野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

このブログでは「1968-1969全国学園闘争の記録」をシリーズとして掲載してきたが、今回はほとんど知られていない国立図書館短期大学の闘争の記録を掲載する。そのため、タイトルを「知られざる学園闘争」とした。
『構造』1971年4月号に掲載された「戦線から」と、『朝日ジャーナル』1979年4月27日号に掲載された「300万人の大学」の記事である。
『構造』に記事には1970年から1971年にかけての闘争の経緯が書かれている。また、『朝日ジャーナル』には、1979年の筑波移転直前の学内の状況や学生たちの声が書かれている。『構造』の記事を補完する意味で、こちらも読んでいただきたい。
なお、図書館短期大学は、1979年につくば市に移転し、四年制の図書館情報大学となった。その後、2002年に筑波大学と合併、2004年に筑波大学と完全に統合されている。
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【『構造』1971年4月号】
「戦線から」
職人監獄に屈伏するな
国立図書館短期大学学生自治会自治委員会
●図書館短大とは
昭和39年、旧文部省図書館職員養成所を引きついで、わが国唯一の国立図書館員養成機関として設立された。在籍者数250名たらず、その9割以上が女子の“ミニ短大”、典型的な短期大学である。全国各地の大学・各地方公共団体の図書館職員のなかには、図書館短大(旧養成所)出身者が必ずといってよいほど中堅となって活動している。元教科書調査官(社会科担当)の太田和彦を学長とする図書館短大は、わが国の脆弱な図書館行政のなかにおいて、時代に即した文献情報学科の新設、筑波移転に伴う四年制大学昇格の基礎固めに着々手をつけている。
こういう“ミニ短大"で<処分>が下されたのは昨年暮れのことであった。

●処分撤回闘争の経緯
昨年12月18日、無届で学生総会を開いたという理由によって2名の学生が<処分>された。1名は戒告、1名(自治会委貝長)は無期停学。<処分>を学生自治活動にたいする弾圧だと感じた学生は、ただちに総会を開き、休み前2日の授業をボイコットした。<処分>という形式を借りながらも、学園生活で感じとった不平・不満を徐々に吐き出しはじめた。逆にいうならば、<処分>というきわめて<暴力的形態> に遭遇しない限り、その不平・不満は外に現れなかった。それほど学内の<抑圧>体制は厳しかった。
冬休みの準備期間を経て、休み明けの1月8日から19日まで、学生は授業ボイコットを続け、20日から全学ストライキに突入した。きわめて小人数の短大であり、自治活動の積重ねが浅いという実情にふまえて、クラス会ー自治委貝会ー学生総会という運動サイクルが忠実にたどられた。その限りにおいて学生は団結し、学生ー大学当局という対決構図は明確であった。各処で教官追求の輪が広がっていった。学生総会は“壮大な井戸端会議”の観を呈したものの、学生生活をみずからで統括する力能を、学生はしだいに養いはじめた。怒りは広がり、1月20日、学園生活に潜在していた学生の自主的活動を全面的に開花させるため、大衆的意志確認のもとに全学ストラィキに突入した。だがストラィキ突入2日にして、当局は68ー69年の学園闘争を教訓化しつつ即座に検問・ロックアウト体制をしてこれに応えた。同時に教職員一体となった留年・就職などによる学生への個人的恫喝、父母への働きかけによる闕争の分断、切崩しを策した。幻想的「信頼感」を学生によって容赦なく剥ぎ取られた教官は、もともと知的統治能力など爪の垢ほども持ちあわせていないため、「教育する」ことを「授業する」ことにすり替えて一般学生にたいする強権的抑圧にころげこむことになる。
正門前で2週問あまり坐り込みを続けた学生は、積み重なる疲労感と恐怖、さらにはロックアウトによって活動場面を奪われ、当局―個人の対決構図をしいられて、検問体制下の学内に入らざるをえなくなった。
こうして、学生自身の手による学生生活の開拓は、その萌芽形態をみせながらも、運動体としては休止を余儀なくされている。

●団体更新届と学園の<秩序>
不当処分の発端は、団体更新届なるものを提出しない学生自治会の総会が、「本学の秩序を著しく乱した」ことにある。
団体更新届とは「諸規程」によれば、自治会をも含む団体が、名称、目的、加入者の資格、人数、顧問、指導教官の署名印、責任者の氏名、連絡先等の事項を所定の用紙に記入し、会則、会員名簿、年間事業計画を添えて教務補導係(!)まで提出することである。
この届を提出しなければ当該団体は「解散されたもの」と看され、部室の立ち退き命令が出される。反抗すればその団体は「本学の目的に反し、本学の秩序を乱す活動」だとして「活動の停止または解散」の憂目にあう。先頭に立つ個人に対しては「本学の規則に違反し、また学生の本分に反する行為」として<処分暴力>が発動される。この<学内版治安維持条項>で「学内秩序」は強権的に保たれてきた。
<処分暴力>は単に自治活動の直接的規制=弾圧にとどまらず、学生に活動の自主規制を強要する。更に自主規制を日常的に反覆させ、自主規制を無自覚化し、それを生活秩序化させる。この状態を保証するのは<学内版治安維持条項>による「合法性」しかない。
「合法性」を「正当性」と等置しようとする措置は、わが“ミニ短大”にまで浸透しているのである。否、小さな大学であればあるほど、こういう学内管理=抑圧体制はその典型的な姿を現すといえる。

●終りなき闘争とその方向
図書館短大における図書館学教育とは、いわばノウハウ的知識と技術の伝授であり、そのコッを集約すること以外の何物でもない。全学生は入学して1カ月もたたぬうちに、これを肌で感じることになる。
短大教育は2年という修業年限によって下級(中級)技術者養成機関という性格を刻印されている。技術を技術としてのみ伝授し、他方ではこれをテコとして将来的な労働規律ー労働秩序を習得させる場処こそが短期大学なのだ。学生はいちはやくこれを見抜いた。
「不当処分撤回、団体更新届拒否、学内管理体制粉砕」のスローガンを掲げた運動はその証左である。だが運動は圧段された。しかし闘争はその火を消していない。多数派の運動から少数派の闘争へと局面は移行した。学内情勢はきわめて厳しい。誓約書検問体制のもとで「①授業以外のことは行なわない②学内規則にしたがう③歌やシュプレヒコールをしない④教職員に質問するときは学年・氏名を言ってからにする」という「四つの願い」が学生に押しつけられている。クラス討論すら集会届を必要とされる状況である。
だが闘いの炎は消えていない。運動の過程で噴出した問題点―自治活動の意義、大学(短大)の在り方、図書館学(教育)、図書館と図書労働者などーをめぐって議論がたたかわされている。このなかから、図書館労働者の闘う組織体(青図連=青年図書館労働者連合・仮称)の構想もうまれてきた。
学内では現在、少数の突出した闘いが闘争委員会によって果敢に展開されている。現実がかかえた問題を運動として再興する執拗な試みがなされている。
「職人監獄に屈服するな!」これが終りなき闘いを闘うものの合い言葉である。
(2月10日)

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【『朝日ジャーナル』1979年4月27日号】(抜粋)
「300万人の大学」
関 千枝子(フリータイター、金沢区の公共図書館をつくる会=横浜市)
図書館短期大学 新しい時代の司書像を模索
1

とにかく静かなのである。学生数の少ない学佼ではあるけれど、ともかくも全学280人が、学内にいるはずなのだが、校舎中が静まりかえっている。植え込みのある小ぢんまりした前庭にも、玄関にも、奥の校庭にも、人っ子一人、影も見ぇない。
(中略)
図書館短大の前身は1921 (大正10)年に設立された図書館員教習所である。さまざまの改編、名称変更があったが、上野の帝国図書館の中で、長年、司書養成につとめてきた。
短大になってから14年、今年の入学者を最後に幕を閉じ、来年からは図書館情報大学といぅ四年制の大学に変身、場所も筑波学園都市に移ることになっている。

●変わりゆく図書館のイメージ
(中略)
しかし近ごろは日本でも、市民の図書館要求が高まり、図書館に対するイメージも急激に変わりつつある。いかめしい、入りにくい、学生の受験勉強の場、といったものから、買い物の行きかえりにゲタばきで気軽に訪れて本を借りてくるところに。そうした公共図書館に対する認識の変化が、司書の養成機関である大学の司書教育のあり方にどう反映しているのかが、私には興味があった。
一般の大学でも他の専攻のかたわら司書の資格がとれるコースを設けているところは少なくない。が、図書館学が専門の学科となっているのは慶応大学文学部の図書館情報学科とここの2校だけ。
"図書館学"を専攻するのと、一般の教養を積んでその上に図書館学を学ぶのと、公共図書館員の場合、どちらが有利なのか。諸外国では、人学卒の人が大学院で司書学を修めるという制度が多いと聞いている。本来、司書の権威からいえばこちらの方が望ましい。短大から四年制になるというのはこのあたりを考えてのことかーそんなことを考えながら、私は図書館短大を訪れた。
2

●勤勉で堅実な学生気質
教室を一目のぞいて、女子学生ばかりなのに驚いた。いま大学の文学部は9割方女子というが、ここもまったく女子王国である。この短大は図書館学科と文献情報学科に分かれ、あわせて1学年120人だが、2学年合計240人中男子はわずか11人。別に別科があり、他の大学、短大卒者が1年で司書資格をとれる。こちらは40人中男子15人と、まあまあパランスがとれている。
「昔は男子も結構いたんだが……」
講習所時代からの草分け的存在である服部金太郎教授は苦笑した。「いまどき、短大じゃあ、男子は受けにも来ませんよ。仕事の内容が女子にとって魅力がある、ということはありますが・・・」
服部氏は、自身、講習所の卒業生でもある。この学校への愛着は強い。「文部省所管の“司書養成所"の時代、ここはなかなか進歩的な面を持っていた。スター卜の最初から、当時では珍しい男女共学です。はじめはワクを作り人員の1割強でしたか、女子をとりました。ですから、女子の競争率は高く、優秀な人材が来た。明治天皇のひ孫とか、社会主義者の娘とか、面白い人がいた」
現在のここの女子学生気質を服部教授や、細井事務部長は「勤勉、真面目、おとなしい」といった。全員、働くための資格、手に職を求めてやってくる。年によってかなりの差はあるが、大体6~7倍の志願者の中から選ばれた学生であり、花嫁修業などという甘い考えの人はおらず、百パーセント就職希望。そのあたり、ふつうの"女子短大"とはまるで肌合いがちがう。生徒の家庭は中流の下、といったところで公立高出身者が大部分。私立高卒業者は少ない。大金持ちの子弟はまあいない。出身は東京だけでなく全国に分布しているが、関西方面出身者だけが少なく、これは関西方面に司書資格がとれる大学や女子短大が多いためだろう。服部氏は、地方の出身者には名門進学校の卒業生も多い、といい、地方の一流大学にパスしながら、女子では就職のチャンスが少ないと見て1年で中退して図書館短大に入り司書資格を武器に、かつて自分が中退した地方大学の図書館に勤めたという女子学生の話をしてくれた。
こうした堅実無比の考え方の上に、おとなしい。細井氏は「学校には学生会、自治会というものもなく、かの大学紛争のころも、無縁であった。あるのはクラブだけ」といった。話を聞けば聞くほど管理しやすい、大学当局としてはまことに楽な学生たちのようである。
就職状況も大変よろしい。毎平、3月には決まらなくても、6月ころまでには大体全部さばける。不思議なことには公共図書館が少なく、大学図書館、専門図書館や企業の調査室、資料室が多い。
(中略)

●来年度から四年制大学へ
(中略)
大学の熱意はいまや、来年度発足する四年制の大学へ注がれているようである。来年4月、新構想の「図書館情報大学」は筑波学園都市でスタートする。図書館短大から図書館情報大学へ。情報の二字は単なる挿入でなく、新大学の理念のようである。78年7月に創設準備委員会が出した新大学の構想についてのパンフレット冒頭で、
「現代における激しい社会変動、科学技術の進展などは、通信交通手段の発達、コンピューター等による情報処理技術の高度化と相まって、情報の生産と流通を飛躍的にさせ・・・、情報の処理と選択を欠くことのできない要件とするに至つた・・・」とある。
データ処理、コンピューター、ソフトウエアなどの講座の量がふえ、従来の図書館科のイメージが文科系統的色彩が強いのに対し、理工科系的なイメージである。新大学になると図書館学科、文献情報学科の別はなくなり、図書館情報科一科(定員120人)だけ。調査マン養成の色が濃くなり、図書館の司書を育てる大学というイメージがますます薄れはしないか、という危惧が生まれる。
(中略)
3

●ユニークな編入学制度
非常にユニークと思われる制度もある。三年に編入制度(定員20人)。他大学に入ってから進路を変更したくなったり、あるいは"図書館情報"という新しい分野の仕事があることに気づいた人のためのものだ。現在の別科制度は、特設課程として残し約30人を受けいれるが、資格は大学卒以上。
(中略)
こうした改変―消えて行く短大を、一体学生たちはどう受けとっているのだろう。自治会もないというこの学生たちは素直に受けいれているのだろうか?別の日に、学生たちの話を聞いてみようと、昼休みをねらってもう一度訪れてみた。
あいかわらず正門前は無人だったが、校庭(大学のキャンパスにこの言葉は多少ひっかかる。が、図書館短大における限り、この言葉以外に適切な言葉が見あたらない)に人かげが見えた!のぞくと職貝らしい人が2人キャッチボールをしているだけ。入り口のホールは、おそらく昔は付属小の児童の下駄箱置き場であろう。広々としたスベースの壁に、幾枚かの学生の手になるらしいポスターやビラが張ってあった。ようやく大学らしい雰囲気を見た。
その中に1枚「筑波の実態」とあった。筑波大の厳しい学生管理の状態をつづったものだが、よく見れば何のことはない、『朝日新聞』に掲載されたルボ記事をそのまま写したもので、独自のコメントは一字もない。掲載責任については、ただ「学生有志」とあった。これだけの掲示が、この静かな大学の中ではひどく先鋭に見えた。
ちょうど通りかかった女子学生をよびとめると、「ここでは何ですから」と空き部屋に招きいれてくれた。どこからともなく、6、7人女子学生が集まってきた。
「自治会もない? おとなしい?とんでもない。以前はちゃんとあったんです。筑波移転への反対運動の中で、みんなつぶされたんです」
「四年制への移行は賛成者が多いけど、筑波はみんな反対ですよ」「だいたい、なんで筑波へ行かなきゃならないの?」「人間社会から隔離されて、筑波大生と一緒に選挙違反するためでしょう」。一人がまぜっ返して、大笑いとなった。
「私は四年制にも反対なんです。なぜ私がこの学校に来たか。一日も早く何かの資格が取れ、しかも月謝が安いところ、といえば、国立の短大であるここだったのです。もう一つつけ加えると、ここが自宅から通えるから。筑波で四年制だったら、私は行かない。いや、行けない」

●「図書館学」に議論する学生
「なぜ私がここに入ったかというと・・・」と別の一人がしゃべり始めた。「やはり、図書館のお姉さんになりたかったから。私の図書館のイメージは、公共図書館や地域文庫や学校図書館で培われたものだったんです。それがここに来て講義を聞いたら、そんな図書館のイメージがすっかりこわれてしまった」 「図書館学ってなんだろう?そんなものが学問としてあり得るだろうかって、毎日カンカンガクガク議論して・・・。でも、2年たったいま、もうその議論にも疲れたって感じ」
この短大の講義の何が、彼女たちの図書館に対するイメージをこわしてしまったのか、
「やさしい、図書館のお姉さんになりたいとあこがれていたのに、入学したら、何はどうあれ分類だけは覚えておけとか、図書館経営とか、技術的なものだけが講義の前面に押し出されている。それと市民を対象にする公共図書館は格が一段下で、専門図書館、大学図書館のほうが上、という感じがあって」
「ある教授の講義なんですけど、来館者の教養程度を何段階かにレベル分けしてね、図書館員は、そのレベルの上のほうから二番目くらいの層の要求に焦点をあわせろ、というの。まだ図書館のよさを知らない人に、本の楽しさをどう広げるかなどということは、ほとんど問題じゃないみたい」
「おかしな話だけどこの学校に入ってから、あなたのように市民運動で図書館づくりをやっている人に初めてお会いしたんです。つまり市民と私たちとは隔離されているんですね。夏休みになると司書資格を持たないで図書館などで働いている人が、資格をとるために短期の講習をうけに来ます。この人たちと交流会を持ちたいと申し出たら禁止されちゃった。
理由は、話にならないんです。講習に来る方は忙しい。疲れておいでだからって」
「これまたある教授の講義なんですけど、図書館員は中立でなければならないから、図書館づくりの住民運動をしている人とかかわりあってはいけないというんです」
司書の社会的地位の向上のためにも、四年制になることはいいんじゃない?と、水を向けてみたが、学生たちの反応は意外に冷たかった。
「そりゃあ私たち、公共図書館に入りたいですよ。でも公共図書館に入るには公務員試験をパスしなけりゃあならない。同じ試験を受けたら、私たち短大でしょう、四年制にどうしても歯がたちませんよ」
「うまく入りこめたところで、私たち本科生は一生図書館の下働き、別科生が、将来、館長さんになる人」
「同じ学内にいても、別科生は私たちに口をきいてもくれないものね」
学識の高い司書をつくるうえではよい制度と思える別科制度も、本科生からみると、身分差別以外の何ものでもないらしい。
「新しい図書館づくりということが、機械化ーコンピューターっていうことにだけ目が向けられているみたい」「コンピューター、コンピューターって熱に浮かされたみたいね」
講義内容への不満、新しい四年制大学の行き方への不満は、とどまるところを知らなかった。あるいは彼女らは、この学校にしてはラジカルな学生たちかもしれなかった。平均的な意見からは外れていたかもしれない。が、私は、これだけの批判を健康に言ってのける彼女らを見て少なからず安心した。若者らしい抗議も反発も疑問もなく、ひたすら勉強を覚えて、就職してからは上司のいうことばかりをよく聞き、市民とは"かかわりを持たない"人ばかりが図書館員となったら、困るのである。図書館は中立であると同時に自由であり、図書館員は"住民に奉仕"するものなのだから。
(中略)
4

●新大学への期待ととまどい
(中略)
どうやら新大学は図書館短大とは異質の、高度の調査マンや図書館幹部を育てる学校になりそうである。それも何となく、調査マンの割合がかなり多くなるような予感がする。現在の短大にしても、私の願望する“市民の図書館"の図書館員づくりとはかなりのギャッブがあるのだが。
私が期待していたのは、敏腕の、機械化にくわしい図書館管理者ではなく、立派な学識・専門知識と意見とをそなえ、豊かな人間性を持って住民に奉仕する図書館員を養成する大学だった。こんなねがいはかなえられるどころか、新大学になって、ますますちがいが強まるような気がする。
もっとも、新大学に入ってくる学生たちは、現在の短大生たちほどのすれちがいやとまどいさえも感じないかもしれない。現在の学生たちの多くが、多少なりとも"図書館のお姉さん"を夢見て入ってくるが、新大学にははじめからそんな学生はあまり来ないだろう。新大学構想のパンフレットを見ても、ただよってくるのは情報処理―機械の匂いばかりのように思える。
(終)

【『パレスチナ解放闘争史』の紹介】
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なぜジェノサイドを止められないのか? 
因縁の歴史を丁寧にさかのぼり占領と抵抗の歴史を読み解く。
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ガザの決起と、全世界注視の中で続くジェノサイド。
【内容目次】
第一部 アラブの目覚め――パレスチナ解放闘争へ(1916年~1994年)
第二部 オスロ合意――ジェノサイドに抗して(1994年~2024年)

『はたちの時代』の紹介】
重信房子さんの新刊本です。絶賛発売中!
『はたちの時代』(太田出版) 2023年6月16日刊行
はたちの時代

前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
後半は69年から72年までの赤軍派の時期のことが書かれています。
定価 2,860円(税込

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「あとはき」より
『ここに書かれた記録は、ごく日常的な私自身の身の回りで起こったことを率直に書き記したものです。その分、他の人が書けば全く違った関心角度から違った物語がこの時代のエピソードとして描かれることでしょう。私は獄に在って、何度か癌の手術を繰り返していました。生きて出られないことがあっても、支えてくれる旧友や、見ず知らずの方々にお礼を込めて、私の生き方、どんなふうに生きてきたのかを記録しておきたいと思ったのが、この記録の始まりです。私がどのように育ち、学生運動に関わり、パレスチナ解放闘争に参加しどう生きて来たのか、マスメデイアでステレオタイプに作り上げられた私ではなく、生身の私の思いや実情を説明しておきたくて当時を振り返りつつ記して来ました。獄中と言うのは、集中して文章を書くのに良いところで、ペンをとって自分と向き合うと過去を素直に見つめることが出来ます。楽しかった活動や誇りたいと思う良かった事も、間違いや恥かしい事や苦しかったことも、等しく価値ある人生であり私の財産だと教えられた気がします。(中略)どんなふうに戦い、どんな思いをもって力を尽くし、そして破れたのか、当時の何万という「世の中を良くしたい」と願った変革者の一人として、当時の何万と居た友人たちへの報告として読んでもらえたら嬉しいです。また当時を若い人にも知ってほしいし、この書がきっかけになって身近に実は居る祖父や祖母たちから「石のひとつやふたつ投げたんだよ」と語ってもらい、当時を聴きながら社会を知り変えるきっかけになれば、そんな嬉しいことはありません。
いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。


●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。


【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は10月25日(金)に更新予定です。

4月28日(日)、東京・中央区で「4.28反戦シンポジウム実行委員会」主催によるシンポジウムが以下の内容で開催された。

1

●司会・進行
 安田宏(元都立上野高校)、金廣志(元都立北園高校)
第1部
●シンポジウム登壇者
高橋順一(ドイツ・ヨーロッパ思想史研究者 早稲田大学名誉教授)
鵜飼哲(フランス現代思想・ジャック・デリダ研究者 一橋大学名誉教授)
ファビアン・カルパントラ(フランス人、映画研究者 、横浜国立大学准教授)
キム・ソンハ(韓国人、韓国徴兵拒否者らの亡命立案者)
三宅千晶(沖縄県那覇市生まれ 被爆三世 ドイツ・イタリアのNATO軍『米軍』基地調査報告書作成、弁護士)
第2部
●ディスカツション登壇者
<今現在、社会の各方面でアクティビストとして活動する若者たち>
白坂リサ(慶應義塾大学)、田中駿介(東京大学大学院)、山本大貴(慶應義塾大学)
<1960年代ベトナム反戦運動の中心的活動家たち>
三上治(思想家)、前田和男(ノンフィクション作家)、二木啓孝(ジャーナリスト)
順不同

今回のブログは既に掲載した第1部に引き続き、シンポジウムの第2部の概要を掲載する。
第1部がかなり時間をオーバーしたので、第2部のディスカッションは短くなっている。
なお、第1部は、こちらをご覧いただきたい。
No639  「4・28反戦シンポジウム 直ちに戦争をやめろ! 」第1部前半の報告
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2024-06-28.html
No642 「4・28反戦シンポジウム 直ちに戦争をやめろ! 」第1部後半の報告
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2024-07-26.html

【「4・28反戦シンポジウム 直ちに戦争をやめろ! 」第2部】
安田 宏(司会)
そろそろ始めたいと思います。

金 廣志さん(司会)
実はディスカッションの時間が50分も無いんですね。いろいろなことを議論したかったんですけれども、ちょっとした感想くらいで終わってしまいそうですけれども、なるべく皆さん、率直な短いコメントをいただきたい。

2

白坂リサさん、山本大貴君、田中駿介君、二木啓孝さん、前田和男さん、三上治さんがいらしています。年齢順です。
まず一番若い白坂さんの方から、第1部のシンポジウムなどを踏まえて、感想などいただければと思います。

<ディスカッション参加者からの発言>
●キャンパス・ウオッチの話が印象的でした
白坂リサさん(慶應義塾大学)

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白坂リサさんと言います。今、慶應義塾大学の総合政策学部の2年生で、2004年生まれの19歳です。実の父親が中国人で、母親が日本人でミックスルーツです。『情況』誌の第6期の編集委員をやっています。高校で「この国の学校制度を考える会」という愛好会を1人で立ち上げたりとか、大学で立て看の今起きている運動に連帯したりだとか、以前まではSNSで結構発信活動をしていたんですけれども、思うところがあって、今は大学で結構落ち着いて勉強しています。
第1部の感想ということなんですけれども、(鵜飼哲さんの)キャンパス・ウオッチに関する話が結構印象に残っていて、私も昨年度、総務省の官僚が来た授業だったり、海上保安庁の人が来た授業でいろいろ質問して、「おかしいんじゃないの」と思うところをSNSに上げて問題提起したりとかしていたので、そういう運動が過去にもあったんだと思って共感しました。
立て看運動にも関心があるんですけれども、昨年末に明治大学で立て看を立てたら警察が介入してきたりだとか、そういうことがあって、今もアメリカの大学でガザの(パレスチナ支援の)デモとかキャンパス内でいろいろやっている人たちが警察によって弾圧されたり、警察権力を乱用するような流れが世界的に起きているのかなと感じて、ちょっと危機感を抱きました。以上です。

●軍事行動が気候変動に及ぼす影響は深刻だ
山本大貴さん(慶應義塾大学)

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皆さんこんにちは。山本大貴と申します。僕はたまたま同じ慶應義塾大学の総合政策学部で、2003年生まれの二十歳です。
僕は長く気候変動運動に携わってきていまして、2020年、ちょうどコロナが始まって学校が休校になった時が高校1年生の終り、高校2年生になる春でした。その時に、スエーデンのグレタ・トウーンベリが始めたFridays For Futureという気候変動対策を訴える世界的な若者のムーブメントに参加をして、その団体で今も活動をしています。
なので僕は大学で全然落ち着いて勉強をしていなくて、この1年間も休学してNGOで働いていることにしているんですけれども、僕からは主に気候変動、環境問題の観点から、今の世界で起きてる、今もというかこれまでもずっと起き続けてきた軍事行動が、どういったものであるかということを、気候変動の側面からお話したいと思います。
温室効果ガスのCO2に着目してお話しますと、軍事行動や戦争によるCO2の排出であったりとか、(建物を)再建するために出るCO2排出というものは、基本的に例外主義とされていまして、無いものになっているんですね。軍事から出ている排出量というものがどれくらいなのかということは、いろんな理由から算定することが難しい。最大の理由は軍事機密であるということで分からないということが一番大きいとされています。また、主に米国の圧力によって、軍事排出量の報告というのが任意となっているということもあり、民間の推測でしかないんですけれども、あるデータによると世界の5.5%、6%程度の排出量を占めているというデータもあります。日本が世界第5位の排出国なんですが、日本が3%くらいなんですね。日本2ケ国分くらいが実は軍事による排出量だと言われていたりします。
想像できるかと思いますが、装甲トラックとかの燃費というのは、普通のディーゼル車と比べても10分の1程度、つまり10倍くらいのCO2を排出していたりとか、戦闘機はさらにその100倍くらいのCO2排出があるということで、訓練をしているだけでも、とてつもない排出量があるにもかかわらず、今回のガザでの最初の60日間の軍事行動でのCO2排出量の99%以上がイスラエル側によるものでした。分かっているだけで28万トンものCO2排出と言われています。実際には、その10倍程度ある可能性があります。また、破壊されたガザの建築物を再建だけでも3千万トンのCO2排出があるということで、これはニュージーランドの年間排出量に匹敵する量ということで、全く無視できないですね。
これまで全く議論されてこなかった。環境問題の側面から見てもこれだけの破壊があるというのが誰の目から見ても明らかなのに、脱炭素の話の中に、戦争の話が入ってこなかった。すごく深刻なことだと思います。
それだけではなくて、気候変動、環境問題というのが、どうしても環境と経済のバランスの問題、トレードオフの問題として捉えられることも多いと思うんですが、実際に起きているのは人権侵害であって、途上国と先進国との間の経済的社会的格差の問題であって、世界はクライメート・ジャスティスと言って、日本語では気候正義。気候変動による不平等を是正するということが何よりも大事で、みんながみんな同じような被害を被っているわけでもなくて、たくさん排出しているような国々の人たちは、その被害を被らなくてもいいような状態にある。非常に大きな構造的暴力にあるという点においても、人権侵害という点で、さまざまな問題と気候変動は大きな共通点があります。
少し長くなりましたが以上です。

5

●私たち自身の責任としてパレスチナ問題、そして沖縄の問題を考えていきたい
田中駿介さん(東京大学大学院)
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田中駿介です。今日の集会が、そもそも4月28日ということで、1960年代の運動の記念碑的な日という提案をして結果的に実現したわけですが、もう一つ、今日の論点として沖縄とパレスチナという問題について問題提起を行いたいと思います。
さきほど三宅さんから、4・28の話も含めて、何重もの被害を被っている、未だに植民地主義的支配の被害にある沖縄の報告がありましたが、そもそも4月28日というのは、単に「屈辱の日」と言われてるような、「沖縄デー」といして語られているような日ではありません。
私たちがここで想起しなければならないのは、2016年4月28日、米軍属の性暴力、そして生命をも奪う暴力で、私と1歳しか違わない女性が命を奪われたという、この命日が4月28日であるということと、全く無関係ではないわけです。つまり戦争の訓練、人を殺す訓練が行われているような基地、ここの海兵隊あるいは軍属の関係者が、いとも簡単に住民の命をも奪ってしまう。このことが決して無関係なことではないと私は考えています。
今、岸田首相を含めて、日本政府は、どこまで行ってもアメリカの世界的な軍事戦略の下に付いていこうというような方針を示していると思います。この前の日米首脳会談では、米軍司令官と日本の自衛隊の司令官を統一する司令官を日本が作るということを一種の手土産としながら、今後日米関係を更に進めて行くというような話があったと思います。果たしてこのような状況が私たちにとって何をもたらすのかということを問題提起したいと思います。
最後にもう1点です。まさにパレスチナの問題というのは入植植民地主義の問題、私もパレスチナ反戦の署名を大学関係者で独自に集めていますが、そこではこの言葉を入れることにこだわりました。つまりイスラエルという、国家と言っていいか分かりませんが、イスラエルと称する国民意識を規定しているもの、これは一種の入植をすることで、そこの住民を追い出して、そこに定住して既成事実を作っていくと。そしてそこで生まれ育った人たちが2世3世を生んでいく。その子供たちは、あたかも自らがそこで生まれ育ったという、「あたかも」と言ったのは歴史を切断するようなことが行われているわけですが、これはまさに日本の歴史的な責任で、アイヌに対して北海道で行ったこと、そしてウチナンチュ、琉球人に対して行ってきたこと、これとまったく同質の問題であるという前提の下に考えなければならない問題だと私は感じています。
私が生まれ育った北海道旭川市は、まさにアイヌの人たちを追い出して、そこに第7師団と言われる陸軍の拠点を作って、そこがまさに日露戦争の出撃地となり、大きな犠牲を結果的に生んだわけです。
まさにこういった私たち自身の責任として、パレスチナ問題、そして沖縄の問題を考えていきたいというのが私からの問題提起です。以上です。

●アメリカはベトナム戦争に何故敗けたのか
二木啓孝さん(ジャーナリスト)

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ここから3人、ガクッとジジイになります。話が長いぞお。団塊の世代の二木と申します。皆さんの話を聴いていて、「なるほどな」、我々の発想と違うところで深くて広いなと思って聴いていました。4/28というと、沖縄とセットで語られますが、どんどん世界の矛盾も広がっているということが今日分かりました。
私も大学で東京に出てきてから、ベトナム反戦すごくが盛り上がって、その延長上に学園闘争があって、私の右に並んでいる2人にずいぶん騙されて、「青春を返せ!」という気持ちがあるんですが、その時の世界的な反戦運動の盛り上がりは何だったのかな、という話を少ししたいと思います。
アメリカにマクナマラという国防長官がいました。彼はケネディ、ジョンソンの時の国防長官でした。ハーバード大学を出てから第2次世界大戦の時に、軍事戦略を研究し、今のペンタゴンに入っていきました。日本に勝つために原爆投下の前に、首都をどうしようかという話になった。マクナマラが言ったのは、「B29の大量生産で絨毯爆撃をするのがいいよ」と。戦闘機の航続距離が短くて難しかったから、B29で絨毯爆撃」方針が採用され、量産して、東京大空襲から大阪、全部やった。「マクナマラ、すごいじゃんこいつ」という話になった。ベトナム戦争の1965年から75年まで国防長官をマクナマラがやるんですが、彼が得意としたのは定量分析という方法。定量分析というのは、敵と味方の軍事力と兵力を相対比較して、配分するということです。マクナマラは、我が軍、つまり米兵の死者と向こう死者とを比較して、向こうが多ければ、あとは軍事力を増せば勝てるという、そういう構造を考えたわけです。しかし、案の定、負ける。
このマクナマラは後の回顧録を書いて、『マクナマラの誤謬』という本になっているんですが、1980年くらいに、社会学者や経済学者がやったベトナム戦争の総括のシンポジウムがさかんに行われたそうです。
ここから先は、私がそこに出た人から聞いた話です。
シンポジウムの司会者が、会場の後ろの方にマクナマラがいたので「マクナマラさん、ちょっと壇上に上がって、皆さんの話を聴いてどう思われたのか、この戦争に何でアメリカが敗けたのかについて、一言コメントを」と言った。マクナマラは壇上に上がって「敗けたのはマスコミのせいだ」と言った。何故か?ベトナム戦争が泥沼に入った後、「ニューヨークタイムス」がペンタゴンペーパーズという秘密文書をスクープします。それからベトナムでどんどん死んだ。最終的には6万人が戦死するわけですが、それに倍する負傷者が出て、兵士たちが帰って来て、どのような目に遭ったのかをマスコミで報じる。お父さんもお母さんも、「もうこんな戦争は止めてくれ」となった時に、マクナマラの定量分析の中に、実はそういうメディアの動きや国民の声は入っていないんですね。だからずっと「何で敗けたんだろう?」というのが疑問で、マクナマラの総括は「マスコミに敗けた」ということだった」
そんな話をシンポに同席した人から聴きました。
今日、みなさんのいろんな活動の話を聴いていて、岸田首相が安倍前首相の宿題をやるべきだみたいな形で、(アメリカに)付いていくような中で、ガザがあり、ウクライナがありという時に、我々はマクナマラが定量分析できなかった世論とマスコミというものを粘り強くやっていくことかなと思います。それは、確かに難しく、なかなか成果が出ない。さきほどもありましたが、私の母校明治大学でも立て看を出すと警察を呼んで処分されるという、他の大学でも立て看が出せないというとんでもない状況です。私たち年上が「さあ若い衆がんばってね」となかなか言いづらいところなんですが、そういう粘り強いことをいろんな人に広げていくということが、今日安田さんと金さんがセットしてくれた集会の中で、「何かやらなきゃならんな」という気持ちを粘り強くやることが、次の成果につながるのかな、という印象を持っています。ありがとうございました。

●運動の歌によって沖縄闘争がどう深化したのか
前田和男さん(ノンフィクション作家)

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私は前田和男です。1965年に(東京)大学に入りまして、ヘルメットは青。民青から自治会を奪い返して、その時に駒場の自治会の議長という役を仰せつかりまして、それ以降、人生を踏み外したわけですが、今日は4月28日、みなさんたちの運動の歌によって沖縄闘争がどう深化したのかについても聴いていただきたい。
(「沖縄を返せ」を歌う)
♪ 固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ
われらは叫ぶ 沖縄よ われらのものだ
沖縄を返せ 沖縄を返せ

これからしばらくして、山城さんが(沖縄平和運動センターの)議長になった頃には、こう歌われました。

♪ 沖縄を返せ 沖縄へ返せ

これは沖縄闘争の深化だったと思います。さきほど三宅さんが興味深いこと、日米地位協定のお話をされていましたが、実は日本も地位協定を結んでいるんです。ジブチと日本が結んでいる地位協定は無茶苦茶ひどい。アメリカと日本の比ではない。日本の自衛隊はあちこちですごく悪いことをしているので、それは私たち自身の問題として捉え返さなければいけないと思います。以上です。

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『昭和街場のはやり歌』という本、ここに「沖縄を返せ」も書いてありますので、興味のある方は読んでください。

●ウクライナ戦争と日本の自衛隊について考えたこと
三上治さん(思想家)

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話が長くなる傾向があるから、なるべく手短に話します。
一つは、今度のガザの問題もあるんですけれども、ウクライナ戦争について僕らの周辺で起こった議論というか、反応というか、これについて考えさせられたということが一つと、もう一つは、これから日本がやっぱり戦争の問題というか、九条の問題を含めて、どういう風に社会関係の変化の中で対応していくのかという、その中で僕が今考えていること、この二つだけをちょっとお話します。
一つはウクライナ戦争を見た時に、正直に言って僕は割と単純ですから、ウクライナの人民はよく闘っているな、すごいなということで、これは基本的に支持するということを考えたんですね。だけど僕自身の戦争観はですね、「あらゆる戦争に反対だ」ということが基本的な考え方としてずっとありまして、これとの間で、この矛盾という、これをどう考えたらいいだろうかということを少し考えました。
その時、若いころの僕の戦争観に非常に大きな影響を与えたシモーヌ・ヴェイユというフランスの思想家がいるんですけれども、1930年代の始めに「あらゆる戦争に反対だ」ということで、レーニンの帝国主義戦争論を「くだらない」と言って批判していた徹底した非戦論者だったですけれど、彼女は同時にスペインの革命戦争に参加して、最後は反ファシスト戦争に参加するという形でロンドンで死んでいく。実際の彼女の戦争観と、現実的にファシストとの戦争の中で彼女が演じた矛盾というのは何だろうなと考えていまして、そういうことを考えていて、ウクライナの戦争を僕らが支持する、これはパレスチナもそうですが、パレスチナの人たちを支持すると言った時に、基本的にこれが「あらゆる戦争を拒否する」、「あらゆる戦争を無くしたい」という僕らの基本的な考え方と、どういう風に一致していくのか。もし矛盾があるとすれば、どういう矛盾があるのだろうか、ということを考えまして、僕はそこでやはり現代の中で起こる抵抗というかレジスタンスということですが、起こる時は戦争に対する反応ということで、やはり国家が戦争をしているということは違うことなんだろうなということを前提的に考えるということが非常に大事なんじゃないか。確かにウクライナの人たちはウクライナ国家を全面的に賛成しているわけだし、その人たちが国家に参加をしてロシアと闘っているわけですけれど、でもこれはウクライナ国家の戦争であると、あるいは国家のための戦争であるということではなくて、やはりレジスタンスである。そういうことをさせられて初めて可能になってきた闘いなんだ。そのレジスタンスの中には、「あらゆる戦争に反対していく」、「国家の戦争に反対していく」という契機が同時に含まれているはずだ。そのことをちゃんと見極めていくということが僕らにとっては大事なんじゃないかということを考えました。そのことが、このウクライナ戦争で考えた重要な点です。
これと関連して2点目の話になりますけれど、自衛隊の問題、日本の軍備の問題ですけれども、日本は戦後戦争放棄という形で国家の戦争を基本的に放棄したわけです。しかし実際上は世界を見ると国家間戦争というのは現実存在している訳ですから、そういう状態になったらどうするかということで、権力の側は苦し紛れに、この憲法九条の国家戦争の放棄は、国際紛争のための手段として放棄すると解釈を入れて、もし外国から日本の国、あるいは国内が攻められた場合には当然軍事抵抗するし、防衛もするというのが前提だとうことで、そういう考え方を取り入れて、これは憲法九条の解釈ですけれど、ここから自衛隊を作ったわけですね。だけどその時に問題になったのは、この自衛隊というのが国防、国家か何かから侵略された時に反撃する、反応する、レジストする、対抗する軍隊、軍事という意味でも自衛隊の存在と、国家は元々国家の意思として戦争するということで、(そのように)設計された軍隊ではないわけです。このことの矛盾がずっと自衛隊を巡って、あるいは日本の戦後の戦争に対する対応を巡って、ずっと続いていたわけです。
僕はこの問題を今回のウクライナ戦争の絡みの中で、僕は必要になったらどうするんだろうなと考えて、もし日本に侵略があれば僕は軍事抵抗を当然やるだろう、そして軍事抵抗を当然肯定すると。僕らの周辺の中では、「俺は抵抗しない」という人もいて、「俺は(抵抗しないことを)認めるけど俺は軍事抵抗する」と。その時に自衛隊が国家防衛のために軍隊を徹底している、その軍隊とどういう関係に立つんだと言ったら、僕はその自衛隊の軍隊というのは、極めて曖昧なまま今あるんだ、つまり国家の軍隊であるということと、防衛のための軍隊であるということが曖昧なままに出来上がっている。だからこそ自衛隊を国軍化しろだとか、憲法に規定しろだとか出てくるわけですが、そういう中で、僕は基本的に「自衛隊を憲法に違反するから止めてしまえ」と言うんじゃなくて、自衛隊の曖昧さを肯定しながら、曖昧な自衛隊をレジスタンスの方向にいざとなったら再編成していくという形を考えればいいんじゃないか。これは丸山眞男が「自衛隊は憲法九条に違反するから反対するのではなくて、自衛隊をどういう政策の方向に、憲法九条が戦争を放棄している方向にどのように誘導していくのか、訴えていくのか、政策的に転換していくかが、自衛隊に対する一番基本的な問題だ」と提起していたんですが、それにちなんで言えば、僕は自衛隊をそういう方向に提起していくという、その意味では基本的に自衛隊の国軍化に反対するし、国家の軍隊がいざとなった時に防衛になるということに関しては、あまり信じていない。役に立たないだろうと思う。これは昔、僕が信奉していた吉本隆明という人がいるんですが、彼と「日本人はいざとなった時に戦うんだろうかね」という話になった時に、吉本は「戦わないだろ」うと言っていた。これは吉本との戦争体験もあったんでしょうが、おそらくは国家の軍隊としては戦わないんじゃないか、戦えないんじゃないか。可能性があるとしたら、吉本は個人的には「俺は戦う」と言っていたわけだし、そんな侵略されたら、「どうぞ占領して下さい」なんてことはしないと言っていたわけですから、その吉本がそう言った時には、自分たちの抵抗、レジスタンスということですけれども、これはやっぱり認めるし、この可能性だけは人間の中にあるんじゃないかと考えたんじゃないか。そいうことを今回考えました。
時間が長くなるので詳しいことは展開しませんが、その2つを考えて、今後の日本における軍備のあり方、対外的な戦争との関係のあり方の問題についてどう考えるのか、もちろん世界的な戦争が起こらないということは、ある意味我々が努力しているという前提なんですが、もしもそういうことになった時には対抗するという、その前提で今自衛隊を国軍化して、国家の軍隊として世界の防衛のために役立たせなければいけなんだという論調に対しては、基本的に反対していく、それ自体に反対していくということをそれぞれのところで考えていくということを僕は考えました。
この2点をお話しました。

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<ディスカッション>
金 廣志さん(司会)
ありがとうございました。みなさんの詳しい事は、まずこういうことは展開しないからと言って展開する。それは分かります。今皆さんのお話を受けて、これに対してどうしても何か言いたいでしょ?
会場の方から言いたい人いませんか?若い人がいるんだけれども。

●自衛隊をめぐって 「自衛」と「抵抗」について
会場から

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(三上治さんの)国家による戦争放棄のところですが、自衛隊と憲法九条の矛盾を一定程度黙認と言いますか、一定程度肯定しながらやっていくしかないと聞こえたんですが、軍隊は住民を守らないとよく言われることがあると思いますが、その中で自衛隊は国軍ではないと言ったって、指揮系統が日本国政府にあるわけじゃないですか。要するに我々が最も信用していない政治家たちに自衛隊の指揮権を与えているという状況を1ミリも肯定できなんじゃないかと僕は思っているんですけれども、その辺はどうお考えですか?

三上治さん(思想家)

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自衛隊がね、戦争担当能力があるかどうかという話ですけど、これは例えばPKOで派遣されている自衛隊が(いざ現地で戦闘になったら)逃げてくる。僕はいいことだと思うんだけれども、戦争なんかやらなで逃げてくるのはいいことだと思うんだけれど、やっぱり戦争担当能力が基本的にないだろう。その欠落が何があるかと言ったら、根本的には軍備の面ではなくて精神性なんだろうなと見ています。その精神性というのはどこにおいて可能なのか。例えば自衛隊がちゃんと戦争できる力を付ける精神性はどこにあるかと言ったら、たぶん国家の精神みたいな、戦前だったら「天皇のために国家を守れ」とかある種の国家主義ですよ。そういう形でもって国家の意味というか位置を押し付ける、おそらくできないだろう。それが出来ないことが戦後の戦争放棄の一番大きな点だと。この問題が可能であるとしたら、たぶん自発性だろう。個々人の自発的な抵抗力、それだけしかないだろう。もし、それが起こって欲しくないし、起こらない方がいいことだけど、もし起これば、そういうことの可能性として僕らはそれをやるし、そういう方向でその矛盾を解決していく。おそらく国家は自衛隊を国軍としてやろうとする、国家の戦争として誘導する方向で戦争を主導しようとするだろう。僕らはそれにも抵抗するという形を同時にやっていく必要があるんじゃないかというのが僕の考えです。

田中駿介さん(東京大学大学院)

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一つ、これの提起に答えたいと思いますが、私は国家の精神性というものを、そういうものを非常にいけないと思っているわけです。
今現実問題として自衛隊に行っているのは、私は北海道の出身ですから、主要産業が自衛隊というような町でしたから、何人も見てきましたけれども、まさに経済的徴兵制に極めて近いような状況があります。これは明確にあると思います。私が所属している大学、大学院で「まわりに自衛隊に行った人っていますか」と聞いても全然ピンときていないので、まさにこれはさきほどから繰り返されているように、下部構造的な問題として考えていかなければいけなくて、そういった部分を国家精神みたいな問題で理解しようとするのは、やはり問題だと思って、三宅さんを含めて今日のお話を受けて考えたい問題ですね。あるいは鵜飼さんお話を含めてですね。まさに法律論であったりだとか、国際法的な問題の意識というのが、我々の運動に関わる人間がもう少し考える余地があったのではないかという点について、一つ提起したいと思いました。
まさにこれはさきほどの自衛隊の問題に関わる話だと思います。例えばドイツでは国際法に反する上官の命令があった場合、抗命義務があります。つまり上官の命令は絶対であるということは、日本の軍隊精神の最も悪しきものとして、これまでも様々な議論でも語られてきたことは当然だと思います。これはしかし、ロシア兵にも、当然イスラエル側にも当てはまらなければならない問題です。つまり、21世紀の普遍的な価値観として、上官の命令は決して絶対ではないと。果たして今の日本の自衛隊にこの価値観が浸透できるのかというのが、一つの問題提起として私は述べたいと思います。
今防衛大には極めてファナティックな方が講演しているみたいですけれども、果たして今の日本の自衛隊を含めて、いざアメリカと共に戦争をする中で、国際法を順守させる方にどういう風にして転換させていくことができるか、是非ご見解を伺いたいと思います。

鵜飼哲さん(フランス現代思想・ジャック・デリダ研究者 一橋大学名誉教授)

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私はやっぱり第二次大戦の、日本という国は結局1945年までのほぼ70年近い時間ですね、基本軍国主義としてやってきたわけで、その中に植民地支配があり、侵略戦争がありということを、この歴史を全体をどう考えるのかということと、やはり自衛隊についてこの間流れてきている情報というのは、今ドイツの話がありましたけれども、ドイツは分断国家で西ドイツという時代があって、その時に抗命権や抗命義務の議論が出てきて定着したわけですが、この権利は日本の自衛隊にはないんですよね。実は帝国軍隊の記憶と繋がっているということは事実であって、それはそろそろ危ないなと思うとみんなで靖国に行ってしまうというようなことになっている。だからこの現実、私は原則拒否するしかないし、もう一つはさきほどシモーヌ・ヴェイユの話がありましたけれど、シモーヌ・ヴェイユもやはり軍隊についていろんなことを言って、34歳で亡くなってしまったので、看護婦として両方の軍隊を救援するために現場に行くのであっても、そこから整合的な反戦思想を導き出すのは少し無理があるし、ベイユ自身がそれこそアウシュビッツも知らなかったし、核兵器が登場した以降の時代も知らなかったので、非常に優れた人だと思いますが、それプラス第二次大戦の経験がいったい何かということを考えると、やっぱり自衛ということまで含めて、自然権の上に近代の社会のあり方を構想すること自体は、もう限界に来たという経験ではないかと思っています。それは思想的にはエマニュエル・レヴィナスみたいな人の中に一つの形を見たわけですが、レヴィナス自身はイスラエルを支持してしまっているところの、どうするんだというのが我々の世代の思想ではよく議論されたことですが、私はやはり自衛権まで取り崩すということは第二次大戦まで経験したヨーロッパの人から出て来た必然性があると思うので、日本の九条というのはそういう意味で立法意思があったかどうかは別として、同じ時代性を持っている。そこに依拠して自衛ということまで含めて考え直す。私は「自衛」と「抵抗」とはちょっと違う概念だと思っています。そこのところに議論する時間があったらと思います。

高橋順一さん(ドイツ・ヨーロッパ思想史研究者 早稲田大学名誉教授)

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今仰ったことは非常に重要な問題だと思うんですけれど、結論だけ先取りしてしまうと、要するに近代国家や近代社会を作り上げて来た一番根本的な原理を作ったのは、トーマス・ホッブスというイギリスの思想家だったわけです。今自衛権という話が出たけど、彼が国家というのをどういう風に考えたかと言うと、人民から抵抗する権利を取り上げる代わりに人民に対して安全を保障するという、それがコモンウエルズ、国家の役割であると、そういう形で、今鵜飼さんが最後に仰ったように、自衛と抵抗は違うというのはすごく重要な問題で、自衛の論理で行くとホッブスの国家になるんです。ホッブスの国家というのは必ず戦争国家になるんです。戦争を肯定する国家に。だから我々は今ホッブス型の国家というものをどうぶっ壊していくかということを考えなければいけない。その根拠になるのが、ホッブスが自衛権ということを言うことによって人民から取り上げた抵抗権というものを、もう1回取り戻す、国家の側から取り戻すということが、とっても重要なことです。ホッブス型国家の行きついた果てというのはイスラエルなんですよ。はっきり言えば。だから、ホッブス型の国家は必ずイスラエルになってしまうという、このことを我々ははっきり見ておく必要があると思います。そのポイントは「自衛」ではなく「抵抗」だという考え方、これはすごく重要ではないかと思います。

●徴兵されたらどうするか?
金 廣志さん(司会)

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もう残り10分もないので、今パレスチナの話であり、ウクライナの話であり、いろいろ出ているんですけど、私たち自身の戦争ということについて語らないと、本当は何の意味もないと思うんですよね。
つい数日前ですけれど、70代以上の5人くらいで集まった時に、「我々はもし日本で戦争が起こった時にどうするんだ」という話になったんですけれども、その時にかつてベトナム戦争で一番最初に抵抗したのは僧侶たちですよね。焼身抗議をして、次々に「この戦争は悪辣な戦争だ」ということを抗議してきたんですけれども、「私たちもそうしましょう」という話にちょっとなりました。もう集団自決しろなんて言っている奴もいるんだから、私たちは順番に焼身抗議をしようじゃないか、それが世の中の役に立つだろうという話になりました。だけど、若者たちにそうしてもらうわけにいかないので、若者たちからさきほど徴兵の話も出てきました。あなたが「戦争に行かないでくれ」と言われた時にどのようにされるのでしょうか?一言お願いします。徴兵されたらどうしますか?

白坂リサさん(慶應義塾大学)
うーんと、正直言うと海外に逃げたいなと思います。(拍手)

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山本大貴さん(慶應義塾大学)
うーん、明確な答えを出すのは非常に難しいと思いますが、参加しない方法をとにかく考えるしかないのかな。海外に逃げるという方法を取れるのであればそれもあるかもしれないし、国内に逃げるという手もあるかもしれないし、そういった方法を取れるのであれば取りたいです。

前田和男さん(ノンフィクション作家)

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ちょっといいですか。さっきの(第1部の)キム・ソンハさんの話に繋がるんですけれども、僕らがベトナム反戦運動の中で重要だったのは、(米空母)イントレピッド(から脱走した)4人ですね、後で分かった。その時は僕はいわゆる過激派にいて、自ら戦って佐世保にも行きましたし、羽田も行ったんだけれど、やっぱりあの時実際に脱走兵を手助けしたベ平連なんか軟弱だと思ったわけですよ。ところがあの4人が結局脱走し、亡命し、その火がアメリカに火が付いて、最後は57万人が徴兵拒否をするわけですよ。あれがたぶんベトナム戦争を止めたんですよ。私はそう思います。
彼らが言うように逃げるのも結構だけれども、亡命の先には兵役拒否というのがなければだめだね、たぶん。それがウクライナでもイスラエルでもあれば、希望的観測だけれども、ホッブス的国家の究極的な形をぶっ壊すにはそれをイスラエルの中からやる、それに我々は連帯するということじゃないかなという気がしますね。年寄りが長く生きて来た感想でございます。

金 廣志さん(司会)
ご存じの方もおられると思いますが、前田さんは「逃散主義者」。「逃げるんだ、戦わない」という思想です。
田中君どうしますか?

田中駿介さん(東京大学大学院)

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求められている答えは「戦争を革命に転化」せよということだと思います。しかし同時に戦争を起こさせない国を民主主義の力で作っていくという役割、これこそが私は絶対に重要だと思います。(拍手)

三宅千晶さん(沖縄県那覇市生まれ 被爆三世 ドイツ・イタリアのNATO軍『米軍』基地調査報告書作成、弁護士)

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この国で徴兵拒否に成功すると、その後どういうことが待っているのか、怖すぎるので逃げるしかないかなと個人的には思っていますけれど、日本の司法というは本当にもう終わっているのではないかと私個人的には思っていまして、三権分立ではなくて三権統一の状態なんですね。どんな社会問題をきちんと論理立てて訴訟を提起したとしても司法はきちんと判断してくれないので、とにかく行政訴訟はそうなので、それはすごく大きな問題だと思っているのと、今沖縄の話についてあまり触れられなかったので、ちょっとお話させていただきますと、さっき日本の政府がという話がありましたけれど、やっぱり日本の政府が弱っていると個人的にも思っていまして、広島でわざわざ「核でみんなで守るので大丈夫だよ」というような、そういうような政権ですし、1995年に太田知事の(軍用地強制使用の代理)署名拒否から、今でもまったく変わっていないわけです。去年の12月28日にも(辺野古の工事の)代執行しましたね。
だから沖縄はずっとこういう扱いを受けていますし、それは沖縄だけの話じゃないわけです。さきほど選別の話がありましたけれども、沖縄はこの数年ミサイル基地が集中しています。ミサイルがどんどん配備されている。こういったものは、後からしか情報が出てこないわけですよ。うるま市に自衛隊の訓練場を新設しましょうという話が出て来た時も、予算で組まれていて、これは何だということで発覚して、抵抗が起きて、何とかようやく作られないことになりましたけれど、この予算は生きています。今の日本のすごく大きな問題を、何でもかんでも隠すところにあると思うんですね。情報をとにかく出さない。宮古島に今レーダーが作られているんですけれども、これは最近発覚しまして、何故これまで発覚しなかったかと言うと、誰が工事をしているかというのを、民間の企業が工事の主体にしているので誰も気が付かなかったんです。「あれ?何か出来ているぞ」と思って、実は防衛施設関連の施設だと発覚したように、これはもう本当に大きな問題だと思っています。以上です。(拍手)

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金 廣志さん(司会)
どうもありがとうございました。三宅さんの力強いお話を伺いました。もう時間が来てしまいました。今日はこれで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。
(拍手)

【『連合赤軍 遺族への手紙』の紹介】
今年の3月の朝日新聞の夕刊に「連合赤軍指輪物語」という記事が連載されました。
明大二部の遠山美枝子さんをめぐる記事です。
この記事の中で、遠山さんのご遺族の手元に残された手紙の内容が一部紹介されていました。
この度、『私だったかもしれない 赤軍派女性兵士の25年』の著者である江刺昭子さんが、遠山美枝子さんの母幸子さんと共著で『連合赤軍 遺族への手紙』を出版しました。
手紙を中心とした本です。

連合赤軍遺族への手紙

8月29日(木)出版です。
2,500円(税別)インパクト出版会

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半世紀を経て発見された歴史的書簡集。娘を殺された母の激しい怒りに直面し被告たちは事件を見つめ直し、遺族たちに向き合う。永田洋子、森恒夫、吉野雅邦ら連合赤軍事件の多くの被告たちからの事件直後の肉声。

【『パレスチナ解放闘争史』の紹介】
重信房子さんの新刊本です!好評につき三刷決定!
『パレスチナ解放闘争史』(作品社)2024年3月19日刊行
本体:3600円(税別)

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「模索舎」のリンクはこちらです。
  
なぜジェノサイドを止められないのか? 
因縁の歴史を丁寧にさかのぼり占領と抵抗の歴史を読み解く。
獄中で綴られた、圧政と抵抗のパレスチナ現代史。
ガザの決起と、全世界注視の中で続くジェノサイド。
【内容目次】
第一部 アラブの目覚め――パレスチナ解放闘争へ(1916年~1994年)
第二部 オスロ合意――ジェノサイドに抗して(1994年~2024年)

【『はたちの時代』の紹介】
重信房子さんの新刊本です。絶賛発売中!
『はたちの時代』(太田出版) 2023年6月16日刊行

はたちの時代

前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
後半は69年から72年までの赤軍派の時期のことが書かれています。
定価 2,860円(税込

本のアマゾンリンクはこちらになります。

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「あとはき」より
『ここに書かれた記録は、ごく日常的な私自身の身の回りで起こったことを率直に書き記したものです。その分、他の人が書けば全く違った関心角度から違った物語がこの時代のエピソードとして描かれることでしょう。私は獄に在って、何度か癌の手術を繰り返していました。生きて出られないことがあっても、支えてくれる旧友や、見ず知らずの方々にお礼を込めて、私の生き方、どんなふうに生きてきたのかを記録しておきたいと思ったのが、この記録の始まりです。私がどのように育ち、学生運動に関わり、パレスチナ解放闘争に参加しどう生きて来たのか、マスメデイアでステレオタイプに作り上げられた私ではなく、生身の私の思いや実情を説明しておきたくて当時を振り返りつつ記して来ました。獄中と言うのは、集中して文章を書くのに良いところで、ペンをとって自分と向き合うと過去を素直に見つめることが出来ます。楽しかった活動や誇りたいと思う良かった事も、間違いや恥かしい事や苦しかったことも、等しく価値ある人生であり私の財産だと教えられた気がします。(中略)どんなふうに戦い、どんな思いをもって力を尽くし、そして破れたのか、当時の何万という「世の中を良くしたい」と願った変革者の一人として、当時の何万と居た友人たちへの報告として読んでもらえたら嬉しいです。また当時を若い人にも知ってほしいし、この書がきっかけになって身近に実は居る祖父や祖母たちから「石のひとつやふたつ投げたんだよ」と語ってもらい、当時を聴きながら社会を知り変えるきっかけになれば、そんな嬉しいことはありません。
いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。


●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。


【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は10月4日(金)に更新予定です。

2024年6月24日、東京・神田駿河台の明治大学本校アカデミーコモン前庭に、明大土曜会の横断幕が翻った。集まった明大土曜会メンバーは10数人。ヘルメットは被っていないが、全員マスク姿。
横断幕には、このようなことが書かれていた。
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明治大学が誇れること

★「軍事利用の研究・連携活動の禁止」の新聞広告を掲載した(2017年)

★日本初の女性弁護士を輩出した(1940年)

明治大学が恥ずべきこと

★学生の表現の自由である立て看板を撤去して警察を呼んだ

★生田校舎の「イスラエル工科大学と手を切れ」の立て看板が撤去された


明大土曜会は、明治大学のOBとOGが中心となってはいるが、他大学のOBや若い世代も含めた多様な人たちが集まる「情報交換の場」であり、定期的に会合を開いている。
この明大土曜会が、何故このような行動を起こしたのか?

この連帯行動の背景を少し説明しよう。昨年12月、明大土曜会に以下のような情報が明大の学生から寄せられた。
『昨年11月4日、明大祭期間に「明治大学立て看同好会」の学生5名が「明治大学20年ぶりの立て看おめでとう」と書かれた立て看板を学内に掲示しようとしました。
すると当局が学生5名を拘束し、警察に通報するというあり得ない行動を起こしました。
その前の10月末に「明治大学貼り紙同好会」という団体が事務室に「貼り紙はどこに貼れば良いか」と訊いたところ事務室から場所を指示され、そこに貼り紙同好会が「明治大学自由貼り紙スペース」を設置したところ1日で大量の貼り紙が貼られ、翌日に当局がそれを全て撤去するという事件も発生しています。
当局に通報された学生5名は大学当局に「セクトの手先」でないことを宣誓させられ、11月10日現在授業の出席を禁止され学内の密室で警察による取り調べを受けています。学生曰く当局はいまだにセクトの影に非常に怯えているそうです。
「検閲」を受けていない貼り紙と立て看板を持ち込んだだけで警察を学内に導入する当局の姿勢は、言論の自由を徹底的に弾圧するもので、断固として容認できません』というものであった。
明治大学では、学生の自由な表現や活動が厳しく制限されているという現状があると聞いてはいましたが、これほどひどいとは思わなかった。
この問題について、昨年12月の明大土曜会で議論したが、その中で、明治大学における「立て看」の歴史についての発言があった。

「土屋源太郎さん(1953年明治大学法学部入学、1955年学生会中央執行委員長、都学連委員長、砂川事件被告)
明治は立て看ビラ貼りの歴史もあるんだよ。1951年に明大の7・1ストで全学ストをやって、それまでは立て看ビラ貼りも許可制だったんだよ。当時は俺は共産党員だったから、共産党のビラを撒くのは大変だった。ところが全学ストを契機に団体交渉をやって、届出制になって、一切学校側は立て看ビラに干渉しないという約束になった。そこで明大の立て看とかビラが自由になった。
Yさん(1966年明治大学政経学部入学、1968年学生会中央執行委員長)
我々の時代は学校の許可もへったくれもなく、全く自由でした。ずいぶん恩恵を被りました。
Sさん(1965年明治大学Ⅱ部文学部入学)
逆に言えば、私たちの時代のやりすぎが、皆に迷惑をかけている。
Yさん
土屋さんがようやく大学当局から許可を得なくても勝手に出来る仕組みを作り、我々の世代がいろいろやってダメにして、30年近く経って現在の明大生がまた苦労しているという流れですね。」

Yさんが言うように、明治大学では「立て看」「ビラ貼り」の権利を1951年の全学ストで勝ち取ったが、1970年前後の学生運動の時代、特に70年以降の内ゲバと党派の大学支配という状況がその権利を失わせてしまい、現在の明治大学の状況を創り出してしまったということは概ね間違いないだろう。
明大土曜会としては、「おかしい」ものに「おかしい」と声を上げる学生たちを、可能な範囲で応援していきたいということで対応を検討したが、さすがに立て看はちょっと体力的に運ぶのが難しいので、横断幕を作って、明大の本校、和泉、生田の各校舎に出そうということになった。(ゲバ文字にはできなかったが)

この連帯行動についての報告が、明大土曜会のF氏(ジャーナリスト)から寄せられたので掲載する。明大本校及び和泉校舎での連帯行動の報告である。
ダウンロード

【明治大学OBが明大本校で横断幕】
6月24日午前、明大OB(明大土曜会)十数人が横断幕を広げた。
横断幕に書かれていたのは

明治大学が誇れること

★「軍事利用の研究・連携活動の禁止」の新聞広告を掲載した(2017年)

★日本初の女性弁護士を輩出した(1940年)

 

明治大学が恥ずべきこと

★学生の表現の自由である立て看板を撤去して警察を呼んだ

★生田校舎の「イスラエル工科大学と手を切れ」の立て看板が撤去された


明治大学では昨年来、学生たちが“フスマ1枚分”くらいの立て看板に「私たちの思いを立て看板で表現しよう」と書いてキャンパスに置いたところ、これが撤去され、警察官が呼ばれ、大学から「注意処分」を下された。その後も「立て看を取り戻そう」と活動を続けている▼大昔のようなデカい看板に政治スローガンを書きなぐったものではない。土曜会からすればシンプルな板一枚である▼「これはおかしいぞ」と土曜会メンバーたちは「わが母校はなんて恥ずかしいことをするのか」と抗議の横断幕を出した次第▼早速、大学職員と警備員が飛んできて退去を求めたが、そこは口では負けないオジサンたち。彼らはやり込められて、遠巻きに見ているだけだった(と言いつつ私たちは、あまりの暑さに交代で横断幕を持つ3人以外は木陰に避難する軟弱……)▼土曜会横断幕隊は、引き続き、本校、和泉校舎、生田校舎でスタンディングをやる予定です。学生たち、負けずに頑張れ~。

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【明大横断幕スタンディング第2弾 2024.7.22】
▼明大土曜会のメンバーは、和泉キャンパスで熱い(気温が)闘いを行った。
10時にキャンパス正門脇に横断幕を広げ、歩道橋から降りてくる学生にアピール。文言を読みながらキャンパスに入る学生、携帯で横断幕の写真を撮る学生も。
▼早速、職員、警備員、それに警視庁高井戸署の私服刑事1名が、規制に入った。しかし、横断幕は一部が校内に入るオフサイドぎりぎりなので強くは出られない様子。
当方は職員らに用意したビラ(添付)を渡して「話すことはない、上司を呼べば話す」と突っぱねる。
▼やがて「和泉キャンパス課長のショーイ」と名乗る男が出てきて「コロナから掲示してある規則があるのでやめるように」と警告。しかし、掲示発表は2014年と書いてあり「コロナのずっと前からじゃないか」と詰問すると黙り込む。
結局、「しかるべき上司に連絡するから」というので当方の携帯番号を教える。
(明大の組織図を見ると各校舎のキャンパス課は総務部の下にあるので責任者は総務部長らしい)。
▼私服刑事とのやり取りは「常駐しているのか」「いいえ」「大学からの通報で来たのか」「高井戸署は近いもんね」と言うとうなずく。
▼横断幕スタンディングは、日中36°予想なので11時に終了。
秋には生田キャンパスで第3弾を決めて散会。

和泉校舎で警備担当者に手渡した文書

この行動を規制・排除するなら、以下のお願いをする。

明大土曜会(明大OBOG

 

6月24日、すでに明大本校アマデミーコモン前で警備担当者と同様の話をして、規制・排除はされていません。

    規制の根拠を掲示版ではなく、規制文の原本を見せて欲しい。

    現場担当者ではなく、規制を管理するしかるべき上司・責任者と話をしたい。

    その上で、私たちが、この横断幕を出す正当性を議論したい。

    「学問の府」として問答無用や公権力による実力排除は許されない。

 


大学職員に携帯の番号を教えたが、まだ連絡が無いとのことである。
連帯行動の最大の敵は熱中症ということで、次回の生田での行動は秋に予定している。
明大土曜会以外の皆さんの参加もお願いしたい。
(終)

【『パレスチナ解放闘争史』の紹介】
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【『はたちの時代』の紹介】
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前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
後半は69年から72年までの赤軍派の時期のことが書かれています。
定価 2,860円(税込

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「あとはき」より
『ここに書かれた記録は、ごく日常的な私自身の身の回りで起こったことを率直に書き記したものです。その分、他の人が書けば全く違った関心角度から違った物語がこの時代のエピソードとして描かれることでしょう。私は獄に在って、何度か癌の手術を繰り返していました。生きて出られないことがあっても、支えてくれる旧友や、見ず知らずの方々にお礼を込めて、私の生き方、どんなふうに生きてきたのかを記録しておきたいと思ったのが、この記録の始まりです。私がどのように育ち、学生運動に関わり、パレスチナ解放闘争に参加しどう生きて来たのか、マスメデイアでステレオタイプに作り上げられた私ではなく、生身の私の思いや実情を説明しておきたくて当時を振り返りつつ記して来ました。獄中と言うのは、集中して文章を書くのに良いところで、ペンをとって自分と向き合うと過去を素直に見つめることが出来ます。楽しかった活動や誇りたいと思う良かった事も、間違いや恥かしい事や苦しかったことも、等しく価値ある人生であり私の財産だと教えられた気がします。(中略)どんなふうに戦い、どんな思いをもって力を尽くし、そして破れたのか、当時の何万という「世の中を良くしたい」と願った変革者の一人として、当時の何万と居た友人たちへの報告として読んでもらえたら嬉しいです。また当時を若い人にも知ってほしいし、この書がきっかけになって身近に実は居る祖父や祖母たちから「石のひとつやふたつ投げたんだよ」と語ってもらい、当時を聴きながら社会を知り変えるきっかけになれば、そんな嬉しいことはありません。
いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
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●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
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「知られざる闘争」の記録です。
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【お知らせ その2】
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