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慶大編最終回です。図書新聞の記事と当時の新聞記事から慶大闘争を見ていきます。

【みゆき族から新左翼へ 今は自動車誌を編集】2009.6.20図書新聞(引用)
鈴木正文氏(元慶應大学文自書記長)、聞き手は小嵐九八郎氏(作家・歌人)
『(前略)鈴木:それで、68年10月8日の新宿での米タン阻止闘争に赤ヘルメットをかぶって参加したのが、党派活動家になって最初の闘争です。
するとたちまちのうちに社学同の正会員であるかのような扱いになりました。
Sさんの根回しがあったんでしょうね。
東京都の社学同の集まりで、慶應大からの報告をさせられたりとか、議論になれば意見をいったりして、いつの間にか社学同の拠点である明治大学の学生会館に入り浸るようになりました。
10.21闘争では、中央大学に結集して防衛庁にデモをかけました。
一部には新宿闘争に騒乱罪が発動されたため新宿に行こうと主張する人もいましたが、徹底的にここでやろうと頑としていったのがH氏でした。
僕はH氏とともにいました。それで防衛庁の中に突入したんですが、やることがなくて出てきちゃいました。(大笑)
なんか牧歌的なところがありましたよね。

小嵐:なるほど。慶應では、68年、69年はほとんど授業がない状態だったということでしたが、その中で無党派から社学同になって活動されたのですね。

鈴木:そうです。
そのころは党レベルの活動家になっていました。
慶應にもいきましたけど、日吉をベースにしながら、他大学に行くことの方が多かったです。
東大の駒場と明治の和泉でクラス討論を何回もやりました。
その大学で、守衛の人が「鈴木君」と呼んでいましたから、こちらの素性は大学当局も知っていたんでしょう。

小嵐:そして。69年1月には東大闘争の安田講堂死守戦に参加された。安田講堂の5階バルコニーにいて、36時間にわたって催涙弾と放水の制圧攻撃に耐えられました。
その前の年の1月に米原子力空母エンタープライズの佐世保寄港に反対する闘争では、市民の絶大なる応援や、中核派の米軍基地突入を含めて大きな盛り上がりがあり、そこで機動隊による催涙液の放水が社会的問題になりました。
当時の学生運動の参加者はだれもが催涙液で苦しんだ経験がありますよね。水ぶくれややけどがひどかったですよ。

鈴木:僕も1週間寝込みました。最初赤くただれた、しびれが強くて、動けなかったですね。尾久署の九号房に入れられたんですが、そこは阿部定がいたところなんだそうです。(中略)

小嵐:阿部定のことは後になって尾久署を見に行ったんでしょ。

鈴木:そうなんです。その時はともかくずっと寝てました。今でも酒を飲むと、催涙液の跡が赤くなって浮き出てきます。
手首の部分が一番ひどくて、ずっと下に足の方まであるんですが、ズ
ボンやシャツの重なった部分とか靴下の中などに催涙液がたまるために、そのあたりが赤い縞のようになっているんです。
やけどによるケロイドと同じなんです。
刑事は、自分でまちがって火をかぶったんだろうなんて責任逃れをいっていました。

小嵐:僕も佐世保闘争で踝(くるぶし)と膝の裏の所になお跡が残っています。
それにしても、36時間にわたって催涙液を受け続けたんですから、本当に大変だったですね。

鈴木:ええ、でも誰かに頼まれたわけでもないですから、そのぐらいのことですんで、死ななかったのが幸いでした。(後略)』

【120日ぶりにスト解除 慶大日吉 学生大会が採決】1968.11.3毎日新聞(引用)
『米軍からの資金をめぐって無期限ストの続いている慶應義塾大学)の日吉校舎で、2日「日吉学生大会」が開かれ、投票の結果、スト解除を採択、7月5日のスト突入以来、120日ぶりにバリケードを取り除いた。
これで1.2年生約1万1千人の留年問題も回避された。

学生大会は2日午前11時から同校舎日吉記念館前広場で、1.2年生四千余人が集まって開かれた。
日吉自治会執行部がー治会の分裂や一般学生から授業再開などの声が高まっている中で、ストライキをつづけていることは解決にならない▲好肇薀ぅ解除は問題の解決ではなく、あくまでも大学側に対して米軍資金の拒否宣言をかちとるためのクラスやゼミナールでの討論を通して学生の意識を再編成し、学校当局に拒否宣言を要求する、とスト解除案を出し、過半数で採択された。
留年問題を抱えた学生たちは授業再開が決まってほっとした表情。スト解除が採択されると学生たちはスクラムを組んで構内をデモ行進、午後5時半からイチョウ並木に築かれたバリケードを排除した。』

昨年の1月頃、フジテレビ開局50周年企画の番組の中で、東大安田講堂攻防戦が取上げられた。
その時、テレビのインタビューに応じていたのが鈴木氏だった。
番組では、当時の学生運動グッズということで、ヘルメット、タオル、軍手、ヤッケなどが並べられ、司会のビートたけしがそれを身に着けて「闘うぞ!」と拳を挙げていたのを思い出した。

(終)