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 前回まで立命館大学闘争を紹介してきたが、立命館大といえば、この人が思い出される。
「二十歳の原点」を書いた高野悦子さん。(写真は週刊読書人から転載)
69年1月から5月にかけて、彼女も立命館大全共闘の一員として闘争に参加していた。
そして69年6月24日、貨物列車に飛び込み自殺。二十歳であった。
彼女の手記は今でも読まれているが、この手記がベストセラーになった時期、「週刊読書人」に掲載された書評があるので見てみよう。

【無名の死。風化した死】1971.8.16週刊読書人(引用)
『高野悦子著「二十歳の原点」(新潮社)がすでに8万部を越えるベストセラーになっている。
いったい、なぜ若い世代は、彼女の死に魅かれ、その手記を読むのか。
読まれる原因がひそむ情況の中に、実は大変な頽廃があるのではないか。
その頽廃は高野悦子の死を変貌させてはいないか。
ここでは彼女の死の周辺を分析する。

「戦いか然らずんば死。血みどろの闘争か然らずんば無。かくの如くに、問題は厳として課せられている。  ジョルジュ・サンド」
高野悦子の手記「二十歳の原点」を読むにつけ、このジョルジュ・サンドの言葉を思いださずにはいられない。
本当はこの手記を読むべきではなかったのではないか、と暗い憂うつな思いにもとらわれるのである。
なぜなら、読めば読むほど、こういうふうにとり上げれば、とり上げるほど、高野悦子の死はますます“風化”し、色褪せて、彼女自身、手記の中で書き記したように「自殺は敗北であるという一片の言葉で語られるだけのものになる」(6月1日)からである。(中略)』

筆者は“風化”の原因として、1番目に高野悦子の手記を商業出版として遺族が出すことを決めたことと断じている。
同じ6月に遺書もなく、手記もメモも焼却して“無名者”として自殺した早大生の死と比べ、“死”が商品になる、これが風化でなくてなんであろうかと。
2番目に彼女の死について勝手な解釈や想像を加える人間やメディアや登場である。
なぜ高野悦子は死を選んだのか?実のところは当の本人以外分かるはずもないのだから。
3番目に読書側の頽廃した二つの対応、ひとつは「二十歳の原点」を作品として読んでいないかということ。

『たとえどんなに秀でた作品であっても、作品は作品である。
現実の「闘い」に己の死を賭け、生身をさらして書いた独白とは、あるいは、その一語一句にひとりの人間の重い現実がのしかかっている手記とは、自ら次元を異にしているのだ。
その手記にはまごうことなきひとりの人間の生があったはずである。「手記」が、そして現実にあった死の重みが、一片の虚構の中の生と死と同様に読まれること、これは“風化”した死に他ならないだろう。(中略)』

そしてもうひとつの読者側の頽廃とは

『これが高野悦子のおかれていた心的状況であった。
三つのモチーフ、孤独感、生への不安(絶望)、そして終末感、これらは実は、70年安保も敗北し、一時の大学闘争の連帯感も喪失し、生きてはいるが、かといって確固たる展望も持ち合わせない、現代の若い世代の心的状況にぴったりと相応しているのである。
この三つのモチーフへの共感は、とりもなおさず、実は自らに対するいつくしみと慰みにほかならない。
手記を媒介にしての、手記を自らを写す鏡としてのこの自己憐憫、自己慰安、これこそ読者自身のもうひとつの頽廃である。
生者たる読者のための安逸の手段と化した高野悦子の死、これは最悪の状態まで“風化させられた死”といえるだろう。
樺美智子しかり、奥浩平しかり、山崎博昭しかり、そして高野悦子の死も風化しつつある。
もはや、これ以上の“風化”は防がねばならぬ。
もう一度、冒頭にかかげたジョルジュ・サンドの言葉に立ち戻って、考えねばならないだろう。

  戦いか然らずんば死。血みどろの闘争か然らずん無・・・・。』

最後に、全共闘白書に掲載された立命館大学全共闘の皆さんの発言を紹介して、終わりにしたい。

【全共闘白書】(新潮社発行 全共闘白書編集委員会編)(引用)
『「ぜひ発言したいこと」という質問に対する回答(抜粋)
<立命館大学> 67年入学
全共闘運動がアッケなく(と私は思っている)終わってしまったのは何故だろう、またどうすればもっと現在も続いているような運動になっていたのだろうか、いつも当時を思うと考えてしまいます。

67年入学
以前は団塊の世代はみんな全共闘をやっていた連中と同じ気分と信じていたが、どうやらわれらが全共闘は少数派のようだって最近気付いた。』

「二十歳の原点」については、<1969-1972連合赤軍と「二十歳の原点」>というサイトがあり、この手記について非常に丁寧に語られている。
黒を基調としたモノトーンのデザインで、トップページにあるヘルメットを被った女性がタバコを吸うシルエットが印象的なサイトである。(リンク参照)

(終)