とした共闘会議)のメンバーとして、学内ロックアウト体制粉砕闘争や学費値上げ反対闘争に関わっていた。
ノンセクト黒ヘルグループというような感じであった。

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【変革を求める市民運動の方向   古山洋三(千葉ベ平連)】
ベ平連全国懇談会には北海道から鹿児島まで、250名の人々が一年間のさまざまな運動と経験をもちよって語りあった。そこにはベ平連運動のもつ不思議な活力がみなぎっていた。
10・11月の「佐藤訪米阻止」のたたかいを経て、ベ平連運動はどこへ向おうとしているのだろうか。1月31日・2月1日の両日東京で行なわれた全国懇談会は、北海道から九州鹿児島まで、27都道府県の119グループから約250名の参加者を集めーこれは過去のどの全国懇談会より多い数であったー熱気のこもった討議を通じてベ平連運動のもつ「不思法な」活力をハッキリと示した。もちろん万事がうまくいっているということはない。「人数が減った」「なかなか市民の間にひろがらない」「べ平運連動が何を求めているのかわからない」(大田ベ平連)といった問題は数多く出されたし「女子高校生がベ平連運動はふつうの政治運動ではないのだから参加させて欲しいと投書をしたところ、学校が筆跡鑑定までして探し出し、始末書をとった」(鹿児島ベ平連)というムチャな弾圧を加えられているところもある。しかし、参加者の気分は一様に明るかったし、今後の方向をそれぞれにつかみ出して発言していたといえる。ここでは、まずベ平連運動全般にわたる方向についていくつかの問題を考え、ついで、今後の課題として提案された問題をまとめていきたいと思う。
私自身、昨年9月の「ベ平連ニュース」に運動を多元化する必要を強調し、この会議にむけても「一人一人が追究する個別課題をもつこと。各ベ平連グループは一つの中心課題をにぎって離さないこと」を提案したので、まず、この問題から入っていきたい。
この点については実に多くの発言があったが、関西ベ平連の報告をやや詳細にとりあげてみよう。問題の出発点は「われわれはあまりにも事実について知らなすぎる」ということと、秋の行動には常に500人を超える参加者がありなから事務所にあらわれるのは100人くらいで「あとの人はどこで何をしているのだろう」ということであった。そこから生まれたのが「研究・行動提起集団」という考え方で、500人の参加者一人一人にアンケートし、問題関心別にグループを作るよう働きかけていくというのである。「ソンミ虐殺」「フォーク」「沖縄」といったグループ、そして、すでにはじまっている「安保ゼミナール」では今度、信太山の自衛隊の問題をとりあげ、その研究、暴露から行動へとすすんでいこうとしている。「安保」「社会変革」といった大状況については福岡ベ平連の報告にあるように、私たちはいわば手さぐりといった状態でさしあたり進んでいくほかはない面がある。しかし問題を個別化していく場合に私たちは限られた力でも十分にその問題を知りつくし、こういうことをすれば勝てる、少なくとも勝ちに近づくという一つ一つの行動を提起していくことができるだろう。「まず行動をそして行動を通して問題が見えてくる」ということは過去5年間の運動をつうじてベ平連運動が作り出した最大の財産だ。しかし、それがいちずに「佐藤訪米阻止」「安保粉砕」の街頭行動へと向けられたとき、厚い国家権力の壁にぶつかり、どこから突き破ってよいかわからないというトマドイと、無力感・むなしさが小さな自分を圧倒するということになりかねない。「更なる実力」を結集して体当りすることの必要性を否定するわけではないか同畤に情況の網の目を一つでも二つでも喰い破っていくこと、そこで小さな「人間の渦巻」を無数につくりだしていくことが私たち一人一人にもとめられていると思う。人期の「渦巻」は大きな一つの台風の眼のまわりに作られるのではなく、無数の「渦卷」の集まりとしてはじめてできるのだろう。といって、いうまでもないことだが、6・15や10・10のような全国的な統一行動の必要性がないということにはならない。こうした行動は、それ自体大きな政治的意味をもつものだし、そこでエネルギーが引き出されることもたしかなことである。要はこのエネルギーが1日だけのものに終わらないことであり、そのためには、一人一人が日常的に「渦卷」を作り出す中心となっていかなければならない。いいかえれば「一人でも何かをはじめる自立した運動者」となることが必要なのだ。べ平連とは何かと問われたなら、私はためらうことなく「一人でも何かをはじめる自立した運動の連合」とこたえるだろう。一人一人がこのような運動者になることは決してたやすいことではない。しかし一日のデモをいわば免罪符とするという運動ではベ平連は一日もつづかないということはもはやたしかなことだろう。それではこうした自立した運動者になるということは、どのようにして可能となるのだろうか。ベ平連運動の最大の長所が一つのイデオロギーにもとづく運動でないということは自明だから、というよりは、多種多様なイデオロギーを含む集団であることにベ平連の活力の秘密の一つはあるのだから、 自立した運動者としての支えをイデオロギーに求めることは賢明ではない。となると自分かにぎってはなさない個別的な課題を持つということがさしあたり可能な唯一の方法だろう。と同時に、その課題の意義づけはしっかりしなければならない。各地で学習会や合宿が行なわれている報告かあったが、「運動」に追われてその行動の意義をたしかめていく努力が今までのベ平連運動にやや不足していたことはたしかなことだ。この点はおぎなっていかなければならない。たた関西ベ平連のいうようにそれが「研究=行動提起」というかたちのもので常にありたいと思う。
多元化・個別化ということを考えるとき、必ず出てくるのは地域での運動の問題である。たとえば東葛ベ平連は次のようにいっている。「人数が少ないから地区においてあまり運動をやらず、いつも東京、あるいは三里塚に出かけていく。そうすると柏市民に対するアピールがおろそかになる。すると東葛べ平連の存在にも気づかず、東べとともに行動しようという人はでてこない……全くの悪循環である……以上のことを踏まえた上で、一つの大きな柱が出てくる。すなわち地区における運動の展開である。その具体的な計画としてのフォーク集会を通して市民の反戦感情を高めること、柏における集会・デモ、ステッカーはり、カンパ活動等があげられる」
京都北地区反戦市民の会の活動はもう一つ先をいっている。「ビラ撒きはしない。一軒一軒に必ず入れていく。それも誰にでもわかる言葉で。たとえば“佐藤をアメリカにやらしまへんで”というように」
福岡べ平連の報告では、咋年8月以降11月までの特徴を「この時期の重要な点に、地域ベ平連の結成かある。各大学をはじめ自衛隊のホークミサイルの設置が予定されている飯塚に、またCO患者問題をかかえた三池に、そして久留米にと新しいベ平連ができる。これは求心的(急進的ではない!!)ないし閉鎖的に陥りがちであったこれまでの運動に、遠心的な作用を与えるとともに行動と実践的な問題意識の多様化を与えるという意味で必要なことである」とまとめている。(ベ平連ニュース53号)
「地域」での活動の重要性はいまさらいうまでもない。ベ平連運動はいまみて来たようにこの方而でも着実な歩みをすすめている。しかし杉並革新連盟の人か懇談会の席で再三のペた「日常闘争」=「地域闘争」という考え方には無条件で賛成はできない。運動か日常的に追究されなければならないということには異論はないが、日常的につづけるということは必らずしも「地域」の問題とむすびつくということにはならないからである。私としては「地域化」の必要性を強調した上で、それをさしあたり、多多元化・個別化の方向としてとらえたいと考えている。
「地域」とならんで「職場」の問題があるのだが、この点では残念ながら私たちの経験はとぼしい。都職労べ平連から「組合にはあきたらないか反戰には加われない」という人たちで「組合の中にベ平連を作ってもおかしくない」とベ平連を結成した報告があり、佐籐訪米数日前に羽田空港の従業員の手でベ平連がつくられてもいる。自立した運動者がグループを作るとき、その単位は実生活上の便宜によって主として集まるのだし、たとえば「大泉市民の会」と名のっていてもそれが大泉の住民だけで作られねばならないという理由はなく、現に他の地域の人も加わっている。市民集会池袋西口などという集団は、駅を通過するすべての人にひらかれているわけだ。私たちは、こうした考え方の上に立って、とくに「職場べ平連」の問題について経験を重ねていく必要があると思う。それは単に集る便宜という以上に職場での課?を持つことになると思う。
ここでは十分にとりあげることはできないが、同時に出されている「反戦には加われない」という問題はきわめて重要であると思う。それは大学ベ平連にも共通していえることであり“セクトあるいはセクト化した全共闘”に反撥を感じ、あるいはついていけないと考えている学生のなかでベ平連運動に加わっている学生の数は非常に多いと思われる。(たとえは宇大ベ平連)「大学べ平連とは何か」という点について、懇談会でも十分な論議はなされなかったが、問題だけはハッキリと出されていた。「全共闘のかくれみのではないか」(神奈川大)「セクトからはみ出た学生のかくれみのではないか」(声なき声の会)「セクトの引きぬきがはげしい」(神戸行動委員会)などなど。反対に「ノンセクトというセクト」といった表現もきかれるのだが、私たちがセクトを責めてもはじまらないし、私自身、セクトに対し不愉快な思いをすることもないわけではないが、「やることをキチンとやっていけばいい」(荏原べ平連)ということでさしあたりは進んでいく以外にないだろう。ベ平連運動も含め、全世界的にみて「変革」を求める運動と理論は現在「過渡的」なものであり、そう簡単には解決しないと、私は考えている。不幸といえばこれほど不幸なことはないが、これが現在私たちのおかれている状況、大げさにいえば「世界史的不幸」なので、短期(短気?)に解決を目指せば、それだけ「労多くして功少ない」こととなる以外にない。ただ東京でも福岡でもそうなったが、超党派行動の「呼びかけ人」として「新左翼集団」のまとめ役をすることに今後はあまりエネルギーを使いたくないと思う。六月行動の原則“目的の一致と手段についての相互確認、相互の誹謗はしない”ということで、今後ともすすんでいきたいものだ。
しかし、「大学ベ平連」の場合は学園闘争との関連もあるし、「各大学べ平連の大勢が一人や二人の個性ある活動家のみによって待ちこたえていたり、何度も消滅したりまたでてきたりしている状態にある」(中大べ平連)という指摘もあるのだから、今までの学生運動になかった、かわった新しい運動を作り出すとともに、このへんでしっかりとした運動論をもつことが必要だと思うので、この点の努力を学生諸君に期持したいと思う。
最後に「運動」ということについて前田俊彦さんの発言を紹介して、ベ平連運動全体にわたる問題点については不十分ながら終りとしたい。
「闘争というのは勝つのが目的だが、人々の共鳴をもとめ、連帯の行動をもとめるのか運動だ。闘争は原理・イデオロギーが中心になるが、イデオロギーなしに運動はありうる。闘争は運動なしにはほろびる」前田さん自身、時間の制約もあって、「誤解をまねくかもしれない」という発言であったので、いずれこの点を詳しく「週刊アンポ」誌上で展聞してほしいと願っている。
さて具体的な行動の提案に入るのだが、もちろん単に項目を並べるというわけにはいかない。それぞれについて可能な範囲で意義づけをしていきたいと思う。
■非暴力直接行動について
「週刊アンポ」6号に、1・2非暴力直接行動の報告を寄せている吉崎秀一さん、ハノイ爆撃に抗議する米大使館前座り込み(66年6月)以来非暴力直接行動をつづけている金井佳子さんから、それぞれ10人委員会を作ろうというよびかけがあった。10人単位の小グループを無数に作り、このグループの連合によって4月~5月には千人規模、6月には数万の規模での「反安保」の座り込みを行なおうというのである。ベ平連運動が国家権力か恣意的に定めた「合法性」の枠のなかにとどまることのできないことは明らかだが、同時に「合法性」の枠を最大限に押しひろげる努力を怠り、権力の違法な行使を徹底的に迫及することなしに「実力闘争」にとびこむこともまちがいだろう。非暴力直接行動は原理的には「合法」対「非合法」、「非暴力」対「暴力」というむずかしい問題を含んでいるが、10・11月闘争か全体としてたしかに「ゲバ棒」「火炎ピン」による実力闘争では打ち破れない壁に突きあたったということを考えるとき、ベ平連運動の方向の一つとして重要な意味をもつであろう。
■自衛隊闘争について
米軍兵士の反戦行動を支待する運動とともにこの会議で多くの人によってとりあげられた。「日米帝国主義軍隊を解体に導き、安保条約の根元を堀りくずす」(イントレピッド四人の会)という点の強調もあったが、この運動をすすめていくには「自衛隊員も人間であるという視点をもち」「どこにでも居り、事務所はどこにでもある」(少なくとも各県には連絡事務所かある)したがって「どこでもでもある、誰でもできる運動だ」(小田実)ということが大切だ。小西三曹の問題を契機として「第二・第三の小西を行動委員会」が各地に生まれ、新潟ではとくに自衛隊員に対するビラ入れか活発におこなわれ、6人が道交法違反で逮捕されるという弾圧も起こっており、(その夜釈放された)「自衛隊員に対する働きかけは米軍兵士とはちがって“自衛隊法”にヒッかけられる危険もあるが、ある場合には逮捕をおそれず裁判で争うことも必要だろう」(吉川勇一)「2月中には自衛隊員の手によって作られる“新聞”か出る予定」「そのためにも自衛隊員と仲良くなって隊内の不満や不正腐敗などについてできるだけ評しく知りたい」「小西問題を中心にして映画を作る計画がすすんでいる」「小西氏の裁判闘争を支援する活動をすすめて欲しい」「2月11日に自衛隊基地に対する一斉行動を起そう」等数多くの具体的提案がなされた。70年代におけるベ平連運動の大きな柱としてこの運動にとりくみたい。
■米軍反戦兵士支援運動
“脱走兵通信”に毎号報道されているように“脱走”してJATECとともにたたかう米兵、JATECと連絡を保ちつつ反戦活動をつづける米軍兵士の数は増大する一方である。場所・人・資金あらゆる面でJATEC活動に援助してほしい。JATECの活動は“脱走兵”の援助を含めて、反戦米兵支援の方向に大きく活動目標をかえている」「"WE・GOT・THE・BRASS“”KILL・FOR・PEACE“をどんどん米兵にもちこんで欲しい」「大泉・岸根で行なわれている反戦放送を全国の米軍基地にひろげてほしい」大泉市民の会に連絡し「とくに関西以遠の米軍基地に対して行動をひろげてほしい」「3月21・22の両日、横須賀で米軍基地関係の全国連絡会議を開く」「4月に”米軍解体“といった題で三一新書から闘争を報告する本か出る予定」なと報告も提案も具体的に出されている。ベ平連か創立以来つづけて来た日米連帯の行動として、この運動は確実に米軍に打撃を与えつつあるといえる。
■ベトナム留学生の問題
4月には「強制退去」をせまられる3人の留学生を守る運動を全国におこそう。すでに北海道では留学生を招ねいて運動をひろげているが、あらゆる機会、あらゆるつながり(とくに三君はそれぞれ工学関係の專攻である)を考えて話し合う会を関こう。つぎにのべる入管闘争との関連で、政治亡命権を確立する運動をおこそう。この点で「破鎖を求める人々」(100円)を利用しよう。
■沖縄問題
この点では、全軍労支援の運動を進めることが強調された。
■入管闘争
昨年、廃案になった出入国管理法がふたたび国会に上程される見こみか大きい。入管体制打破のたたかいとあわせて法案の成立を阻止する運動をすすめなければならない。この点では「外国人の救援」について考える必要のあることが華僑青年闘争委員会からも強調された。
■三里塚空港建設反対闘争
「週刊アンポ」6号にも詳しくとりあげられているが、強制測量をひかえて、支援カンバ・救援物資とあわせて、もう一度、なぜ空港に反対するのかという点で真相をひろめてほしい。土地収用委員に対する抗議をしてほしい。
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【虫、虫、虫われら虫は語る】
I月31日、2月1日新宿区体育館で行なわれたベ平連全国懇談会には、一年間の運動の経験と今後の展望について無數の声がきかれた。2日間の討論を三行でまとめると…。
☆北見ベ平連
人数が少ないにもかかわらず分裂の可能性がある。
☆旭川べ平連
高校生が秋期決戦より増え、自称アナーキストという人も、増えている。ベトナム人留学生どの懇談会を持つ予定。
☆札幌ベ平連
北海道は自衛隊が多いので、それに対する闘争を多くしたい。中学生、高校生、予備校生など学生が多くなっている。
☆十和田、青森ベ平連
10・26に三沢基地闘争があったが、無関心な市民が多くて思うままにゆかない。
☆盛岡ベ平連
どうやって市民の中から参加者を得てゆくかが、最大の課題である。
☆八戸ベ平連
70年1結成。
☆いわきベ平連
最近発足したばかりだが、2名のデモを毎回続けている。
☆群馬ベ平連
「橋の下大学」にならって「駅前大学」を組織中。半分ぐらいが会社員なのでなかなかデモができない。新聞にビラを入れようとしている。
☆千葉ベ平連
三里塚闘争の中で、意識の低い成田市民に対する訴えを強くしてゆきたい。全国ではじめて官庁に自警団が出来た。これを告発してゆきたい。
☆宇都宮大学ベ平連
栃木は反動的な地域である。船田中の選挙地盤なので、あいつは悪いヤツだというところを訴えてゆきたい。卒業してもやるんだという人を組織化してゆきたい。
☆東葛ベ平連
行動の主体的な位置づけをしたい。「東京から地方へ」ではなく地方から東京へ攻めのばろう。人数が少ないからといって、ためらわず、市民へ積極的にアピールしてゆきたい。
☆神奈川大学ベ平連
岸根米軍基地へ定例デモをかけたい。裁判所べ平連を3人で結成した。裁判官と話をして、“人民裁判所”を夢みている。
☆横須賀、逗子ベ平連
ヤンキー ・ゴー・ホームと叫んでいるような闘争は古いだろう。ネービー・ゴー・ホームと叫んでゆきたい。基地からの利益すら感じるような土地柄なのだから。横須賀基地の公開日を利用してゆきたい。自衛隊にも働きかけたい。
☆横浜商大ベ平連
900人在学中にたった4人の仲間で、かつ学内に反戦平和運動の雰囲気がない。
☆川埼ベ平連
米軍基地へ反戦放送を。高校内に部落問題研を組織。多元的方向性の中で行動の連帯を。
☆茅ヶ崎ベ平連
市民との断層がある。学生、教師が多い。公共施設を使わせてもらえない。
☆高崎経大ベ平連
ベ平連の名前をもう一度蘇らせる。
☆埼玉ベ平連
参加者圧倒的に多い。中学生も多い。9月にはブラックパンサーを招いて集会をした。若い人が多い。デモ中心。
☆全国闘う中学生連帯
東京と埼玉の定例デモに参加、ビラまき活動、全国の中学生との交流活動。「全中共闕=全国中学生共闘会議」と共闘しようとしている。
☆新潟ベ平連、新大ベ平連
大体は「第二・第三の小西を!」新潟行動委と共に活動している。
☆「第二、第三の小西を!」新潟行動委員会
機動隊に慣れ切ってはならない。基本的権利が抑圧されている時には、ひとつひとつ抗議をしてゆかねばならない。われわれの闘争は、自衛隊を解体させることが目的であり、裁判闘争で違憲判決をかちとることだけが目的ではない。全国どこでもが現地だ。だれでもがオルグになれる。直接行動とともに、間接行動も必要である。
☆金沢べ平連
10月には高校生だけのデモが行なわれた。沖縄全軍労ストの支援活動をする。学生よりも市民の方が多い。11月決戦には、ベ平連が最前線に出ざるをえなくなった。
☆中野ベ平連
平均年齡が若い。もっといろいろな活動の型で枠を破りたい。「中野反戦行動」と改名するかもしれない。
☆新宿ベ平連
フォーク集会、出入国管理令反対ハンスト闘争、佐藤訪米についてのアピールに重点。沖縄全軍労スト支援活動。毎週土曜に学習会。デモ前日徹底的なビラまき、アピール。
☆フォーク・ゲリラ
フォークを歌って捕まった人、広場で捕まった人の裁判をどう関わってゆくか。広場の人々の声が聞こえなくなったいま、日本には新しいファシズムが成り立っている。オレが生きている以上、ああいう形で声をあげざるを得ないという確信が裁判闘争の基底に流れている。
☆声なき声
駅頭、各戸にビラまき。徹夜討論会。全体的な座り込みの運動を組織したい。「千人集会」の提案。
☆非暴力反戦行動
日常の生活の中で、体制・権力に迎合しない生活のクセを作ってゆきたい。
☆大田べ平連
「自分たちは当面何を求めているのか」が十分にとらえられていない。荏原地区ベ平連、蒲田ペ平連との共同行動。地域の問題については混迷の中。
☆市民集会「池袋西口」
68年1月エンプラ入港の時、市民討論集会。
☆大泉市民の会
朝霞基地撤去闘争。はじめは中年の人が多かったが、最近は若い人が多い。朝8反戦放送局は最近反応が強い。アメリカ帝国主義軍隊は解体しつつある。「小西三曹につづけ」「自衛隊員はアメリカの反戦兵士に恊力せよ」。ベトナム人留学生問題をとりあげている。
☆三鷹ちょうちんデモの会
デモ。そしてベトナム人留学生問題をとりあげている。
☆荏原地区ベ平連
7月結成。思想的なものより地域的なのか特色、町内会について徹底的に関ぺる。
☆「第二、第三の小西を!」東京行動委
「自衛隊通信号外」を作り、全国に配布したい。アンチ安保が載っている。
☆清水ベ平連
外部に向かって呼びかけるとき、自分自身に強烈なものがないといけない。
☆静岡ベ平連
ヂモは唯一の示威方法であろうか。デモはかえって歩行者との断絶が確立されてしまう。高校生覆面デモで「灰スクール」の象徴をしたい。
☆静岡県の高校生問題
大部分の学校は政治行動に参加した学生の別件処分をする。
☆沼津ベ平連
三島の日大生・高校生・教師などが中心。国労の処分反対運動。人数は固定化。
☆名古屋ベ平連
妊娠二か月の女性が機動隊の暴行により流産。泣き寝入りせず、持続して闘ってゆく。反弾圧市民の意識を絶対に持ち続けてゆきたい。
☆岐阜ベ平連(再建)
各務ヶ原ナイキ基地闘争。川崎重工で奇怪な事件、従業員へ正体不明の予防注射の内実をバクロしてゆく。
☆京都ベ平連
今月で39回目の定例デモを迎える。ベトナム通信をずっと発行している。4 日に「反戦・反安保市氏の会」を結成。これが69年中の活動の母体となる。任?金を支持する会が発展して、朝鮮人問題行動委員会に。「橋の下大学」。「ベトナムについて知る会」「おなら」の発刊。その他京都には多くのベ平連がある。
☆吹田ベ平連
69年11月結成。
☆関西ベ平連
梅田地下街闘争。機動隊が来ても(1)決して逃げない。(2)商店に入らない。(3)座り込む、を徹底する。梅田大学(千人規模)そしてアンポセミナー(50人規模)のものを計画。「参加者から組織者へ」をモットー。
☆北摂ベ平連
新明和工業への抗議デモ。平均130名。豊中市のうち三千軒くらいの家に個別に日刊のビラを配る。
☆北大阪ベ平連
関西ベ平連の活動とかなりダプる。
☆エスペラント平和連合
3月か4月にエスペラントアンポの発刊を準備。
☆広島ベ平連
6日に「反核」がスローガンとなった。広島におけるマンネリ化した広島平和運動のパターンを打破するのは困難。
☆神戸行動委員会
ベ平連と権力からも呼ばれている。「週刊アンポ神戸」の発行現在14号。反戰初詣をした。自虐的との内部批判もある。
☆山口ベ平連
昨年6月結成。市民は無関心であり、商店街は自衛隊に好意的。市民の中に、マスコミによって作られたベ平連アレルギー症状がある。岩国ベ平連とも共闘。海兵隊へ呼びかけている。
☆北九州ベ平連
米軍弾薬輸送反対闘争。自衛隊も参加した夜間デモ。-
☆福岡べ平連
12月に沈滞。1月に合宿。「手さぐりの論理」を。働く人ベ平連=納税者ベ平連結成。公安調査庁スパイ事件アリ。
☆鹿児島ベ平連
中央闘争へ走る人が多かった。毎月7日の定例デモは毎月ーケク。高校生への筆跡鑑定まで行なう弾圧をする。
☆長崎ベ平連
運動は活発だが、財政的には困難。タイミング良く問題点を指摘して訴えてゆけばカンパも集まると思う。.
(終)

【お知らせ その1】
重信房子さんの新刊本です!好評につき重版!

26.4.17「獄に暮らせば」カバー&帯

『獄に暮らせば』「21年7ケ月の獄中日記から}(作品社)3,520円(税込み)
2026年5月29日刊行

日本も世界も、もっとより良いものに変えたい!
そんな思いで学生運動に身を投じた日から、思い出さずにいられない革命と解放闘争の日常。
連合赤軍事件、レバノン、パレスチナ・ガザ、そして新たに出会った獄中の人々、さらに次々襲い掛かる大腸癌、小腸癌、子宮癌など病魔との闘い。
本書は、著者による2022年5月28日朝、満期出所時までの獄中ドキュメントであり、かつ元日本赤軍リーダーが、一人の人間として、戦争と平和に向き合い、人々の命を思いやった、その心情と葛藤を綴った2000年11月8日から2022年5月28日までの闘いの記録である。

【お知らせ その2】
●1968-70全国学園闘争「図書館」
1968年から1970年を中心とした全国学園闘争の資料を掲載したサイトです。
全共闘機関紙や全国26大学の大学新聞などを掲載しています。
http://meidai1970.sakura.ne.jp/gakuentousou.html

●新左翼党派機関紙・冊子
1968年から1970年を中心とした新左翼党派の機関紙と冊子を掲載したサイトです。

【お知らせ その3】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は2026年10月30日(金)に更新予定です。


今回のブログは、『平凡パンチ』(1970年7月13日号)に掲載された記事である。『平凡パンチ』といえば「軟派」的イメージがあるが、「秋田明大獄中インタビュー」のような記事も掲載している。
この記事にある「6・23」とは、1970年の日米安全保障条約が自動延長された日である。この日で70年安保闘争は終りを迎えたが、政治闘争としては72年沖縄返還協定阻止闘争が控えており、闘争が終わったわけではなかった。また、各大学ではバリケードは消えたものの、ロックアウト粉砕闘争などが続けられていた。そんな状況の中でのいくつかの新たな動きをルポした記事である。
「6・23」について以前ブログに掲載した記事あるので、参考に読んでいただければと思う。
No468 明大全共闘クロニクル(年代記) 1970年6月 その3(最終章)

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【特集 6・23以降、ゲバ学生はどう変貌したか
―反安保闘争のゲリラ化と多様化の中でー】『平凡パンチ』1970.7.13号
6月23日、 安保は自動延長された。中核もフロントもゲバ棒を捨てた。長い間の、 彼らのたたかいは6・23で終わりをつげたのだろうか?
そうではない。
6・23以後、 今までとはまったく形態のちがう、新しい闘争の方法も生まれてきているのだ。
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「6・23については、別に話すこともないなあ。オレが挫折しただろうって?勝利のない闘いに、?折なんかあるものか。ま、これからオレなりにジワジワやってくさ」(小塚哲男=K大ベ平連)
*
「オレは明治公関のデモに参加した。昨年の秋、蒲田駅西口で見た中核派突撃隊のシュールなイメージにひかれて、感覚的に中核に入ったオレだから、こんどの中核の武装放棄への戦術転換については、たしかに複雑な心境だよ。
中核を始め、すべての党派がその路線を模索しているように、オレ自身も摸索中で、いまはなんともいえない」(大沢卓郎=法政2年、中核)
*
「明治公関まで行ってみたよ。代々木公園?ナンセンスさ。催涙弾のないデモなんてシンナーのないフーテンみたいなものさ。
しかし、いずれにしたって、あんなデモじゃ日本を変えることなんかできっこないさ。けっきよくは、オレたちフーテンがやっているように、フリー・セックスとかフリー・ラブとか、こういう生活で人間の自由を束縛してるモラルを破壊していくのが確実な方法なんだ、な?そう思わないかい?」(山根和夫=六本木でヤマとよばれているフーテン)
*
70年・反安保闘争の最大のヤマ場、6・23は平穏に過ぎて安保はすんなりと、自動延長された。
これからも反安保運動は継続されるのだろうか。6・23までとは、明確に違ったものになるだろう。
6・23までの闘争には大きくわけて二つの形態があった。
一つはセクトや全共闘に見られた実力闘争、もうひとつは、ベ平連の市民運動や民青の合法路線に見られたような、ゲバ抜き闘争だ。
セクトのなかには、これまでとおなじように実力闘争をつづけていこうとするものもある。しかし、全体としては、ベ平連に似たような活動に転向していこうという動きが見られる。
中核、フロントなども6・23以前にゲバ棒を捨て、公害問題を取り上げたりして、幅広い大衆運動をめざす方向をみせた。
こうした転換に対して、学生たちの反応は二通りあった。これに反発して憤怒する者、とまどう者。つまり転換になんらかの抵抗を感じた者と、これを着実な方法として肯定したものたちだ。
とくにいま注目を集めているのは、この肯定派たちの新しい闘争のスタイルだ。その内容は多様で、それぞれ個性的なものになろうとしている。
*
ミニ・コミ出版で資金づくり
「仲間になんといわれようと、この四年間で痛感したのは、機動隊の武力の前では、オレたちのゲバ棒なんて、なんの役にも立たなかったということだ。
かといって、いまさら就職する気もないし、ゲバ抜きのナマぬるい闘争を続ける気にもなれない。田舎にかえって百姓をやる気もないんだ。
オレは自分で生活をきり開きながら、そのこと自体を闘争に結びつけていきたい」(松本富雄=教育大、フロント)
*
立教、早稲田、法政などのノンセクト30人がつくったの「ライン出版」という出版社だ。
"自分たちで書いて編集して売る“会社だという。
すでに『魂にふれる革命』(津村喬著)を、三千部発行している。
「書店はショーウィンドーとしてしか考えず、販売は大学の生恊に委託するはか、主力は自分たちで個別的に売って歩くことにおいています。
将来は印刷もふくめて、新聞や雑誌も発行するミニ・コミ組織にもっていきたい」(岩永)
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上智大学を退学させられた学生は『フィーチャーズ・サービス』という音楽出版社を設立した。
新宿西口のフォークや広島のフォーク・キャンプのレコードを発売して、好評をあつめている。
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九卅大学の学生は、闘争資金をつくるために、大江健三郎の幻の名著といわれる『政治少年死す』を海賊出版した。
この作品は、浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢をテーマにしたもので、昭和36年2月に『文学界』に発表された。
だが、編集部は右翼から抗議を持ち込まれ、また当時は中央公論社の嶋中社長が右翼に襲われる事件があったりして、けっきょく、この作品は『大江健三郎作品集』にも集録されていない。
読みたがっている人も多いのだが、10年前の『文学界』を入手するのはむずかしい。そこをねらって、九大の学生が『文学界』のペ?ジをそのまま複写して売り出した。
この本がよく売れている。
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「海賊版を出版することは、著者にはわるいと思う。だか、著作権そのものが、暴力によっておびやかされているのだし、読者にも読む権利はあるのだと思う。
こういう体制を打破するための資金になるのであれば、それなりの意義はあるのではないか」(米山幹男=早大3年)
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中央公論社長宅が襲われる、キッカケになった深沢七郎の『風流夢譚』の海賊出版を計画している学生もいる。
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『ツーキングス・トレーディング・カンパニー』は、輸入民芸品をデパートなどに卸す貿易商社。上智大全共闘の学生だった二人が経営している。
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ベ平連には、コンドームを売って、資金かせぎにしている人がいる。つぶれた会社から安く仕入れた製品を、仲間たちに売っているのだそうだ。
とくに薬局へ買いにいくには恥ずかしいという気のよわい男たち好評とか。
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競馬で、この一年に百万円かせいで、カンパ資金に凖備している男もいる。
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『サーフロード』という月刊誌を出版している男たちもある。
これは湘南地区の海の情報をまとめた雑誌で、レストランやブティークで売ってもらっている。

15・16・17と安保の6月暗かった
評論家、池田信一氏は、70年安保の特徴を、60年安保にあった挫折感が、70年には、ほとんどないことだと、指摘している。
「60年には、まだ勝利への幻想かあった。それが70年には最初からなかったわけです。
たとえば60年には、西田佐知子の『アカシヤの雨』が、ハヤっていた。70年は藤圭子の『夢は夜ひらく』がハャっている。
どことなく雑草的な強さがある。このムードのちがいが象徴的です」
藤圭子の歌は、学生のあいだで“15・16・17と、安保の六月くらかった”と歌われている。
深刻な挫折感というよりは、替え歌で茶化せるだけの、気持ちのゆとりがあるからだろう。
60年安保には、高校生以下は参加していなかったが、70年には中学、高校生が参加したのも特徴だ。
「中国の文化大革命がそうだったように70年代の反安保闘争もふくめて、これからの社会改革では中、高生が主体になっていくと思う」(菊地元=高校反戦)
70年安保でも、むろん挫折した学生はいたが、それは6・23をむかえるまえに、すでに昨年末あたりから、決定的なものになっていたようだ。
東大では、教養学部を終えて三年になるとき、例年は社会学科への志望者が、哲学科より多かった。
それが、ことしは哲学科への志望者のほうが多かったという事実も、これを反映しているのではないか。
昨年11月の佐藤訪米阻止闘争での挫折感が、もういちど人生を哲学的に考えてみようという気持ちを起こさせた結果ともいえるわけだ。
挫折した学生のなかには、フリー・セックスやギャンブルに没入していった者もいる。学生のあいだで競馬がブームになっているのも、そのあらわれだし、ヒッピーふうの遊び人もこのところふえている。
“1万円パーティー”という豪華なダンス・パーティーが、ハャっている大学もある。これなども闘争から遊びへの転向と見ることができるという学生もある。
しかし、その反面、ゲバ棒闘争からの転向といえばいえるが、“自由連合”と呼ばれる小人数のグループで、ユニークな大衆運動を目ざす若者が、ぐっとふえている。
気の合った仲間が、 自分たちの好きな方法で、自分たちにふさわしい活動をしていこうというわけだ。

チョキよりグーのほうか強い
「るねさんす」という自由連合の一派は、この7月24日から3日間、砂川米軍基地のとなりの荒れ地で<文革反戦祭>を開くことになっている。
ここは基地拡張予定地だか、この若者たちは、すでにここに22畳ほどの穴を掘って、入れかわりに住んでいる。
この荒れ地で、フォーク、ロック、演劇、映画を主体とした祭りをやるのだが、荒れ地の一部には彼らの手で大根が植えられている。
「大根か育ったころ、また集まろうっていうわけさ」
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この“反戦ざんごう”でキャンプしている斎藤義雄クンー
「よく米兵のジープが通るんだ。こちらが指一本を突き出してVサインを送ると、ほとんどのGIが同じサインを返してくる。もっとも、黒人は握りこぶし。
これはブラック・パンサーのサインなんだけど、力強くて、やっぱりアメリカでも、チョキよりグーのほうが強いのかなんて、笑ったもんだ。
アメリカだって、若いヤツや黒いヤツの力で内側からゆさぶられている。安保だって、いつかはつぶせるさ。みんなあきらめないで、ゲリラ闘争をつづけていけばね」
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岩国基地の米兵には、反戦ベ平連のメンバーが50人ぐらいいる。シンパはもっと多い。
基地の金網の前で、拡声器で基地内に反戦を訴える”反戦放送局"をやっている人もいる。
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自衛隊のポスターを見つけてマジックで“反戦”と書き入れて歩いてる若者たちがいる。
ポスターを<反戦自衛官募集>に変えてしまうわけだ。
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ベ平連では、反戦自衛官でつくっている『整列ヤスメ』を発行している。
自衛隊で持ち物検査があった時、この新聞を持っていた隊員がきびしく調ぺられたという。
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赤軍派では、自衛隊に入隊して、内部で反戦組織をつくる代表を送り込むことを考えているといわれる。
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「ストレートにぶつかっていくことによって崩懐するほど権力は弱くないということがだんだんわかってきた。
これからは、体制を支えているものを各個撃破することによって、体制打倒を目ざしていくことだ」(中田勉・上智全共闘)

雨もりの説明からオルグする
ZA運動を押し進めている若者たちがいる。ZAとは、ゼロ・アーミー (ZERO ARMY)の略で、軍隊をなくすための運動だ。
現在は役?や区役所でも自衛官募集の受け付けをやっているが、これをやめさせるのが当面の目標。
役場の屋上から、垂れ幕のポスターをさげたりして、募集をさまたげている。
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『天の川義勇開拓団』は、過疎で老人と子どもばかりになった村をさがしている。
そこで農業を中心にした若者の部落をつくり、反戦、反文化、反資本主義の活動をやっていこう、というねらいだ。
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このグループのように、どこかに集団で定着して、長期的な活動をつづけていこうというグループがふえている。
たとえば、世田谷区の奥沢には20棟のバンガローがあり、1年25万円で借りられるそうだが、ここを借りて開放区をつくろうと計画しているグループが、いくつかある。
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「おなじ下宿の学生が、なんとなくグループになった。その仲間のひとりの家が、静岡で農園をやっているんで、そこから四季の花を東京の喫茶店やレストランにおろす会社をつくることを計画してるんだ。いま全員アルバイトをして、ライトバンを買う資金をつくっている。
うまくいきそうだし、軌道にのったら闘争でクビになった学生をどんどん吸収できるような会社にしたいと話し合ってる」(青木明夫=早大、ノンセクト)
重工業や銀行などの大どころをねらって、総会屋として乗り込む計画を進めている反戦グループがある。
大会社の端株を、百株ぐらい買って百人に分配する。その百人が株主総会で大あばれ。兵器製造や軍需産業への融資を妨害しようというのだ。
アメリカでは、すでにこの方法が採用されているが、会社側は右翼をやとって対抗、傷害事件が頻発しているという。
日本でも、おなじことが起きそうだ。
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小田急沿線では、明大や和光大の学生が主婦たちをオルグしている。
この沿線には公団住宅がたくさんあるが、雨もりがひどいという不満がよく聞かれる。
そこに建築科の学生が出かけていって、雨もりの原因をしらべ、なぜ公団は建築の手抜きがひどいのか、その背景を、政治のカラクリにまで逆のぼって説明する。
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このほか、ユニークな活動をはじめているグループは数多いが、6・23以後は地区共闘に主眼がおかれるようになり、また若者たちで事業をはじめようというグループがふえてきているのが目だつ。
「実力闘争をつづけている若者から見れば、これは"体制に屈した結果“とののしられるだろう。
しかし、この転向がよいか悪いかは別問題にするとしても、これからの闘争が、この方向に大きく動いていくことは、まちがいないですね。」(池田信一氏)
(文中、 本人の希望により一部仮名にしました。)

【お知らせ その1】
重信房子さんの新刊本です!好評につき重版!

26.4.17「獄に暮らせば」カバー&帯

『獄に暮らせば』「21年7ケ月の獄中日記から}(作品社)3,520円(税込み)
2026年5月29日刊行

日本も世界も、もっとより良いものに変えたい!
そんな思いで学生運動に身を投じた日から、思い出さずにいられない革命と解放闘争の日常。
連合赤軍事件、レバノン、パレスチナ・ガザ、そして新たに出会った獄中の人々、さらに次々襲い掛かる大腸癌、小腸癌、子宮癌など病魔との闘い。
本書は、著者による2022年5月28日朝、満期出所時までの獄中ドキュメントであり、かつ元日本赤軍リーダーが、一人の人間として、戦争と平和に向き合い、人々の命を思いやった、その心情と葛藤を綴った2000年11月8日から2022年5月28日までの闘いの記録である。

【お知らせ その2】
●1968-70全国学園闘争「図書館」
1968年から1970年を中心とした全国学園闘争の資料を掲載したサイトです。
全共闘機関紙や全国26大学の大学新聞などを掲載しています。
http://meidai1970.sakura.ne.jp/gakuentousou.html

●新左翼党派機関紙・冊子
1968年から1970年を中心とした新左翼党派の機関紙と冊子を掲載したサイトです。

【お知らせ その3】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は2026年10月2日(金)に更新予定です。

今回のブログは、雑誌『現代の眼』(1974年7月号)に掲載された「特集・日本の大学―感性なき虚構の集団か」の中から中央大学の記事を掲載する。
この特集には、1968年から1970年にかけての全国学園闘争が下火となった1974年頃のいくかの大学の情況が描かれている。
今回の中央大学について記事を書いたのは昨年4月に亡くなった神津陽氏である。神津陽氏は中央大学の共産同叛旗派のリーダーの一人であった。
この記事の中では中央大学の多摩移転計画や、学内における日本共産党の動きを批判するとともに、学生会館閉鎖、自治会不在の無権利状態におかれている学生の状況について論じている。やや難解な部分もあるが、読んでいただきたい。

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中央大学一運動の高地から生活の低地へ
学生が自らの観念と関係に執着したとき政治党派の回路とは別にかくめいに近づくだろう
神津陽(共産主義者同盟叛旗編集委員会)

学生の無権利の上に咲く仇花
現今どこの大学を見わたしてみても、学生の大半は白け切った日常の中で、卒業証明を得るための最低限の努力と関心を大学秩序や学問や学生としての生活全般に寄せているに過ぎない。私がかつて10年近く前に学生であったここ中央大学もその例外ではなく、相変わらずの狭い校舎で、多くの学生による表面上大過なき個別の日常が営まれていると思われる。
私は、過日、共に学び共に闘わざるを得ずして闘った友人たちや、困難な壁に穴を開けようとしている若い政治的友人諸君の現状と思想には関心を持っているが、懐古趣味や、学園ナショナリズムや、ルポ・ライタ?的興味とは最も遠い所にいる心算だ。それ故私が中央大学について考えを廻らすときまず頭に浮かぶのは、あの65年から68年にかけての連続バリケード闘争において、学生会館管理運営権を獲得し、学費値上げ白紙撤回を勝ち取り、全国学生運動の最前線を占めていた学生の位置と、69年常置委員会闘争の敗北以降、過去の成果を剥奪されたばかりか、徹底した無権利状況に陥しめられ、かつその状態を受容しているかに見える学生の現状との落差についてである。この領域については、最も闘った者が最も多く弾圧を受けるという敗北へのロマン的回想も、当時の対応変化への指導の誤りといり政治的総括の視座も無効である。
私は、時代と状況の中での学生層の変容を、典型的にこの中央大学の現状から捉えたいと思う。無論その考察は、民衆の日常や生活圏のあり様と無縁に進められるわけではない。
大学の荒廃は、その学問や科学理念の解体に構造的に、民衆日常の結合軸の拡散に関係的に基礎を有していると考えるからである。
さて、学生を取り巻く状況からみてみよう。現在中央大学において、大学当局が最も強力に推し進めているのは90周年記念事業であり、その中心をなす多摩への校地移転である。これは当面、昼間文化系四学部を現在の神田駿河台から八王子市郊外由木の15万坪の土地に移転するという300億円規模のもので、大学設置基準を大幅に下回る現在の狭い校舎に比し、設置基準をぎりぎりで上回るレヴェルの教室と、大学院棟、図書館、総合研究センター、保健体育研究所、教員研究室等4万余坪と運動場4万坪を建設するという骨子でなっている。
48年12月の理事会で決定された中央大学施設充実実施計画案をみてみると、以下の特徴点があらわに示される。それは①昼間部学生数の2分の1以上を占める夜間部学生が教学側の基本方針、目標学生数等をまだ検討中であるという理由にならぬ理由で移転計画から切り捨てられ、駿河台校舎の二号館などを取りつぶした残りの一部の号棟に押し込められるという点である。通信教育部についても然りである。②学生軽視、一見、教職員優遇の懐柔策である。教育と研究の分離ともいう筑後大学方式を継ぐ志向のもとに、研究スペースの充実はもとより、教職員福利厚生棟、教職員臨泊施設等が設けられるが、自治会室、サークル室等は増えず、学生寮はない。③学生の生活とはほとんど無縁の、総合研究センター、電算機センター、法人・教学本部棟や、学生管理、厚生補導対策としての学生サービスセンター構造が前面化していること、等である。
多摩移転計画の分析は本稿の主題ではない。私は、この多摩移転計画の進行が、中央大学の抱えている病巣に全く触れないで、あるいは故意に避けてなされていることに多くの疑問を抱くのである。学生を、大学を事業として延命させるための手段として扱う発想、効率の悪い部分を切り捨てる生産力理論的発想、大学の対外的な顔を内容だけではなくて施設で売らんとする発想等には、マスプロ大学、低劣な環境と形式的授業内容への批判を、学生数に見合った設備で売らんとする多摩移転計画そのものの基本意図が透けてみえるのだ。
多摩移転計画は、69年以降の学生の無権利状況をもたらしている強権支配の上に進められており、学生は青写真を検討する機会もなく、権利主張の場さえ奪われている。計画案は言う、「文科系夜間部も、将来多摩校地への交通条件が整備されるなど、客観的条件かととのえは、多摩校地へ移転することになろう」だって!では、客観的条件がととのわない時点で、文科系昼間部学生は移動させられるのか?遠隔地居住者のための教職員臨泊施設が予定されていて、学生寮は何故ないのか? 教職員福利厚生棟が新設されるのに、何故学生会館は建てられぬのか?等、学生の誰もが感ずるであろう疑問のどれ一つにさえ計画案は応えられない、否、応える必要を認めない立場から立案されているのだ。
多摩移転計画を強引に進める理事会の下で、教授諸氏が自らの研究条件の保障に最大眼目を置き、身をちぢめて研教審意見書をまとめ、職員諸氏において多摩移転における住宅、交通、環境、文化条件の変化への保障をめぐって不満と不安が渦巻いていていると聞く。にもかかわらず、大学の土台骨である学生問題については一人当たり坪数のみが考慮され、学生には「学生諸君へのお知らせ」で結果が報告されるのみである。
私は多摩移転計画が、学生不在のまま進行していることの背後をこそ見る。つまり69年常置委員会粉砕闘争の敗北が、強固な理事―教員―職員のヒエラルキーを復活させていること、教授・職員がいわゆる「常置委員会なき常置委体制」の持続・強化の下で、無権利状態の学生について目をつむり、研究・労働条件の保持・拡充を望み、理事会のアメ玉をしゃぶらされていることである。多摩移転は、学生の無権利状態の上に咲く徒花であり、当局は学生が無権利な現状への?答を多摩移転まで引き延ばし、計画等に見られる中教審型学生管理策前面化の事実でもって押さ込もうとしているのである。
さて、冒頭に述べた学生の白け切った日常意識は、右に述べてきた学生を取り巻く学生無視の状況を肯定した結果であろうか。抵抗不能への敗北感であろうか。否、そんなはずはない。全共闘(中大においては全中闘であるが)運動が、大学、学問、科学幻想を吹き飛ばして以降、学生は観念価値を見失っているのである。学生は観念的日常を強いられていながらその個所で白け切っており、生活日常においては半端な宙づりの時間と貧しい関係を強いられている現在、 自らを他者と関連づける思想的・関係的軸は、問わねば手に入らぬのだといっておきたい。
69年1月、東大闘争の突出と右翼的収拾は、常置委員会撤廃確約後も「常置委なき常置委体制解体」へ学生を駆り立て、8月大管法成立時点で全国学園拠点は個別撃破され、中大でも徹底抗戦以降、学館は閉鎖された。
だが、69年以来5年経た現在も、学生会館は閉鎖、自治会不在、サークルヘは踏み絵的非暴力確約書の強要、代々木寮取りつぶし等の、徹底した学生弾圧がまかり通っているのである。この全国最悪と言える学生弾圧に、学生はなぜ立ち上らないのかという全中闘世代よりの疑問は、現在の学生の内部意識へ立ち入らねば、老婆心にしか過ぎないように思われる。
晴れた5月の中央大学中庭では、共産党や労青同、共産研や、CS共闘、赤ヘル反ィンフレ行動委らがアジテーションをし、ビラが飛びかい、革マル派は中核派の襲撃を怖れてか声はすれども姿は見えずとの動きをしているが 、何かどれにも一味欠ける点は学生日常の闇と同じである。
たとえば、当局よりの5月10日付「学生諸君へのお知らせ」では、一面に学生相談室よりの五月病を乗りこえようとの親切ごかしの記事をのせており、最終六面には皮肉にも五月病へのいざないとも思える、文学会よりの新入会員募集PRを載せている。文学会は学術連に所属しており、60年代後半の中大闘争においては最も前面で闘ったサークルの一つであったが、今年のPR文は以下を述べている。
「中庭で募集していると、通る人通る人が笑いさざめいていて、末開人の歌のようなアジ演説も終日絶えず、僕はまるで動物園の猿になってしまったような気がして来るのです。一日を終えると、もう眠ったまま死んでしまいたいと、つくづく思います。ああいうお祭り騒ぎは、大嫌いです。」「何々主義だ、誰々の理論だ、哲学だ、と喫茶店の暗がりで口角泡を飛ばす凄まじさで討論し合っている連中は、さぞかし男前に思われることでしょう。撲は自分に暮らしということがある限り、そういう議論とは全然関係の無い、くだならない事物と関わり合い、いわは俗塵にまみれて生きてゆかなければならないのです。たとえ、それがどんなに馬鹿馬鹿しいことだろうと。だから、裏返していえば、あの連中をもまた、愛さなければならないのです。」
ここには、いつの時代でも文学かぶれをまず把えるナルシシズムの基調が貫かれているか、他方で他者や外界との関係の尺度を計りかねている現今の学生意識の状況も典型的に引き寄せられていると思われる。
将来に特別の期待をもたず、議論や集団へも対さずして身を縮めており、一応の居直りと処世術は自ずと心得て、あらかじめ斜めに構えている右のような学生の対極には、学問や科学やへの関心はもたず、就職に有利なゼミを選び、出そうなヤマだけ眼を通し、マージャン、競馬、パチンコにしてもちゃっかり稼いでいるという調子の連中が存在しているのである。自治会不在、学館廃屋、サークル部室凍結の下に、自らその状況を選んでではなく、偶然の要素半ばで70年以降入学してきた現在の在校生が、この劣悪な状況を、中央大学とはそのようなものだと受容しているとするなら、旧態依然たる政治集団の側からのことばが空転してゆくことは自明であると思われる。
刑法改悪、ファシズム化反対、ファシズムの尖兵=トロツキスト一掃を主張し、事大義的に中大における法学部学友の役割の重大性を述べている日本共産党、日共批判一色の共産研、CS共闘、労青同、また生恊・学生食堂値上げ阻止へ、全てのククスから団交実行委を結成せよとの白へルインフレ阻止闘争委などのピンボケぶりに比し、赤へル反インフレ行動委の、状況の指標としてのインフレとの把握は鋭いが、他と等しく、判断の正当性了解が、行為や集団表現と結びつかないという学生の日常意議の前で足踏みしているのである。かかる学生の日常意識は、私たちの経験を越えてあるのだろうか?そうではない。私たちの過去の経験をそれは越えてはいるが、私たちの現在の日常と共時的に在るのだから、私たちは自分たちの過去と現在への照射からこの異質な学生日常をも了知しうるはずである。

学館・学費―常置委闘争後の状況
全国最高水準の学生運動と成果を味わっていながら、69年以降闘いの成果の没収ばかりか学生自治組織さえ検閲され、許容されないという全国最低水凖の大学生活と思想環境は何故維持されてきたのか。法学部某教授の弁によれば、その一つは、理事会、教授会レヴェルでも学生を笑えない大学理念と利害をめぐる内部抗争があり、70年頃から、教授会段階で学内右派のハト派と日共派の結託による支配が固定化し、タカ派理事会と手を携えて、リベラル派教授に対して発言もはばかれるような重苫しい雰囲気の暗黒政治が敷かれ、それは学生レヴェルにおいては、あつものに懲りてナマスを吹くという「暴力」学生排除、弾圧として現われたことである。その二つめは、どうも一般的学生の価値意識が変化しているのではないか、ということである。
学生会館も自治会もないものとして入学し、自ら持ったことがないからさして苦にもならず、学問に対して期待をかけているようには見えないが大筋を外さず、ゼミの予習・復習などはまじめにやるという学生が多いとのことである。
夜間部自治会が妙に教授会に従順で、到底承服し難い旧校舎への押し込みや、中庭のないビル大学、図書館や学習室の取りつぶしに正面から異を唱えず、妥協可能な改善要求でお茶を濁しているのは何故か。日共昼間部学生委員会が、学館閉鎖や、自治会不在、サークルへの3・30踏み絵等の弾圧に反論さえなし得ず、多摩移転の大学全構成員による民主的解決を主張していること、当局が、踏み絵提出を行なった学生との会見や、学生意見文書受け付けなどで「建設的意見を吸いあげ」ていることを高く評価し、民主的解決のための大きな障害となっている暴力集団を一掃し、民主的自治会を再建しようと呼びかけているのは何故か。それは革新自治体下の労働者の要求への共産党の自主規制と等しく、教員―職員―学生全体の民主化という遠大な展望実現のために、学生民青ははね上がって理事会に対する教授会内共産党の位置を低くしたり、心象を悪くしてはならないという共産党内のお家の事情によるものなのだ。この図式の中に安住している限り、民青諸君は何故自らが秩序補完者として批判され、“暴力学生”が後をたたないのかは結局わからないだろう。
右のような共産党の強引なやり口は、当局への面従腹背という点からも、異常な権勢欲という点からも、体制補完の膿が出はじめ、教授会レヴェルから党勢が縮小しつつあるとの話も別の人から聞いた。だが、どの観点からしても大学の主役は、高い授業料を払わされ、四年間ブラスαで社会に送り出される学生である。白け切った日常の中で、学友や雀友やサークル仲間や最低数の人間と接触し、義務的に授業を受け、おし着せの教科書通りに答案を書くという「一般学生」は何を考えているのだろうか。
本稿のための取材というわけではないが、最近かつての学館、学費闘争を中心的に担ってきた数グループの友人たちと会う機会をもった。65年日韓闘争、66年原潜、67年砂川、二度の羽田、68年エンプラ、王子、成田、10・21という69年決戦へ新左翼運動が登りつめる時代背景のもとで、毎年バリケードを組み、毎年それを強化し、学園レヴェルでは能う限りの勝利の果実を手に入れた「得難い」経験を共有する彼らが、自分が引き寄せた中央大学の現状にいいて異句同音に言うことは、「学生の無権利状態になぜ学生が反逆しないのかわからない。当局の弾圧が酷ければ、それだけ学生の不満は累積しているはずであり、何故運動のエネルギーへ転化しないのかがわからない」という多少の懐古趣味と、学園ナショナリズムと、闘いの成果を帳消しにされた口惜しさからの老婆心と、何よりも自分たちの共同経験への自信からの疑間である。
私には、学館から学費に至る全国の全共闘運動の勝利への確信を、闘いの理念と学生自治の最高モデルと、大衆闘争のパターンとして伝えた66年、67年を二つの頂点とする闘いと、68年常置委闘争とは明らかに質を異にすると思われる。闘った学生層の経験の枠組みからみても両者は分かたれるし、無論両者を通じて社学同等の政治組織に在ったものと、サークル等に基盤を持った部分との落差もはっきりしている。
学館闘争は、今にして思えば、当時としては最高水準を持った自覚的インテリゲンチャ運動であった。翌年の学費闘争での大学機構批判、大学と社会の連続論等の理念はもとより、後の東大全共闘の主張として全面化した、大学、学問、科学幻想批判、自己否定論、反大学etcは、ほぼこの学館闘争から全国初の自主講座開設に至る過程で出し尽くされていたといってもよい。だが、学費闘争の学園レヴェルでの全面勝利と、常置委闘争の勝利なき勝利から、勝利なき敗北への間には大きな断層かある。
サークルやクラス活動家は、当然のこととして学館闘争のエネルギーの延長上で、より強化された力で学費・常置委闘争へ踏み込んだ。彼らにとってみれば、学費完全勝利直後の論争と、常置委撤廃団交後の常置委なき、「常置委体制粉砕」への闘争継続は、政治党派と大衆戦線の論理の違いとして、異和感として映ったかも知れない。だが、学費闘争最終局面における中大指導部と、戦旗社より派遣された学対部多数派との全人民的政治闘争への個別学園闘争の引き上げ論をめぐる内部対立は、翌年全共闘運動の頂点としての東大安田決戦敗北後、形を変えて全党派を巻き込んだ。それは常置委撤廃後の、「常置委なき常置委体制」粉砕論闘争として現われ、夜間部自治会民青の追放、党派間抗争の激化、ロックアウト後の入試、卒試闘争の敗北として結果したのである。「常置委なき常置委体制」紛砕への主張は、明確に中教審答申―8月大管法―筑波大学法案に至る国家からする大学介入・再編構想への反撃を見越しており、政治的には全く正当な主張であった。タカ派理事会に、学生と同一土俵で反抗するかの歩みをとってきた教授会は、この学内民主化、最大限改良闘争の壁の前で立ち止まったのであり、日共はその立場から秩序防衛へ危機意識を示したのである。学生の現今の無権利状況を、教職員内、および学生日共が暴力学生排除のたてまえのもとに容認し、秩序加担者として立ち現われるのは、右の苦い経験の総括であり、新左翼や大衆運動への恐怖の結語である。
現在において学園闘争の戦略や運動路線を考えるなら、右の学費闘争から常置委への飛躍と裂け目を見ねばならない。それは中央大学のみならず全国の全共闘運動敗北の試練であり、いまだにその箇所へスポットを当て切れていず、仲間うちの離合集散に止まっている多くの裸の党派への課題でもある。しかし、ここでは学生層の一般的な主体状況を共同性・集団性との関連で検討してみたいと考える。何故ならば、中央大学を含めて現在の学生の白け切った日常、各々が好きなことをやっているふうに見えながら互いの顔色をうかがっているという状況は、主体の内部意識と情勢が切り結ばないのではなくて、それと他者との関連や思想の共同性とが切り結ばないからだと思われる故である。69年敗北以降の学園におけるシコシコ運動、自らの持続の根拠への問い直し、外から見れば児戯に見える集団抗争等の、困難な闘いや諸経験は、その意味では無駄にしてはならぬのである。

共同経験の累積と学生への提言
さて、先の旧い友人たちの話にもどろう。
学館、学費、常置委闘争を通してそれらを路線や実践力で支え、主導してきた政治的友人の多くは、沈黙し、身を縮めて生活日常と葛藤しているか、あざやかに転身して出世欲にとりつかれているか、また執念で司法試験にしがみついているか、転々と仕事を変え、出版、建築、不動産などの前歴を問わぬ職場に落ち着いているかの差はあれ、マージャンや酒席やでの友人相互の消息話以上に自らの思想的軌跡について相互に触れたがらない。かつての同輩のうちの幾人かがまだ獄につながれ、幾人かが後遺症に悩まされ、幾人かが精神を自己統御しえず、多くの消息不明者を教えるといった心の負債は、学園闘争の渦中でというよりも、それと併行して展開した政治闘争の激動と、集団間抗争の経験の側から来ている。60年代後半の激動と、70年代中葉の現在の日常をつなげる結び目が見えてこないというのが、焦躁の根因であると私には思われる。
学館、学費闘争過程での文連や白鬥連盟等のサークルやクラスに依拠していた非政治的友人諸君は、学園闘争なくして現在の自己なく、学園闘争の諸経験こそ自らの価値源泉であり、職場運動の判断軸であるという、学問への関心から、自らの指標をつかまんとし、理論的に大学制度や、教授会や、学問体系批判を推し進めてきた学術連の旧い友人たちの場合、とくにそれは顕著である。彼らの場合、それまでの大学当局や教授会が主張し、日共がおうむ返しに述べてきた、大学において獲得すべきもの、社会や文化事象の的確な科学的把握、自らの出自を忘れず、社会へ学問を返還する、学問や研究を介した得難い友人の獲得等が日共の言うように民主的大学秩序の維持・形成・発展からではなくて、全く逆に学園闘争を介しての、教授や学友との緊張関体の中からこそ形成されたという経験が現在への導きの糸である。
さて、現在の学生層の日常意識は、後者の部分が背景に大きく退き、政治志向や経験を持つか否かにかかわらず前者の暗部が大きく浮上していることは確かである。ここには常置委闘争の敗北や大管法成立時点での全共闘個別撃破が、国家権力の前での無力感として深く影を落しているし、当局と日共が結託して、バリケードやストライキや大衆行勤のはね上がりを摘発し、警察に通報し、告発するという管理支配体制が真綿のように学生の首を絞めている、ということも出来る。
だが、 学生の日常は、大学や学問や科学神話が解体した今も依然として観念的に日常としてあるということに注目せればならない。その意識空間の内部で、共同幻想神話が欠落した今、自己意識と関係意識が集団性と激突し他方で親和しているのだ。
学館学費闘争課程で学術連の諸君が持った、大学と社会の連続性の獲得にしても、おしきせの教育や、授業内容を問題にしているのでではなく、学問への共通視座を介した、友人相互の日常的研鑚、他者に自らの思想を開いた間での相互信頼を基礎にしていたのだと考える。それ故、社会への学問の還元は、何か個の理論営為を民衆に還元するという教授会的なそれではなくて、職場や家庭における日常的事象を学問から照射し、仲間意識へ還流させるという経験の累積ということだと私は理解する。その視点から、学者や表現者の途を歩むものと、職業訓練所に入り直して溶接工や橋梁工の途を歩むもの等とは等価に理論探求の同地平にあるという、現在への学園闘争の継続・累積という判断も了解しうる。
だが、大学アカデミー幻想の解体した中で、理念による世界獲得として立ち現われる政治集団の衰退とともに、いわゆる学術的・社会科学的サークルも一般性を失う。多くの学園で「社研」や「社思研」や「マル研」や「歴件」が党派構成員と二重写しになってくるというのは、党派の大衆活動家獲得の目論見としても、サークルの科学的研究の金看板としても二重に失敗している証左である。
現今、学園は時間使途を明示されぬ、観念を搾取される職場であるという指摘は正しい。だが、自らの日常に、年齢的に家族を組み込み得ぬ故に、生活圏を観念的にしか引き寄せ得ぬという意味で、不労所得者や主婦や成金のバカ息子とは異なるのである。学生の日常意識はそれ故、空間的な軸としては接触範囲内の出生地や下宿やクラスやサークルや趣味やでとり結ばれた極めて狭い民衆一般と異なる小集団の錯綜にある。また、時間射程からいえば逆に、民衆の生活射程と等しく漠然とした自己の生涯への物理的時間の可能な限りの引き寄せの中にある。
私は、国家は共同幻想の歴史的累積と、民衆の集団意識の疑似共同性への上げ底により時空度を保っていると他で述べてきた。そして、前者は国家水準の構想力による突破を、後者は民衆共同性の奪回と経験蓄積をこそ、かくめいへの二つの途として要請しているのだとも述べてきた。
私は、学生層の白け切った日常意識を、生活圏の観念性と、時間射程の物理的時間への切り詰めに見るが、そのことは以下の二つの切実な課題を示していると思われる。
生活圈の観念は、実は政治集団をも、サークルや趣味集団やをも含めての民衆共同性に逆倒した鏡を持ち、水準的に規定されているということである。その意味では学生の日常意識は、政治集団やサークルの日常意識と等しく上げ底化されていて等価である。だが、学生の観念的生活圏は、政治集団やサークル等の共同志向を持つ小集団ではなく、往々にして関係のあいまいな、もたれ合いの仲間集団である。この領域における自己統括への課題は、仲間集合からの分離、個の観念の日常性の奪回である。
時間射程と視座の切り詰めは、戦後民主主義の逆説的成果としての民衆のプラグマチズムに、大学幻想の崩壊をくぐって大学に来ているという階級意識の欠落が上乗せされたものである。要するに最も典型的な、まじめな、夢多く、理論関心を持ち、出自と予測される特権的社会的位置の矛盾に悩む学生に限って、新人会や戦後共産党や安保ブントや三派全学連の闘いを支持し、思いつめて闘いを共にするというパターンは、ワン・サイクルが終了したのだと私には思える。だが、思想や理論に幻惑されると、対象は世界大に、歴史時間を越えて広がるというのは意識に忠実なものの自然過程であって、一般的学生層がそうならなくとも、学生や高校生や労働者や主婦やあらゆる階層を越えて思想的必然性として押し上げられてくる者は後を絶たないのであって、学生層を啓蒙したり、頼みもしないのに使命感に燃えて意識を引き上げんとしたりする多くの社会科学的サークルや政治集団の努力は不必要だし、徒労に終わるであろう。学生層がここで自己の時間統括にぶっかっている壁は、民衆日常のサイクルと同様である。民衆が、親と子と自らの世代に引き寄せて展望している経験的時間射程を、学生層は自己の位置の反省から構想力で開削する他はないのである。
学生が、中央大学に限らずどこにあっても、学問や科学者大学共同体幻想を失っていることを嘆くべきではない。観念の射程や幅が狭くなっていることは、逆から読めば民衆日常に観念として近づいていることになるからだ。
自らの観念と関係に執着せよ。そこから民衆像と生活圏を引き寄せ得たならばその時点で、政治党派の回路とは別に、微視的にはかくめいが近ついているのだというのが、私の「中央大学論」の、とくに学生について考える際の現時点での結語である。
(終)

【お知らせ その1】
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本書は、著者による2022年5月28日朝、満期出所時までの獄中ドキュメントであり、かつ元日本赤軍リーダーが、一人の人間として、戦争と平和に向き合い、人々の命を思いやった、その心情と葛藤を綴った2000年11月8日から2022年5月28日までの闘いの記録である。

【お知らせ その2】
●1968-70全国学園闘争「図書館」
1968年から1970年を中心とした全国学園闘争の資料を掲載したサイトです。
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1968年から1970年を中心とした新左翼党派の機関紙と冊子を掲載したサイトです。

【お知らせ その3】
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