
心情三派という言葉があった。三派とは中核派、社学同、反帝学評の三派による全学連のことだが、この三派全学連の行動や考え方を心情的に支持する立場のことをいった。
1969年4月から5月にかけて、明大和泉校舎では大学立法に反対するバリケード・ストに関してクラス討論が盛んに行われた。
私のクラスでもN君が中心となってクラス討論を行ったが、ある学生が「僕はヘルメットを被ってデモに参加するような実際の行動はできないが、彼等の行動は支持する。」と発言したところ、民青系学生が「心情三派ナンセンス!」とヤジを飛ばした。
民青系学生にとって、このような反代々木系学生の心情的支持層は相容れないものだったのだろう。
全学共闘会議運動は、運動に参加する者だけでなく、この学生のように実際の行動までは踏み切れない、参加したくても参加できない多くの学生の支持によって成り立っていたと思う。行動に踏み切れないからといって、このような心情的支持層を一律に「ナンセンス!」と片付けてしまうことはおかしい。
よく紹介する「サンデー毎日」に「現代学生の政治意識」という記事が載っている。
1969年2月のものだが、当時の大学生の「政治意識」の一端が分かるものなので、紹介してみたい。(写真は明治大学新聞から転載)
【現代学生の政治意識 東京・京都八大学の比較調査】
サンデー毎日1969.2.20号(引用)
『過激な戦術で注目を集める学生運動だが、全体からみれば活動にたずさわっているのはほんのひとにぎり。一般に現代の学生はどんな政治意識をもっているのか。
本誌では、東大、早大、慶大、明大、東京女子大、京大、立命館大、同志社大八校の学生計560人を無作為に選んで、別項のような調査を行った。
<8割を超える不満組>
めざましい経済発展で。ソ連を除き国民総所得世界第2位に達した日本。世は昭和元禄とやらで身近な幸福に満足する人がふえたといわれるが、学生たちはそういう現代の社会をどう思っているのか。
「大いに満足している」ものはわずかに3.2%しかいない。「まあまあ満足」で15.7%、不満組はなんと81%にものぼる。
つまり学生の圧倒的多数は現代の日本に満足していないのである。過激な政治運動に走る学生は150万という学生大衆からみると、たしかにひとにぎりであるが、その背景には学生の80%以上が現代の社会に不満を感じイラ立っているという現実があることを見落としてはならないであろう。
戦中戦後の耐乏生活をくぐり抜けてきた世代にしてみれば、「いったい、この“豊かな社会”のどこに不満なのか」と思わず問い返したくなるに違いない。
その問いに対する学生たちの答えは「経済のしくみ」つまり資本主義の欠陥というものが最も多く、25%に達した。これは単に学生の多くがマルクス主義の影響を受けているせいなのか、現実にハダでそう感じているのか、興味のあるところだ。(中略)
<心情的には共感する>
では、その過激な戦術で話題をにぎわせている反日共系全学連の行動は学生のなかでどう評価されているのか。
まず数の少ないほうからみると、彼らの行動に関心を持たないというのはわずかに6.9%。つまりほとんどの学生が賛否は別にして過激派の行動に強くひきつけられているということである。その賛否をみると「ナンセンスでとうてい支持できない」(21.2%)、「積極的に支持する」(20.3%)、がほぼ同じ割合。最も多いのが「暴力は肯定できないが心情的には共感する」もので、なんと41.7%にも達している。
積極支持者と心情的共感者をあわせると62%。心情的共感派の多くは、説得しだい、状況しだいで積極支持に転ずる無気味なグループとみることができる。(後略)』
この記事の心情的共感派の割合を大学別に見てみると、東大55.8%、早大34.2%、慶大21.4%、明大21.4%、東女大60.0%、京大37.1%。立命館大42.8%、同志社大61.4%となる。
明大が低いのが気になるが、明大は4月の駿河台学生会館への機動隊乱入までは紛争前夜ということで、学生達の意識はこんなものだったのだろうか。
でも、神田駿河台周辺では日大全共闘のデモや、神田解放区闘争などがあり、関心が高くてもよさそうなものだが・・・。
一方、東京女子大の割合の高さが意外である。東京女子大は1969年1月29日の学生大会でスト権を確立し、アンケートをとった時はスト中だったのだろう。
東京女子大の自治会は反帝学評が握っていたようだが、フロントの緑ヘルを被った東京女子大の隊列も見たような記憶がある。
この記事にもあるように、政治運動に走る学生は150万という学生大衆からみると、たしかにひとにぎり。明大でも全学生3万人中、全共闘の中心部隊は党派も含めて500人(最大動員二千人)程度で全学生の数%であったが、その背景には「心情三派」という多くの支持層がいたのである。
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