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2010年、1970年の安保闘争から40年目となる。
60年安保闘争からは50年目である。日米安全保障条約は70年安保改定から自動更新となり、1年ごとに更新されている。
そういう節目の年でもあり、70年安保・沖縄闘争記録映画「怒りをうたえ」について書くことにした。

「怒りをうたえ」は3部構成で全編は8時間近い長さがある。
映画の主な内容は
第1部 1968.10.21 ~ 1969.5.31
10.21国際反戦デー、1.18-19東大安田講堂攻防戦、4.28沖縄闘争、愛知外相訪米阻止闘争
第2部 1969.6.8 ~ 1969.11.17
アスパック粉砕闘争、新宿西口フォークゲリラ、6.15反安保闘争、8.6広島闘争、9.5全国全共闘結成大会、11月佐藤訪米阻止闘争
第3部 1969.12.1 ~ 1970.6.23
三里塚闘争、4.28沖縄デー、6月反安保闘争

第1部が完成した時の新聞記事があるので見てみよう。
【緊迫した画面の連続 記録映画「怒りをうたえ」第1部完成】1970.3.25毎日新聞(引用)
『ベテランカメラマンの宮嶋義勇氏が中心になってつくっていた長編記録映画「怒りをうたえ」の第1部が完成した。
一昨年の10.21国際反戦デーから昨年5月31日の愛知外相訪米阻止闘争までのフィルムをまとめたもので、新宿、沖縄、佐世保、東大、成田をはじめ各地の激しい反戦デモをもうらしており、緊迫した画面の連続だ。
2時間54分におよぶこの映画は、その意味では“怒りの記録”ともいえようが、単なる70年安保反対ではなく、安保体制を維持しようとする構造そのものに対する闘争であり、それを問いつめようというのがねらいだという。
「60年安保のときは映画人は手をこまねいていた。その自己反省をも含めて日本が大きな曲がり角に立っているときに、映像で記録しておく義務がある」というのが宮嶋氏のこの映画製作の動機だった。
これを伝え聞いた土本典昭氏はじめ黒木、小川、東ら記録映画畑出身の監督やプロダクションが協力し、文字どおり“手弁当”で撮影した。
自前のフィルム、カメラ、テープレコーダーで“スタッフ”は延べ100人に達したという。撮影が済みしだい、そのつどこれまで労働者、学生たちの組織で上映され、ちょうど一昨年のフランスの五月革命のさいフランスの映画人が撮影した“シネ・トラクト”のような成果をあげた。
その後も撮影は続行し、昨年6月のアスパック反対から11月の佐藤訪米阻止闘争までを記録した第2部が4月上旬に完成予定であり、さらに第3部はそれ以後ことしの6.15までをフォローすることになっている。
全巻を一挙上映すれば、かって宮嶋氏が撮影した「人間の条件」の9時間半に匹敵する長さになりそうだが、宮嶋氏は「安保闘争への“起爆剤”の役割を果たせたら、と思う、その意味で多くの人に見てもらいたい」と語っている。(後略)』

このブログでは1970年前後の時代について書いているが、書くにあたって、この記録映画は私の記憶を補完するための、また、当時の状況を再確認するための資料として欠かせないものと考えていた。
第1部は1972年4月に見たが、2部と3部は未見だったので、「怒りをうたえ」上映実行委員会が開催している定期上映会で見たいと思っていた。
しかし、この数年、上映会が開催されていないため、新宿の「模索舎」でビデオを買って見た。
40年前のモノクロの粗い映像であるが、冒頭の「安保粉砕!闘争勝利!」と叫ぶデモ隊の映像から一気にタイムスリップ。
でも、映像を見ながら懐かしさというより心が痛んだ。言い知れぬ喪失感とでも云おうか。

ビデオを見ていて、マップ共闘のT君から「第2部に映っていた」と言われたことを思い出し、注意して見てみると、1969年9月5日、日比谷野音で行われた全国全共闘結成大会の映像の中に当時の「私」を発見した。
当日は駿河台の明大記念館前での集会の後、地下鉄で会場に向かった。「霞ヶ関」駅から日比谷公園に入ったが、公園の入口は機動隊によって固められ、機動隊が両側を壁のように並ぶ中、ヘルメットを脱がされて1列で通らされ、明大の隊列にいた東大全共闘代表山本義隆氏が逮捕されてしまった。その時の“検問”の映像である。
ヘルメットを脱いでいるため素顔、それもアップの映像なので顔がはっきり見えるが、映っているのはほんの一瞬、T君がよく見つけたものだと感心した。

8時間近い長さの記録映画なので、一気に見るには根気と体力が必要。3部構成なので、各パートごとに別々に時間をかけてじっくり見ることをお勧めする。
40年という時を隔てていても、「あの時代」が蘇る。
反戦労働者の闘いを中心に撮っているので、今の時代の労働者にも是非見てもらいたい映画である。

(写真は1992年の20年ぶりの再上映運動の時のパンフレット)