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(No255-1の続きです)

それでも諦めずに、ある方法でかなりの数の避難先の村人の住所を入手。アンケートを実施。その結果は、6月に地元出版社を通じて発表される予定になっている。
 伊藤さんは「帰村を勧める村の期待を大きく裏切る結果がでると思います。飯舘村にはもう帰れないと思っている人が多いのはわかっていました」と語気を強めた。

美しい飯舘村の原風景。新緑の美しい風景の空気や土には高線量の放射性物質が隠されている。
翌日、朝飯前に登った野手上山(標高600メートル)では、以下のような線量だ。
山頂の神社の賽銭箱脇、コンクリートの部分はウエザリング効果で4マイクロシーベルト/h程度だが、コンクリートの切れ目に溜まった落ち葉の線量は8.03マイクロシーベルト/hと高い。
草むらや腐葉土の上は依然7~8マイクロシーベルト/hである。

村は、山の上から除染していくという。この山をどうやって除染するというのだろうか。

【資料 
■ 伊藤さんら「新天地を求める会」の方針
昨年の11月に同会は、以下のような要望書を飯舘村に対して提出した。

<飯館村の建設を目指す署名> 2011年11月18日
                              
 飯舘村菅野村長は独善的に放射能除染計画を発表しましたが、村民の生命、健康を担保にした村役場の存続のみを狙った村役場の為の村役場による計画と断じざるを得ません。 我々村民有志は坐して死を待つよりも新天地を求め明るい未来を築く運動を起こしたいと思いますので下記の様に提案します。

•村の除染計画は住民投票に持ち込み全面撤回を求める。
•安全安心な地の提供を国に求め自治権を持った新飯舘村を建設して移住する。勿論個別に他所への移住は自由。
•新飯舘村建設、移住の原資を捻出する為に飯舘村に福島県の除染廃土の中間処分場の設置を認める苦渋の選択と引き換えに村民所有不動産の国による買い取り借り上げを求める。 事情によっては核廃棄物最終処分場も受け入れも排除しない。
補足説明:除染計画の実行による問題点と本提案の理由及び展望
 自分の将来は自分の手で決めましょう。そして住民の生命と健康保全を大前提に、可及的速やかに未来を見据えた村民による村民の為の明るい新飯舘村の村作りを目指したいと思います。
•除染が計画通り進行しても、今後最低3-5年間は全面帰村は無理である。この間、村の第1次産業(農業、林業、酪農)の主力の担い手である高年齢層は避難生活に疲弊し、さらに加齢により事業の再開は望むべくもない。
•若年層及び子供を持つ所帯は健康、経済的理由から帰村することは望むべくもない。従ってよしんば帰村が実現しても村は姥捨て山に陥る。
•除染は実証技術ではなくむしろ失敗した事例が多い。除染が途中で放棄された村を想像するだけでも恐ろしい。まさに山河破れて役場残るという風景になる。
•除染期間中の生活を維持する経済支援は東電任せで、それも何時打ち切られるか判らない。村は危険な除染作業で生計を立てさせる意図であり19世紀的搾取労働である。 さらに、形だけの除染が実行されれば東電も国も除染の効果に関わらず補償、賠償を拒絶する可能性が高い。
•すでに国土交通省の発表で村の路線価はゼロ評価に落ち、持てる住宅土地を処分して新規まき直しをする機会は断たれた。生き甲斐もなく、経済的基盤も失い、恨みを残して村人は消え去るのみ。
•福島第1原発による放射性廃棄物、廃土の保管を他県に求めることは不可能であり、むしろ我々が犠牲となって全国より回収して保管することは国家的にも意義深いことであり、 土地を手放す意義、慰めも少しは得られる。さらに受け入れ基地ができたことで原発廃止の動きを加速させる効果もあろう。
•飯舘村は高齢化、過疎化が進み、TPPが締結されればさらに深刻な事態を迎える。今回の放射能汚染はその抗し難い傾向に止めを刺した。しかし、災いを転じて福となすたとえの様に放射能を石油に置き替えましょう。 処分場を受け入れるということは飯舘村に石油が出たと同じことである。石油埋蔵量は限りがあるが、最終処分場となれば10万年は持続する。メガソーラーや小規模水力発電、風力発電などの大規模発電施設としての土地利用も考えられる。 将来的に、新飯舘村の収入源として退去した後の土地利用を目指すこともできる。
以上

(N0255-3に続く)