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(No297-2の続きです)
(写真はウシトラ旅団ブログより転載)

私たちウシトラ旅団は元々力がないですから、初めから人の力を借りることを考えていました。一番最初にいわきの方に連絡をとったのは、いわき自由労組という小さな労働組合に物を送ったりしていました。それは、初めから労働組合を支援をするというよりも、労働組合を通して被災者の人たちを支援できるかなと、言葉は悪いけれど、その人たちの褌で相撲を取らせてもらうというつもりでやっていました。
これが見事に当たりまして、個人商店みたいな小さな労働組合ですけれども、その人たちが、仮設で餅つきをやるぞという話になった時に、例えば小名浜の地区労が持っているテントやらマイクやら鍋やら餅つき機やら、さまざまな物を声をかけあってあっという間に持ってきてくれる。彼らに一緒にやりませんかと言うと、家族連れで仮設の中に入ってきて、一緒に楽しむというそんな様なことが出来たんです。
それがあって、自治会と支援者で、これから自治会の活動をどうするかということを恒常的に考えられるような機関を作れないだろうかという提案をして、テモテとウシトラと自治会の役員によって、会議をやることになった。自治会支援者活動調整委員会、通称「かっちょい」というものを作って、月に1度、「かっちょい」をやる。そこでさまざま問題になっているようなことを話しあい、こんなこと出来るかなということで、2月から動き始めました。そこで計画されて準備されて、同じように花見もやって、これも非常にいい形でできました。
花見で問題になったのは、富岡には夜ノ森という東北地方でも有名な桜の名所があり、爺さん婆さんたちはとにかくそこに行って桜を見たいと言う。ちょうど去年の花見の前ころ、試験的な除染をやるという動きがあったんです。結局、続けられたらしくて、今年も桜の幹の皮が剥がれてひどい状況、痛々しい状況の中で桜が並んでいる。去年の3月は、夜ノ森に行く行かないという話をしていました。私たちは行くことには賛成できない、「私たちは反対だ」と言おうと決めていました。ただ、どうしても行くという者を止める訳にはいきませんから、それだったらバスに乗せて降りないようにして「突入花見作戦をやるか」みたいな話をしていました。
もし行くとなったら、東京からもバスを出して、そこに私たちも乗って行って見ようということになったんですが、そこではなくて、いわき市の花見の名所があるので、そこに行ってやろうと決めて、私たちは東京からバスで行って、そこで一緒に花見をしました。そのようなことをやってきました。
そんなに難しいことは出来ないし、すっきり尖がった主張をして何とか出来る訳でもないので、オロオロしながらでも仮設の人たちと力を合わせて、一緒にやっていくということをずっと目指してきました。

<仮設住宅をめぐる課題>
今、仮設の問題で言うと、皆さん疲れてきているし、去年の暮に話を聞いた時に、仮設で7人亡くなっている。やっぱり、疲れは溜まっているし、先の見込みがないというので、精神的な支えでもなかなか難しいところがあります。
経済的にも、東電から入ってくる精神的損害賠償で生活が成り立つ人もいるし、全然そうではない人もいる訳です。しかも、仮設の人たちは年齢層が非常に高い。というのはバラバラにされた時に、それまで3世代くらいで暮らしていた人たちが、関東圏や全国に散っている。子どもを戻したくない、という若い夫婦は福島県内に戻らない。福島県内に残っているのは、お祖父ちゃんお祖母ちゃんの夫婦、あるいは独り者の高齢者が仮設にいるという状況です。そういう意味で言うと、家族バラバラ、地域で培ってきたつながりも断ち切られてという、しんどい状況を抱えてこれまで2年間を過ごしてこられた。
これから先何が起きるかと言うと、政府が復興住宅というのを作って行く。そこに入る時に、また同じようにくじ引きみたいなことをやって、せっかく出来てきた仮設でのつながりをバラバラにされる恐れがある。あるいは優先的に困っている人から入れるということをやる、お爺ちゃんお婆ちゃん、体の悪い人だけがそこに行って、コミニュティーも崩壊したまま行かざるを得ない。このやり方は一見、人道的に見えて、ちっともそうではないんです。阪神淡路から18年経って、復興住宅では今、老いて孤立した生活を続け、誰にも知られずに死んでいく人が多発するひどい状況になっている。原発の被災民もこのままいってしまうとそういう状況になりかねない、ということを抱えている。

(No297-4に続く)