今回のブログは、2025年2月の明大土曜会での趙沼振(チョ・ソジン)さんのお話です。
昨年12月、韓国のユン大統領が「非常戒厳」を宣言しました。その後、すぐ解除されましたが、報道などによると韓国内では混乱と分断が進んでいるようです。日本の報道だけでは分からない韓国の現状と背景などを中心にお話をいただきました。
趙沼振(チョ・ソジン)さんプロフィール
・韓国ソウル出身
・淑明女子大学日本学科講師
・2022年に東京外国語大学より博士号取得(学術)
・研究テーマは主に日本の社会運動史、学生運動史


(※以下の文章は、明大土曜会当日の超さんのお話とレジュメを基に、注釈を加えて編集したものです。注釈はネットによります。)
【韓国の「12.3非常戒厳」とその背景】
趙沼振(チョ・ソジン)と申します。よろしくお願いします。
私は2014年に来日して9年間日本で留学していました。東京外国語大学で博士学位を取得して、2023年3月に韓国に帰国して、淑明女子大学というところで講師をしています。科目名は「韓日関係研究」と「現代日本の理解」を担当しています。
博士論文は日大全共闘を主にテーマとして扱ってきました。日大闘争を記録する流れを辿って、日大全共闘の方々のお話を聞いて論文を書きました。
今日はこの場で、12月3日に韓国で起きた「非常戒厳」の事態についてお話することになりましたが、私の専門は主に日本の学生運動史、社会運動史というものでして、韓国近現代史や学生運動史が専門ではないので、「非常戒厳」というものが、どういう流れで起きてしまったのか。そして尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権が犯した罪というは何なのかということを、取材した記事を扱って皆さんに紹介したいと思いました。
レジュメを用意しましたが、韓国語を日本語に翻訳しているので読みづらいと思いますが、ご了承ください。構成としては大韓民国憲法の概要、次に「12・3非常戒厳」時間別状況、最後に尹錫悦(ユン・ソンニョル)が崩壊する、崩壊しなければならなかったその原因を辿る内容になります。
1.大韓民国憲法の概要
●憲法の基本理念
まず大韓民国憲法の概要を見たいと思いますが、何故憲法から見なければいけないのかと言うと、大統領である尹錫悦(ユン・ソンニョル)がどのように憲法を破壊したのか。法治国家になるべき国としての大韓民国が、大統領という存在によってどのように崩壊しいっているのかということを辿るためには、大韓民国憲法を見なければならないと思いました。
大韓民国の憲法の理念としては、大韓民国憲法第1条 第1項および第2項で
「大韓民国は民主共和国である。大韓民国の主権は国民にあり、すべての権力は国民から発する。」
と定められています。
だから韓国での民主主義という意味、民主共和制を守ろうとしている国ということがよく分かって、国民というキーワードがとても重要です。
●歴史的背景と憲法改正の流れ
歴史的背景を見ますと、憲法改正の流れを察知することができます。
1919年から1945年、昔韓国が朝鮮王朝から大韓帝国が日本帝国によって植民地支配の下に置かれてしまった。その中で独立運動をしてきた人たちが、朝鮮半島内外でどのように独立運動を引っ張ってきたのか。
そこでの重要なキーワードが「民主共和制を求めて」ということです。これは大韓民国臨時憲章を宣言する内容で、大韓民国臨時政府(注)がどのような形の国を求めていくのか、ということが分かります。<注(Wikipediaによる):1919年(大正8年)の日本統治時代の朝鮮で起こった三・一運動後、海外で朝鮮の独立運動を進めていた活動家李承晩・呂運亨・金九らによって、中華民国の上海市で結成された朝鮮民族の組織である。>
独立運動の流れ、そして日本帝国にどう抵抗していくのかという流れは、朝鮮半島の精神、北と南それぞれの精神をどのように受け継いできているのかという歴史(イデオロギー対立による分断状況の辛さも含め)を皆さん辿ってきているとしたらお分かりになると思います。
三・一運動というのは、独立宣言をきっかけとして、日本帝国の植民地支配を拒否して、朝鮮半島内外に抗日独立運動を導きながら民主共和国を設立することを目的としているので、臨時政府の憲章というのは、とても重要な意味を持ちます。
「神人の一致によって内外が協調し、ソウルでの蜂起から30日余りで平和的に独立を300余州に回復し、国民の信任によって完全に再組織された臨時政府は、永続的かつ完全な自主独立の福祉を我が子孫万民に代々伝えるため、臨時議会の決議に基づき臨時憲章を宣言する。」(大韓民国臨時憲章)
次に、1948年から1987年ですけれども、民主主義がどうのように確立してきたのか。レジュメに1945年から1948年の間が書かれていない理由というのは、アメリカとソ連による干渉ということも含めて、朝鮮半島がどのように分断されていったのか。そしてイデオロギー、対立ということは皆さん既にご存じだと思います。
その後、大韓民国がどのように民主主義を確立していったかということを見ますと、憲法に関することですが、憲法は、大韓民国の理念と価値を宣言し、それを実現するための基本的な枠組みを提供してきました。1948年以降、40年余りの間に韓国では9回の憲法改正が行われました。
かなり多い数で憲法改正が行われてきました。
主要な憲法改正の流れ:
1948年7月17日: 制定憲法(憲法を制定する)
1952年7月7日: 第1次改憲(自由党の台頭と最初の憲法改正)
1954年11月29日: 第2次改憲(四捨五入改憲と統合野党民主党の登場)
1960年6月15日: 第3次改憲(4.19革命と内閣責任制の導入)
1960年11月29日: 第4次改憲(遡及立法の制定)
1962年12月26日: 第5次改憲(国会解散と再建)
1969年10月21日: 第6次改憲(三選改憲)
1972年12月27日: 第7次改憲(維新憲法)
1980年10月27日: 第8次改憲(軍政下の憲法改正)
1987年10月29日: 第9次改憲(直選制導入)
韓国では憲法を改正することが、民主主義の精神、進歩的な意思だと思われています。憲法を守るということが、逆に保守的な立場だと認識されていますが、今の時期は左派・進歩知識人を含めて、市民が憲法を守ろうとしているなんて「大統領が破壊しているから、このアイロニーは何と言えばいいんだろう」と皆思ってるところを見ることができます。
憲法改正の流れはこういう形になりますが、まず初代の大統領の李承晩(イ・スンマン)は大統領になってから、自分が最後まで大統領としての身分を守りたい。つまり終身執権したいという気持ちで法律を改正する動きをしました。それが1954年の第2次改憲「四捨五入改憲」(注:李承晩大統領の三選を可能にする憲法改正案を与党が提出したが、必要な議席数の3分の2に1票不足して否決された。そのため「必要な議席数203議席の3分の2は135.333であり四捨五入すると135であるから、135票の改憲案は可決された」という理屈で可決した)ですが、1952年の第1次改憲の時は「抜粋改憲」(注:大統領直接選挙制を目的とする改憲であったが、野党の改憲案から「抜粋」した改正も行われた)と言って、国会議員の提案を受け入れたと言っているんですけれども、結局自分が執権する期間を伸ばしたいという意志を見せたことによって、結局は自分のための法律改正だったと批判されています。
そのため4・19革命(注:1960年の再選のための大規模な不正選挙に抗議する民衆デモ)が起きることによって、結局李承晩は米国に亡命することになり、大統領の職を続けることが出来なくなりました。
その後、大韓民国は困難に落ち入ってしまい、その間に軍事クーデターを起こってしまい、朴正煕(パク・チョンヒ)政権が成立することになります。朴正煕(パク・チョンヒ)政権下で経済発展をしたと評価されているんですけれども、その間に、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領という人物も終身執権したい、つまり独裁政権を築きたい欲望があったため、国会解散をさせます。大統領は憲法上国会解散することができないんですが、それを軍隊を動員してクーデターでやったことなので、これ以降「維新憲法」(注:権力分立の原則に反する統治機構、国民主権・人権保障の原理の否定、大法院の違憲判断への報復などを内容とする)が成立することになります。こういう自分のためクーデターを起こすことを尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権は真似をしているがよく分かります。
その次は全斗煥(チョン・ドゥファン)政権になります。朴正煕(パク・チョンヒ)が暗殺され、その後混乱に陥りますが、これは軍隊内でも混沌とした状態が続くことになります。雰囲気としては民主化する雰囲気になっていて、このような雰囲気を受け入れて軍隊内では「私たちが退くべき」という軍人ももちろん存在しました。でも軍隊内の私的組織であるハナ会、全斗煥(チョン・ドゥファン)と盧泰愚(ノ・テウ)元大統領たちなんですけれども、この2人の人物がこれは受け入れられないといということで軍内部でも反乱を起こし、軍事反乱を起こすことになります。正確な表現で言えば、軍事クーデターではなく軍事反乱になって、軍内部でも反乱を起こしたということになって、民主化を支持した軍人たちを解任しました(注:粛軍クーデター)。この内容は、韓国でも『ソウルの春』という映画が大ヒットして、(日本でも公開しましたので)この内容を詳しく観られると思います。
この後、民主化運動が続くことになります。軍事独裁政権がずっと続くことは民衆の中では受け入れられないことになって行って、大学生たちの学生運動、大学のそれぞれの運動が行われてくるんですけれども、その前に光州事件、韓国では光州抗争、光州民主化運動というんですけれども、この事件が先に起きました。1980年5月18日。「5・18」と称しているんですけれども、この内容については、日本では真鍋裕子先生のご本でも知ることができますし、去年12月にノーベル文学賞を受賞したハン・ガンの『少年が来る』という小説でも読むことが出来ます。
何故光州(クアンジュ)だけがこうなったのか。実は全国で学生たちが大規模な集会を行うつもりでした。ソウルでは大学に学生たちが集まったんですけれども、それを強制的に解散させたのが全斗煥(チョン・ドゥファン)政権でした。でも唯一光州(クアンジュ)の学生たちはそれに抵抗した。だから光州(クアンジュ)という地域だけを孤立させて、銃殺、発砲を許可したということになります。たくさんの学生たちが犠牲になりました。そして光州(クアンジュ)市民もたくさん死ぬことになりました。その真相をどう追及するのかということは、現代でも語られていることですし、その犠牲者を追悼することも今でも続いています。
いろいろな犠牲の後、1987年6月、民主化を迎えることができました(注:民主化宣言)。その時に第9次改憲が行われて、大統領直接選挙制を導入することになって、それから現行憲法が続いている訳です。
その後も大統領制というのが「帝王的だ」という指摘がありました。何故かというと、軍の統帥権、行政施策決定及び執行、行政、立法に関する権限がありますから、このような「帝王的」大統領制をどのように改正すればいいのかという悩みは国会内でずっとありましたし、国民の中でもずっとそういう声を出してきました。特に2016年、朴槿恵(パク・クネ)大統領弾劾の時から強力に声を出してきましたが、そういう悩みは、国会で委員会を通して討論している内容であると知られています。
<レジュメより>
「30年という歳月が経つにつれ、現行憲法は『古くなった服』のように、社会の変化を正しく捉えていない。改憲の基準と主体は国民でなければならず、改憲の目標は国民統合とより大きな大韓民国である。」 ―(2016.10.27. 保守と進歩、共に改革を求める:国家運営体制と改憲) 第20代国会前期 国会議長 丁世均(チョン・セギュン)
「第22代国会が直面している根本的な課題の一つは、憲法改正である。改憲の必要性については、すでに十分な社会的合意がある。改憲を通じて5年単任制が持つ葛藤の要素を取り除き、権力構造と政治的・感情的な極端な対立の連鎖を断ち切らなければならない。」 ―(2024.6.24 グァンフンクラブ討論会) 第22代国会前期 国会議長 禹元植(ウ・ウォンシク)


2.12.3非常戒厳宣言 時間別状況
韓国の憲法の歴史が長くなってしまいましたが、非常戒厳宣言の時間別状況を見てみましょう。一体韓国で去年の12月3日に何が起きたのか、日本でも報道するのが精いっぱいだったと思います。韓国にあの時期に居ましたが、1分1秒ずっとニュースが流れていて、何を追っていけばいいのか、どの報道が正しいのか確認することも大変でした。
確認してみますと
(以下、レジュメに記載された韓国の「聯合ニュース」の記事を基に趙さんがコメントします。超さんのコメントは『』内です。)
12月3日
21:30:「尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が共に民主党の監査院長・検察官弾劾、予算削減案の単独処理について直接立場を表明する可能性がある」という噂が広がり始める
『これはちょっと間違っているんですが、「尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が、共に民主党が野党の中で多数の議席を占めているので、予算削減案について単独処理をしたと大統領は把握して捜査委員長と検察官弾劾を行います。それについて直接立場を表明する可能性がある」という噂が広がり始めます。』
21:50:放送局間で「緊急政府発表があるため中継接続を希望する」という内容のメッセージが共有される(大統領室のブリーフィングルーム前に多数の記者が集まったが、扉が施錠され入室不可能、22時を過ぎても大統領室は「不通」状態)。
『何が起きるのか記者たちも全く分からない状況でした。』
22:23:尹大統領の緊急談話が生中継開始(談話文朗読約6分間)。
『私は韓国に帰ってから両親と一緒に実家に住んでおりますが、自分の部屋にいました。母はドラマを観ていまして、急に父が部屋から出てきて、「テレビのチャンネルを変えてごらん」と言って、チャンネルを変えたら尹大統領が何か言い始めた。私は部屋にいましたから尹大統領の話は聞こえませんでしたが、父が「何?何?何?・・」と3回言いました。一体何が起きているのか分からないくらい「尹大統領は何を喋っているのだろう?これはフェイク・ニュースではないか」という疑問を持つくらい不思議な不自然な内容の談話文でした。最初から戒厳令を出しますと言ったのではなくて、普通の談話文だったんですけれども、最後に「戒厳令を出します」と本当に突然の流れの変な談話文だったんですけれども、22時23分にこの談話文が始まって、22時28分に「非常戒厳を宣言する」と言いました。
22:28:尹大統領、野党の予算削減強行・連続弾劾に対し「非常戒厳宣言」
『「非常戒厳宣言」というのは、憲法上どのように行うことができるのかということですが、憲法第77条第1項で「大統領は戦時・事変またはこれに準ずる国家非常事態において、兵力をもって軍事上の必要に応じるか、公共の安寧秩序を維持する必要があるときは、法律の定めるところにより戒厳を宣言することができる」ということです。ここで韓国の状況が当時戦時中だったのか、そして事変が起きたのかということを考えたら、怪しいところがあると指摘されています。』
22:42:共に民主党、非常戒厳宣言を受け、国会に議員を緊急招集
23:00:談話文全文が報道機関に配布 / 23:09:写真が報道機関に配布
23:04:国会の出入口が封鎖
『警察隊が封鎖していたので、国会議員たちが国会議員なのに国会に入ることができない状況が起きていました。だから国会議員たちは怒鳴ったり又は運動経験がある国会議員が多いので、壁を越えて国会に侵入することになります。その様子を、共に民主党の代表は自分のユーチューブで「国民、国会議員のみなさん、ここに早く集まって下さい。皆さんお願いです」という発信をして呼びかけをすることになります。』
23:25:戒厳司令官に陸軍大将朴安洙(パク・アンス)陸軍参謀総長を任命
23:27:戒厳司令部、布告令第1号を23時付で発表
12月4日
00:07:戒厳軍、国会敷地内に進入
『国会が永登浦(ヨンドゥンポ)という地域にあるんですけれども、永登浦の市民が千人くらい集まることになります。やはり「戒厳」というキーワードに恐ろしさを感じているので、そこで軍人たちを防ぐべきだと集まっているんです。侵入することを阻止しようと動き始めます。』
00:22:戒厳軍、国会本庁の出入口を封鎖
00:45:戒厳軍、国会本庁に進入
『戒厳軍が窓ガラスを割ったりする行為を見せて、それに対して国会議員や職員たちが頑張って戒厳軍を侵入させないように動きだします。』
00:49:国会本会議開会
『何故国会本会議が開催されたかと言うと、「非常戒厳解除要求決議案」を可決するためです。』
01:01:「非常戒厳解除要求決議案」国会本会議にて可決。在籍190名中、賛成190名(野党議員172名、国民の力党 親韓派18名)
『国民の力党の残りの与党議員たちはどこに行ったのかということなんですが、与党代表を含めて、与党議員たちは党舎に集合していました。これは「内乱同調罪」ではないかとい疑いがあることなので、事前に「戒厳」が出されることを知っていたのではないかという話があります。定足数が満たされたので、これが可決となりました。』
国会議長室「戒厳解除決議案の可決により、戒厳令宣言は無効」
憲法第77条第5項「国会が在籍議員の過半数の賛成で戒厳の解除を要求したとき、大統領はこれを解除しなければならない」
02:01: 禹元植国会議長「尹大統領と国防部に戒厳解除要求を通知」
04:22:合同参謀本部、非常戒厳に投入された兵力の元所属部隊への復帰を発表
04:27:尹大統領、生中継談話を通じて非常戒厳宣言を解除
軍が設置した戒厳司令部を解体
『この生中継録談話が録画したものではないかとされています。何故かというと、「非常戒厳」を出した時と比較して同じ雰囲気だった。だから録画を流したことになります。生で全部中継されていると思っているんですけれども、全部事前に録画して、それを流すだけの作業が見えたとされています。』
04:30:政府、国務会議を開き「戒厳解除案」の議決を発表
『無事に国会を通して「非常戒厳」が解除されて、ある種のハプニングのように見えますが、これは「内乱罪」に当たることです。韓国で「内乱罪」とは何なのかとうことですが、独裁政権の時に、元大統領の金大中(キム・デジュン)が国会議員の時に北朝鮮との関係性を疑われて、何回も「内乱罪」で捕まったり、死刑判決を受けて、実際に死ぬ寸前まで行きました。(金大中元大統領は内乱陰謀事件の被害者である)でもこういうことによって逆に、自分自身を「保守」だと唱えてる尹大統領が自分自身のために「内乱罪」を起こした。執権を取るためにクーデターを起こしたというアイロニーの状況が続いたわけです。韓国ではそういう見方をしているところがありますが、尹政権が保守又は右派、極右と言われていますが、政治思想があるのかということを指摘するとしたら、政治思想が全くない危険人物と言われています。次の尹政権が崩壊する原因は省略しました。もっとありますが、私が2023年3月に帰国して両親と一緒に食事をしたら、必ず両親、特に母が政権の話をして批判をしていました。いいことだと思って話を最初は受け入れていましたが、毎回毎回食事の時に話すので、「もういいじゃないか。ちょっとやめてください」と言ったんですけれども、その1年後、私がもっと尹政権を批判することになりました。何故かと言うと、本当に尹政権の問題ということが1分1秒流れていますし、それを変えることが出来ない残念な状況が続いていたからです。』
3.尹錫悦政権が崩壊する原因
(1)「バイデンorナリミョン」発言問題
尹大統領が米国訪問中に「コイツら(米国国会)が承認しなければ、バイデンは恥をかく」と発言。大統領室は「バイデンではなくナリミョン(飛ばされれば)」と釈明し、MBCを提訴。MBC記者を大統領専用機から排除するなどの報復措置が取られた。
(2)梨泰院(イテウォン)惨事への対応不備
梨泰院のハロウィン事故で159人が死亡。「セウォル号と変わらない」と批判される中、尹大統領は「責任というものは、本来あるべき人に正確に問うべきものであり、漠然と『全員が責任を負え』というのは、現代社会ではあり得ないことだ」と発言。さらに「特定勢力による捏造の可能性も」と語り、陰謀論まで浮上。放送通信委員長は「左翼が背後にいる」と主張。政府は①責任を否定、②調査せず捜査のみ、③被害者の連帯を妨害、④救済もせず放置、したと指摘されている。
『梨泰院(イテウォン)というところは外国人がよく住んでいて、観光にもよく行く場所です。ハロウィンに起きた事故だったんですが、159人も死亡しました。これは「セウォル号と変わらない」と批判されるくらいの惨事でしたが、尹大統領は「責任というものは、本来あるべき人に正確に問うべきものであり、漠然と『全員が責任を負え』というのは、現代社会ではあり得ないことだ」という発言をしてしまします。さらには「特定勢力」つまり左翼の人たちの「捏造の可能性もある」。「この事件自体が、その勢力による捏造である」という陰謀論を大統領が浮上させます。そして当時の放送通信委員長が「これは左翼が背後にいる」という主張をしてしまいます。これは政府がどのように批判されているかと言うと、責任を否定し、調査せず捜査のみを行う。そして、被害者の連帯を妨害して救済もせず放置したと指摘されています。梨泰院(イテウォン)惨事を政府との関係でそこまで批判すべきかという疑問を持つ人がいるかもしれませんが、梨泰院(イテウォン)というところはソウル特別市龍山(ヨンサン)区にある地域です。龍山区は大統領室があるところです。尹政権になってから、青瓦台(チョンワデ)と称されている大統領官邸を使わずに、あえて大統領室というところを作って移転させます。大統領室は、元々国防部の建物だったところですが、そこにわざわざ大統領室を作りますが、それに税金が莫大に使われました。移転した大統領室は青瓦台(チョンワデ)とセキュリティーが全く違いますから、3倍以上の警察を動員してセキュリティーを守るように指示します。梨泰院(イテウォン)では毎年ハロウインの日に人が集まることはよくありました。でも「規制する警察の人力が足りなかったこと。それをちゃんと究明すべき」と遺族は言いましたが、それが黙殺されたということが分かります。』
3)韓日関係における屈辱外交
尹大統領は強制動員被害者への補償を3者方式で決定し、加害企業は責任を免れ、日本の謝罪もなかった。佐渡鉱山のユネスコ登録で強制動員の歴史を削除、戦争犯罪を黙認したと批判され、追悼式でも強制動員は触れられなかった。韓国政府は日本政府による汚染水放流を許可し、汚染水が安全だという宣伝動画を流し、これも論争を呼んだ。
『歴史認識問題は、ずっと韓国と日本の間にあったことですが、尹政権になってから前の保守政権よりもかなり批判を受けることになります。さらに韓国政府は、日本政府による(福島第一原発の)汚染水放流を許可して、汚染水が安全だという宣伝動画を流すことになります。これも論争を呼びました。』
4)チェ海兵死亡事件
慶?北道醴泉郡の水害現場で捜索作業をしていた海兵隊員(チェ・スグン)が急流に流され死亡。任性根(イム・ソンクン)司令官は救命胴衣を与えず、海兵隊の象徴である赤いTシャツを着るよう指示。責任者を処罰し国家が補償すれば解決するはずだった。尹大統領は捜査結果に激怒し、結果が覆された。司令官の責任があると訴えた捜査団長の朴正勲(パク・ジョンフン)が責任を問われ、命令違反罪で裁判を受けている。任性根司令官が金建希(キム・コンヒ)夫人主導の株価操作事件に関与した李宗浩(イ・ジョンホ)とゴルフをしていたことが判明した。金建希夫人が国防部長官に電話した疑惑もあり、尹大統領は特別検察法案を拒否した。この事件は再調査が必要とされている。
『かなり大きい事件ですが、「チェ海兵死亡事件」です。保守政権は普通軍人たちの人権を守ったり、保守的な立場で軍人をどのように動員して国を守るのかという安全保障に重点を置くというイメージがありますが、この「チェ海兵死亡事件」は、海兵隊が完全に尹政権だけでなく、保守政権にも反対する、もうその支持をやめることになる大きな事件です。水害の現場で捜索作業をしていた海兵隊員のチェ氏が急流に流されて死亡してしまいます。この時に、任性根(イム・ソンクン)司令官は救命胴衣(ライフジャケット)を与えてくれませんでした。海兵隊の象徴である赤いTシャツを着るように命令をしたわけです。責任者を普通に処罰し国家が補償すれば解決するはずでした。そこまで普通に調査が行われてきました。ところが突然尹大統領は捜査結果に激怒し、結果が覆されたということです。「司令官の責任がある」と訴えた当時の捜査団長だった朴正勲(パク・ジョンフン)が、責任を逆に問われ、命令違反罪で裁判を受けることになります。今は無罪になりましたが、復職したわけではないので、これからの調査が必要となっています。(尹大統領が)何故この司令官を罪から逃そうとしたのか。任性根司令官が大統領夫人の金建希(キム・コンヒ)主導の株価操作事件に関与した李宗浩(イ・ジョンホ)とゴルフをしていたことが判明しました。疑惑を払拭するためには調査究明をすべきですが、大統領が拒否したことで許されなかったということです。尹大統領は特別検察法案を拒否して、この調査を中止させました。チェ海兵が何故死亡してしまったのか。その責任はどこにあるのかということが明らかにならなかったわけです。』
5)ドイチモータース株操作事件
尹大統領は「文政権の時代に調査したが何も出なかった」と主張しているが、捜査は2021年に始まり、選挙出馬で中断された。李宗浩は尹大統領と金建希(キム・コンヒ)夫人の結婚後、36回も連絡を取っていたことが判明。金建希(キム・コンヒ)はドイチモータース株で22億ウォンの利益を得、虚偽の主張があった場合、虚偽事実公表に該当する。「主力株主」が金建希(キム・コンヒ)に株を売らせる指示をした証拠もあり、事前に調整した可能性が高い。金建希(キム・コンヒ)は起訴されなかったが、再捜査の可能性が高い。
『この事件は(尹大統領が)大統領候補の時から、大統領夫人の金建希(キム・コンヒ)のことでずっと話題になっていました。でもこれを明らかにしないで金建希(キム・コンヒ)は起訴されることもなく再調査することもなかったのでこれからどうなっていくのか注目しています。』
(6)ディオールバック問題
崔ジェヨン牧師から金建希(キム・コンヒ)に贈られた賄賂は520万ウォン相当。検察は職務関連性がないと判断したが、崔牧師は賄賂を認めている。国民権益委員会が問題なしと結論を出した後、その委員が自殺した。「良心に反して苦しい」との遺書を残していた。元法務部長官の曹国(チョ・グク)と比較される。曹国は娘が受けた奨学金が不正依頼禁止法違反だとして有罪判決を受け、2年の懲役が確定した。
『ディオールバック問題はよく知られています。』
(7)洪範圖(ホン・ボムド)像撤去問題
陸軍士官学校が突然、独立運動家洪範圖の像を撤去し、間道特設隊の将校だった白善燁(ペクソンヨプ)の像を設置するという動きが注目を集めた。当時の国防部長官李鐘燮(イ・ジョンソプ)は「共産勢力と戦う幹部を育成する陸士に共産主義経歴のある人物が必要だという指摘があった」と発言。洪範図像撤去の提案は、朴槿恵政権下で教科書作成に関わった人物、 陸士教授(ナ・ジョンナム)のアイデアだった。
(8)建設労組への攻撃
尹大統領は建設労組を建設暴力団(建爆)であると非難し、支持率低下時に労組攻撃を強化。 2023年2月、「完全に根絶するまで厳しく取り締まれ」と指示し、2800人を投入して捜査を開始。人権委員会や国際労働機関(ILO)の警告を無視し、月例費や前任費を攻撃。問題の本質は違法な下請け構造による工期短縮とコスト削減であった。
『建設労組への攻撃は、尹政権はひどく行いました。尹政権は建設労働組合を「建設暴力団」だと例えてひどく非難をしました。尹政権は支持率が下がった時に、この労組攻撃を強化してきましたが、どういう命令を出すかと言うと、2023年に「完全に根絶するまで厳しく取り締まれ」と指示したということです。建設労組への調査を2,800人の人力を投入して開始したというくらい、この労組事態を解体させようとしたことです。』
(9)R&D予算削減とKAIST事件
KAIST卒業式でR&D予算削減に抗議していた卒業生が口を塞がれ、引きずり出された。R&D予算削減の理由は不明で、再増加の説明もなかった。2023年は31兆ウォンから27兆ウォンに削減され、来年は30兆ウォンに増額予定。急な予算削減で多くの研究者が職を失い、一部は海外へ移住した。
『これもかなり大きい事件でした。KAIST(カイスト)(国立科学技術院)という有名な工学大学ですが、R&D(研究開発)予算削減ということで、尹政権はあらゆる場面で予算を削減してきました。その予算削減によって、科学界が致命的な打撃を受けるほど予算を削減してきましたが、研究を支援することではなくて、そこを更に削減して、その理由を説明しないで削減すると宣言しました。科学界ではかなり衝撃を受けましたが、私の友人でも天文学のドクターがいまして、元々三鷹の天文台で働いて今は韓国にいますが、ずっとプロジェクトとして関わってきたことが、急にそのプロジェクト自体が無くなってしまった。そういう研究者たちが、かなり被害を受けて、ポストドクターの人たちが研究をすること自体が出来なくなったということがあります。この削減の発表後、尹大統領がKAIST(カイスト)の卒業式に出席して祝辞を述べます。卒業生が「これは問題である。削減したことをどうするか」と声を出します。そうしたら、SPがその卒業生の口を塞いで、卒業生は引きずり出されてしまいました。そのこと自体が衝撃を起こしました。』
(10)医大定員拡大問題
2023年2月、尹錫悦政権は医大定員を2000人増やすと発表。しかし、増員の理由は説明されず、医師不足の解決にはならないとの批判が多かった。尹大統領の固執で多くの犠牲が出ており、2023年2月から5月までのデータでは、死亡者数が過去9年の平均より1700人増加したとの分析も。尹大統領は建設労組との戦いのように医大定員問題を強硬に進めたが、結局、医学生と研修医は戻らず、来年には7500人が一度に1年生として授業を受ける最悪の状況が避けられない。
『これも尹大統領が最も打撃を受けた事件でした。2023年2月に医大定員を2,000人増やすと発表しました。これも何の会話もせずに発表したので、医療界ではこれを批判した。今医療界は麻痺している状態で、死亡者が前より増えているというデータもあります。』
(11)明太均(ミョン・テギュン)ゲート
明太均の逮捕は、尹政権にとって致命的な影響を及ぼした。2023年10月、明太均は「自分が逮捕されれば政権は1ヶ月以内に崩壊する」と警告していたが、11月15日に実際に逮捕され、12月15日が1ヶ月目となる。明太均は尹錫悦候補時代、無償で世論調査の結果を提供し、金映宣(キム・ヨンソン、元国民の力党議員)の公認を得る代わりに尹錫悦陣営と接触していたとされる。明太均が持つ「黄金の携帯電話」には、尹錫悦夫妻にとって都合の悪い情報が含まれており、これが今後の捜査や政権への影響に繋がる可能性がある。
『これが尹政権が最も追い込まれた事件でした。明太均(ミョン・テギュン)という人物は、元々は通信会社で携帯電話を売る人物でした。でもその個人情報を集めて政治家と接触して「自分は世論調査をよくしたら、貴方は当選しやすくなる」というように交渉し始めます。実際に「国民の力党」今の与党ですが、与党も大統領も当選しやすくなったという疑惑があります。実際に政治資金法違反により、明氏は今逮捕されて刑務所にいます。「自分が逮捕されたら政権は1ケ月以内に崩壊する」と断言しました。実際に11月15日に逮捕されて、12月3日に尹大統領が「非常戒厳」を宣言して逮捕されて弾劾されている状況です。今裁判中ですが、この明太均(ミョン・テギュン)という人物が何でここまで話すことが出来たのか、実査に自分一人だけでなく尹大統領夫妻、そして「国民の力」党員たちとも全部連携してる。関係のあることです。与党「国民の力」党は尹大統領がそういう罪を犯したにもかかわらず、そうした嫌疑があるにも関わらず支持している理由は、このような関係があるとされています。』
(12)北朝鮮挑発行為
尹大統領が「非常事態宣言」を発令した直後に平壌に無人機を送ったことが明らかになった。この行動は、北朝鮮を挑発することを意図していたとされる。尹政権の対北朝鮮への挑発的行動は長期間にわたって続いており、拡声器による放送を開始したり、北朝鮮が唯一の連絡道路である京義線と東海線を爆破したことに対して、対応射撃を行った。また、北朝鮮のごみ付き風船に対して警告射撃を命じ、原点攻撃を行う指示もあった。これらは、南北交戦を引き起こす危険な試みだった可能性が高い。政権を守るために戦争を引き起こすという危険な行為であり、内乱罪に加えて「外患誘致罪」や「反逆罪」の適用が可能であるとの指摘もある。外患誘致罪は「外国と共謀し、戦争を引き起こす罪」で、最高刑は死刑または無期懲役。反逆罪は「敵国と結託し、反乱を起こした罪」で、死刑が法定刑となっている。
『最後に北朝鮮挑発行為です。尹政権は対北朝鮮への挑発行為を長くやってきました。韓国に住んでいる人なら分かりますが、韓国では携帯電話で災害などが起きた時にアラームが鳴ります。日本でも地震が起きた時はそうなりますけれど、北朝鮮がごみ風船を飛ばしてきたら何回も鳴っています。ちょっと異常なくらいおかしいと私は感じましたし、一般市民も異常じゃないかと思っていました。実際に尹政権は今まで止めていた軍事境界線での「拡声器」による放送を開始して、北朝鮮に対して騒音を流すわけです。その近くに住んでいる韓国の住民もこれに不満を持っていました。「これをどうかしてくれ」。にもかかわらず、住民の声は聞かないで、拡声器による放送を続けてきたのです。北朝鮮が唯一の連絡道路だった京義線と東海線を爆破しますが、爆破したことに対して対応射撃を行いました。北朝鮮がごみ風船を飛ばしたら警告射撃を命じて、原点(風船を飛ばしている場所)打撃を行う指示も出しました。このように私たちは北朝鮮から安全を守っているという姿勢をずっと見せたわけです。でも、尹政権が「非常戒厳」を宣言した時、重要人物である野党の代表そして国会議長、そして自分の部下に近い、国会議員でもない与党の代表だった韓東勲(ハン・ドンフン)という人物ですが、自分の指示に従わなかったということで、「この3人を逮捕して銃殺しなさい」という命令を受けたという(軍幹部の)証言が出ました。他の人物だったら北朝鮮との関係があるとしたらいいんですが、この韓東勲(ハン・ドンフン)という人物をどうするかと言ったら、北朝鮮の人民軍だと偽って攻撃するような命令が出されたという調査がされて、証言が出ています。北朝鮮とどのように工作してこの状況を突破していくかという計画がなされていたので、どのように報道されるか、また裁判が行われるか見守るべきだと思います。』


今まで韓国はずっと北朝鮮との関係がないと、安全保障というキーワードから逃れないまま「赤」だと民主化運動をしてきた人とか、また独立運動家だった人物にも「赤」だったじゃないか、共産主義者ではないかという「反共イデオロギー」をずっと唱えてきました。そこから逃れないということが「保守だ」と言っている党によって引っ張ってきましたが、そのような党と日本の自民党がずっと話をしてくるとしたら、いい日韓関係、韓日関係にはならないと個人的には思いました。こういうことは、皆さんとも一緒にお話ししたいと思ってきましたが、いろいろな運動が行われていて、パレスチナ関係の運動は韓国でも行われてきました。


「虐殺者ネタニヤフ逮捕」「内乱犯尹錫悦逮捕」というスローガンを掲げています。現場では旗を持たされて尹錫悦の弾劾を唱えてきましたが、このようにたくさんの旗を見ることができます。
私の集会、デモの現場に12月7日、そして12月28日に行きました。弾劾可決に至る時には行けませんでしたが、たくさんの市民たちが集まって声を出しました。そして、去年の夏、私はこの場(明大土曜会で日本の農業問題の話を聞いていた)にいましたので、農民たちのトラクターデモに合流しました。農民たちがトラクターでソウルに来るまで時間がかかります。6泊7日です。ソウルまで来たら突然警察の機動隊が出動してそれを阻止します。朴 槿恵(パク・クネ)政権の時は、市民が連帯することもできず、知らなかったので、農民たちは殴られて逮捕されました。でも今回は市民たちが早く連帯ができて、「X」でも共有されて市民たち千人以上がそこで農民たちと連帯して、農民たちのトラクターがソウル中心まで来ることができました。
食料としての穀物法についても尹政権に拒否されていたので、農民たちが声を出すためにトラクターデモで合流することになりました。それ以外でも、いろんな連帯の動きが韓国では見られましたが、こういう動きを見て、どのように尹政権を倒すべきか、そして問題の本質は何なのかについて対話していく様子が見られました。だから私も現場でこのような状況を見て、実際に市民一人一人が、特に20から30代が頑張って声を出していますが、皆さんもニュースで観たか分かりませんが、応援棒、ペンライトを持っています。


それはK―ポップファンのペンライトです。コンサートの応援で使うものですが、それが何故登場したのかというと、朴 槿恵(パク・クネ)政権の時に、当時の与党議員が「どうせロウソクなんか風が吹いたら消えてしまう」と嘲笑っていました。そこで当時のK―ポップファンたちが「じゃあこれを持って行けばいい」ということで、そこから始まった。その時は人数は少なかったのですが、2回目のこの事態に直面して、みんながこれを持つようになって光が明るくなる。だから集まったらその倍になるということが分かって、みんなこのペンライトを持つことになったということです。私も1人のK―ポップファンでもあるので持っています。現場に行ったらたくさんの旗、そしてたくさんのペンライトが広がっています。そして運動経験者の方々も青年たちと一緒にペンライトを持って、演説している一人一人の話を耳を傾けて聴いているわけです。そして、そこにボランティアとして来てくれるアーティストたちの音楽を聴いて一緒に歌うという場面は、本当に感銘を受けました。この時に100万人が集まって、今もずっと集会は行われています。
みなさんも、韓国がこれからどのようになっていくのか見守って下さればと思います。
【質疑】
趙さん
趙さん
あくまでも専門家ではないので、これまで報道された記事や個人的な経験に基づく意見に限ります。
質問者1
文 在寅(ムン・ジェイン)大統領は人気がなかったのか。
趙さん
文 在寅(ムン・ジェイン)大統領は人気がありました。文在寅(ムン・ジェイン)の支持者はもちろんたくさんいました。いまでも厚い支持層が確認されています。でも、不動産問題に関しては、意見が分かれたようです。私も詳しくはないので、友人の例を挙げてお話します。元々政治自体に興味がなかった私の友人が突然久しぶりに電話を掛けてきて「文在寅(ムン・ジェイン)についてどう思うか」と訊かれて、全く興味がなかった女の子ですけれども、不動産問題(住宅価格高騰)のことで文在寅政権に対して不満を持ち始めたわけです。それが不動産、株式、コインというキーワードが、特に2020年にかけてコロナ禍になってからそれが悪化してきました。私の友人みたいに韓国で過ごしていたら、引っ越しの問題に直面してしまうので、文在寅政権の外交政策より、不動産のような国内問題に目を向けることになるでしょう。だからそういう側面からある程度支持を失ったのかもしれません。
質問者2
(12)北朝鮮挑発行為に関連して、テレビの報道で、平壌(ピョンヤン)にドローンを飛ばしたのはこの尹錫悦のグループではないかと。挑発して、それで向こうが出てきたら、それを口実に戦争に持ち込もうという、そういう噂が報道されたが、急に報道されなくなった。それはアメリカの圧力か?
趙さん
韓国では軍関係者に証言をさせています。韓国では軍関係者だけでなく、国家情報院という北朝鮮のスパイを調べるところがありますが、そこの「ブラック要員」(海外で対北朝鮮活動を行う)が、実際に有り得ないことを指示したというような証言をずっと繰り返しているので、これが裁判まで行くかどうかということを国会でやっているので、まだまだ見守っていくべきだと思います。
質問者3
野党の「共に民主党」の代表もあまり評判が良くないようですが。
趙さん
「共に民主党」の代表 李在明(イ・ジェミョン)は、ずっと長い間元々のイメージよりはかなり悪い人物として描写されてきました。韓国でも、その内実を聞いても誰も知らない状況です。実際にその人物は、行政はうまくできる、そして成功してきている。前の城南(ソンナム)市長だった時期と、京畿道(キョンギト)の知事だった時期に全部証明していて、そこに住んでいた人たちが、そう思っています。その後、大統領候補になってから今の与党から、そして尹大統領から政治的に攻撃を受けてきました。司法リスクがと言われて選挙法違反の裁判に係っています。何故選挙法違反の裁判かというと、それだけの罪を犯したというより、とにかくこの人を拘束しろと。尹大統領は検察官出身なので、自分が検察官の時にたくさんの政治家を「政治家狩り」をして、拘束して裁判にかけてきました。このようなことは李 明博(イ・ミョンバク)大統領に時代からあったことで、実際にその犠牲者になったのが盧 武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領だと言われています。自殺してしまいましたが、家族までそうなってくること、そして文 在寅(ムン・ジェイン)政権の時は、法務部長官だった人物(曹国)も、家族全員が家宅捜索をされて、結局2年刑を受けてしましました。野党では無理やりに家宅捜査を行い圧迫をした尹政権、与党、検察側を批判するかと思ったら、かえって野党の内紛にもなりました。そして、「左派だったらまたは進歩派だったらきれいであるべき。何の罪もないはずだ」と信じていた国民は、清廉潔白ではない左派政治家から裏切られるようなかたちになってしまうのです 。
現在、韓国のメディアでは、誰を次の大統領にするのかだけを報道し始めている。尹大統領を弾劾する理由を辿るより、次の大統領候補に注目しているのも問題だと指摘されています。
李在明(イ・ジェミョン)代表の場合は、実際にナイフでテロを受けて、命を落とす寸前までいき、危ない状況に至りました。幸いに命に別条はなかったです。第二の金大中(キム・デジュン)または「戦闘型盧武鉉」ではないかという評価をうけている人物でもありますし、支持者が多いです。「戒厳事態」によってさらに支持率が上がりました。「この人は本当に悪い人物だと思ったら、どう見ても悪いところはないと思うようになった」という証言がネット上にも増えてきました。李在明のヘイトをつぶやいてきたアカウントもその立場を変えてくるという状況も実際に起きているので、これから李代表がどのような行動をしていくのか、見守っていけばいいと思います。
質問者4
尹大統領の崩壊の原因として、奥さんの金建希(キム・コンヒ)絡みが2つあります。かなり影響力のある奥さんですか。
趙さん
そうです。ここでは2件か絡んでいないように見えますが、最初から最後まで金建希(キム・コンヒ)夫人が黒幕として存在はしていて、黒幕とも言えないです、前面に出て行動しているので。この金建希(キム・コンヒ)夫人は新興宗教とも言えない存在と接触して、税金で拝む場所を使っている部署を作ってしまいました。大統領を神様に託していくことが当たり前で、「それを止めなさい」と言われたら次の人物を探して新興宗教と連携していくということを重ねてきたので、そういうことも調査しなければいけならないと言われています。
質問者4
大統領が大統領府に閉じこもっていた時に、大統領支持派のたちがトランプのスローガを文字って「メイク・コーリア・ゲレイト・アゲイン」というような紙を出していましたが、政権支持派はトランプの真似をしているのか。
趙さん
トランプに憧れている支持者がいるのも事実です。
イスラエルの国旗もあります。何故星条旗を持っているのか、イスエルの国旗を持っているのかというと、本人たちも持たされて持っている可能性はありますが、まず反共イデオロギーを支持しているということで、保守で続いてきた精神ということもあって反共イデオロギーなので「赤」は駄目、「赤」は殺すべきという認識を支持している人物が実際にいます。そういうことをサポートする人たちももちろんいますが、支持者たちは報酬を貰ってこれに参加することが明らかになりました。1日いくら、1時間いくらを貰って動員されていて、年齢としては高齢者の方が多かったですが、今回は20~30代の男性、女性は少ないですが、男性たちが動員されました。その原因は極右ユ-チューブのチャンネルを作った人たちが20~30代の男性が多いので、そういう背景があります。
質問者5
「非常戒厳」が発令された時のメディアの関わり方はどういうものがあったのか。
趙さん
「非常戒厳」が発令された時、レガシーメディアの場合は、今どういうことが起きているのかということを辿っていくことでした。内容の浅さがあったので、やはりユーチューブ、特に進歩派、左派を自称するユーチューブのニュースが生中継でずっと状況を伝えていました。実際にそれを視聴している人数がレガシーメディアの視聴率を超えていたので、かなりみんなそれに集中して、レガシーメディアを信頼しなくなっていることの証明でもありました。だから「非常戒厳」の情報は一般市民でも詳しく知ってしまっている。更に「憲法とは何か」ということまで興味を持たせて、みんな勉強し始めています。
(終)
【『ただいまリハビリ中 ガザ虐殺を怒る日々』の紹介】
重信房子さんの新刊本です!
『ただいまリハビリ中 ガザ虐殺を怒る日々』(創出版)2024年12月20日刊行
本体:1870円(税込)
「創出版」のリンクはこちらです。
昔、元日本赤軍最高幹部としてパレスチナに渡り、その後の投獄を含めて50年ぶりに市民社会に復帰。見るもの聞くもの初めてで、パッケージの開け方から初体験という著者がこの2年間、どんな生活を送って何を感じたか。50年ぶりに盆踊りに参加したといった話でつづられる読み物として楽しめる本です。しかもこの1年間のガザ虐殺については、著者ならではの記述になっています。元革命家の「今浦島」生活という独特の内容と、今話題になっているガザの問題という、2つのテーマをもったユニークな本です。
目次
はじめに
序章 50年ぶりの市民生活
第1章 出所後の生活
53年ぶりの反戦市民集会/関西での再会と初の歌会/小学校の校庭で/52年ぶりの巷の師走/戦うパレスチナの友人たち/リハビリの春
第2章 パレスチナ情勢
救援連絡センター総会に参加して/再び5月を迎えて/リッダ闘争51周年記念集会/お墓参り/短歌・月光塾合評会で/リビアの洪水
第3章 ガザの虐殺
殺すな!今こそパレスチナ・イスラエル問題の解決を!/これは戦争ではなく第二のナクバ・民族浄化/パレスチナ人民連帯国際デー/新年を迎えて/ネタニヤフ首相のラファ地上攻撃宣言に抗して/国際女性の日に/断食月(ラマダン)に/イスラエルのジェノサイド/パレスチナでの集団虐殺/パレスチナに平和を!
特別篇 獄中日記より
大阪医療刑務所での初めてのがん手術[2008年12月~10年2月]
大腸に新たな腫瘍が見つかった[2016年2月~4月]
約1年前から行われた出所への準備[2021年7月~22年5月]
【『新左翼・過激派全書』の紹介】
ー1968年以降から現在までー
好評につき3刷決定!
有坂賢吾著 定価4,950円(税込み)
作品社 2024年10月31日刊行
「模索舎」のリンクはこちらです。
https://mosakusha.com/?p=9289
(作品社サイトより)
かつて盛んであった学生運動と過激派セクト。
【内容】
中核派、革マル派、ブント、解放派、連合赤軍……って何?
かつて、盛んであった、学生運動と過激な運動。本書は、詳細にもろもろ党派ごとに紹介する書籍である。あるセクトがいつ結成され、どうして分裂し、その後、どう改称し・消滅していったのか。「運動」など全く経験したことがない1991年(平成)生まれの視点から収集された次世代への歴史と記憶(アーカイブ)である。
貴重な資料を駆使し解説する決定版
ココでしか見られない口絵+写真+資料、数百点以上収録
《本書の特徴》
・あくまでも平成生まれの、どの組織ともしがらみがない著者の立場からの記述。
・「総合的、俯瞰的」新左翼党派の基本的な情報を完全収録。
・また著者のこだわりとして、写真や図版を多く用い、機関紙誌についても題字や書影など視覚的な史料を豊富に掲載することにも重きを置いた。
・さらに主要な声明や規約などもなるべく収録し、資料集としての機能も持たせようと試みた。
・もちろん貴重なヘルメット、図版なども大々的に収録!
【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。
●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。
【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は4月11日(金)に更新予定です。