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(文書が長くブログの字数制限を越えるため、No328-1からNo328-3に分けて掲載します。)
都知事選も終り、新聞などの世論調査どおり舛添氏が当選した。脱原発派は候補者の一本化ができず敗れた。
都知事選の関連記事で、2月3日の朝日新聞にこんな記事が載っていた。
【「2014知事選」すえい・あきら(元「写真時代」編集長)】(引用)
『知事選、昔は候補も変わった人が多かったですよね。僕の知り合いで言えば秋山祐徳太子さんなんか2回出ていた。パンストはいたおじさんみたいな人も街頭で演説していたし、内田裕也さん、東郷健さんもいた。』
ここに出てくる秋山祐徳太子は、1975年と1979年の都知事選に立候補している。「保革の谷間に咲く白百合」というキャッチフレーズのポスターを覚えている方もいるのではないだろうか。私も、当時、秋山祐徳太子に投票した。
その秋山祐徳太子の「大博覧会」なるものが先月、東京・銀座で開かれたので見に行ってきた。(写真)
会場はギャラリー58。有楽町駅から銀座方面に向かって10分くらいのところにある。普通の雑居ビルの出入り口に、小さなポスターが案内代わりに置いてある。ギャラリーは琉映ビルの4階。エレベーターはないので階段を歩いて登る。会場に入る。会場は2DKくらいの広さだろうか。平日の午後なので誰も居ないかと思いきや、年輩の女性3人組がペチャクチャ喋りながら作品を見ている。
「大博覧会」ということで、回顧展のような感じでもある。ブリキ作品から、都知事選の時のグッズや写真、ポスターなどが所狭しと並べられている。また、会場に置かれたTVからは当時のハプニングの映像が流れている。
作品の写真を撮り、TVの映像を観た後、会場を後にした。

秋山祐徳太子とはいかなる人間か?
1971年の朝日新聞に記事が載っているので見てみよう。
【「ハプニングこそ人生」朝日新聞1971.10.16】(引用)
『秋山祐徳太子の心意気
“通俗行動”で反逆 大衆の哀歓と怒り表現
ゲバラひげの似合う長身、おつむは少々薄くなったが、なかなかの男前、武蔵野美大卒、独身、「秋山祐徳太子」(36歳)、デザイナーが副業と思われるほどポップ・ハプニングに夢中。
この道10年のキャリアを誇り、元祖を自認する。
ごぞんじ、町なかで裸になってひっくり返る、あの“ハプニング”は、一時大もてで、時にはTV番組をつぶすことさえあったが、目まぐるしい世の流れは、アッという間に“ハプニング”と“日常茶飯事”とを同義語にしてしまった。
しかし、元祖、太子君のハプニングは消えなかった。それどころか「異常な現社会では、通俗こそが新鮮で、驚きなのだ。そこで僕は、ホップ・ハップという通俗落下さんを背負って、この世にカッコ良くダイビングを敢行する」と鼻をうごめかすのである。
彼のハプニングなるものは、いつも通俗が図々しく大見得を切っている。
一粒300メートルのおじさん。ランニングスタイルに赤丸かついで、両手を高く、ゴールインの姿は勇ましいが、コースは果てしもなく続いて終わらない。子どもたちに囲まれ、汗だくで団地の庭を、商店街を走る彼が、真面目であればあるほど、こっけいであり、悲しさもつのる・・・題して、ランニング・ハップ。
サラリーマン時代には、自宅から工場まで、ヘルメットにランニングパンツ、弁当をしっかりとかかえ込んで、タイムカードに突進。賃上げ闘争の同志労組員たちを爆笑させ、勇気づけた?こともある。これは、サラリーマン・ハップ・・・?
そもそも、ハプニングとは何でアルノカ。
祐徳太子にとって、最初、ハプニングは、美術家である彼の、美術界に対する反逆行為であった。「抑圧する力への反逆のかたちであり、解放地点を目ざす触発媒体でもあった。また、自己変革への期待も、その行動にこめていた」・・・そうである。
目下、今月末、東京・渋谷のスナックで行われるポップ・ハップ“祐徳太子軍歌を謳う”の準備に忙しい。軍艦旗を仕入れ、ポスターを描く。
「軍歌は、ポップのきわめ付きですよ。被抑圧者であった一般民衆から新兵さんまで、心の底にしみつけている歌。勇ましそうで本当は悲しい日本人の歌。今、大声で歌えば、若者は何を思うのか。自衛隊員は、サラリーマンは、老人は、母親は・・・。これこそ現社会での逆説的パワー」・・・。
おどけた表情で語る太子君ではあるが、それにしては目がすわっていた。』

秋山祐徳太子については、このブログでも1969年の「万博破壊共闘派」での活動などを紹介しているが、秋山氏の回顧録的著書「通俗的芸術論」(1985年7月発行 土曜美術社)には、秋山氏のハプニング活動の様子が掲載されているので見てみよう。

(No328-2に続く)