
大学のバリケードの中は落書であふれていた。
当初の落書は闘争のスローガンが中心だったのかもしれないが、次第に替歌や学生運動の日常を書いた落書に取り囲まれていった。そんな全国の大学のバリケードの中から替歌を蒐集した本がある。
「戯歌番外地」-替歌にみる学生運動―(注1)
野次馬旅団 編
装丁:赤瀬川原平
1970年6月15日 第1版発行
この本を編集した野次馬旅団の実体はよくわからないが、赤瀬川原平さん(注2)の紹介文によると都立大学の学生達のようである。そういえば1971か1972年の都立大学の学園祭のテーマがBeatlesの「マジカルミステリーツアー」にひっかけて、「ドジカルヒステリーツアー」というもので、都立大学にはずいぶんと洒落っ気のある人がいると思ったが、この野次馬旅団の流れを引き継いでいたのかもしれない。
私も当時、朝日ジャーナルという週刊誌に掲載されていた赤瀬川原平さんの桜画報を読んでいたこともあり、1971年に「野次馬新聞」というビラを作った。(リンク先の「明大全共闘・学館闘争・文連」のメニュー「伝説の野次馬新聞」参照)
同じ野次馬同士ということで、野次馬旅団には親近感を覚えますね。
本の発行日も1970年6月15日、70年安保の日ということで、こだわりが随所にみられ、うーむ脱帽。
巻頭言には「60年代学生運動を担ったすべての同志諸君に捧げる」とあり、1960年代の替歌、約100編が掲載されている。
替歌には解説がついており、替歌の背景となった当時の学生運動の状況との関係がよくわかる。
替歌がどんなものなのか知るために、この本から日大全共闘関係(注3)の替歌1編と解説を引用してみたい。
「日大闘争時代」(元歌は「学生時代」)(注4)
立看の連なる並木で アジビラを配った日
デモ多かりしあの頃の 思い出をたどれば
なつかしいミンの顔が ひとつひとつ浮かぶ
重い旗ザオかついで デモったあの頃
下高井戸 御茶ノ水 神田三崎町
なつかしいあの頃 日大闘争
【解説】
万余の大衆が古ダヌキ体制のカラクリに怒り狂って白山通りを埋め尽くしたスバラシイあの頃の歌。
日大の教授連の部屋にはエロ写真、エロ本の山。肩書きがつけばつくほど質量ともに増していた。もしかすると日大の先生様の位はエロ本の収集量で決まっていたのかもしれない。粋な教授もいたもんだが、エロ本を奥さんに隠れて読めなくなったからといって「バリスト反対」などというと、恐妻家ぶりがバレてしまうだけ。
最初は全共闘にいた民青はムッツリスケベなのでエロ本の山を見ると、そらぞらしいツラして逃げ出してしまった。
この歌は芸術学部と並んで日大教授の影響を素直に受けて、それからの全共闘運動を乱しに乱した(?)文理学部闘争委員会銀ヘル部隊の歌。
以上、原文のまま引用した。
この元歌「学生時代」という歌は「学連時代」という替歌にもなり有名である。社学同作といわれており、私も当時知っていた。明大が社学同の拠点校の1つだったからかもしれない。こちらの方は3番まで替歌になっている。この本にも掲載されているので、ご希望があれば別の機会に紹介したいと思う。
この本には替歌がたくさん載っているが、1969年に私がデモを始めた頃は、デモで歌う歌といえば「インターナショナル」か「ワルシャワ労働歌」だった。替歌は歌わなかった。
「インターナショナル」も「ワルシャワ労働歌」も最初は歌詞も分からず、肩を組みながらただ歌を聴いているだけだった。デモを重ねるごとにだんだん歌詞を覚え歌えるようになったが、通しで歌えるようになったのはいつ頃からだろうか。
今でも全部とは言わないまでも7割くらいは歌えるかな・・・。
次回も替歌の続きです。
(注1)戯歌番外地:古本サイトで検索すると売っています。3000円~6000円位しますが、欲しい方はどうぞ。
(注2)赤瀬川原平:画家、作家、路上観察学会員。著書に「櫻画報大全」「老人力」などがある。
(注3)日大全共闘:日大全共闘について知りたい方はリンク「1968年全共闘だった時代」を見てください。
(注4)学生時代:ペギー葉山が歌っていた1964年のヒット曲。元歌で歌われる大学はペギー葉山の出身校である青山学院大学といわれている。元歌の歌詞を知りたい方はインターネットで調べてください。
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