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前回の続きで、上智大学闘争について紹介する。

全共闘は大学側による大量の退・停学処分や幹部の逮捕にもめげず、再び闘争を開始する。

【大学側が異例の“学園封鎖”】サンデー毎日1969.2.20号(引用)
『(前略)これで完全につぶれるかと思われた学生側は、10月になってから、ふたたび共闘会議を結成。こんどは次の5項目をかかげて、運動の建直しをはかった。
13人の大量処分白紙撤回官憲と大学当局の一体化を自己批判せよ承認制・顧問制・政治活動禁止の“三悪追放ぜ治会設立ズ2鵑瞭争に関し処分を出すな。
そして、「10.21デモ」に上智大学としては初めて、約500人の学生が自校の旗をかかげて参加。
こうして、力をたくわえた共闘会議は、先の失敗にもこりず、今度は1.3.4号館を占拠、バリケードの中に閉じこもった。(後略)』

【上智大学で三校舎占拠】1968.11.8毎日新聞(引用)
『上智大学では7日夜から全学共闘会議の学生約150人が同大1号館、3号館、4号館の三校舎を占拠、バリケードを築いた。
学生要覧(学則)にある政治活動禁止条項の撤廃を要求して7月におこなった闘争に対し、大学側が8月23日、学生13人を退・停学処分したことに抗議、大衆団交を要求していたが、7日午後、大学がこれを拒否したため学生側が封鎖に出た。
学生会系の学生は8日午後、同大構内のメーンストリートでバリケード反対の集会を開いた。』

【全学協議会つくる 学生参加の要求を承認】1968.11.22毎日新聞(引用)
『紛争の続く上智大学の守屋美賀雄学長、ビタワ理事長ほか各学部長は21日午後、約二千人の学生と全学集会を開き、学生側の作成した学生要覧(学則)の改正案を承認した。
これにより大学側は全学協議機関の設立による学生の部分的運営参加、学生による課外活動の自主管理など解決の具体策を始めてはっきり打出し、紛争解決への意欲を見せた。
この日、開会と同時に全学共闘会議の学生が「学生会不承認、ギマン的改正案反対」を叫んでつめかけ、反スト派の学生ともみあったため話合いは一時中断したが、守屋学長は再び演壇に登り「学生要覧は学生側の要求どおり改正を認める。全学協議機関の具体的内容は学生との話合いで決める。処分の白紙撤回はできないが、再調査のための機関をつくる」など大学側の立場を説明、全学共闘会議にも全学集会への参加を呼びかけた。
しかし占拠を続ける全学共闘会議、この改正案を拒否、全学集会もボイコットしており、解決までにはまだ時間がかかりそうだ。(後略)』

学生会と大学当局との全学集会、そして大学側による学生会の学生要覧(学則)改正案の承認とバリケード解除に向けた動きが続くが、全共闘はバリケード封鎖を続ける。

【上智大 六百人衝突 バリケード排除めぐり】1968.12.14 読売新聞(引用)
『(前略)上智大学で、14日正午すぎ、バリケードを実力で排除しようとする一般学生と全共闘の学生が構内広場で衝突、一般学生の1人が角材で頭を割られるなどケガ人数人が出た。
この日、午前11時から同広場で一般学生約三千人が集会を開き、「正午までに封鎖を解除しなければ実力で排除する」と決議。
全共闘へ通告したが応じなかったため、午後零時15分、ヘルメットを被った五十人の学生を先頭に一般学生四、五百人が、角材で武装する全共闘約百人のピケへ突っ込み、こぜりあいを続けている。(写真は読売新聞から転載)』

【大学側が異例の“学園封鎖”】サンデー毎日1969.2.20号(引用)
『(前略)このような動きを見て、大学側も「五項目要求」への回答を出さざるをえなくなり、11月26日の公開討論会を経て、こう答えた。
13人の処分については審査委員会を作り、これに学生を参加させる⊇菠の白紙撤回はしない7抓影各?篭杁泙つ任命の危険があればしかたがないこ慇戸徑?魏?気掘⊂鞠Юから届け出制とするゼ治会は学生に自由意志にまかせる。
これでも解決がつかず紛争が長びくとみた大学側は、冬休み直前の12月21日、ついに機動隊を導入して、ロウ城学生を排除、6ヶ月間の“ロックアウト”を宣言した。(後略)』

【上智大 六ヶ月の“閉鎖”発表 警官隊が出動 占拠排除 52人逮捕】1968.12.21読売新聞(引用)
『(前略)上智大学では、21日午前6時半すぎ、大学当局の要請によって警視庁の機動隊800人、私服警官100人が学内にはいり、占拠を続ける全学共闘会議派を排除した。
大学当局の要請で警官隊が学内にはいったのは、東大、東洋大についで、ことし三度目だが、大学当局では事後対策として向こう6ヶ月、四谷キャンパスの閉鎖と三年生以下の講義を休講することをきめた。
警官隊導入後の“大学閉鎖”という思い切った措置は、全国大学で始めての試みであり、これによって紛争が解決につながるかどうか、一般学生の反応が注目されるが、とにかく大学紛争解決への大きな試金石となるものとみられている。(後略)』

(つづく)