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(ブログの字数制限の関係でNo225-1からN0225-4の4つに分けてあります。)

No222で現役日藝生による企画「映画祭1968」について紹介したが、この映画祭も今日で終了した。
この映画祭の様子は気になるところだったので、初日(1月28日)のオープニングに行くことにした。
オープニングの上映作品は「日大闘争・続日大闘争」である。「日大9.30の会」から送られてきた案内で日大OBの席を確保していることを知り、(日大OBではないが、9.30の会の会員ということで)事前に席確保の申込みをした。
会場は渋谷の「オーディトリウム渋谷」(JR渋谷駅徒歩8分)という映画館。大学時代、渋谷経由で京王井の頭線「明大前」駅まで通っていたので、当時は渋谷でよく降りていたが、最近はとんとご無沙汰である。
渋谷駅を降りると人がいっぱい。歩くのに注意しないと人とぶつかりそうになる。
映画館は道玄坂を上り、円山町方面に入ったところにある。
道玄坂を上りながら、当時、この坂から円山町の方に入ったところにあった「ブラック・ホーク」という名前のジャズ喫茶の事を思い出した。
70年頃、何回か行ったことがある。CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)やCSN&Y(クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング)などの曲を流していた。
店内では会話が禁止で、ちょっと曲の感想など話そうものなら店員が来て、話すなら出て行ってくれというような雰囲気の店だった。
さて、ラブホテル街を通って映画館に着くと、日大関係者がすでに何人か来ていた。会場に入れるのは上映15分前ということで待っていると、続々と人が来て待合スペースは一杯に。
館内は約130席あるが、ほぼ満席となった。映画の上映前に学生たちが作った映画祭の予告編が流れた。良くできている。さすが映画学科というところか。
映画館で映画を観るのは何年ぶりだろうか?記憶にない。
「日大闘争・続日大闘争」のモノクロの映像がスクリーンに映し出される。
この1968年から69年にかけての時代の「風景」を、若い世代の観客はどのように感じるのだろうか。

2時間近い上映が終わり、トークイベントが始まった。
トークは日大全共闘芸術学部闘争委員会委員長 眞武善行氏、司会は日大芸術学部学生である。
このトークの内容をノーカットで掲載したので、見ていただきたい。 

司会『大変お待たせしました。これより元芸術学部闘争委員会委員長の眞武善行さんによる日大闘争・続日大闘争のトークイベントを始めます。今回のイベントの進行を務めさせていただきます私、日本大学部映画学科3年の○○と申します。よろしくお願いします。
このたびトークをしていただきますのは日大闘争当時、映画学科2年生の芸術学部闘争委員会の委員長をされました眞武善行さんです。それでは眞武さん、檀上までお願いいたします。皆さん盛大な拍手でお願いいたします。
早速ですが質問させていただきます。
今ご覧になった日大闘争なんですけれども、眞武さんにとってズバリ日大闘争とは何だったのか、お聞かせいただけますでしょうか。』

眞武『なかなか難しい問題ですけれども、まあ人生の全てがそこで作られてしまったというふうに言っていいんじゃないですかね。今日の立派なパンフレットを送っていただいて、「1968を総括せよ」というふうに出ているんで、これは結構大変なことになるなと思っていますけど、そんな感じですね。
それで総括になるのかどうか分かりませんが、与えられた時間の中でお話をさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。
こういう映画祭が行われるということ自身、非常に驚きで信じられないような事が起こっているのかなというふうに思いますね。
というのは、この後上映される「圧殺の森」なんかの上映会は、到底日大でやれるようなものじゃなっかったんですよ。で、僕らも明治大学の上映会に観に行くというような状態で、まったく日大でこういうことが出来るなんて思ってもみなかった事を、こういう形で実現させてもらった学生諸君や教師の皆さんに非常に感謝したいと思います。
で、総括ということは非常に難しいんですけども日大闘争が何だったのかということだけ、お話したいと思うんですよ。
結論から言いますと、究極の民主化闘争だったというふうに言っていいと思うんですよね。
日大全共闘が掲げた5つのスローガンというのがあります。これは1つは検閲制度の撤廃、2つ目が集会の自由を認めろ、3つ目が使途不明金問題にからんで経理の全面公開、4つ目が全理事の退陣、それから5つ目に経済学部で行われた学生処分を撤回しろと、この5つのスローガンなんですよね。

(No225-2に続く)