
(No331-1の続きです)
(写真は1978年のボブディラン来日公演のパンフレットより)
村上「その頃は泉谷さんは(歌は)やっていなかったんですか。」
泉谷「いたずらではしてたけど、プロになろうとかそういう気はなくて、とにかく漫画家になりたかった訳よ。自分の職業というのはそれしか考えていなかったからね。音楽というのは遊びだと思っていて、その頃、ディランいいいいと言ってる訳、周りの奴が。分かんねえんだよ、とにかくどれ聴いてもグニャグニャグニャグニャ歌ってて、鼻水たらしたような歌を唄ってるでしょ。何でこんなのがいいの、と言った訳、俺は。生理的なところがいい、と言う訳。生意気言って、このー、という話になったんだけどね、そこで。」
村上「本当はものすごく好きなんでしょ。」
泉谷「ものすごく好きです。好きだから、かえって好きーと言いたくないというか、フンという感じで軽く見ていたいというか、本当はドキドキすると思いますよ。」
6 岡本おさみ・36(作詞家)(代表作「襟裳岬」「旅の宿」)
村上「ディランというのは好きとか嫌いで言えばどっちでしょう。」
岡本「僕はすごい好きです。」
村上「最初のコンサートに行かれたらしいですが、どうでしたか。」
岡本「僕はすごく構えて聴きすぎたと思うのね。一番初め。それで一部が終わるまで、すごく肩張っていた自分があって、たぶんファンだから緊張したんだと思うんですね。だけど、一部の休憩があった時に、向こうはすごく若返ろうとしているような感じを受けたのね。」
村上「ディランがですか?。」
岡本「うん、それで、お客さんは何かちっとも若返っていない・・・」
村上「ハッハッハッ、客の方が若返っていない。」
岡本「つまり昔のいっぱいいろんなものを引きずったまま来ているという感じがすごくあって、それで自分も一部が終わったところですごい気付いたのね。今日は二部はもっと楽に聴こうと思って聴きはじめたら、何か遥かなる歌の旅路というような、年齢みたいなものを全部超えちゃて、何か、あ、少年がいる、という・・・」
7 高橋三千綱・29(作家)(66~69サンフランシスコ州立大学に留学)
村上「3年間いたんですか、アメリカに?」
高橋「シスコにね、アメリカって言ったってさ、サンフランシスコだけだからね。」
村上「いつ頃ですか?」
高橋「えーっとね、66年から69年まで。西太平洋側の最大の学生運動が、ちょうど学生だったうちの大学だった。」
村上「あ、本当。」
高橋「ぶんなぐられてね。ちょうどベトナム戦争はなやかりし頃じゃない。だからボブ・ディランって聴いたけど、今、反戦なんて言われているみたいじゃない。そういう風にして聴いていたという記憶はないね。」
村上「向こうの人も?」
高橋「うん。」
村上「本当。やっぱり普通の歌として、日本で言えば井上陽水みたいな、そういう風に聴かれていた訳?」
高橋「そうだと思うけどね。」
村上「ガールフレンドなんかも、そういう風に聴いていた訳?」
高橋「ワインなんか飲みながら、流れているのはボブ・ディランとかさ。」
8 沢田研二・30(歌手)
沢田「前から5番目のアリーナだったですけどね、ほとんど正面で、顔もよく見えました。ボブディラン自身がすごく機嫌よさそうだったし、一部はちょっと眠たかったけど、二部は知ってる曲も3曲くらいあって、結構、見て良かったなと思いました。」
村上「そうですか。」
沢田「やっぱり大物ですしね。いちファンとして楽しんだということです。」
「風に吹かれて」が流れる
<字幕>
“男が男と呼ばれるまで 幾つの道を歩まねばならないか?
白い鳩が砂浜でやすらぐまで 幾つの海を超えねばならないか?
大砲を永久になくすまで 幾つの弾の雨がふらねばならないか?
友よ、その答えは風の中に舞っている。“
9 清水哲男・40(詩人)
「プロテストはプロテストなんだけれども、誰でもがどんな立場からでもイエスと言える、賛成できる歌な訳。だから党派を超えると言えばそれまでだけれども、歌で人生を考えるということはいいんだけれども、それをレコードなんかで、学生なんかが学校終わって帰ってきて、密室で聴いている訳ね。何か、そんなことしているより、麻雀でもして酒でも飲んで、もう少し具体的な人生にぶつかった方がいいな、という気もするのね。」
(No331-3に続く)
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