
私たちは、毎日、それと闘っているんです。だから疲れるんです(笑)。
簡単には終わらない。だからみなさん、この闘いは絶対に粘り強く闘わなくてはいけない。
しかし、思い詰めてはいけない(笑)。思い詰めると切れます。
私も、今日、ここに来る時に、一つパーティーがあったのでちょっと一杯やってきたんです。それぐらいの余裕がなければいけない(笑)(拍手)。
いいですか、みなさん、この運動は絶対に止めちゃいけない。これは約束ね。だけど、それぞれが自分の人生を楽しみを一つ横に取っておいて、そして、それも楽しみながらこの脱原発運動を続けて行くこと、これが非常に大事な事です。だって、敵は強大な爬虫類みたいなものですから、少々傷つけたって、首をスパッと切るまでには時間がかかるんです。
だけど、止めなければいつか切れる。
原発事故というのはすべてを奪います。金持ちの生活も貧乏人の生活も、文化も教育も産業も、愛も全てを奪う。
私たちはそれを守るために闘っている。誇りを持ちましょう。(拍手)私たちは自信を持て胸を張って言える、俺はこれの為に闘っているんだ、後世の人たちにも言える。
飯館村に私は何回か行きました。あそこは本当にいい村だったんですね。飯館牛、それとトルコキキョウの名産地、お米も土地改良して非常にいいお米が出来るようになった。人口七千人くらいの小さな村ですが、若いお嫁さんを北欧の酪農業者のところに見学旅行に連れて行ったり、本当に村興しに成功していた村だったんです。
そこに事故後に行って、村役場の前に行ったらお地蔵さんがあるんです「お地蔵さんの頭を触ってください」と書いてあるんです。触った。そうしたら、飯館村の村民歌が流れます。それを聞いて、少年少女合唱団の二部合唱のすごく心を打つハーモニーが流れている。
それを最後に歌って終わりにします。
山 美わしく 水 清らかな その名も飯館 わがふるさとよ
みどりの林に 小鳥は歌い うらら春陽に さわらび萌える
あゝわれら 今こそ手と手 固くつなぎて 村を興さん 村を興さん
土 よく肥えて 人 情ある その名も飯館 わがふるさとよ
実りの稲田に 陽は照りはえて 続く阿武隈 山幸歌う
あゝわれら 夢大らかに ともに励みて 村を富まさん 村を富まさん
(拍手)
私はこの歌を聞いた時に、「あゝ東電って何ていうことをしたんだろうか。これをどうやって償うんだろうか」と思いました。それで、私は東電は許さない、これを進めた経産省も許さない、絶対にきちんと責任を追及して原発を止めさせよう、そういう風に思いました。
原発を日本からなくすまでには、まだまだ時間もかかるかとは思いますが、最後まで闘いましょう。そして切れないで、継続して、ずっと闘いを継続して、最後に勝つように頑張りましょう。ありがとうございました。(拍手)』
●被告からの発言
正清『今年度75歳になります。35年位前まで練馬の区議会議員をやっていました。政党はどこかと聞かれると、社会党から、社会市民連合で、そういう意味では中道左派ということになるんですが、私は実は、今日お見えになった中嶌先生のところに15年位前にお邪魔しました。ずっと私どもは脱原発という立場を一貫してやってまいりましたので、そういう意味で、お前何をやってきたかと言われると、ちょっと不十分ですけれども、この問題で始めて、3月11日から徹底的にやるということでやっておりますが、他の運動もいろいろあるものですから、大変失礼しておりますが、みなさんと一緒にたくさん頑張っていきたいと思っております。』
渕上『渕上と申します。正直言って、私は一昨年の3月11日以来の脱原発派です。つまり、それまでは、脱原発とか反原発についてはあまり考えたところがなかったというのが正直なところです。しかし、皆さんと同じかどうか分からないけれども、あの大きな事故というのは、私にとっては人生を変えるくらいの衝撃を与えたものであった訳です。これから先、先ほど、どなたかから、冥土の土産という言葉があったけど、これから先のことを仰ったと思うんですけれども、頑張りたいと思うんですね。ただし、私一人で頑張るのは嫌です。(笑)いいんですけど、皆さんと共に頑張りたい。(拍手)先ほど原告団が300人を超えていると仰いましたけれども、実際のところそうなんです。あのテントが私と正清さんが2人で守っているのではないんです。他の方がたくさんいて、あのテントが存在している。みんな毎日毎日、経産省の役人と闘っているんです。たとえ、それが1時間の座り込みにすぎなかったとしてもそうなんです。そういうものとしてこのテントがあるということを、改めて本日確認した上、伴に闘って行くということを誓って私のご挨拶に代えたいと思います。』
(終)
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