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(No27121の続きです)

IAEAは福島で何をするつもり?放射線の影響を過小評価するな、IAEAは科学をゆがめるな、放射線防護基準を見直せ、命より大事なものってある?福島はすでに脱原発を決めた、私たちを抜きに福島のことを決めるな、と訴えています。
同時に各地でさまざまな取り組みも進んでいます。茨城県高萩市では、茨城県の最終処分場の建設反対集会、ここには福島県谷川村での放射線廃棄物焼却炉の建設を止めようとする人々も参加しています。
福島市では、今日も子供たちの健康相談会や、弁護士による賠償相談会も行われています。
宮城県、福島県の各地域、栃木県、千葉県、茨城県、群馬県、さらにもっと広い各地で食品の放射能測定の活動なども続いています。
第一原発では、高線量下で数千人の方々が収束作業に当たっています。その多くは、故郷を追われた双葉郡の住民です。
そして、汚染されてしまった全ての土地で、また避難先で多くの人々が命を守るために、被曝防護に気を遣いながら暮らしています。本当にさまざまな課題が山積みです。とても無力感にとらわれてしまうこともあります。
今年の6月には、国会で全会一致で原発事故子供被災者支援法が成立しましたが、まだ具体的な計画すら決まっておらず、もどかしい思いをしています。
子供被災者支援法の成立までには、超党派の国会議員の方々が働き、そして多くの被災者の声を届けることが行われ、これまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っている人、国の責任が明示されたこと、現在の避難区域より広い地域を支援対象地域として指定し、そこで生活する被災者、そこから避難した被災者の双方に対する支援をしていくことなど、多くの画期的なポイントもありました。
特に、子供たちの健康診断については、将来にわたって実施して行くことも盛り込まれ、医療費の減免や、減免については被曝と疾病との因果関係について、立証責任を被災者に負わせないというようなことも規定され、いろいろと期待を持てたものだったのですが、国会が解散してしまったという状況の中で、来年の予算なども決まらず、現在、災害救助法で行われているものが、12月一杯で新規の受付が打ち切られるということもあり、本当に、日々奔走しているという毎日です。
どんなことを福島から、こちらに伺ってお伝えしたらいいのか、とても悩んでしまったりしまして、今朝、思い出したのは、3・11前に、こんな事態を防ぐ希望を持って仲間たちと歌ったことがある歌でした。
恥ずかしいんですけれど、ちょっとだけ歌わせてもらいます。
♪今こそ言おう原発はいらない~ (中略)
ありがとうございました。』

この後、飛び入りで翌日に控えた東京都知事選候補者の宇都宮健児氏からのアピール、そして最後に呼びかけ人で作家の澤地久枝さんからの閉会のあいさつがあり、「さようなら原発世界大行進」(デモ)が出発した。
デモコースは約3km、日比谷公園→有楽町→内幸町→日比谷公園のコースである。集会参加者は、主催者発表で約1600人。ほぼ正確な数字だと思う。
私は記録叛としてデモには入らず、歩道から写真を撮っていた。デモの先頭には「首都圏反原発連合」の横断幕を持った、日本未来の党嘉田代表の姿も見える(写真)。
歩道では子供連れの若い母親が、デモのシュプレヒコールに合わせて「原発いらない!」と手を挙げる光景も見られた。
4大学共闘は、冷たい雨が降る悪条件にもかかわらず、20名近くがデモを貫徹。デモの解散地点の日比谷公園で、明大土曜会のY・R氏が総括のあいさつを行った。

<総括あいさつ 明大土曜会Y・R氏>
「今年最後の行動に決起された4大学共闘の皆さん。ここに集まってください。
今日は、最初はちょっと雨が降っていて、今一つ士気が上がらなかったんですが、雨が止んできて本来の我々の元気が出てきたかと思います。
みなさん、2時間近くも、我々としてはパレードではなく、デモ行進を最後まで貫徹した、そのことをまず第一に確認したいと思います。(異議なし)
今年1年間、みなさんご苦労様でした。たぶん、これが今年最後のデモ、集会になると思います。我々の闘いは、これから来年も再来年も続くと思います。
みなさんも命を大事にして、長い闘いをのんびりと闘っていきたいと思います。
みなさんの健康を祝して、インターナショナルを歌いたいと思います。」

♪あーインターナショナル、我らがもの♪

インターナショナルの歌声が、夕暮れの日比谷公園に響きます。
最後に「明日からも頑張ろう!」で今年最後の4大学共闘共同行動を締めくくりました。

(終)

※ 年始(1月4日)のブログは休みます。次回は1月11日です。来年も記憶を記録する作業と並行して、明大土曜会を中心とした脱原発やTPP反対の活動を伝えていきます。