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(No318-3の続きです)
(写真は「朝日新聞報道写真集1970」より転載:69.10大阪市立大)

*補・その後の大学状況
ただ、大学闘争の敗退が、即学生運動の衰滅となるというのは短絡だと思います。拡大する一方の学生層の矛盾というものはますます増大します。それに依拠した運動はありうるし、学生自治が禁止されている訳でもありません。
しかし、学生をめぐる変化は大学闘争後にむしろ激しく、90年代、そして今世紀と続いております。学生運動主体は容易に生成されない状況となっています。この状況全体を分析して40年をまき戻す作業が必要であると思います
しかし、その大状況の移り変わりをどう評価するかというについては、なかなか評価が定まりません。実行委員会での討論も、その問題があるということは確認しながらも、評価が定まらないまま、その内容にまで踏み込めなかったので、そのことを記しておきます。

(4)世界的一同時代的な反乱と日本の運動

世に「1968年革命」説というものがあります。ベトナムーインドシナの革命戦争に触発されながら、かつての体制間対抗の鬱屈に反撃した米国の反戦的ヒッピー運動、フランスの1968年「5月革命」を波頭としたイタリア、西ドイツその他西欧の学生・青年の決起、「プラハの春」と言われたチェコ民衆など東欧の運動、中国文革と紅衛兵運動などがその中に数えられよう。
直接的な影響は、べ平連運動を介してアメリカからあり、中国からのものも様々なレベルであったといえます。政治的なものというより、文化的なものが大きく、映画、写真、音楽、演劇など芸術的領域はもとより、ファッションに至るまで、反体制的色彩をかもし出す文化的営為が台頭、支持された。主体的にもこの文化的契機によって運動に合流した者が多くいたといえます。
そのことも含めて、1968年を頂点とした世界的な青年反乱の一角に、日本の大学闘争、さらに高校生闘争、青年労働者運動が位置していたことは確かだろうと思います。しかし、その反乱が「1968年革命」といえるものであったかについては、昨今では醒めた見方がされているように思います。68年革命の代表的論者であったI・ウォラーステイン(アメリカの歴史学者)の議論も今は聞こえてきません。1968年以降45年が経ち、その間、世界に様々な反乱の波が起きました。しかし、それが実を結ばないという事実というものもあるということが大きく影響していると思います。例えば、昨今の「アラブの春」の事態というものを見なくてはならないとも思います。
しかし、私たちは、挫折したとはいえ、1968年世界青年反乱の意義を捉えたいし、それが革命と受け止められたことの意味を考えたいと今でも思っています。実際、そのような反乱の積み重ねがなければ、何ものも変らないと思います。その積み重ねに学ぶことこそ必要で、日本の反乱はかなり独自の様相をもっていますけれども、なお顧みるべきものをもっていると思います。』

(次週に続く)