
東日本大震災と福島第一原発事故から半年後の2011年9月11日、霞が関の経済産業省前にテントが立てられた。このテントは「経産省前テントひろば」として、全国の脱原発運動の支えとして、共同のひろばとして、2年以上にわたり経産省前に立ち続けている。
しかし、国は2013年3月末に「(土地)明け渡し請求訴訟」を東京地裁に申し立て、現在、裁判闘争が闘われている。
10月5日(土)に開催された「明大土曜会」で、「経産省前テントひろば」の代表であり、この裁判の被告でもある淵上太郎氏に、裁判闘争に至る経緯と今後の展開についてお話を伺ったので、その内容を掲載する。
(文章が長くブログの字数制限を超えるため、No316-1 からNo316-4に分けて掲載します)
【10・5「明大土曜会」にて】
淵上『テントの裁判について申し上げると、アウトラインは皆さんご理解されていると思うんですが、5月に第1回の口頭弁論があって、その後、7月と9月に口頭弁論が行われて、次の予定は11月29日になっています。
口頭弁論が5月に始まった訳ですけれども、この段階で我々が何を考えていたかと言うと、主に2つのことを考えていた訳です。
一つはテントの存在そのものがどのように正しいものであるかについて、どう理屈付けするかという問題が一つです。とは言っても、さっさと結論を出されても困るということで、できるだけ裁判を引き延ばす、長くやることによってテントを維持するという二つが考えられたということです。
前者の問題で言うと、いろんな理屈が考えられて、まだ決まってはいないのですが、端的に言うと、経産省が管理しているこの土地、国有地ですが、テントに対して、この土地を使っていいとか、そこに居ていいという許可を出した覚えはない。従ってテントは不法なものなので直ちに出ていけ、要するに所有権を根拠にした提訴なんですね。
それに対して我々は、そういう問題ではない。所有権は元々はっきりしているではないか。ただし、今この状況(3月11日に事故を起こしてしまったという状況)の下で、事故の責任を負っている経産省の単なるフリースペースに我々がたまたまテントを建てているということだけで、大した問題ではない。このこと自身は大した問題ではないにもかかわらず、我々が主張している問題、つまり原発は良くないだとか、再稼働するのはとんでもないだとか、福島を何とかしろとか、この種の議論について、当然、国がそういう場所として容認すべきだ、そういう限りにおいて我々が存在しているのは正しいのだ、ということですけれども、これについては何故かと言うと、表現の自由だとか民主主義だとか、いろいろ言われている訳です。
民主主義の問題というのは、ただ単に国政選挙、地方選挙に留める訳にはいかない。選挙は民主主義の形式の一部で大事なことではあるけれども、それが成り立っているから我が国は民主主義であるとはとても言えない。民主主義的な表現の自由とか、民主主義は実践されなければならない。民主主義というものは自分たちが実行しなければならないものである。選挙に出ますとか、投票しますというのは、一つの問題ではあるけれど、唯一ではない。つまり我々が声を上げたり行動を起こしたりというのは根本的な意味で自由なものである、そんなことになる訳です。
もう少しこれを整理して、論点を明確にしてキチンとしなければというのが最近の問題です。
二番目の裁判上の諸問題ですが、引き延ばすということで考えられたのは、今、私と正清さんという人が2名被告として設定されている訳です。これは何で2名なのか。
実際上、テントに一番足繁く通っているのは決して私ではない。回数でいうと、経産省が調べてくれているんですが、昨年の8月以降は10位前後なんです。また、私は定例的に泊りはやっていません。同様なことは正清さんにも言える。
そうしますと、形式上、私がテントの代表であるというを決めたのが11年の10月の会議だったと思います。その時に役員を決めようということがありまして、それで代表に選ばれた訳です。
それからもう一つ、テントは9月11日の夕方から始まる訳ですけれども、同じ夕方から上関から来た若い人が座り込むということになった。彼らはその時に経産省の敷地の中でやらせろと主張して交渉していた。僕らは5時ちょっと前に、中に勝手にテントを建てちゃった。何の抵抗もありませんでした。先に既得権を作ってしまった訳です。
テントに居たら丸の内署が呼びに来て「とにかく何とかしてくれ」ということで、私が交渉の場に呼ばれて行ったんです。
(No316-2に続く)
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