今回のブログは、『週刊アンポ』第6号(1970.1.6)及び第9号(1970.3.9)に掲載された「闘う中学生」の記事である。
1969年から70年にかけて、東大・日大闘争を契機として全国の大学や高校で学園闘争が闘われた。この時期、大学生や高校生だけでなく、中学生も闘争に参加していた。当時、デモや集会で「闘う中学生」の姿を見かけた記憶はないが、例えば、現世田谷区長の保坂展人氏が麹町中全共闘として活動していたことはよく知られている。




【この人と語る 全国闘う中学生連帯】『週刊アンポ』第6号(1970.1.6)
●Kさんの場合
今回は「週刊アンポ」4号の「私はやるから君もやれ」に投書(注)がのっていた「闘う中学生連帯」のとてもかわいらしい女の子です。ミニ・スカートをはき、美しい色にぬり分けたヘルメットをかぶり、安保フンサイと書いた白い日がさを持ってベ平連のデモ行動の先頭の方を歩いているのをインタビューしてみました。ただ残念ながらこのインタビューとシュプレヒコールの中で行われた話の主人公の名前と、そのチャーミングな顔写真をここにのせることはできません。その理由はインタビユーの中に出て来ます。
―いくつですか。
K 14歳です。
― こういう風にデモに来ているのを家の人は知っているの。
K わかったら、かんどう。プチ・ブルジョアだから。家を追い出される。
― そうしたら、どうするの。
K アンポ社に、泣きつくわ(笑い)
― どういうキッカケからデモに来るようになったの。
K 文化祭で、学生運動なんかの研究をしたの。それから、この方が正しいと思うの。
― これから、 どうしていきたい?
K 中学生には場所かないの。機会もない。反戦とか平和とか考えてしゃべっているけれど、一人でいる中学生のために、集まれるグループを作っっていきたい。だから右翼がいても、左翼がいてもいいの。その中で恋愛もやるわ。
― さっきタバコをすっていたけれど。
あそびみたいな、マネ。
― おそるべき子供たちだなー。
K 子供じゃないと思うわ。
― 親の生き方なんかを、どう思う。
K 反対だわ。
― 女の子が多いようだけれど。
K 中学生の時は、まだ女の子の方が強いのよ。高校ぐらいから男の子の方が強くなる。そういう風に解釈してよ。
― ぼくたちが中学生のころは、とても考えられないようなことだけど、今でも、やはり大部分はノン・ポリでしょう。
K みんな考えているんだけれども、きっかけもないし、こわいし、受験というのもあるし、行動か起こせないのだと思うわ。でも、かなりいるわよ。何かしている人、しようとしている人、こういうデモの中には、何か新鮮な人間らしさみたいなものがあるでしょう。私なんかクラスでしゃべると、そういうのが、うらやましいしい、そういう気持ちで話を聞いてくれる人は、たくさんいるわ。
― 雑誌なんかどんなものを読むの。
K 「少年マガジン」とか「ティーン・ルック」「ガロ」「朝日ジャーナル」それから、親愛なる「週刊アンポ」。私たち普通の中学生の女の子だと思うわ。みんなと映画にいったり、だいたい普通の14歳の女の子がさわぐものに、夢中になるわ。特別じゃない。
― 定期的に集まってる?
K 別にないわ。ベ平連のデモにまとまって出るようにしているの。それからあとは、個人的に集まる。勉強会なんかは、時々やっているわ。
― 高校生とか大学生とかの組織とは、関係ないの。
K 私たちは、そういうのに感化されたくないの。自主的にやっていくわ。
― 運動の中から、何を作り出していきたい?
K やっはり、人間性を見出していくのかな。本当の自分をそういう中で見つけて、 知りたいのね。つまらないの。家とか学校とか、友たちとか。はやり言葉で言えば、断絶かなー。親かすごいの。バレたらどうしようかと思うわ。
― 無理しないで、 出来るだけかんばってください。
(注)『週刊アンポ』第4号 (1969年12月29日発行)
「私はやるから君もやれ」
中学生 集まれ!
ぼくたちの組には、現在のテキスト中心主義にあきたらぬ人間が集まったのでしょう。5月ころから「やらなきゃならぬ」的ふんいきになってきて、6月、とうとう「砦の囚人」と題する雑誌を創刊し、そうとういいたいころを書きました。
たとえば「選挙権をもっとはやくもちたい」「反動的オヤジと進歩的ムスコ」とか「先生もっと自由にさせて」など・・・。これをガリ版で100部くらい刷って全学年に配りました。反響は思ったほどありませんでした。
しかし、いままで黙認していた諸先生もこのころになって腰を上げたのです。「砦の囚人制作会」のメンバーを呼び出した先生は「学内外から『あのような偏向的思想を持つグループを認めてよいのか』という意見が出てきているので・・・」ときりだしたので、ぼくらは、そのような反動的な者こそ排斥すべきではないかとしゃべりまくり、その結果「まあしかし問題があるので保留とすることにしましょう」となってしまいました。
しばらくは、このことを忘れかけていたぼくたちも、10月の会議で「砦の囚人」第3号をつくるということが決議され、先生のところにもちかけました。今まで比較的柔軟だった先生も、今度は次のごとくお説教なさいました。
「君たちの年代は、すぐ影響されやすいね。いままで私も黙ってみてきたけれど、少し君たちは、かたよった見方しかできなくなってしまったと思われる点があるね。にう少し大きく世の中をみたら、のびのびと。
雑誌は今まで君たちだけが書いていたけれども、そうじゃなくして学級みんなの詩なりなんなりをのせるようにしたら。そう学級文集になさい。それから『砦の囚人』なんていう題はダメよ。何しろ、はば広いものにしてね。反戦なんかに固まらないでね」
ぼくたちは
「先生のおっしゃる、いわゆる学級文集というものにあきたらないから『砦の囚人』を作ったんです。先生が衛生無害な娯楽雑誌を好むのなら、それは結構です。しかしなぜぼくたちにそれを強制できるんですか」と反論した。
その結果、親に電話がありました。ぼくらは、よく勉強し、よくあそび、よたべ、よく寝て、余計なことはせずに中学生らしく標準的で平凡にとどまっていればよいのでしょうか。中学生がおたがいに連絡しあってグループを作りたいと思っています。
【造反中学生との対話】『週刊アンポ』第9号(1970.3.9)
去年の秋ごろから、さまざまな形で中学生の運動への参加がめだってきています。ベ平連の定例デモにも、毎回30人から50人の中学生の参加があります。彼らは、いったい何を感じ、何を考えているのか。「週刊アンポ」編集部は、その中のもっとも戦闘的だと思われる中学生たちに数回にわたってインタビューをおこない、まとめてみました。ここにあらわれている彼らの感じ方、考え方が、運動に積極的に加わっている中学生全体の、最大公約数的なものとは思っていません。またもちろん、運動にまったく関係していない一般的中学生からも、飛びはなれているかもしれません。しかし、彼らの発言のいくつかの部分が、現在の体制、教育を鋭くついていることもまた事実だと思います。
― 何年生まれですか。
A 昭和29年生まれ。
B 昭和29年生まれです。
C 昭和31年。
― そうすると、 安保の年は、何をしていたのだろうか。
A 何をするにも、まだ小学校へ行っていなかった。安保反対と自分で言ったのをおぼえている。
C ぼくの家は、特殊だと思う。親父がいわゆる新左翼関係なんだ。映画の仕事をしていて。もう60歳近いんだ。
B ぼくは、何もわからなかった。
― 67年10月というのは、何年生だったの。
A 中一だった。テレビ見て、新聞見ていた。
C テレビを見ていて、全学連って悪いことするんだねって言ったら、そうかなって言われたのを、おぼえている。それで、うちの家はほかの家と少しちがうのじゃないかと初めて意識した。
B あまり、ぼくには記憶ない。
A なにも知らされていなかったから。そのあと、イントレピッドの4人の脱走とか、佐世保へのエンタープライズ入港なんていうのがあったけど。
B ばくぜんと、学生の方が正しいのじゃないかな、とは思っていたけど、学校へ行ったら、忘れちゃう。
― 先生は、何か言ったかな、そういう事件について。家では、話題になったの?
A 何にもならなかった。
C ぼくは、家では、その話ばかり。
― おととしの10・21の時は。
A ぼくは中学校で写真をうつしに行こうと思ったのだけれど、親にとめられた。あぶないからと言って。
― 本なんか、読む。小説なんか。
B あまり読まない。
A なんといっても、ぼくは、 安田ショックだと思う。ぼくは、バリの中へ写真を撮りに行こうと思ったけど、読売の事件があったでしょ、だから写真機もってうつしていたら、リンチ受けるんじゃないか、だからやめてくれって。それで行けなくて、1月の18・19日とテレビにかじりついて見ていた。あれを見て、いろいろ考えるようになった。学校へ行つても話すようになったし。
ー 反響はあった。
A なかったな。みんなおもしろ半分で見ていた感じで。
B あの時うちの兄きが高三だったからおふくろなんかが、こんな闘争なんか起してもらいたくない、とかなんとか。
普通の生活って何ですか
― どうして運動をするようになったんだい?
A どうしてといっても。そうだなあ、最初はホームルームで先生と口論したのがキッカケかな。
ホームルームというのは、みんなで話し合いをする時間でしょう。それなのに教師が勝手に自分たちに都合のいいように使うので、そのことに抗議した。映画なんかやるので、途中で電灯をつけて、話し合いを始めたり、でも教師に外へつれ出された。そういうことがたびたびあった。
いろんな問題について、前から疑問に思っていたから、ホーム・ルームだけがキッカケじゃないみたいな感じ。
― いろんな問題って具体的にどんな問題なの?
そうだな。おれんとこの学校なんかじゃ、文化祭の発表なんかで、沖縄問題なんかを取りあげると、先公がああだこうだと干渉するんだ。おれなんかが、本を読んで調べたことが、ちょっと“政治的”だとつぶされちゃうんだ。もし発表できたとしても、”帝国主義”なんていう、単語がでてくると、スッ飛んできて、撤回を要求するんだ。
F 同じようなこと、ぼくらの学校でもあったんだ。それで、先生に「どうしてですか?」って聞くと、「君たちは、まだ勉強がたりない」なんていう。一生懸命調べたのに・・・。だけど、海外旅行のことや、理科の実験発表みたいなのは、なんにも文句をつけないどころか、逆に「彼らを、みならえ」なんていう。
E わたしのとこは、みんなの逆なの。「学生運動」のことをやるって、先生のところに言いにいったら。「おもしろいからやりなさい。先生も協力するから」っていうの。なんていったらいいかしら・・・先生となれあいになってしまっていて、今のなんとなくフワフワしたプチブル的生活をかえりみないで、バカみたいな人間になってしまったみたい。
― Eさんば、女子中学なんでしょ。運動をはじめた動機はなんなの。
E 運動をやっているとは言えないわ。でも、なんかしなければいけないと思ったのは、ベ平連に刺激されてからね。
わたし、どうしたらいいのかわからないのよ。なんとなく中学校生活に不満なの。ボヤーとしていて、みんな大人―先生や親に吸いとられていく感じなんだなあ。だから、反発でやっている感じもあるわ。
B ぼくは、沖縄だな、最初すごく「かわいそうだな」と思ったんだ。同じ民族として、返還の必要を感じたんだ、中学の頃だった。それから、去年の4月頃から新宿西口のフォーク集会にもいっていたんだ。5月17日だったかな。機動隊か来た時、なんか割りきれないものを感じたんだ。それから7月20日の週刊アンポのデモに行ったんだけど、すごく「無駄だな」という気がして、ベ平連の集会には行かなくなった。ベ平連というよりデモや集会にかもしれないな。その後11月の末までデモに行かなかったんだけど、11月闘争をみててやっぱりシックリこなかったんだ。学校では今までも何もしていないし、おとなしくしているけれどね。
今年の1月に入ってから反戦高協の人達と一緒に読書会をやったんだけど、そこでも、セクトだけで、運動はできないという気がしてきたんだ。
― 一体、君たちは、どんな中学校教育を受けているの。
A 質問の意味がよくわからないけど、ベ平連のバッヂなんかをつけていると、担任にとりあげられちゃうんだ。
D ポスターや集会については、校長の検閲許可が必要なんだ。
A 西口のフォーク集会ソノ・シートを持ってきて歌を唱ったり、ギターを弾いていると「やめろ」という。「なんでやめる必要があるのか」と言うと、「話し合おう」とか「まじめにやれ」とまるでトンチンカンな返事がもどってくる。まじめにやれとかなんとかいうので、「まじめにやるということはどうすることなのか」と聞くと、「普通の生活をしろ、君のために言っているんだ」。
じゃあ、「普通の生活ってどんなんですか」と返すと、「変なバッヂをつけたり、歌を唱わないことだ」という。「おれたちは、まじめにバッヂをつけているし唱っているんだ」というと、「なまいきだ」ということになる。
親も話せば変るか?
― 親とか、家族との関係はどうなのですか。
B うちの親父は無口だから、しゃべらない。
A 今は、もうあまり言わない。いろいろ派手にやったから。おふくろは、家の中をあまりごちゃごちゃにしないでくれとか。
― いろいろ派手にやったって何をやったの。
A ごはん食べるのを拒否したり。うちの親父はアメ帝だから、良心のかしゃくを感じて、やだって。単純だけれと。そしたら体に悪いから食べてくれって。
B いいな、うちなんかすぐ出ていけって言う。
― 会社をやめろと言うつもりなのか。
A やめろとはいわないけど、アメリカ系の大会社だから、抗議行動なんだ。親父と話し合ったのだけれど、親父は学歴もないし、やめたら食っていけない。それに自分の会社は、戦争目的のための製品を作っているだけじゃないと言うんだ。バリもやった。ぼくの部屋の戸につくえとかイスをたてかけて、針金でしばって。
― なぜ。
A ぼくの部屋に勝手に入って手紙とかいろんなものを調べるから。夜中にまどから出入した。秋ごろだったけど。そのころから、学校へ行っていないんだ。
― 何.をやっていたの、部屋の中で。
A 本を読んでいた。アナーキズムの本とか、マルクスの本とか、それに、少年サンデー。
― それで今、お金どうしているの。
A やるなら徹底的にやれって親父が言うから。
― 少し甘くないのかな。働くということは考えていないの。
A ぼくも労働戦線に入ろうと思って考えてみたんだけれど、それだけの力量はないし。
― あなたの方は、どうですか。
B 一応いろんなことやっているの知っているらしいけれど、ようするに学校へ行って勉強して家にまじめに帰れば、文句は言われない。
― 家では、そういう話そんなにしないわけ。
B するけども、母親が私立高校の教師だから、やっぱり学生は勉強しろとか、運動するのは、なまけ心があるからだとか言う。たまに、親も話せばわかると思って話しても、あまり反響はないな。でも一応、かんしょうはないから。
革命について語る・・・
― 君たちの運動は、最終的に何を目ざしているのか。
A 人間解放だな。一番最後の目的は。
― それば、どういうことなんだ。具体的に言葉にしてみれば。
A 利害なしの教育、労働に対してそれにひってきするお金がもらえる。
― 革命をめざしているのだと思うのだけれど、それは起きるのだろうか。
C 起さなくちゃいけない。
B どうやってやるのかい。
D 今まで以上にきびしい規律―「革命の鉄槌」みたいなもので、労働者階級の再編をして・・・。
― 矛盾しているんじゃないの。さっきまでいってたことと。
G だから、そのぼくらは、いろんな不自由のなかで生きているから、自分をたもてないわけですよ。自分のなかで欲しいと思う規則のなかでこそ、本当に自由にやっていけるんじゃないですか。今、ぼくらのまわりにある規律は、与えられたものとしてあるし、それを無批判にとらえることにこそ問題があるんだと思います。
― もっと一般的に聞くと、どんな人が好き?
H 誠実な人間―自己に忠実であるといった意味での“誠実”な人が好きです。でも、いわゆる“まじめ”人間ってイヤーネ。自己に忠実である人って、すごく革命のニオイがして索敵だと思います。どういう風にいったらいいのかわかんないんだけど、エゴを、全体のエゴとして高めることが革命運動だっていう気がするの。エゴって汚い感じじゃない。自分のためにっていう意識ね。でも、汚いからこそ美しいんだと思う。
― どうして、革命を起こさなくちゃならないのか。
C 今、世界には、支配と被支配があるわけでしょう。そういう階級的対立があっては、いけない。
― 他人事として言っているように感じられるけれど、自分自身にとって、革命というのは、どういう意味か。少し公式的な感じがするな。
あなたたちは、やはり労働者の武装ということを考えているのか。
A 彼らか力を持って弾圧してくるのなら、力でもって押し返えさなくてはならないと思う。
― あなたたちも銃を持つのか。
A 銃なら女子供でも打てる。
― なるほどね。ところでどんなことを、クラスー般の生徒は話しているの。
A だいたい、ふつうの中学生の男が話していることといったら、ロックのこととか、女の子のこと、ファッションのことクルマのことぐらいだな。
親と子の最低限の関係
― 中学生は、肉体的にも精神的にもまだ子供だ。政治運動するのは、まだ早すぎると.言われたら、何と答えるのか。
B 一人の人間としてやっているのだから、大人も子供もない、と思う。
A ようするに、そういう人の言う勉強とは、何なんだろうか。高校へ入るための、大学へ入るための勉強なんだ。
― 運動を始めてから、成績はどうなっている。
B いく分、落ち気味だな。
C うちの親父によれば、中学生の時は、一応学校の勉強をやっておけば、基本的な学力は身につくというんだ。
A それなら、学校へ行かなくても出来る。
― 高校へ入るのは、高校で運動するためか。
A そうです。
― 教育というものは、必要ないとは思わないでしょう。
A 今の教育制度に、まったく幻想はないけれど、教育というのは必要だと思う。
― 勉強とは、何なのだろうか。語学の勉強なんかちゃんとした方がいいのじゃないか。
A 語学は、ちゃんとやりたいと思っているな。
C ぼくは、高校へ行こうと思っていない。家では行けというけれど。働きたい。
― 君たちは、やはり家によって保護されているわけなんだと思うのだけれど。
A 親と子という関係において、それは最低限の関係だと思う。親がそういうものをしなくなったら、それは親が、親と子の最低限の関係を自分から放棄したものだと思う。
― 親があなたにお金をくれたり、世話をしてくれるのに、当然だと思うの。
B ぼくは当然だとは思わない。自分自身つまり親を食っているんだと思う。一面では、親を食っているのだけれど、やっぱり自分が真に人間らしく生きたいと思っているから、しかたがないと思う。
― 親は本当に心から心配しているんだと思うけれど、そのことに関して、どう思う。すまない、悪いと思うか。
A 悪いことをしているとは思わないけれど、そういう考え方でいくとぼくたちは、今ある体制の中に生きているのだから、こういう運動をしていればすべてに「すまない」ということになって、川に身を投げて死ななくてはならなくなる。
― かせいでもいないくせに、たいした知識もないくせに、大きなことを言うなと言うわけだ。親は。
A だけど、親がもしお金を出すのがいやなら、ぼくとしては働く。
― だけど親としては、金ださないと君が働かなくちゃならないというし、それは、かわいそうだから。
A それは、矛盾でナンセンスだ。
B 当然、ぼくらは、それを利用して闘争を有利にしたい。
― 利用するだけか。それだけか。自分が親の立場に身を置いてみたことなんかは、ないの。
B 当然ある。自分としては、もしぼくが親になったら、闘争している者の足はひっぱりたくない。
ー しかし、今のところ本当は足をひっぱっていると同時に、ずい分、君たちは、それを利用すると言っているけれど、それは、単なる甘えかもしれないよ。
(終)
【お知らせ その1】
●1968-70全国学園闘争「図書館」
1968年から1970年を中心とした全国学園闘争の資料を掲載したサイトです。
全共闘機関紙や全国26大学の大学新聞などを掲載しています。
●新左翼党派機関紙・冊子
1968年から1970年を中心とした新左翼党派の機関紙と冊子を掲載したサイトです。
【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は2026年1月30日(金)に更新予定です。












