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「構造」という名前の雑誌があった。
1970年1月号が創刊号で、この写真の1971年6月号で廃刊となってしまった。通算18号で消えていった雑誌である。いわゆる総会屋の雑誌。
創刊号の特集は「安保70年の課題と展望」、その後「内乱における軍事問題」「新左翼諸党派70年代の戦略」「プロレタリア独裁」などの特集を経て、廃刊のきっかけとなった6月号の特集は「革命・戦争・ゲリラ」。

特集記事の目次を見ると
「革命武装勢力の概略と問題点」世界赤軍兵士 上野勝輝
「小さな火も広野を焼きつくすことができる」京大レーニン研・教養部戦線
「遊撃戦争の戦略的問題」日本共産党(革命左派)神奈川県委員会
「薔薇の詩」(中南米の左翼ゲリラが作成した爆発物に関する知識の案内書)

この雑誌のすごいところは、このような極めて新左翼的(極左的)・反体制的内容の記事と、掲載されている広告のミスマッチにある。掲載されている広告は当時の日本を代表する大企業ばかり。
ホンダ、日産、いすゞ、富士銀行、第一銀行、三井銀行、三菱銀行、大成建設、大協石油、東京ガス、日本通運、シオノギ製薬、新日本製鉄、山一證券、日興証券、野村證券、大和証券、キリンビールなど。
「革命武装勢力の概略と問題点」の記事の中には日本鋼管、三菱製鋼の広告、「小さな火も広野を焼きつくすことができる」の記事の中にはアサヒビール、富士電機、サッポロビールの広告。
もちろん左翼系雑誌によく登場する広告もある。救援連絡センター、情況出版社、思想の科学、映画批評、模索社などなど。
蜂起・ゲリラ戦争・人民戦争―革命戦争などという記事の中に「明日の力をはこぶー日本鋼管」などという広告が出てくるので、新左翼と大企業が連帯して革命をやろう!というようにも思えてくる。
総会屋雑誌なので、企業側はたぶん雑誌の内容に殆ど注意を払っていなかったのだろう。

さて、編集者達は「薔薇の詩」という当時では超A級の危険な資料を載せており、半ば廃刊覚悟のヤケクソで編集したようにも思える内容だが、編集者達はどのように思っていたのだろうか。
編集後記を覗いて見てみよう。

構造 1971年6月号 編集後記 (引用)
『革命・戦争・ゲリラ・・・おっとろしーい。でも本におさまってしまえば活字の行列になってしまうんでしょうねえ。しかし、なにかあるかなあ。東京はモヤモヤってしているから、なにかあるとおもしろいかもしれない。学校を出て(中途だけど)会社に入ったボク。ボクのこの会社はどうも変だぞ。ボクはこうしてペンをとって、この総会雑誌のしめくくりを書いている。幕が閉じるのか、さてこれから始まりなのかは誰も知りはしない。ボクだけが知っている。こんなボクにだってボク自身のことを知る権利はあるさ。
でも君はいう。「そうかい?」  (F) 』 

当局からの圧力を感じていたのかもしれないが、やはり廃刊覚悟の編集のようだ。
次号7月号は「アナーキズム」の特集が予定されていた。
1971年6月17日、「構造」6月号の発行と歩調を合わせるように、明治公園の中核派系集会のデモで手製爆弾が使用された。警官の重軽傷者37名。
この日以降、新左翼系の爆弾闘争が本格化する。「薔薇の詩」の影響だろうか。
この「薔薇の詩」は、当時、アングラで出版されていたものだが、それを雑誌に掲載して全国の本屋で売ってしまおうというのだから当局もだまって見ているわけにはいかなかったのだろう。廃刊の経緯は一部マスコミにも取り上げられたと記憶しているが、定かではない。

私が当時、よく買った雑誌は「朝日ジャーナル」や「情況」だったが、「現代の眼」や「構造」も時々買っていた。「構造」は数冊持っていたのだが、現在、手元にあるのはこの1冊のみ。
この「構造」という雑誌は編集者も書いているように、読んでいると何か変な感じのする雑誌だった。総会屋雑誌ということで、左翼系雑誌に見られる貧乏症的なところは微塵もなく、堂々とした雑誌でありながら内容は極めて左翼的。広告と記事の内容のアンバランスにより不思議な感覚にとらわれる雑誌である。
この手の雑誌が書店で公然と売られていたのだから、やはり1970年前後の時代はすごい時代だった。

この「構造」1971年6月号は多くの人の手に渡ったと思われるが、古本サイトで捜しても見つからない。多分入手不能。