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(No331-3の続きです)
(写真は1978年のボブディラン来日公演のパンフレットより)

村上「空気に染まっちゃう訳。犬がいたり、廊下にスキーが置いてあったり、何か分かっちゃうんですね、ああ、いんじゃないかと。」

高石「俺としてはフォークソングという人に出会って、人生曲げられてね、まだこんちきしょう、まだこんちきしょうって、自分だけだったのが 奥さんとか、子どもまで引きずり込んじゃっている訳。ちょっと意地になっているんだね、やっぱり。その女に出会っちゃったら、とことん行くより損はないんじゃないかという・・・」

16 七字英輔・30(コマーシャル雑誌編集者)(ビートルズとディランに育てられた世代を自認。いくつかの音楽雑誌を編集)

七字「60年代というのは輝ける年代だったですね。つまり日本では黄金の60年代と言うけれども、僕らの高校時代というのはディランはともかくとして、ギンズバークだとか、テラワークだとか、つまり経典な訳ですよね。そういう意味での非常に近い感性なんです、ディランもね。
だから決して無関係じゃないし、そういうディランというのはとっても好きですし、自分の感性を作ってきたのも、そういう感性をテコにして今まで生きてきているのも、あの当時の一種の何て言うのかなあ、ヴァイブレーションだというような気がしてますね。実感としてね。」

村上「僕はちょうどそれに憧れて出てきたから、こんなこと聞くのかもしれないですけれども、カウンターカルチャーというのは、日本に60年代の終わりごろ果たしてあったのだろうかと考えるんですね。」

七字「つまりなかったんですよね。なかったんだ、ということはつまり今だから言えるのであって、当時の我々はあったような幻想があった訳ですよね。例えば新宿西口広場なんていうのはカウンターカルチャーだった訳ですよ。つまりウッドストックにはならなかったけれども、そういう芽みたいなものはあったんだ、という風に考えたいということが。正に僕は渦中にいましたからね。」

「時代は変わる」が流れる

17 芥 正彦・32(演劇家)(1969年 三島由紀夫と東大全共闘の討論集会を企画)

村上「何か質問するというのもあれだし、芥さん、自由に話してください」

芥「ディランに関しては前から意識してたというのかな、あいつはデモにいかないもの。それだけでも俺は好きだったね。とにかくあの有象無象さ、お前らも行ったんだろうけど、デモというのが気に食わなかった訳。とにかくあれをバーッと切ったりね、とにかく奴らの前にバーンとでっかい鏡を置きたいというか。だから演劇になったんだと思うんだけれど・・・あれだけは何か人間の尊厳からはずれる気がしてさ、今でもそうなんだけどね。そこはどうなの、君?」

村上「僕ですか?」

芥「俺はデモというのは一切嫌いだし。」

村上「行ったことありますよ、高校時代。」

芥「フン、まあ、お祭りだから行くんだろうという感じもするんだけどさ。」

村上「お祭りほど楽しくはなかったですけどね。」

芥「あと、70年代というのは、いろんな宗教の時代の前触れじゃないかという気がする訳。60年代は分かんなかったんだけれど、ディランだって一個の宗教を作った訳だしね。俺は絶対、宗教にならないつもりだけどね。地下、そういう意味ではアングラというのは知らないけど地下というのはあるよね。今まで一銭も稼いでないし、とにかく自分の血や汗を一ミリも売りたくないみたいな・・・君にとって地下とは何だという話を聞きたいね。それが大体、君の80年代だと思うから。」

村上「全くそうだと思う。」

芥「俺は俺だよ。やっぱりここにいるだろうな。餓死してるかも分からんしさ。ただ、世の中が俺に与えてくれたものに関しては、俺も俺なりに愛するから、それはそれで俺は返してきている訳。だから愛を告げられなくなったら、俺はいなくなるな。」

18 西岡恭蔵・30(フォークシンガー)(ディランを信奉し「ディラン供廚箸いΕ丱鵐匹魴訐)

「今、一番染まりたいと願っているのはね、魂を高揚さすこと。自分もそうだし、お客さんもそうだしね。で、例えば今、龍さんと会ったらね、2人でやっぱり何らかの形で魂を高揚させたいなと思うね。それは歌であっても何でもいいと思う。大げさなことだけど、自分の意識も人の意識も少しずつ少しずつ、時代に即応して変わっていくしね。根本的なのはやっぱり、俺たちは時代と対決している気分だと思うのね。それを感じていたいしね、曲げたくないしね・・・」

(No331-5に続く)