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(No328-1の続きです)

【教育ハプニング 二宮金次郎と「資本論」】(引用)
『学生運動をやっていたころ、勤務評定(勤評)闘争で文部省前に座り込んだことがある。今のように機動隊もそう強固なものではなく、圧倒的にこちらの数に押された感があった。人が集まれば商いも成立するのだろう。夜泣きソバやが沢山やってきては湯けむりをあげていた。
「武士は食わねど・・・」というのを知っていて中には「闘争勝利!」などとスローガンを貼りつけたチャッカリ組のソバ屋もいたが、といって別段学生割引がきくわけでもなかった。さすが商いである。(中略)
二宮金次郎(二宮尊徳、祐徳でないのがおしい)、文部省のお手本みたいな人である。昔はどこの小学校に行ってもあの銅像が設置されていた。中にはピカピカに黒光りしているのもある。神のように思って毎日だれかがさすりにくるのであろうか?薪木までピカピカというのはどうもハデすぎていけない。ところが戦争がたけなわになってくると物資欠乏のため軍に供出させられてしまった。(中略)
ともかく戦中派の人間なら誰にでも焼きついている二宮金次郎像。これを今、人間が演じたとしたらどうなるのか?銅像ではなく生身の人間である。発想がわいたらあまり難しく考えない方がよい。それはインテリの悪いところである。悪いところはさけねばならない。ただ黙して行為すること・・・。
その日、ぼくはあわただしい出勤時間をさけ、昼休みどきを狙ってこの通俗的行為を実践した。なるだけ相手に考えさせるヒマな時間だからである。
守衛さんもチンドン屋か何かなのだろうと別段気に止めないのは、怪しいということにはならないからだろう。いわば奇妙な人間が、ということになる。やはりニヤニヤ笑っているのである。
ぼくはさりげなく、文部省の曲がり角のところに立つことにした。とにかく、一心に本に目をくれていなくてはいけない。本の内容は「資本論」にした。金次郎は、当時、社会主義者だったのか?とは誰も思うまい。が、こういうものはシリアスの方がよろしい。
昼休みの官庁街はすごい人である。初めはサンドイッチマンかと思った人もいて、プラカードがないのに首をかしげる人もいたりして、とにかく人々の目は「何だろう?」という軽い問いかけから始まるのである。人々は何かに結びつけたがる。撮影でもしているのかとあたりを見廻すものもいる。本を見ながらときどき横目でさぐると、人々はある一定の距離を置いた形で見ている。見ている方も恥ずかしいのだろう。
この間、たぶん何千人もの人々が通ったことだろう。ぼく一人はこうして立っていればいい。人々は思索をこらすだろう。「文部省に対する皮肉か?」「勤務評定に対する抗議行動」「道徳教育推進」と、まあそれぞれの考えを持ち帰るだろう。自宅での一家だんらんにおいて「今日変な男を見たぞ」と息子や娘に話している人もいるだろう。
いわば、今日、文部省の脇に一つのエア・ポケットがあったのだ。ナンセンスとかブラック・ユーモアにも当てはまらない。当てはめようとする気を起こさせない、奇妙キテレツということすらも。(後略)』

もう一つ掲載する。
【奇妙な赤旗】(引用)
『60年安保から5、6年も時がたてば労働者の祭典であるメーデーも子供連れの家族的ムードになり、プラカードよりも風船の方がめだったりする。不思議とメーデーには青空がつきものである。
かってぼくが中小企業の電機メーカーにいて、「全国金属」の支部委員長のときは、はね上がり労組として共産党系の組織からマークされていた。むろん警視庁からもであるが・・・。
だから一家団欒的な祭典には背を向けて最後尾から行く全学連と合流するのである。その方がぼくの労組の連中は喜ぶのである。とくにジグザグ・デモに入るとすごく戦闘性を発揮する。我々がデモっていると、学生たちが「おお、労働者だ、労働者だ!」と言って、すごい連帯の眼で迎えてくれる。
「何々大学自治会」という赤旗の中にあって、我ら「労組」の旗はダイヤモンドのように輝いていた。あきらかに「祭典」ではなく「闘争」であった。ぼくにとっては輝けるメーデーだったわけである。
この日、ぼくは全ての労働者を敵に廻すことになるかもしれない。心の底には、チョッピリ良心の阿責みたいなものが動く・・・。だが芸術とはいつの時代にもすべてを超えた行為を実践することだとすれば、この通俗的行為もやむを得ない大いなる実験に違いない。
この日のために一本の旗を用意した。すでにゼロ次元やクロハタの人々がしたようにぼくも労働者の一人として参加するのである。旗は「女湯」と白く染めぬいた赤旗である。初めはピンクの旗にしようと思ったが、あくまで画一性の中に通俗的エア・ポケットを現出させようというのだから当たり前の方がいいのである。

(No328-3に続く)